マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

それでもなお

2012-01-28 12:11:32 | 神学校・講座

今日は臨時で、牧会学のクラスを受講するため神学校に。

今日のクラスは、牧会と法についての有意義な講義でした。

そして、チャペルにも出席。

ヨナ書からY先生の説教でした。

ニネベの人々の真摯な悔い改めの姿をご覧になり、さばきを思い直した神。

神の真意をわきまえないヨナを用いた神。

私も神の憐れみを受け続けながら、この務めにあることを覚えました。

説教後、明日の奉仕のため共に心をあわせて祈りました。


さて、月報に掲載した旧約聖書の講解説教のあらすじをご紹介しておきます。

主はイスラエルを『わたしにとって聖なるもの』と呼ばれた。聖書が教えているところの聖は、常に神が中心であり、源泉である。(20:26)「主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。」具体的に示された規定は、偶像崇拝の禁止と不適切な家族関係と性行為の禁止。その内容自体は18章と重複している。ただし、18章は単に命令の形式だが、20章では死という厳格な処罰について言及している。律法を授けた神の偉大さや尊厳、また罪の結果として招く滅びを思えば、予め重い処罰が定められるのももっともである。新約聖書において、神はキリストの贖いを受けた神の民に、聖とされるように命じている。(1ペテロ1:14-16)

イスラエルに聖であるようにと命じられた主は、イスラエルの祭司、大祭司にも『聖別された者』にふさわしくあるよう命じた。その規準は、より厳格と言えるだろう。親族の喪に服することや結婚相手などに条件が付されている。これらの規定から、偉大な大祭司イエス・キリストを心に留めておきたい。(ヘブル7:26)また、教会における牧会者、奉仕者に、落ち着いた家庭を築いていることが期待されるのにも通じるだろう。(1テモテ3:2-4,テトス1:6-9)



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