霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

価値観の違い

2013年06月19日 | 心霊現象
これから申し上げることは、「価値観の違い」だけで片付けられるものでしょうか?・・・。


『岡山県の古い神社で、宮司さんが社殿を立て直したいと思った。小さな神社ですよ。
 その宮司さんが何をしたかというと、境内に生えている樹齢八百年のケヤキを切って売った。
 その金で社殿を立て直した。八百年のケヤキを保(も)たせておけば、二千年のケヤキになるかもしれな  い。何人の人がそれを眺めて、心を癒すことか。それを売ったお金で建てた社殿は、千年はぜったいに保
 たないでしょう。それを平気で売って、社殿を建てる。それがいまの世の中です。 』
              (養老孟司の<逆さメガネ> 養老孟司著から)

価値があるかないかを、どこに置くか。これは実に難題ともいえる事だ。
答えがあるようで、ない。さらに時代が代われば、根こそぎ他の物に変わる(代わる)という「とんでもない代物」にもなりうる。国によっても変わり、為政者が代わればまた変わっていく。
今は多分、「お金にならないかぎり、価値がない」とほとんどの者が思っている。

全部が全部でないにしても、その価値観はこの世の「バロメーター」になる。

似たような話が私のすぐ近くで起こった。
千葉県成田山を本山とする社殿がある。その庭に植えられた「みごとな桜の木」が全部根こそぎなくなった。
近くの人が花見に来るくらいだから、樹齢もそれなりの大木であり、みごとな花をつけていた。
それが7、8本あったものがゼロになったのだ。今年もさぞかし見事な花を咲かせているだろうと、足を向けた人達の驚きは尋常ではない。
「えっ、なぜ? いつから無いの?・・・」と、それぞれで聞きあった。
ある人が聞いた話だけど、と言う。
枝が線路の方まで伸びて、危ないからだとか・・・。それに木を切って空き地にし、小さい納戸を建てたかったとか~。
事情はあるだろうが、「桜の木」を切るという行為は、特に日本人は拘(こだわ)る。
それ以後桜の咲く頃には・・・あれだけの人の姿が消えた。

一頃、神奈川県鶴岡八幡宮の大木「銀杏の木」が、枯れて倒れた。
もう修復不可能であり、無理とみた専門家も諦めたと聞く。
樹齢の長さがまた「霊験あらたか」の代名詞のように、信仰の対象にさえなる。その植物が目の前から消える。
どうってことない、と思える人が増えてきた。
彼らの価値観は「そんなところ」には無いのだ。

パソコンで株の取引きをし、一日単位で億の金を動かし、「損した」「得した」と言っている人たちには
およそ「関係ない」し、「影響をうけない」のだろう。


これで世の中が割り切れ、難なく営まれていくのであれば・・・(それでいい?)、待った!。(いくわけがない!)
生きるという事は、「死」の準備期間である、と申し上げた。
生きながら育む魂の内容は、その価値観が全ての意味を持つ。
間違った価値観でいくら生きても、いくら長生きしても、「あの世」の価値観とは何ら関係ない人生を送ったにすぎなくなる。
厳しいようであるが、最初から出直し、価値観の修正を余儀なくされる。(あの世での話です)
肉体に染みついた価値観が、そうたやすく変えられるとは思えない。
金の亡者は、金の亡者から出発する。その価値観の転換は、<逆さめがね>をかけるに匹敵する。

自分の行動は何によって影響を受けるか・・・?。
と、実に面白いことを書いておられる。(養老氏がである)
『道を歩いている。足元にヒゲボソゾウムシ(虫)が歩いている。あなたは、足を止めるか。きっと何事もな
 く行き過ぎるであろう。では、道に100円玉が落ちている。あなたは何事もなく通り過ぎるか?
 いや、きっと立ち止まるに違いない。あなたは100円玉によって影響を受け、行動するという生活をして
 いる。が、ヒゲボソゾウムシによって影響を受ける生活はしていない。  

 現実とは何か。
 現実とはこの世に厳として存在する唯一の実在を指す。 』


愛した、と思っていた人達でさえ、「価値観の相違」の理由で分かれていく。
ほんのささいな事というには、大きすぎるもの・・・、それが価値観である。
その価値観がまとまる?、あるいは一致することなどあるのだろうか?・・・。
一人の人間の心でさえ、正と邪の争いがある。二人になれば四つの心が入り乱れる。これが夫婦になり、家族になり、血統になり・・・。
国家がまとまるには、気が遠くなるほどのハードルを越えて、ようやく不特定多数の答えを出す。
そうしなければ、前へ進めないのだ。

さあ、あなたの「価値観」は自信がありますか?何の?・・・。
最後は、絶対からみた「正しさ」という価値です。
それを、いつ、どこで学ぶか・・・。人生の最も重要で、かつ価値あるものは「これ」に尽きると・・・。
今日はそれを申し上げて、おわります。