霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

先輩諸侯が人に求めたこと

2013年06月22日 | 心霊現象
「我が先輩諸侯」というにはあまりにも僭越であるが、かつての日本人が「人」に求めたものが何であったかを知ることは、重要である。
それは「特別な人」を要求したわけでも、トップ争いの末に選ばれた人を指したわけでもない。

一人の人物は、自分の建築の技を学校造りに一生の仕事として賭けた。
『子どもは次代を背負う者である。この子どもが学習する校舎は、永久に使用できる力がなくてはならない』このように考えた氏は、これ我が天命なりと感じ、独力でできる限り永久校舎建設を計画設計し、その実現を
期したのである。現在の厚木市○○がその一部である。
厚木市郷土の「井上 篤太郎」氏。大正五年四月に勲一等端宝賞を、昭和三年十月に藍綬褒章を、昭和十三年
八月に紺綬褒章を授与せられた「郷土の誇るべき人物」である。

いきなりこんな「偉い」人の話をしても、だから何!といわれそうですが。
この人をよく知っていた人が、前に何度か書いた「霊能者O氏」でした。
厚木の地で生まれ育ち、かの地で骨を埋めたO氏が、第二次大戦を軍医の助手として闘いそして終戦を迎えた。前線の残酷な場面を見聞きしたO氏ではあったが、そのことは最期まで語ろうとはしなかった。
ただ、土地の人たちや、クラスメートのことは、聞く人さえいれば語りたがったものです。
その中に「井上氏」がいたというわけである。
彼が社員の採用に際して、一般的学力試験だけでなく、人物審査も慎重に行った。
例えば、採用試験の日に弁当を出す。その食べ方、蓋についている一粒の米でも、むだなく「折詰め」を食べ、礼儀のよい者を採用したという。

最近の話では「三菱鉛筆」の会社でのこと。
採用試験を無事とおり、新社員の入社式の折、全員に鉛筆が配られた。
その次には「小刀(こがたな)」も配られた。
「さあ、鉛筆を削ってください」の号令で、みな取り掛かった。が、中には鉛筆を削れない者もいたという。
鉛筆削りなんて、「電動の削り機」がやるものだと思っていた者には、びっくりだっただろう。
あるいは「ハンドル」を回しさえすればいいと・・・。

これが現代に何を語り、会社は彼ら若者たちに「何」を見たかったのであろうか・・・。


先日ご紹介した「養老氏」も著書の中で言っておられる。
「現在はボタンを押すだけで、風呂が沸く」と。
風呂だけではない。ボタン一つで、米も炊けるし火もつく。
なんと便利な時代か~。これが悪いと言うのではない。
「ボタンを押す」前に、どうしたら火がつき、「ごはん」がどうすれば出来たのか。
風呂もどうしたら湧いたのか。その前段階を知った上での行動でなければ、分からずに、あたりまえのように、使って終わるだけだ、と。
そこで子供に「火を起こさせて」みる。米を炊かせてみる。風呂を沸かさせてみる。
何も出来ない。目の前に「紙屑」と「杉っ葉」と薪(たきぎ)を置く。
「さあ、どうぞ」といってもどれをどのようにすれば、「火」を絶やさず燃やし続けることが出来るのか・・・。たった三つの材料を重ねる、あるいは使う術(すべ)さえ知らない。(養老氏談)

多分、コンピューターが「火」をおこし、米を炊き、丁度いい湯加減の風呂が、目の前に提供される事が「あたりまえ」なのだろう。いまさらわざわざ、それをおさらいして何がある?
それこそ無駄というものではないか・・・。ある物をあるとして使いこなせばいいのだ・・・。

確かに、私も時々思う。
おぎゃーと生まれた時から「カラーテレビ」があり、炊飯器があり洗濯機がある。
「エアーコン」があり掃除機があり「ロボット」が留守を守る。冷蔵庫は部屋の大きさほどになってきた。
便利の中で、衛生的なくらしはもうあたりまえの事である。何も驚くことでも、感謝する事でもない。
ごく普通であり、当然であり、あたりまえなのだ。
これから先、もっともっと便利になったとき、人に何を見ようとするのだろうか?


学校の玄関前に昔あった『二宮尊徳』の像は、今はほとんど見かけない。
これが世の移り変わりであり、習いだといいながらも、あえて次に「二宮尊徳翁」の句を書いて終わりにしたいと思います。(私も知らなかった訓ですが、O氏がいつもいっていました。尊徳像の脇に必ず記されていたはずだよ~と)


    報徳訓

 父母の根元は天地の令命に在り
 身体の根元は父母の生育に在り
 子孫の相続は夫婦の丹精に在り
 父母の富貴は先祖の勤努に在り
 吾身の富貴は父母の積善に在り
 子孫の富貴は自己の勤努に在り
 身命の長養は衣食住の三に在り
 衣食住の三は田畑山林豊に在り
 田畑山林は人民の勤耕励に在り
 今年の衣食は昨年の産業に在り
 来年の衣食は今年の艱難に在り
 年々歳々、報徳を忘るべからず


昔も今も、人の「何」をみたとき、進歩とか進化とかいえるのでしょうかねぇ~。
それとも、人には関係なく周りの環境さえ便利になれば、それでもういいんだよ~、とでも?。

世界にみる「メイド・イン・ジャパン」

2013年06月21日 | 心霊現象
眠れない夜に聞くラジオ。
ラジオなど久しぶりのことで、何をやっているのかさえ分からない。
氷川丸の先生がいつも聞くという、「NHKのラジオ深夜便」なるものを聞いてみた。
暗い部屋の中で、耳だけを動かせば?(眠らせなければ)いいわけだから、簡単であり楽なことだ。
それで眠れたら、この上ない。
しかし、内容やかかる音楽が面白いと、すぐさま一時間は過ぎる。だが一時の教養を得、刺激にもなる。

その深夜便の中で「パイプオルガン」の権威「望月氏」の話を聞いた。
語られる内容と「その数」をメモせずに、みんな頭の中に入れた。(認知症の予防とばかりに)
 『日本のパイプオルガンで、世界最大級クラスが設置されているのが一つある。それが1973年に設置
  された「NHKホールのパイプオルガン」である。その大きさが大であれ、中であり小であれ、全ての
  パイプの数は7640本ある。その中で大きい物は電柱クラス、小さい物は小指くらいのものまである。
  それがびっしりと並んでいる。
  そのまたメンテナンスが大変であるが、一か月に一回づつ、順にやっていく。
  そして10年に一度、パイプの掃除をやる。
  演奏されるときに客席から見える部分は、ほんの一部、つまり300本くらいのパイプしか表に出ていな
  い。あとの7340本は裏側に整然と並び、そびえたっているというわけである。
  NHKホールといえど、いつもそのパイプオルガンの演奏があるわけではない。
  ある時、鳴り止まないカーテンコールの拍手の後、パイプオルガンの奏者による演奏があった。
  メンテナンスのためたまたま居合わせた「わたし」は、その演奏とオルガンの音を聞く幸いを得た。
  そのオルガンをNHKホールに設置するまでの苦労を思い出しながら、それが日本にある事をしみじみと
  味わった。世界最大級のオルガンは、部品に分け、何百何千というパーツの数を船で運びました。
  その船の調達さえ難儀なことでした。今おもえば、ドイツからここまでよくも運べたものだと、皆さま
  の御助力と運のよさに、心から感謝をしています。どうぞ、見るだけでもいい。いちどそのオルガンを見
  てやってください』と。


そのパイプオルガン発祥の地、ドイツの「レーア」。
パイプオルガンのマイスター(音階の調整師)がいる。
その方がいまだに使っているパイプを切るための「金切りばさみ」、代々使っていまだによく切れる。
どこの物かさえ気にしなかったが、字が刻んであるという。
ドイツの人には読めない文字。それが「ろ政」。「ろまさ」と読む。
日本の製品であった。
ここが番組の売りであり、見せ場だ。
さっそく調査隊が現地へ飛ぶ。「ろ政」のはさみを求めていきつく処は~・・・。
東日本の震災地。工房は震災で壊れ、今は廃業したとか・・・。
その後を継いだ「久光工房」。「うちのじいさまの作だ!」と映像をみて「孫」が涙をうかべる。

TV番組の受け売りだが、「メイド・イン・ジャパン」は我々の知らないところで、重宝がられ、その品質の高さを誇っている。
次の「黒いガラス」。黒いカラスではない「ガラス」、あるようでない。
その開発までの苦労は、並大抵ではない。さすが日本人の真骨頂だ。
アメリカ・カリフォルニヤでおおいに人気をはくし使われている。誰も思いつかない「黒いガラス」が「ここに」だけある。使っている彼らは、その味がいまだかって無かった物への憧憬と感謝で満ちた生活を自慢する。(しかし、案外日本人は知らない)

ドバイの高級ホテルでのみ使われている「特別のコーヒーカップ」。
石川県、白山市にある小さな工房の作品である。この白さは他にはない。さらに重くない。陶磁器にはない
色とつや、光り具合、飲む時の口のあたりなどなど。どれをとっても他に類をみない代物である。
世界中のコーヒーカップを厳しく吟味した結果に選ばれた「日本の白いコーヒーカップ」。
セレブ中のセレブが泊まる「超一流高級ホテル」のスカイラウンジのコーヒーカップにのみ、それが使われているという。

そして「ふえ」。
たかが「ふえ」でも、その響きは千差万別である。
はやい話。あの映画「タイタニック」で使われた「ふえ」がそうだった。
えっ、どこの場面かって?  はいはい、あの最後のところ。
海に投げ出され、流れる板につかまり「もうダメ」とあきらめたとき。助け船が生存者をさがしている場面だ。
「もう誰もいないや~」と自分を置いて船が遠のこうとしている、その時に「彼女」が渾身(こんしん)の思いで吹いた「あのふえ」。
あれでなければダメだったのです。
凍てつく氷の海。投げ出されて次々と死んで行く人々。その息をのむ静寂の中で、鳴り響く「ふえ」の音。
最後の最後に命かけて吹くふえの響き・・・。それで生きていることを知らせて、彼女は救助された。
とまあ、あの映画の見せ場でもありました。
あの「ふえ」が、日本人であり「ふえ造りの名人」といわれた職人さんの作品。
運動会、つまり昔の先生方や、今の警察官や防災関係者はみんな「あれ」を使う。
どこまでも遠く響くその音。音質。吹き心地さえいい。そんなものは他にはない。そして壊れにくい。
その方が造る「ふえ」は、もう手に入らないとも聞くが、まだ間に合いますかねぇ~。
「ふえ」とも、「ほいっする」とも「ぴっぴ」ともいわれていたのを覚えています。古いですねぇ・・・。

最後に砲丸。あのオリンピック競技の「砲丸投げ」に使われるもの。
日本が誇る「室伏選手」がそれを使う。
ある一人の職人さんのものを。それ以外は使わない。
今はもう歳をとってやめたいといっても、「彼・室伏氏」が現役の間は、彼に乞われて作るらしいが・・・。しかし他の選手のものや、オリンピック外国選手のものは、お断りらしい。
どこが違うかって? 砲丸を投げたことのある人しか分からない部分、つまり微妙に違うその部分で、結果に差が出るのだ。


職人の技は「感」が命という。
最後は「ものづくり」を今日まで続けてきた、日本の「気質」(職人気質・しょくにんかたぎ)がものをいう。つまり目に見えない「もの」が決定する。
メッカ巡礼の際使われる「アルカーバ・コンパス」。つまりメッカの方を示す「方位磁石」だ。
35年間も使っていて、少しも狂わず壊れない。世界中どこへでも持っていく。そういってアラブの人がその方位磁石をいとおしむように手でさわる。それも日本製であった。
さらに「カンドゥーラ」という男性用の民族衣装。その生地は8割が日本製を使って作られ着用されている。
他国からもたくさん輸入される生地の中で、「いつまでも白く、洗えばさらに白く柔らかくなり汗を吸う最高の生地」と、現地の人が指をさす、その先にあったものは「トーヨーボー」と書いてある生地だった。


このような話を聞くと、なぜか力が湧いてくる。日本人の造った「もの」が、世界中にそれも最高な物として喜ばれている。
そんな「もの」をつくる後継者がいなくなり、泣く泣く?外国の人に「技」を伝える職人さんが後を絶たない。中国や東南アジアだ。が、はたしてその「気質」まで受け継いでくれたのだろうか・・・。
これもともすれば、昔あって、今は無いものにいずれなっていくかもしれない。

そんななか、新しいもの造りが、今また始まろうとしている。
それも「くもの糸」を使う取り組らしい。えっ、あの「くも」?。
そうだ、お釈迦さまがたらした「くもの糸」であり、映画「スパイダーマン」のくもの糸である。
あれを利用するんですと!
まず、「バイオリンの絃」。まあ、考えられないこともない。
次に、飛行機の機体。車の車体。そのタイヤ。
みんな「あの柔らかさ」によって「クッション性」のある品物が出来上がるそうな・・・。
これからの産業、ものづくりでしょうが、「くもの糸」ねぇ~。
子供の時、私達も考えました。あれって、何かに使えないのかなぁ・・・と。
やっぱり、使うんですね。面白い!、これから先もっともっと自然を観たら、何か使えるものをさらに発見するかもしれません。(虫はとうに食糧になったし)

将来の日本の物づくりを楽しみにして、今日はこの辺で気持ちよく「おわり」にしましょう。








相手を知ること

2013年06月20日 | 心霊現象
いずれの時にも相手がいるときは、「相手」をよく知ってから行動を起こさなければならない。
「モンブラン」の山の頂まで案内したガイドが、TV画面の向こうでこう言う。

『まず山をよく知ること。自分の限界を知ること。戻ることの勇気をもつこと。
 そして最も大切なことは、楽しむことだ』と。

相手を知り、己(おのれ)を知る。
これこそ闘いに勝つ秘訣である。そして人生を生きる秘訣でもある。

第二次大戦の時の話である。
アメリカは莫大な予算と資源をつぎ込んだ。あらゆる英知を終結させ、可能な限りの人数を投与した。
この大作戦は、もう一つのことを加えることによって、大方は勝利を約束されていた。
それが「相手」、つまり「日本」を知ることだったという。何でもいい、知り尽くすまで徹底した。
日本で「今」一番歌われている流行り歌は何か?。そして今上映されている映画は何か?。その内容はいかなるもので、国民の心をとらえているのか?。今一番読まれている本は何か等々。
分析に分析を重ね、「日本人」とは何者であるかを、まず知ろうとしたという。
歴史と文化を造ってきた日本人(日本)を知ろうと、本当に努力したのだ。これもまた戦の作戦である。
知ればこそ、その裏も分かる。ゆえに「その裏を欠く」ことも出来る。
その努力のすえ、日本の暗号文はほとんど解読されていたという。
手に取るようにわかる日本側の作戦。ましてや終戦前は全ての物資に事欠いていた。
勝つ、と分かっていても、たった一つだけ誤算が生じるとすれば、日本人の「大和魂」だけである。
彼らアメリカが硫黄島を責めるころは、アメリカ国内でも「もめていた」。
もうこれ以上闘うのは嫌だという、国民の意気消沈したムードが蔓延し始めた時だったらしい。

日本への「原爆投下」は、別の視点で語られることもある。
その一つは気象状況である。つまり、投下当日の「天気次第」という意味である。
一回目。投下の予定地は「新潟」。しかし雲が多く狙いが定まらない。その時雲の切れ間は、広島の上空だった。急遽投下地は変更され「広島」に原爆が落とされた。
新潟、それも「長岡」の地だったという噂もある。
いずれにしても、「雲の切れ間」が運命の分かれ道になった。

いま一つの視点がある。
「クリスチャンの迫害」という歴史的事実から、投下の地が決定したとする見方である。
歴史を知ってか知らずか、日本において「とりわけ厳しい迫害」のあった場所。
それが新潟、長崎だというのか?。
あとからのこじつけかもしれない。が、現実に投下された事実をみれば、広島も長崎も「迫害の地」であったのだろうか?・・・。

日本の歴史的事実から、彼ら「アメリカ」が神に代わって割り出したとは思えない。
たまたま、偶然にそこだったと思いたい情の中で、こうも考える。
偶然が重なりあって、神の手が的確に的を当てた・・・と。
しかし、これを他国の人が言ってはいけない。
「原爆投下は、神の罰だ」と。どこかの国が「バカな事」を言ったっけ~。
『罪のないものから、石を投げよ』。
そのダンから言えば、何人も、何国人も指をさし、石を投げることは許されない。
よしんば「神の罰」だとして、それを「ざまぁみろ!」と言ったものは、いずれ「その罰」を今度は受けるハメになる。という因果はめぐるということを知らなければならない。


相手を知るという「作業」の中で、是非忘れずにやっていただきたいことがある。それが目に見えないが確かにあった歴史的事実と、霊的背景である。
多分、きっと、「マッカーサー」の先祖は、日本国天皇に会うとき、地上の彼にありったけの力をもって霊的に働きかけたのだろう。でなければ、絞首刑か銃殺刑はあたりまえのように敗戦国の長に対する罰、あるいは見せしめとして「実行」されることは常の事であった。
前のブログで書いたように「先祖の功労」は、神といえども「アンタチャブル」だと。
歴史を賭けて積み上げてきた「皇室の祈りによる功労」が、現実に意味を現した稀有な一瞬でもある。
こういった意味からも、「天網恢恢疎にして漏らさず」が現代に生きている。


一人で生きていかない限り、必ず「われ」の相手は存在する。
日常、その相手を何人も代えては、日々を生きていくわたしでもある。
形だけしか見えない私達は、霊の世界からすれば盲目である。
何も見えない状態で、目にうつる実態のみで判断し、常識に当てはめて生きている。
それが、いつか割り切れない事実を生む。見えない部分を無視して繋いだ人生に、待ったをかける時が来たのだ。
「あの世」だって黙っていられない時を迎えたのだ。
実にい~い時が来た。
それが「丁」と出るか、「反」と出るか?・・・。
「相手」をあなどることなく、よくよく知った上でお相手なさいまするよう、くれぐれもご注意申し上げます。

そうそう、「相手」を知ることで最も難解であり、かつ重要な事があります。
それが「神」を知るということ。
神は信ずる対象ではなく、「知る」ものであると思召せ。
そういう意味で、わたしたちはお互いに「これから、これから」~。



価値観の違い

2013年06月19日 | 心霊現象
これから申し上げることは、「価値観の違い」だけで片付けられるものでしょうか?・・・。


『岡山県の古い神社で、宮司さんが社殿を立て直したいと思った。小さな神社ですよ。
 その宮司さんが何をしたかというと、境内に生えている樹齢八百年のケヤキを切って売った。
 その金で社殿を立て直した。八百年のケヤキを保(も)たせておけば、二千年のケヤキになるかもしれな  い。何人の人がそれを眺めて、心を癒すことか。それを売ったお金で建てた社殿は、千年はぜったいに保
 たないでしょう。それを平気で売って、社殿を建てる。それがいまの世の中です。 』
              (養老孟司の<逆さメガネ> 養老孟司著から)

価値があるかないかを、どこに置くか。これは実に難題ともいえる事だ。
答えがあるようで、ない。さらに時代が代われば、根こそぎ他の物に変わる(代わる)という「とんでもない代物」にもなりうる。国によっても変わり、為政者が代わればまた変わっていく。
今は多分、「お金にならないかぎり、価値がない」とほとんどの者が思っている。

全部が全部でないにしても、その価値観はこの世の「バロメーター」になる。

似たような話が私のすぐ近くで起こった。
千葉県成田山を本山とする社殿がある。その庭に植えられた「みごとな桜の木」が全部根こそぎなくなった。
近くの人が花見に来るくらいだから、樹齢もそれなりの大木であり、みごとな花をつけていた。
それが7、8本あったものがゼロになったのだ。今年もさぞかし見事な花を咲かせているだろうと、足を向けた人達の驚きは尋常ではない。
「えっ、なぜ? いつから無いの?・・・」と、それぞれで聞きあった。
ある人が聞いた話だけど、と言う。
枝が線路の方まで伸びて、危ないからだとか・・・。それに木を切って空き地にし、小さい納戸を建てたかったとか~。
事情はあるだろうが、「桜の木」を切るという行為は、特に日本人は拘(こだわ)る。
それ以後桜の咲く頃には・・・あれだけの人の姿が消えた。

一頃、神奈川県鶴岡八幡宮の大木「銀杏の木」が、枯れて倒れた。
もう修復不可能であり、無理とみた専門家も諦めたと聞く。
樹齢の長さがまた「霊験あらたか」の代名詞のように、信仰の対象にさえなる。その植物が目の前から消える。
どうってことない、と思える人が増えてきた。
彼らの価値観は「そんなところ」には無いのだ。

パソコンで株の取引きをし、一日単位で億の金を動かし、「損した」「得した」と言っている人たちには
およそ「関係ない」し、「影響をうけない」のだろう。


これで世の中が割り切れ、難なく営まれていくのであれば・・・(それでいい?)、待った!。(いくわけがない!)
生きるという事は、「死」の準備期間である、と申し上げた。
生きながら育む魂の内容は、その価値観が全ての意味を持つ。
間違った価値観でいくら生きても、いくら長生きしても、「あの世」の価値観とは何ら関係ない人生を送ったにすぎなくなる。
厳しいようであるが、最初から出直し、価値観の修正を余儀なくされる。(あの世での話です)
肉体に染みついた価値観が、そうたやすく変えられるとは思えない。
金の亡者は、金の亡者から出発する。その価値観の転換は、<逆さめがね>をかけるに匹敵する。

自分の行動は何によって影響を受けるか・・・?。
と、実に面白いことを書いておられる。(養老氏がである)
『道を歩いている。足元にヒゲボソゾウムシ(虫)が歩いている。あなたは、足を止めるか。きっと何事もな
 く行き過ぎるであろう。では、道に100円玉が落ちている。あなたは何事もなく通り過ぎるか?
 いや、きっと立ち止まるに違いない。あなたは100円玉によって影響を受け、行動するという生活をして
 いる。が、ヒゲボソゾウムシによって影響を受ける生活はしていない。  

 現実とは何か。
 現実とはこの世に厳として存在する唯一の実在を指す。 』


愛した、と思っていた人達でさえ、「価値観の相違」の理由で分かれていく。
ほんのささいな事というには、大きすぎるもの・・・、それが価値観である。
その価値観がまとまる?、あるいは一致することなどあるのだろうか?・・・。
一人の人間の心でさえ、正と邪の争いがある。二人になれば四つの心が入り乱れる。これが夫婦になり、家族になり、血統になり・・・。
国家がまとまるには、気が遠くなるほどのハードルを越えて、ようやく不特定多数の答えを出す。
そうしなければ、前へ進めないのだ。

さあ、あなたの「価値観」は自信がありますか?何の?・・・。
最後は、絶対からみた「正しさ」という価値です。
それを、いつ、どこで学ぶか・・・。人生の最も重要で、かつ価値あるものは「これ」に尽きると・・・。
今日はそれを申し上げて、おわります。












「ありがとう」は魔法のことば

2013年06月18日 | 心霊現象
「ありがとう」という魔法の言葉を心に抱いて、流れゆく季節の中で京都大原に住み続ける。

当然日本の人かと思う。が、「ベニシアさん」という外国の女性である。
古民家に住まい花や野菜を育てながら、移りゆく四季を味わい尽くす感性豊かな一人の女性である。
人が手で生み出す「物」が一番使いやすく、心温まるとさえ言う。
日本の染物や織物、焼き物に「心」を読もうとして大原の地に住み続ける。
彼女こそ、『季節の足音』が聞こえる人のようである。
一番楽しいのは、「待つ時間」と言い放つ。
花が咲くまでの待ち時間、そして旅に出るまでの待つ時間。作物が実る、その実るまでの時間。
みんな「待ち時間」があればこその楽しみにひたる・・・。
まさしく「待つ」ことを味わい楽しむ「豊かな魂」をもつ御仁である。(NHKのTV画面でお目にかかるだけであるが・・・)

最近は待つことを嫌う。
いらだつ気配を充満させながら、レジの列がのろのろと進まない。
原因はレジを打つ「お嬢さん」に「からむ?」高齢者。
信号も待たない。踏み切りさえ、待てなくなった。
さらにさらに、「弾丸登山」という言葉まで生み出して、人は待たなくなったらしい。
何の事か?・・・、富士山の五合目まで行って、一気に頂上へ、そしてご来光を見る。
富士山のご来光を見るために、深夜休まないで頂上を目指す「登り方」を言うらしい。
確かにご来光は見たものの、体調を崩す人が続出しているとか。
高齢者に多いらしいが、他人への迷惑を顧みず、元気だと自分を過信しすぎてのことらしい。
少し休み、待つ時間の余裕をもって、登山やご来光を楽しんでほしいと「富士山の管理所」では警鐘を鳴らす。

そして、「ありがとう」という言葉も忘れかけている。
そのかわりに「どうも・・・」。これさえ使えれば、なんなく暮らせるようだ。
時々私は「どうも、じゃないでしょうが!」と思うことがある。
あぁ、日本から「ありがとう」が消えていきつつある・・・。
ベニシアさん!日本人は、あなたが「魔法のことば」だとさえ言ってくれる「それ」を、使わなくなりつつあります・・・。


昔、日本的な「色」の表現がありました。
昔の「くれよん」には、「だいだい」や「くれない」、「やまぶき」「もえぎ」「なすこん」などと、微妙な自然の色がそのまま書いてありました。
決して「オレンジ」ではない、そして「ピンク」でもない色。それが日本の四季という移り変わりの中で見ることが出来る「自然の色」模様でした。
「あか」もいろいろあった。「赤」と「朱」と「紅(くれない)」。みんな違う。
それを昔の人は、コーディネートしてファッションを楽しんだといいますから、先を行っていたのでしょうね。
源氏物語絵巻の衣装が、それを物語っているといいます。
いかなる楽しみ方をしたのでしょうか。それを「重ね色目」(かさねいろめ)と言うらしい。
私も、TV番組の受け売りですからたくさんは知りません。
「さくらがさね」・・・紅と白を重ねる(山桜)
「花山吹(はなやまぶき)」・・・黄とやまぶきを重ねる
「桔梗(ききょう)」・・・みどりと青むらさきを重ねる

この「色を重ねて楽しむファッション」を、「+もよう」(ぷらす模様)として今売り出しているとか。
源氏物語から現在まで、色が日本人に与えてきた感性は案外底深いものがあるとみましたね。

「ぼかし」もまたその手法。
「あけぼの」の色が段々変わっていく。朝の空の色の移りゆく様。それが「ぼかし」となる。
夕焼け空が段々とその色を変えて山の頂から太陽が消えてゆく。その様を現せば「ぼかし」となる。
吉野の山桜が、一面に広がるまでの移り具合を、まるで時系列を追うがごとくの「ぼかし」表現。
「霧」が晴れ行く様のこれもまた「ぼかし」である。
そんなこんなを全部取り入れたといわれる「辻が花の絞り染め」の打掛がある。
春夏秋冬をそれぞれ一枚の打掛で仕上げている。(題材はどこの湖だったでしょうか?日光でしたか?)
一度見る機会があり、四季の四枚の打掛を観ました。(言葉を失い、圧倒されました)
あれをみな手で絞り、染め上げたのですから・・・。(値段のつけようがないという代物だそうです)



日本でしか生まれない、いえ日本人の感性が生みだした「自然との共生」は、この民族の特質であり、特権でもあります。
「ありがとう」を、逆輸入するハメにならないようにしたいものです。
イタリア人のおばあさんが、ショッキング・ピンクのワンピースを着て歩いています。
あのイタリアの太陽燦燦(さんさん)の下で見る色は「きれい!」の一言で、とても似合っています。
しかし日本の地、それも秋の京都では「日本の秋色」に染まって歩いてこその「自然とのマッチ」なのでしょう。
だからでしょうか、日本独特の「しぶい色」が今も幅を利かしています。

前にも書きましたが、私の姉は「赤」が好き。洋服は赤ばかり。
そのお古?が(中には新品もある)、ダンボール一つ送られてきました。
あげるから、着てね~・・・、と言われても~。
私は若いときから、萌木とか、茄子紺とかが好きで、一番好きな色が「濃い茶色」と「モス・グリーン(苔の緑)」。
つまり苔のみどり色のコートに、濃茶色のズボンといういでたちが常でした。
60歳すぎたら「赤の洋服」を、と思って箱を開け、また閉めました。
まだまだ、今はまだ私には早い。あと10年たったらもう一度挑戦してみます。
そうこうしているうちに、多分そうきっと「私の死に装束」は、全身真っ赤の着物で覆われて、さらに火の中で・・・、なんて事になるのでは?


人生いろいろ、色もいろいろ。一度も着たことのない色を身につけてみるのも一興かもしれませんね。
ショッキング・ピンクのワンピースで、イタリアを歩く・・・、私も試してから「あの世」へ行くのもいいかも~。

まとまらない文を今日も読んでくださって、皆様「ありがとう!」。