「自閉症の僕が跳びはねる理由」
~会話のできない中学生がつづる内なる心~ 東田直樹
「続・自閉症の僕が跳びはねる理由」
~会話のできない高校生がたどる心の奇跡~ 東田直樹
「跳びはねる思考」
~会話のできない自閉症の僕が考えていること~ 東田直樹
一気に読ませていただきました。
僕たちの日常は、普通に生活出来ていて、普通に話すこともできて、それがあたりまえのことだから、きがついてあげられないのだと思う。
本のオビにもありますが、僕たちは、何もわかっていなかったんだと思う。
この本を通じ、東田さんが何に苦しみ、どれほど悩み、苦しんできたのか、胸が締め付けられる思いで読ませていただきました。
東田さんがなぜ跳びはねるのか。
東田さんがなぜ目を見て話せないのか。
東田さんは一人でいるのが好きなのか。どうして一人でいるのか。
この本の中では、一つ一つQ&Aの形式で詳細に綴られています。
東田さんの言葉や考え方、感じ方、一つ一つが僕のこころに突き刺さって、自分の無理解な心に反省するとともに、そこからいろいろなことを教えていただきました。
少し触れさせていただきますが、著書の中で東田さんは、どうして目をみて話さないのですか?と聞かれたとき、僕たちが見ているものは、人の目ではありません。「目を見て話しなさい」と言われ続けても、僕はいまだにそれができません。相手の目を見て話すのが怖くて逃げていたのです。と答えています。
また、別の質問で、みんなといるよりひとりが好きなのですか?と聞かれたときは、「いいのよ、ひとりが好きなんだから」 僕たちは、この言葉を何度聞いたことでしょう。人として生まれてきたのにひとりぼっちが好きな人がいるなんて、僕には信じられません。僕たちは気にしているのです。自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持にさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。と答えています。【「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」より】
僕たちが見る視線、その冷たい視線こそが、彼をそうさせてしまったのでしょう。
また、「いいのよ、ひとりでいるのが好きなんだから」という僕たちの勝手な思い込みで、どんなにか傷ついて、苦しんでいたでしょうのに、それを言葉にして伝えることができなかった彼の子供のころの悲しみや苦しみを想像すると、何とも言いようのない思いが胸に込み上げてきました。
僕は、平成23年4月18日に、突如、理不尽な交通事故により最愛の我が子を亡くしてしまいました。
事故直後は、人に会うことが恐怖でした。
人の視線も恐怖でした。
子どもを亡くすと同時に、自分の心も死んでしまいました。
そして、今まで、いろいろなことを考えてきました。
子どもを亡くして生きるということはどういうことか。
何故生きているのか。
被害者や被害者遺族の心はどうなっていくのか。
愛する人や愛する家族を失った人たちの精神の居場所はどこなのか。
その精神や心はどこに向かえばいいのか。
そんなことを考え、いろいろな本を読んだけど、その答えは今まで見つけることはできませんでした。
でも、今回、この本に出会って、東田さんの考えや気持ち、その行動の理由、東田さんが自分自身がいると考える”心の居場所”に僕なりに触れさせていただいたとき、僕の現在の心の居場所も、もしかしたら、誰も捜すことのできない深海の海の底のようなところにいるのかもしれないと思いました。
そして、そこで僕は、もがき苦しみ、何を求めていたのかということも気付かせていただいたような気もしました。
もちろん、東田さんとのケースは違いますし、東田さんが今まで、人に理解されず、苦しんできた苦悩の日々のことを考えると、僕が軽々しく共感することなんて大変おこがましいことなのですが、本を読み終えてみて、東田さんが跳びはねる理由も、心の居場所も、一緒に分かち合いたい気持ちでいっぱいになりました。
東田さんが書いてくださったこの本は、僕の一生の宝物となりました。
この本がたくさんの方に読まれ、自閉症の方への理解がひろまり、やさしい世の中になっていくことを願っています。
~会話のできない中学生がつづる内なる心~ 東田直樹
「続・自閉症の僕が跳びはねる理由」
~会話のできない高校生がたどる心の奇跡~ 東田直樹
「跳びはねる思考」
~会話のできない自閉症の僕が考えていること~ 東田直樹
一気に読ませていただきました。
僕たちの日常は、普通に生活出来ていて、普通に話すこともできて、それがあたりまえのことだから、きがついてあげられないのだと思う。
本のオビにもありますが、僕たちは、何もわかっていなかったんだと思う。
この本を通じ、東田さんが何に苦しみ、どれほど悩み、苦しんできたのか、胸が締め付けられる思いで読ませていただきました。
東田さんがなぜ跳びはねるのか。
東田さんがなぜ目を見て話せないのか。
東田さんは一人でいるのが好きなのか。どうして一人でいるのか。
この本の中では、一つ一つQ&Aの形式で詳細に綴られています。
東田さんの言葉や考え方、感じ方、一つ一つが僕のこころに突き刺さって、自分の無理解な心に反省するとともに、そこからいろいろなことを教えていただきました。
少し触れさせていただきますが、著書の中で東田さんは、どうして目をみて話さないのですか?と聞かれたとき、僕たちが見ているものは、人の目ではありません。「目を見て話しなさい」と言われ続けても、僕はいまだにそれができません。相手の目を見て話すのが怖くて逃げていたのです。と答えています。
また、別の質問で、みんなといるよりひとりが好きなのですか?と聞かれたときは、「いいのよ、ひとりが好きなんだから」 僕たちは、この言葉を何度聞いたことでしょう。人として生まれてきたのにひとりぼっちが好きな人がいるなんて、僕には信じられません。僕たちは気にしているのです。自分のせいで他人に迷惑をかけていないか、いやな気持にさせていないか。そのために人といるのが辛くなって、ついひとりになろうとするのです。と答えています。【「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」より】
僕たちが見る視線、その冷たい視線こそが、彼をそうさせてしまったのでしょう。
また、「いいのよ、ひとりでいるのが好きなんだから」という僕たちの勝手な思い込みで、どんなにか傷ついて、苦しんでいたでしょうのに、それを言葉にして伝えることができなかった彼の子供のころの悲しみや苦しみを想像すると、何とも言いようのない思いが胸に込み上げてきました。
僕は、平成23年4月18日に、突如、理不尽な交通事故により最愛の我が子を亡くしてしまいました。
事故直後は、人に会うことが恐怖でした。
人の視線も恐怖でした。
子どもを亡くすと同時に、自分の心も死んでしまいました。
そして、今まで、いろいろなことを考えてきました。
子どもを亡くして生きるということはどういうことか。
何故生きているのか。
被害者や被害者遺族の心はどうなっていくのか。
愛する人や愛する家族を失った人たちの精神の居場所はどこなのか。
その精神や心はどこに向かえばいいのか。
そんなことを考え、いろいろな本を読んだけど、その答えは今まで見つけることはできませんでした。
でも、今回、この本に出会って、東田さんの考えや気持ち、その行動の理由、東田さんが自分自身がいると考える”心の居場所”に僕なりに触れさせていただいたとき、僕の現在の心の居場所も、もしかしたら、誰も捜すことのできない深海の海の底のようなところにいるのかもしれないと思いました。
そして、そこで僕は、もがき苦しみ、何を求めていたのかということも気付かせていただいたような気もしました。
もちろん、東田さんとのケースは違いますし、東田さんが今まで、人に理解されず、苦しんできた苦悩の日々のことを考えると、僕が軽々しく共感することなんて大変おこがましいことなのですが、本を読み終えてみて、東田さんが跳びはねる理由も、心の居場所も、一緒に分かち合いたい気持ちでいっぱいになりました。
東田さんが書いてくださったこの本は、僕の一生の宝物となりました。
この本がたくさんの方に読まれ、自閉症の方への理解がひろまり、やさしい世の中になっていくことを願っています。