霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

悲しい民族?

2013年06月01日 | 心霊現象
「北朝鮮帰還事業」という言葉は、私にアレルギー体質を確実に植え付けた。
なぜ?、詳しくは以前ブログに書いた通りです。
高校生のクラブ活動といいながら、「JRC・青少年赤十字クラブ」は政治の一環を手伝わされたわけだから、いまだに心からは罪意識が抜けきらないのは当然である。
「博愛主義」の名のもとに、分別もない若い者たちが利用されたといっても過言ではない。
そんな難しい事の前に、何よりも「最愛の一人の友人」を完全に失ったと言う事が、痛みをもって身にしみる。


先日のTVで知った。
「セン・ヨンヒ監督(女性)」の作品『かぞくのくに』。
父が北朝鮮の活動家。そのもとで育てられた女史は、日本の国籍をも持つ。大阪在住。
前線にたつ父の「帰還運動」の一部始終をみて育った。
その後、時間の経過とともに「その帰還事業」のあやしげな事実が見えてくるようになった。
「楽園」と謳った北朝鮮が、地獄の実態を見せ始めた。
目に、耳に入る情報が、全てを裏切る様相を知って、彼女の父は酒に溺れる日々を過ごす。
そして彼女が「この映画」を作る今にたどり着く。


私が「この民族」、つまり朝鮮民族とくくる彼らの歴史を知れば知るほど、悲しい民族の「うめき」が聞こえてくる。
実際には「あの13年間」が、彼らが生きる「生の声」であり、その現場に居合わせた私の胸に刻み込まれた思いである。
韓国の金貸し。その「じいさま」の電話番をしながら、事務所にたむろする「朝鮮人」と呼ばれる「北」と「南」出身の人達の会話を聞いた。
北は「朝鮮総連」、南は「民団」に属する。(日本においては、である)
それぞれ使う「銀行」も違う。
事務所には金をはさんでの話題は、ほとんど無い。それぞれの国の実情がその中心を占める。
「口角泡を飛ばす」という言葉そのものだ。時には掴みかからんばかりにエスカレートする。
ある時は「灰皿」が飛んできた。それも「私」の方にである。
ひょい、とかわしたが、危ないあぶない・・・。
その「けんか」のもとの第一は、やはり思想である。
幸せか不幸せかの話になっても、結論がでない。そうなのだ、どう思うかの違いであれば、北の生活は立場さえあれば、充分満足いく生活なのであろう。
小さな小さな事務所と呼ぶには程遠いような場所で、彼らは民族を意識しながらも「けんけんがくがく」顔を赤くして「言い合う」。

もし、日本民族があの時、そう「終戦後」に分割され、それぞれの支配を受けたらどうなっていたかを、私は重ねながら聞いていた。
祖国への送金も話題になった。家族が北にいる人からすれば、「あたりまえの事」だ。
各自ノルマが掛かり、祖国への送金が目立つようになった頃、ようやく日本政府は腰を上げた。
その一つが、郵便局からの「送金」の限度である。そして一日200万円以上は通帳から下ろせなくなっていった。
事業をやっている人にとっては「たまらない」事になる。
せっせと送る彼らの「日本からの送金」は、桁違いの金額である。
それが全て「軍事費」に使われようと、高官の汚職に流れようと日本に住む彼らには、詳細を知るすべはない。
「騙されているんだよ!」と、南の人が彼ら北の者をなじる。そこでまた「国」とは何かの話になる。

日本のどこかで、こんなにも国を話題にして「灰皿」を飛ばしてまで話す人達は、いるんでしょうかねぇ。
国会議員でもここまで話しますかねぇ~。
そして結果、用を思い出しては一人去り、二人去って事務所には誰もいなくなる。
「ちょっと、出てくる。あんたは時間がきたら帰っていいよ」と、社長の「じいさま」が帰り支度をして出て行く。いたたまれなくなって、酒を飲みに、いや「あおり」に行くのだ・・・。(いつものことである)
こうして「同じ民族」でありながら、いつもわだかまりを残しては去り、また集まってくる。


何時になったら、誰が、どこでどのようにして「この民族」を一つにするのでしょうか・・・。
日本において彼らもドンドン年を取り、もう「あの時」の人達は生きてはおられまい。


家族が別れて会えないまま、人はドンドン死んで行く。「拉致」もそうだ。
同じとはいわないが、似たような事情と心情を共有する朝鮮(韓)民族と日本民族は、今世紀最大の課題として、「神」の前に解かなければならない。
この三国の関係が最悪を迎えようとする昨今、「神の軍師」はいずこにありや・・・。
ひょっとして誰も、この三国が「運命共同体」であるなど、思ってもいないのかもしれない。
我が国だけは、大丈夫だと?。

今日の「題」は、日本が含まれていることを念押しをして申し上げていることであれば、どうぞ皆様におかれましても、今後の世界の情勢など行く末をよくよく見定めていただきたく、お願いする次第でございます。

(あのとき、新潟港から万景峰号に乗ってテープを握り締めながら、いつまでも手を振って別れを惜しんだ
 わが友も、もう70歳ちかくなりました。そのあなたは、今どうしているの?・・・。
 拉致とは違うが、同じようにもぎ取られた「友」を私はこうして今も偲んでいます)

<来週から10日間ほどお休みします。よろしく>