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正しい道を司る

八ヶ岳・小淵沢の地で『真理』を探究する

地震について(山梨・小淵沢)

2014年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

(雨雲に隠れる富士山)



11日午後3時7分ごろの、山梨県東部・富士五湖を震源とする地震ですが、

ここ山梨県・小淵沢の地では、「どぉおー」と地鳴りが鳴り響きましたが、

揺れは感じられませんでした。

尚、神奈川県湘南の地では、下から突き上げる揺れがあったとのことです。


(小淵沢は八ヶ岳の強固な岩盤の為、揺れは滅多に感じない土地です。)


『あなたなら大丈夫!』


 2014年  そなえよ つねに  
ありがとうございました








歴史探訪 「備中・高松城水攻め」 岡山県岡山市(中国)

2014年12月11日 | 旅行記
山口県、山陽自動車道・下松SAにて気持ちのよい朝を迎えた「驚き発掘キャラバン隊」の我ら。
(ここのSAかなり良い!)

ここより北東方向約200km先にある

驚天動地・黒田官兵衛の?奇策「高松城水攻め」の地へ。


(備中高松城跡)


〈高松城水攻め〉

天正10年(1582)5月、秀吉率いる軍勢三万は高松城を取り囲み、
宇喜多軍なども攻め込むが、力攻めをすることができなかった。
そこで黒田官兵衛の進言といわれる「水攻め」にとりかかった。
約2.7キロの堤防を築き、足守川の水を引き入れ、高松城を湖の孤城にしたのである。
毛利勢が手を出せないままでいる中、6月2日に本能寺の変で、
織田信長が家臣明智光秀の謀反により殺害された。
3日、毛利方に向かう光秀の密使を捕まえて信長の死を知った秀吉は、
そのことを隠して高松城主・清水宗治の切腹を主張して講話を結ぶように説いた。
6月4日、清水宗治は湖上に船を浮かべて自刃し、織田方と毛利方の和議が成立した。
(吉備路観光ツアー実行委員会 資料より)



(現地案内板・陣形図)


陣形図上の赤丸・現在地(蛙ヶ鼻築堤跡)より望む。


(黒田官兵衛・佐久間忠兵衛 布陣地)


蛙ヶ鼻築堤跡


(堤防盛土最下層では杭列などとともに土俵の痕跡が確認されている)


ここから2.7km、高さ7m、幅底部が24m上部10mの築堤工事を

周辺の百姓にお金(100文)や米(1升)と引き換えに土を運ばせて作り上げた。

工事エリア毎に競争させ又、箱の中にお金を入れ掴み取れた分だけ与えることもしたらしい?

(手の入れる口を小さめに、沢山出せないようにしていた。現代まで続くこれまた奇策か!)



が、


元々、この地域は大規模な築堤を築かなくとも、深田や沼沢の中に囲まれた低地であり、

すり鉢状の地形だったとのこと。

最近の説では、蛙ヶ鼻から備中高松駅付近までの300m、高さ2mの堤防説が有力で

この規模の堤防であれば引き連れてきた武士だけの動員で、12日間程度の工期も可能かと。



高松城主・清水宗治は、領民に慕われていたとの話もあるので、さて真実は如何に……。





歴史のおさらい。

【天正10年6月・1582年】
 
 ◎本能寺の変 ( 6月 2日 )
 ◎高松城水攻め( 5月~6月 )
 ◎清水宗治自刃( 6月 4日 )
 ◎中国大返し ( 6月 6日~)
 ◎清州会議  ( 6月27日 )

【天正15年  ・1587年】

 ◎九州平定

【天正18年・1590年】

 ◎小田原征伐
 ◎徳川家康・関東移封
 ◎秀吉・天下統一


【天正18~19年・1590~91年】

 ◎名護屋城築造

【天正20年・1592年】


 ◎文禄・慶長の役(朝鮮出兵)




「高松城水攻め」から「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」まで

僅か

『10年』なのです。


この時代、濃密な時を生きた人々の気持ちはこれまた如何に……。






岡山・近年の郷土料理「えびめし」を食しながら、思いを馳せる岡山路かな。