マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

新約緒論

2007-10-25 16:35:17 | 神学校・講座
今日から後期の開始となり、3・4限の新約緒論に出席。
1年後期開講の科目なので、今日は1回目。
2月末までのスケジュールと内容のガイダンス。

新約聖書正典成立の歴史や本文批評や高等批評という興味深い内容で、随分ボリュームがある。
後半には発表も組まれている。
もちろんレポートや試験もある。
これらの課題を通して、自分の信仰を根底から見直す作業になるだろう。
また、自分と異なる聖書理解を持つ方々と向き合うためにも必要なプロセスだと思う。

もう今日の時点で発表のテーマの担当が決まった。
ちなみに、私は「黙示録の著者問題」を担当することになった。
まだイメージは全然わかないけれど、2月21日には発表することになる。

講義の後は、久しぶりに学校で昼食も頂いた。
昨年の後期以来。
ゆっくりみなさんと話をしながら、おいしい食事。
片付けもいっしょにして学校を後にした。

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いよいよ明日から

2007-10-24 14:53:44 | 教会の風景
いよいよ明日から神学校の後期が始まる。
後期はギリシャ語と新約緒論を聴講することにした。
秋休みの間、いつもより幾分のんびりペースだったけれど、スイッチの切替。

今日は、午前中Sさんとギターの時間。
Sさんが先生で、私が生徒。
私がいっこうに上達しないので、正直Sさんには申し訳なかったりもする。
でも、こうして個人的にお話する時間は貴重なので、許される限り続けたい。
それに、いっしょに聖歌や讃美歌を歌うのもいいから。

その後、ポスティングの準備や月報の原稿作り。
今からはギリシャ語の勉強。
後期最初の講義から宿題と小テストがある。

そして、夜は祈祷会。
みなさんと心を合わせて歌い、祈り、学ぶ時間。
テキスト「イエス・キリストの受難」の2回目を学ぶ。
昨日準備しながら、まず自分自身が教えられ、理解の整理ができて良かった。
今晩はみなさんと分かち合いながら、みなさんから学ぶことも楽しみにしている。

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ピラミッド

2007-10-23 12:55:12 | 教会の風景
今日の昼前はポスティングをした。
クリスチャン新聞10月号とPower For Livingを北山公園付近のお宅に配布。
散歩がてら気持ちのよい時間を過ごした。
天気がよかったので、小さなお子さんを見ながら庭の手入れなどをしている方もいらっしゃった。

北山小学校の側を通りかかった時、校庭で組立体操のピラミッドをしてた。
ちなみに、私は小学生の頃から体が大きい方だったので、常に下の段だった。
そんなことを懐かしく思い出した。

午後からはギリシャ語の勉強や明日の祈祷会の準備。
夕方にはN君とY君が我が家に来るみたい。
夕食はにぎやかになりそう。

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男の料理

2007-10-22 17:04:14 | 教会の風景
今日も夕方はYouth For Jesus。
賛美とショートメッセージ。

「みこころを知る シリーズ4」
ヨハネ11:17-22より。

マルタの言葉から学んだ。
「今でも私は知っています。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」(22節)

この時点で「自分の弟(ラザロ)を病気から救ってほしい」というマルタの願いとイエス様への信頼は裏切られたかのようだった。
弟は葬られて4日経過していた。
そういう状況下でイエス様が到着し、彼女は迎えに出た。
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」という言葉に彼女の悲しみと痛みが窺える。

しかし、最初に示した言葉のように、マルタのイエス様に対する信頼は揺らいでいない。
兄弟を失う悲しみは彼女の心を覆っていたが、それでも主に対する信頼(信仰)は依然として彼女の心にあり、輝きを放っている。
「今でも私は知っています。」
自分の願いが叶わぬ(大切な人を失う)悲しみと主に対する全幅の信頼は決して矛盾するものではない。
なぜなら、主のみこころはさらに深く、憐れみに満ちているのだから。


さて、集会後は交わりの時間。
そして、夕食の準備。
昨日はH君が豚の角煮にチャレンジ。
Y君とM君の協力でレシピを見ながら調理。
私も側で唐揚げを作りながら、いっしょに料理を楽しんだ。
「これでいいのかな~?」という言葉も時折飛び交いながらも・・・
無事に「できた~!!」
ということで、めでたくこの日の食卓に。
みなさんに大好評だった。

どうやら、来週はまた別のメニューに挑戦するみたい。
にわかに料理に目覚めたのかな?
来週も期待!






そして、夕食後にRちゃんのHappy Birthday!


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現実に向き合う

2007-10-22 16:29:24 | 教会の風景
礼拝説教より
「現実に向き合う 前編」

聖書箇所:創世記32:1-12

ヤコブの生涯のクライマックスとも言える場面に入る。
「あなたの故郷カナンに帰りなさい」という主の命令。
ヤコブは20年間生活をしてきた伯父ラバンのもとを離れて故郷へ向かう。
この時点で、ヤコブは大家族と豊かな財産を手に入れていた。

ここでヤコブは大きな現実の問題と向き合うことになる。
「カナンへ帰る」ことは、「兄エサウとの関係修復」を意味する。
20年前のこととは言え、殺意まで抱いていた兄に再会することになる。

兄エサウが400人を連れて迎えに出るという知らせ。
その時のヤコブの心境を聖書はこう伝えている。
「ヤコブは非常に恐れ、心配した。」

様々な憶測がヤコブの脳裏を行き廻る。
「兄は私と私の家族に20年前の報復をするのでは・・・」

だが、ヤコブはそのような状況下に置かれていたが、故郷へ帰るという計画を止めなかった。

むしろ、彼は自らの恐れと心配を祈りに変えた。
心の内をそのまま神様に訴えている。
「救い出してください。私は恐れています。」

また、幸せを約束された神様の言葉を引用して祈った。
「あなたはかつて・・・と私に言われました」

ヤコブは自分の置かれた状況を把握して、その切実さと緊張感を祈りという形で神様に表現した。

私たちもそれぞれ置かれた環境、立場は異なるが、何らかの問題、課題を抱え、ストレスを感じている。
しかし多くの場合、問題に取り組む勇気を持てず、曖昧な態度で現実逃避をしてしまうことがある。
「神様に委ねていますから」「主のみこころがなりますから」という言葉を安易に使うことで、自分をごまかしてしまう。
残念ながら、本当に「神様に委ねている」と確信を持てるほどまでに最善を尽くしていないことが案外多い。
聖書の登場人物やキリスト教史上に名の残る聖徒たちのように、「目の前の状況のために切実に祈り、主に近づく」ということはほとんど稀である。

主が私たちのために与えてくださった「祈り」。
それは、現実に向き合うからこそ私たちの内に生まれてくる。
教会のなかに切実な祈りがないとするならば、現実に向き合っていないからではないだろうか?
どうか主から与えられた課題、問題に私たち自身の目が開かれますように。
本来向き合うべき現実を見つめる勇気を持てますように。

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