知って得する!トリビアの泉
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 野球を心から愛した男が、球界から去る。最後の肩書きは巨人の医療コンディショニング室長だった。プロ野球のプレー経験はない。しかし彼は野球を熟知していた。26歳で日大三高(東京)の選抜大会優勝監督となった。しかし、彼は栄光をあっさり捨て、裏方にまわる。「思いがけないケガをする生徒が増えているのが気になったんです」鍼灸学校に通い、30歳で近鉄のトレーナーになった。3年後に巨人に移る。78年から28年間、トレーナーとして巨人の選手と接してきた。常に選手の側に立ってきた。コーチのアドバイスをあまり聞かなかった江川卓が、萩原トレーナーに、フォームのチェックを頼んでいた。左足の上げ方を、萩原トレーナーのアドバイスで変えた。彼は単なるトレーナーではなかった。今年、6月。萩原の携帯が鳴った。ヤンキースの松井秀喜からだった。カージナルス戦で右足首を負傷した松井が、最後に頼ったのは「ハギさん」。松井は萩原の電話番号をメモリーに入れていたわけではない。記憶していたのだという。「別に特別な治療法を話したわけじゃないよ」。萩原はいつもの控えめな口調で振り返る。しかし、彼の電話での指示で、松井は連続試合出場を続けられた。12月で定年となり、来年1月中旬から横浜市で個人治療院を開くという。年末の多忙な時期、松井は萩原と食事をし、労をねぎらった。「ハギさんがヤンキースにいたら、本当に選手は取り合いですよ」巨人を支えた人材が、また去っていく。

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