人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

明治のトンネルを歩いてみました

2020-10-27 19:39:00 | 日記

まさに芸術品ですね。造った人々の苦労が偲ばれます。実に不思議な空間でした。興味ある方は訪ねてみて下さい。

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丁子屋のとろろ汁

2020-10-27 19:30:00 | グルメ

これは丸子で税前1400円でした。食べ方の解説も用意されています。とは言ってもとろろ汁をお椀によそった麦御飯にかけるだけ。いたってシンプルです。お櫃の麦御飯は一人前の量です。おかわりして下さいと言われ、目を丸くしました。一人で来る人が稀なのでしょう。頑張って食べてもお櫃半分でした。そんなに食べれるものではありません。

 
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宇津ノ谷峠の明治のトンネル

2020-10-27 17:19:57 | 日記

なんとも変わった名前です。丸子宿から立場茶屋の集落を登った先にありました。騙されたと思い通ってみましたが、その完成度の高さに驚かせれました。帰って資料をみますと、このトンネルは明治9年(1877)の開通で現存する日本最古のレンガ造りのトンネルで国の重要文化財にも指定されています。最も古いのは明治4年7月に竣工した石屋川隧道(東海道線の鉄道トンネル)ですが、現存していません。このトンネルはレンガがびっしり積まれた全長207m、幅3.2m、高さ3.5mの大きさ。江ノ電の極楽洞(明治40年1907)も難工事のようでしたが、それより30年も前の建造です。完成当時は有料トンネルだったようですが、何のために造られたか興味を持ちました。因みに最古の石屋川隧道は兵庫県神戸市の灘と住吉間の鉄道トンネルです。東海道線の新橋と神戸間の全線開通は明治22年(1889)になりますので、明治9年にはまだ静岡県内は開通していません。もっと調べれば分かるのでしょうが、残念ながらここまででした。

こういう発見があるのも東海道歩きの楽しみです。この明治のトンネルのことは当然ながら『ちゃんと歩ける東海道五十三次(山と渓谷社刊)』にも書いてありません。歩かないと辿りつけないような場所にある日本の宝物。これも東海道歩きの醍醐味の一つです。

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府中城下の安倍川橋

2020-10-27 16:22:55 | 日記

安倍川は府中城下の西側を流れる川で安倍川餅で有名です。橋のところに文化元年(1804)創業の石部屋があります。さらに橋を渡りつつ後ろを振り返ると富士山が見えますが、ひょっとすると道路の中心立てば、橋を一直線に伸ばした方向に富士山が見えるのではないかといつものように妄想がふくらみはじめました。西側の横断歩道のまん中に立ち富士山を探しましたが、残念ながら橋の上部に邪魔されてよく見えません。それでもあとで地図を見ますと、この東海道の先には駿府城跡があります。江戸時代にここに橋は架かっていませんが、東海道を西から歩いて来た旅人は、安部川の向こうにみえる駿府城の天主閣、そしてその背後の富士山の勇姿をみて感嘆したに違いありません。たぶん府中城下を設計した人は、富士山を基準にして街道を通し、駿府城を配置し、天守閣の位置を決めたと密かに思っています。写真のちょっと左に富士山が見えます。徳川家康なら絶対に考えたはずです。

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東海道中膝車 --府中から藤枝ーー

2020-10-27 14:23:10 | 旅行

再開した東海道中膝車シリーズの第2回目(10月26日)。本日は府中(静岡)から藤枝までの予定です。もし藤枝でまだ元気なら島田宿まで歩こうなどと考えていました。静岡県内は土地勘はありませんので、全く行き当たりばったりの旅です。それでも丸子宿丁子屋のとろろ汁は外せないかと、定休日(木曜日たまに水曜日)と営業時間(11時~)は事前に調べました。いつもの藤沢6時56分発に乗れば、静岡着は9時21分。丁子屋までは5キロ位なので店が開く時間にちょうど間に合うと思いつつ歩きました。店に着いたのは11時過ぎでしたがすでに結構客がいました。さすが人気店です。前回同様、最初にお楽しみスポットをこなしますとあとはただ歩くだけです。

さて丸子宿から岡部に行く間に宇津ノ谷峠を通ります。この峠の名前は全く知りませんでしたが、資料では豊臣秀吉の小田原攻めの時に新道を開削し、それが後の東海道になったとか、それ以前は昼なお暗い峠道で、歌舞伎の「蔦紅葉宇都谷峠」の文弥殺しの場面に登場する場所と書いてありました。それよりもこの峠に「明治のトンネル」が残されていることに驚きました。これは別に紹介します。この宇津ノ谷峠の連なる山系に東名高速道路の日本坂トンネルがあると言えば、その険しさが分かりやすいかもしれません。

宇津谷峠を下れば岡部宿。本日は休館でしたが再建されてる本陣跡を通過し、先を急ぎます。ここに着いたのが13時30分過ぎ、いいペースで歩いてきました。この岡部宿から藤枝宿までは9キロ弱の距離なので藤枝に着くのは16時位。これなら島田までいけるかと期待しましたが、藤枝宿に入ってからが長いこと、単調な道をひたすら歩くのは心が萎えます。藤枝の青木五差路に着いたのはほぼ予定通り。藤枝駅まで800mとありましたので、これなら再スタートの負担も少ないと考え、16時32分の東海道線で戻りました。なんとこの電車は静岡17時発の前回と同じ電車。偶然とは言え、自宅に着く時間を考えると、各駅停車を利用した日帰り旅行ではこの時間が限界でしょうか。因みに運賃は藤沢から往復5000円です。

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