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国性爺合戦「和藤内」

2014年08月26日 19時20分32秒 | Weblog
 国性爺合戦は浄瑠璃や歌舞伎の演目です。

元々、実在した鄭成功(ていせいこう)という人をもとにして作られた物語。
物語は「国爺合戦」ですが、鄭成功の別名は実は「国爺」なんですよ。

これにも深いわけがありまして、
のちに「国姓爺」と呼ばれることになった実在した人物、鄭成功(和藤内)の史実を題材に
浄瑠璃作家の近松門左衛門が脚色して作った浄瑠璃が「国姓爺合戦」なんです。(のちに歌舞伎の題材にもなります。)
実在の人物をモチーフにして作られた物語ですが、内容は創作なので
混乱をさけるためにあえてからへ変更したんだそうです。
 

この浄瑠璃の演目の初演は1715年の江戸時代中期に初演。
鎖国の最中の日本で、隣国中国を題材にしたことと主人公が日本人と中国人のハーフということが相まって、
当時の人に大人気な演目だったそうです。



そこで「国姓爺合戦」のおはなしをまとめて解説

家来の裏切りにより砲弾に倒れた明朝第17代皇帝・思宋烈(しそうれつ)の生まれたばかりの息子と
思宋烈の妹の栴檀(せんだん)皇女も明朝に対立する韃靼(だったん)の兵に命を狙われ、命からがら海に逃れます。
 
左:皇帝を裏切った李蹈天(りとうてん) 右:皇帝・思宋烈

栴檀皇女と皇子は小舟で日本の平戸に流れ着き、和藤内の父・老一官(明の元役人の鄭芝龍)に助けられます。
明朝の危機を知った老一官夫婦と子の和藤内は、和藤内の妻・小むつに栴檀皇女を預け
明朝復活のため、中国に渡るのです。
栴檀皇女


一方、鄭芝龍(老一官)が中国に残した先妻の娘、錦祥女(きんしょうじょ)は明朝と敵対する韃靼の将軍・甘輝(かんき)の妻になっていました。
3人は甘輝に助けを求めるべく、獅子ヶ城に向かいます。
3人は二手に分かれましたが、和藤内と母は千里ヶ竹に迷い込み虎を見事に退治します。
(この虎退治の場面が立佞武多のモチーフになっています。)

3人は無事獅子ヶ城にたどりつきますが、甘輝は不在。


見送り絵の上の部分のこちらは、獅子ヶ城。

しかも全員は入ることは許されず
母だけが縄で縛られることを条件に城に入ることを許されます。
錦祥女は甘輝が味方するかどうかを味方をするなら白粉を、
そうでなければ紅を堀に流すことで合図にしようと決めました。


城に帰った甘輝は、「妻の縁で相手に寝返るようなことはできない。もし味方になれというなら
錦祥女を殺してからだ。」と答えるが、甘輝は妻を殺せない。
錦祥女は堀に紅を流します。
(この場面が見送り絵のモチーフ)


怒った和藤内は獅子ヶ城に向かうが、紅だと思ったものが錦祥女の血だということに気づきます。
さらに城内にいる和藤内の母も後を追って自害したのでした。
甘輝は妻の情に心を打たれ、韃靼征伐を決心し和藤内に「延平王国性爺鄭成功」の名を与えます。

そして韃靼征伐は成功し、皇子も無事位につき明朝は復活をとげる…。

というお話です。
和藤内(鄭成功)の実際の史実とは内容も結果も違うのですが…
あくまでもこちらは浄瑠璃や歌舞伎の物語ということで。

なので、いろんな部分に歌舞伎ネタも満載です。

←暫 ←弁慶 ←助六 ←義経千本桜の佐藤忠信

見送り絵の錦祥女のとなりには和藤内もいますよ。

1番最近だと2010年に市川團十郎がこの和藤内を歌舞伎で演じたとのこと。

立佞武多には出てきませんが、和藤内の妻・小むつも大変粋でいなせで強いねえさんだったらしく
留守を守っている間はずっと密かに1人で剣を習い、栴檀皇女と一緒に中国へ渡ったそうです。
強い女性って憧れます。


こういうストーリーを頭に入れた上で立佞武多を見ていただくと
また違う気分なんじゃないでしょうか…。

長々な文章、おつきあいいただいてありがとうございます~。

おまけ
お米大使の大好きなトラ。

生まれるならトラ年の女に生まれたかったけど…
1コずれてました~う~ん、残念っ







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