鹿沼市の登校児童6人死亡事故で、自動車運転過失致死容疑で送検された日光市大沢町、運転手柴田将人容疑者(26)が3年前に登校児童をはね重傷を負わせた事故の際、柴田容疑者の救急搬送先の医師が、「てんかんの疑い」と診断し、鹿沼市消防本部が報告書にまとめていたことが同本部への取材で分かった。県警にも「てんかんの疑い 本人なし」と記された手書きのメモが残っている事が判明。県警は、消防からの情報で柴田容疑者に持病がある可能性を把握したが、医療機関には確認していなかった。 (平成23年5月7日 下野新聞より抜粋)
上記事故について、ようやく我々遺族も消防本部の報告書を情報開示により確認することができました。
その報告書(救急活動記録)には、救急搬送先の医師からの情報で、「頭部外傷の疑い」「てんかん疑い」とはっきりと書かれ、消防長に報告されておりました。
消防がここまではっきりと報告書にまとめているにもかかわらず、ましてや警察にてんかんの疑いがあることを報告し、警察にメモが残っているにもかかわらず・・・何故、栃木県警は救急搬送先の医師に確認しなかったのか・・・なぜなのか・・・疑問に思います。
消防の報告を受けた警察官が、医師に確認さえしてくれたら・・・・
柴田将人の運転免許証は道路交通法違反で取り消されたのに・・・・
執行猶予の判決は出なかったであろうのに・・・
そして、私達の宝物であった6人の子供達は死なずにすんだのに・・・
そう思うと、事故は防げたはずであり、悔しさが込み上げてきます。
11日(金)は、柴田将人被告人の第2回公判が行われます。 その日は午前中で裁判が終わるため、午後に、鹿沼警察署が、当時の捜査が、一歩踏み込めなかった捜査になってしまった理由を説明してくれることになりました。
私自身は、その場で、確認したいことがあります。
1つは、上記に述べた
「何故、消防の報告を受けたのに医師に確認しなかったのかということ」です。
2つ目は、
「何故、3年前のあれだけ大きな人身事故なのに報道されなかったのか」 ということです。
もし、報道されていたならば、柴田被告人が住んでいる日光市の方々も報道記事を読み、柴田将人が居眠りと供述していることに対し、「あの人は何度もてんかん発作で倒れているので、今回の事故は居眠りじゃないかもしれない・・・」 と教えてくれた人がいたかもしれないのです。
栃木県警察が、どのような事故の時に、そしてどのような基準で報道機関に情報提供しているのか分かりませんが、何故3年前の登校児童の人身事故は、あれほど大きな事故なのに報道されなかったのか疑問に思います。
そして、3つ目として、
「警察は、メモ以外に、事故報告書を作成していないのか」ということです。
「てんかんの疑い 本人なし」のメモがあったということだが、それを確認した事実を報告書にまとめて決裁をとったのか・・・・ということと、もし、報告書の作成がされていたなら、3年前の捜査証拠として検察庁に提出されたのか・・・・ということについて確認したいと思います。
もし、裁判証拠としてその報告書が検察庁に提出されていたならば、検察庁で柴田被告人に対するてんかんの再調査が行われた可能性があったかもしれないからです・・・
以上を確認したいと考えていますが、3年前の人身事故での栃木県警察の捜査については、様々な疑問点がありますので、11日の我々への説明では、私達がさらなる不信感を抱かないような説明をして欲しいと願っています。