魚河岸女将の地球探索(勝手に専務)

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 終の棲家を探し・・・

   生きるって・・・

中央アジア5カ国の旅 (8)

2008-06-09 04:45:09 | Weblog
     

   5月15日 (木)
 1991年,街の建築が始まり人口は中心地に80万人住み
   13の大学・1750の人の為の国際大学が1校
     街全体が建設ラッシュです。

9時とゆっくり出発ですが、風も冷たく小雨もパラついて・・・・
 
 8日間暑く、まして地域的には此方の方が暑いといわれてたので
   夏物しか用意してない人が多く、口々に『寒い・寒い・・』
 私は、懐炉も用意してあり、手拭いをマフラー代わりにして出発。
            
タルクチカ・バザールは、月曜休市・木・土・日が混雑するそうですが
《絨毯》はとても安価だが、国外へ持ち出すことは禁止。

 すご~~~い人出で、繁盛してるように見えます。
 
 買うほどのものは無いので,ヘヤーピースを@500円で買入。

ランチは、ロシア料理

ソースに日本のわさびを使用したり、ピンクガリを添えにしてあります。

 
 又、又国立博物館へ。
    (写真は 博物館)
 カメラ・VTRの撮影料が3倍に値上がりして、25ドルになって
  今まで写してた人達もさすがに誰も支払わない・・・
  私は、ちなみに一度も写していないので。

 此処の見学も退屈~~~~の一言。

  それでもまだ、二棟建設中でした。


産業として天然ガスは勿論、綿花を製糸にしてGパンを製造し輸出、
 又、国際的な学問を身に付けるよう推進し、国内で取得した資格が
  海外でも使えるように取り計らったり、
  文化・スポーツ(サッカー・バスケット)等も・・・・

 税金はタダ、
 
 医療費は給料の半分は取られるので、医者へ行く人が居ないそうです。

再びニサの遺跡を訪れますが、も・う・私はた・く・さ・ん・・!

 ホテルへ戻りサウナで休憩後、マッサージを受けて快適!!

   
      5月16日 (金)

今朝も7時発の便で1時間マリイ州へ
 
 人口120万人、街には40万人が生活する 2番目の都市。
 
 カラクム砂漠の中央に位置し、
  サマルカンやブハラ、イランの中間点に位置し、
   隊商都市として栄えた、メルブの遺跡を見学する為で

機の窓から、砂漠がズーッと続く・・・緑が少しずつ・・・
 区画された田畑が・・・・工場の煙突から煙が・・・・
 平屋・土壁の家並みが・・・そんな所へと降り立ちます。

  何処へ行っても、カメラ・VTR代が値上がりしています。

見渡す限りの荒野の中に霊廟・城址・仏教寺院跡・・・etc・・・
 歩いて周るのには広大過ぎるので、バスに乗ったり、下りたり・・

 オアシスが在ったのでしょうが、今は干上がって
  所々に「いばら」や「アザミ」が有るが
   岩塩となって地上に浮き上がっています。

 採ろうと思って入ってゆくと底なし沼のように靴が・・埋まって・
  
   見て取れるようなものではなくって・・

最後は6~7世紀のキズカラ。
 
  ここにも一つの伝説があります。

[城には王子は大勢いましたが、王女はたった一人だったので
 王は大事に育てた為、30過ぎても嫁ごうとしませんでした。
  そこで問題を出します
 『此の城に りんごを投げ入れる事のできる強い男となら
    結婚します』 と
 
 其の後、誰がやっても、高い城に届きませんが、
  たったひとり・・その男のりんごだけが届いたのです!!
   
 そうです、
  りんごには、糸のようなものがくくり付けてありました。

   王女は勿論彼と結婚しましたとさ~~]

知識を活用する知恵ある人は、いつの時代にも存在するんですね。


 ランチ後からフリータイム、
 夜は、民族舞踊を見に行くのですが、私は、また パス。

 明日トルクメニスタン~ウズベキスタンへと国境を越えるので、
  お金を計算して申告しなければ・・・


     *         *          *

 4日間だけの滞在でしたが、今日中之島へと戻ってゆく娘・・
  いつもの事ながら帰ってゆくのは、本当にいやなものです。

 ワンコの陸・風も雰囲気がわかるのか、くっついて離れません。
       
 

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