鎌倉の安養院開山の一人、願行上人(1215-1295)を調べていたら、当時東京農業大学で教鞭をとっていた伊藤宏見氏の『願行上人憲静の研究(上・下)』という論文にあたりました。願行といえば、覚園寺の鉄不動(願行試みの不動)で聞いていた程度の知識しかなく、読み進むうちに「実に面白い」と思った次第です。
安養院の成り立ちの一つに北条政子(1157-1225)にご縁のある笹目の長楽寺がありますが、その開山が願行上人と言われています。実際、願行は鎌倉にきて文永建治の頃(1264~1278頃)に稲瀬川の辺りに祇園山安養院を開山したという記録はあるようですが、それが長楽寺と結びつくかどうか?ちょっと疑問です。また北条政子は頼朝の十三回忌?にあたる1211年に高野山で金剛三昧院を創建しています。これは金剛三昧院の公式ホームページにあるから確かでしょう。安達景盛が建立奉行、明庵栄西を請じいれ、初代の長老は退耕行勇でした。さらに1219年には源実朝の遺骨も納められています。裏をとるために吾妻鏡で確認しましたが、これらの記録は載っていませんでした。不思議ですね。また鎌倉時代に造られた多宝塔は国宝になっています。
願行上人が示寂した場所は京都西八条にある大通寺で、このお寺は源実朝の奥方の隠棲場所。学者風の顔つきをした実朝像があるのもこの大通寺です。さらに阿仏尼の五輪塔があるとのことで興味はつきません。
もう一つ。覚園寺愛染堂にある願行作といわれている鉄不動。願行が胡桃谷のタタラバで大山寺不動の試作をしたのが、この像といわれています。鎌倉では七里ヶ浜の砂鉄で製鉄が行われていたと推測していますが、タタラバの遺跡でも発掘されると面白いのですが・・・・。