あの日 鹿沼児童6人クレーン車死亡事故遺族の想い - blog -

てんかん無申告で運転免許を不正取得したクレーン車の運転手により、登校中の児童6人が歩道上で轢き殺された事故【遺族ブログ】

さくら

2015-04-05 | 日記
美しく咲き誇るさくらを目にして
ただ純粋に美しいと感じることができたのなら、どんなに幸せなことだろうか

あの日、あの事故によって、僕たちが見る景色は変わってしまった。
身勝手なクレーン車の運転手により、無理矢理変えられてしまった。

加害者であるクレーン車の運転手...
運転手の刑務所での反抗的な受刑態度を知る度に、被害者と加害者の苦しみの乖離を思い知らされる。

もし、クレーン車の運転手が塀の中でさくらを見ることがあるのならば、そのさくらの花は、運転手の目にはどのように映るのだろうか
満開のさくらを目にして、心締めつけられる事はあるのだろうか
生きたくても生きることができなかった子どもたちを、思い出す事はあるのだろうか



美しいさくらを目にし、心癒されるよりも、どうしても悲しみの感情が湧いてきてしまう。
寂しい感情だと自分でも思うが、愛する人を失うということは、永遠に続くこの感情と共に生きていかなくてはならないということなのだろう...

一方で、あと3年もすれば、反省しようがしまいが、クレーン車の運転手は服役を終え、出所し、生きていくことができる。
そして、生きていられるのだから、人生の中では、幾度となく満開のさくらを目にする事が出来るのだろう...
でも、そうだとするならば、クレーン車の運転手や、運転手の身勝手な行動を助長し、車を買い与えた続けた運転手の母親には、せめて、その時期に同様にさくらを見ている僕たちが、どのような思いでこの季節を迎え、どのような想いで ”さくら”を見ているのかを心に感じ、この季節を迎えてほしい。

僕たちが、さくらのその美しさと同時に感じなければならない深い深い悲しみ、苦しみを感じて生きていってほしい。

心よりそう願っている。