せっかくの連休、またしても....なかなか自然の意地悪には勝てないようです。
政治の進行も.....人為的なミスで停滞してますが、も少し人任せにしないとかね、管理をしっかりして欲しいもんです。
さて、【竹島】について...隣国との懸念もありますが.....今を去ること130年前のことでした。
萩市鶴江の漁労長、見島のアマシ(海士)が潜水上手と聞き及び、資源豊かな「竹島」でアワビを捕って、一儲けを画策。
見島のアマシ、20人を雇用し竹島へ出漁した。(1884年、明治17年の3月から7月までのこと。)(旧暦!?)
【竹島】は、見島から北北東におよそ290kmに位置し、ふたつの小島と浅い多くの岩礁からなっている。
( 資料映像 )
当時、アワビ捕りには誰も入っていないので、面白いぐらい豊漁だったようです。
このアワビ、【明鮑】(めいほう)と言って、塩漬けにしたものを湯がき干し上げ(主に中華料理用)、俵詰めで梱包したようです。
甑島の乾燥風景 日本産が重宝されるとのこと
( 資料映像 )
竹島での漁が終わると、7月に迎えの船「明治丸」がやって来ました。
豊漁で大喜びのアマシ達 !(^^)!、『よっしゃあ~これで..いっぱいの給金もらって見島に帰れるわ!』と帰路に就く。
家路の前にもう一仕事、宝の運搬を市場、下関に向けての航海となりました。
ところが、運悪く..折りしもの台風に出くわしてしまうことになり、帆柱も折れ、やっとの思いで朝鮮半島、釜山港に入港。
「釜山港に入れ」......その頃の釜山港
( 資料映像 )
一ヶ月の修理の期間を経て....ようやく出港....いざ下関。
台風の時化で....実は宝のアワビが潮をかぶりふやけ....残念なことに商品価値がなくなっていたらしい。
親方は、『アワビは二束三文、船の修理代で大赤字!!』 『お前らに払う金もないから!!』との結論
エーッ........いやはや、命あっての物種、いい夢見て....いい思い出になったというお話しでした。
(資料「海道の秘境」前編から引用)
父親とか海士のプロによく聞いた話ですが、アワビが多かった時は、とにかくペタペタとあちこちの岩に、正に「なっちょる!」
と、表現していました。.............そんなところ、「見てみたい!!」「捕りたい。」
今の状況...竹島も小さい島だから、おそらく資源の枯渇は否めないんじゃないかと想像します。
◎ 熟熟余談(つらつらよだん- 本日の日めくり 四字熟語 )
「 二枚看板 」(にまいかんばん) : 人の注目を集める自慢の人材が二人いること。また、その二人。
「二枚」は、二人ということ。「看板」は、宣伝のためにそのものの名称や内容などを
記して掲げる板。転じて、人の気持ちをひきつける人や事柄。
( 資料映像 )