12月22日の下野新聞1面、戦争体験の記事。
その中に、年末に目にしてからずっと僕の頭の中から離れなくなって、その日以来、なんだかその新聞を捨てられないでいて、そばに置いて、何度も何度も手にしては読み返してしまうフレーズがある。
「奪われた日常、命」 とちぎ戦後70年
【市民狙う空襲】 下野新聞2014年12月22日(月)より
「姉はね、犬死ですよ」。宇都宮市河原町の福田和子さんは声を震わせた。
「ただ殺され、忘れられていく」
工場の勤労動員で働き、花好きだった10歳上の姉周子さん。22歳で逝った。
両親ときょうだいの住まいは、今の市役所に近い大イチョウそば。
戦時中ながら、日常があった。
620人以上が犠牲になった1945年7月12日深夜の宇都宮大空襲。
飛び起きた和子さんはいったん防空壕に潜り込む。そこから姉と手をつなぎ、夢中でまた逃げた。
大きな段差を一緒に飛び降りた覚えはある。炎が迫る。どこではぐれたのか。気付くと、姉はいなかった。
辺りが静かになったころ、探すと、姉はリュックに寄りかかるように地べたに座っていた。「周子、何してるの」。母が呼びかけても答えない。
腹部に血がにじみ、息絶えていた。顔をのぞき込むと、今にも話し出しそうだった。
「忘れられないんじゃない。忘れたくないんです」。毎朝、家の遺影に手を合わせる。そんな日々が続いて、もう70年になる。
その中に、年末に目にしてからずっと僕の頭の中から離れなくなって、その日以来、なんだかその新聞を捨てられないでいて、そばに置いて、何度も何度も手にしては読み返してしまうフレーズがある。
「奪われた日常、命」 とちぎ戦後70年
【市民狙う空襲】 下野新聞2014年12月22日(月)より
「姉はね、犬死ですよ」。宇都宮市河原町の福田和子さんは声を震わせた。
「ただ殺され、忘れられていく」
工場の勤労動員で働き、花好きだった10歳上の姉周子さん。22歳で逝った。
両親ときょうだいの住まいは、今の市役所に近い大イチョウそば。
戦時中ながら、日常があった。
620人以上が犠牲になった1945年7月12日深夜の宇都宮大空襲。
飛び起きた和子さんはいったん防空壕に潜り込む。そこから姉と手をつなぎ、夢中でまた逃げた。
大きな段差を一緒に飛び降りた覚えはある。炎が迫る。どこではぐれたのか。気付くと、姉はいなかった。
辺りが静かになったころ、探すと、姉はリュックに寄りかかるように地べたに座っていた。「周子、何してるの」。母が呼びかけても答えない。
腹部に血がにじみ、息絶えていた。顔をのぞき込むと、今にも話し出しそうだった。
「忘れられないんじゃない。忘れたくないんです」。毎朝、家の遺影に手を合わせる。そんな日々が続いて、もう70年になる。