終戦まじかの8月5日の深夜、県都前橋2回目の大空襲と同時に、B29爆撃機の編隊が,我が街を空襲しました。
警戒警報発令とともに、近所の米屋さんのリヤカーを借りて、歩けなくなった母親を乗せて、弟が後押し、2キロほど先の里山に避難しました。
街の上空で、炸裂音とともに、花火のように閃光が走り、大量の曳光をともなって、何かが落下してきました。
程なくして、火の手が上がりました。
M69焼夷弾、その数46発。民家5軒が全焼、死者1名。
その1名の死者こそ親友、経師屋の「サブちゃん」でした。
彼は、ほとんど目が見えません。盲学校に通って、鍼の勉強に勤しんでいました。
業火の中を彷徨って焼死したのです。
こともあろうに、3キロほど南の親戚の農家に避難していたのでした。
徹底した灯火管制が効を奏したのか、市街地上空で投下された焼夷弾46発の多くは、南に流され、田圃に突き刺さって不発に終りましたが、不幸にも、数発の焼夷弾がこの農家を直撃したのでした。
空爆が去って、街にたどり着いたとき、サブちゃんの姉が、着物のすそをからげながら裸足で、「サブロー、サブロー」と叫びつつ走って行った、その姿と叫び声は、一生忘れることはありません。
これが人殺しの戦争です。非戦闘員を巻き込む情け容赦のない殺戮。
この悲惨さ、戦争の残酷さを知らない、戦争を体験したことのない若い世代の政治家たちが、戦争をもて遊んでいるような風潮を痛感するこのご時世を、どのように変えていったらいいのでしょうか?
ひとり一人が答えを出すのは、あと4日に迫りました。