マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

幸せな人

2008-01-07 11:24:51 | 教会の風景
日曜礼拝の説教ダイジェスト

聖書箇所 詩篇1:1-3
「幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。

まことに、その人は主の教えを喜びとし、
昼も夜もその教えを口ずさむ。

その人は水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は何をしても栄える。」


旧約聖書の中で150もの詩が編集されている詩篇。
その中の最初を飾る詩。
「なんて幸せなのでしょう!」
「なんてうらやましいことでしょう!」
「なんて恵まれているのでしょう!」
というニュアンスを含んだ書き出しに読む人、聞く人は心を惹かれる。

聖書が示す「幸せな人」の人物像とは・・・?
一言で要約すれば「悪いことに関わらない人」ということ。
ちょっと冷静に考えてみると不思議。
そんな消極的なことが幸せなの?と思う。
世間一般の幸福のイメージとは随分異なるように感じる。

しかし、これは非常に重要なことだと思う。
神さまが人を創造されたとき、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と言われた。
本来、私たちは神さまの義と聖を反映する存在であるはず。
だから、私たちの生活に罪と悪を抱えたままでは本当の満足や幸福感は得られない。

そして、この詩ではさらに「幸せな人」の人物像が明らかにされる。
「・・・その人は主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ・・・」

喜びと求める心を「主の教え」つまり神の言葉である聖書に向ける。
「口ずさむ」というのは、「思い巡らす」だとか「熟考する」というニュアンスを含む。
しかも、「昼も夜も」と言うように「日常的、習慣的に」それをする。


ちなみにこれは東村山教会のKさんの作品。

ここに聖書の示す「幸せな人」の人物像がある。
悪を離れ、神様との交わりに生きる人。
本当に心満たされ、幸いな人生を送る秘訣がここにある。



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