人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

記紀と神々の世界

2020-01-25 20:15:19 | 日記

昨年の11月頃から日本人の心に宿る神様について勉強する機会があり、『口語訳 古事記[神代編](三浦佑之訳)』、神社検定テキスト『神話のおへそ』、梅原猛の著作『神々の流竄』・『葬られた王朝』、瀧浪貞子の著作『持統天皇』など何冊かの本を読み漁りました。そして東京国立博物館で開催中の特別展「出雲と大和」で発掘された銅剣、銅鉾、銅鐸や銅鏡などの貴重な展示物を観賞し、これまでほとんど関心のなかった古代史が身近に感じられるようになりました。

天皇家を中心にした国家統治の歴史を書いた『古事記』は712年、国家形成史である『日本書紀』は720年に完成。女帝である持統天皇、元明天皇、元正天皇が治めた時代です。そして梅原猛氏は『記紀』編纂の陰には天皇を支えた藤原不比等の存在があると確信しています。藤原不比等は大化の改新で中大兄皇子とともに蘇我氏を滅ぼした藤原鎌足の子供です。女帝三人がプロデューサーで藤原不比等が脚本家。このタッグが現在まで続く天皇家の存在と初詣にみられる神々への崇敬の念という日本人のDNA設計のシナリオを書いたかもしれません・・・妄想?

『古事記』を読み、諸々の神々の頂点にあるのはアマテラスオオミカミであり、その大神はイザナキノミコトの禊ぎによって誕生したこと。藤原氏の氏神である春日大社の祓詞(はらへことば)では「・・・諸々の禍事(まがごと)罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと申す」と奏上しますが、この「禊ぎと祓い」が神代編の主題であると考えられます。なお伊勢神宮が天皇家の氏神となるのは持統天皇以降のことですが・・・。

私は毎年欠かさずお祓いを受け、お札を新調し神棚にお祀りしますが、これを宗教上の信仰と言っていいのか、初詣に行くたびに思います。しかしながら、この日本人の心にすり込まれている禊ぎやお祓いの行為によって心の安寧が得られ、一度でも欠かせば不安になり後悔するのも確かです。今から千三百年以上も前にこのシナリオを創作した藤原不比等?恐るべしです。

写真は天武・持統天皇陵。2013年12月に明日香を訪ねた時に写したものです。まさかこんな風に世に出るなんて思いませんでした。つくづく断捨離しなくてよかったです。

 

 

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鎌倉を知る --北条泰時と和賀江島ーー

2020-01-21 17:16:00 | 日記

先日の報道で2022年のNHKの大河ドラマは北条義時とその時代が描かれることが発表されました。鎌倉市民にとっては嬉しいニュースです。脚本は三谷幸喜で主演は小栗旬。どんなふうに描かれるのか楽しみです。

前置きはさておき、本ブログのタイトルにある北条泰時は義時の子供で鎌倉幕府の三代執権です。前にも紹介しましたが、鎌倉幕府の基礎をつくった人物でもあり、私のお気に入りの一人でもあります。鎌倉幕府創建のころ、寿永二年(1183 )に北条泰時は生れました。その苦労は祖父である北条時政と父義時が背負っており、元服(12歳)した建久五年(1194)は世の中も落ち着いてきた時期です。

私はこの泰時が仁治三年(1242)に60歳で亡くなるまでの年表をみて、彼の人生にとってエポックメーキングとなる事象がほぼ10年ごとに起きているなと、思いました。20歳の建仁二年(1202)に三浦義村の娘と結婚、31歳の建保元年(1213)に源実朝の学問番に選任、39歳の承久三年(1221)に承久の乱。42歳の元仁元(1224)に執権になりますが、49歳の寛喜三年(1231)には寛喜の大飢饉。その翌年に本題である和賀江島の築港と御成敗式目の制定という大事業を成しています。そして死ぬまでの10年間は、叡山延暦寺や南都の興福寺と対立し、深沢に大仏を建立したりもしました。

さてそうした中での和賀江島の築港は歴史的にどう評価したらいいのでしょうか。これは結構な大事業です。わずか1カ月位で完成したとはとても思われません。写真で確認いただきたいのですが、和賀江島は相模川や酒匂川から集めた直径30㎝位の石を積み重ねて出来ています。今の時代ならコンクリで固めるか、テトラポットを投入するなどして護岸を造りますが、重機のない時代にどれだけのヒトが動員されたか?私は和賀江島の築港は寛喜の大飢饉で疲弊した社会の救済事業ではなかったかと推測しています。

そしてもう一つ。和賀江島が出来たことにより潮の流れが変わり、飯島の南側に砂が堆積して浅瀬が出来たと思います。その7百数十年後に浅瀬に目をつけ、鎌倉霊園の土砂を使い逗子マリーナを造成するという一大事業を成し遂げた人物がいました。誰とは言いませんが、和賀江島がなければ逗子マリーナはなかったかもしれません。これはあくまで妄想です。

 

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加茂岩倉遺跡の銅鐸

2020-01-18 20:40:43 | 日記

加茂岩倉遺跡の銅鐸

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「出雲と大和」日本書紀成立1300年特別展に行く

2020-01-18 14:10:09 | 日記

1月15日から3月8日までの会期で「出雲と大和」特別展が始まりましたので、昨日早速に出かけました。なんと日本書紀成立1300年の記念展だとのこと。昨年末は「神社ツウ」というガイドのために古事記や日本書紀を勉強していましたので丁度良いタイミングでした。因みに日本書紀は、編纂されたのは養老四年(720)で、天武天皇の子である舎人親王を編纂代表として撰進された国史です。その時代の天皇は持統天皇、文武天皇、元明天皇、元正天皇の頃で、文武天皇以外は女帝です。大変興味深い時代なのでいつか別にブログに載せたいと思っています。

そして以前、このブログに梅原猛の『神々の流竄』(1970年発表)について書き、その後に『葬られた王朝 古代出雲の謎を解く』(2010年発表)を読みました。読んでみて驚いたのは、梅原猛が『神々の流竄』で主張した自説「出雲には王朝はなく、奈良盆地を舞台にしたものである」を、『葬られた王朝』のなかで間違っていたと訂正したことです。なぜ訂正したのか?それは『神々の流竄』を執筆した後に、出雲の荒神山遺跡で380点以上の銅剣、銅鉾、銅鐸が発見(1984・85年)され、さらに加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見(1996年)されたことです。この発見により記紀に書かれ、長い間神話と考えられていた世界(オオクニヌシの国譲りなど)が、歴史上の出来事(出雲王権の存在とその滅亡)と考えられるようなったからだと思われます。

この考古学上の大発見の展示物が見られるのがこの特別展です。見逃すわけにはいけません。出雲大社の心御柱と宇豆柱、出雲大社の模型、数々の銅剣、銅鉾、銅鐸、勾玉などの装飾品、埴輪、石上神社の七支刀、奈良市天理の黒塚古墳で発見された三角縁神獣鏡等々。出雲と大和に関係する展示品を一挙に見れる機会はもうないでしょう。妄想がどんどんと膨らみ、あっという間に3時間位経っていました。

 

 

 

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鎌倉を知る --虚空蔵堂初護摩ーー

2020-01-15 17:03:13 | 日記

1月13日。鎌倉坂の下にある虚空蔵堂(成就院の飛び地境内)の初護摩法要の日(1月・5月・9月の13日)。本尊は虚空蔵菩薩で丑寅生まれの御守本尊でもあり、多くの参拝客で賑わっていました。とは言っても、恥ずかしながら虚空蔵菩薩についてよく知りません。折角なのでこれを機会に調べてみました。参考にした本は『仏典を知る 空海の世界(佼成出版社)』です。

真言宗の開祖である空海は抜群の記憶力が有名で、密教を究めるきっかけとなったのが、名もない一沙門から伝授された虚空蔵求聞持法です。中国に胎蔵系の密教をもたらした善無畏三蔵が漢訳した『虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法』に基づき営まれます。この経典は、日本には奈良時代の初めに請来されました。インドでは古くから真言や陀羅尼を用いて記憶力の向上をはかる修法が発達しており、それを体系化して経典にしたものです。

その唱える陀羅尼は「ナウボアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカ(26文字)」(華鬘蓮華冠をかぶれる虚空蔵に帰命す)というもので、この陀羅尼を決められた期間(50日間ないし100日間)に百万遍唱えるという大変厳しい修業です。この陀羅尼を5秒間で唱えるとすると、要する時間は500万秒。不眠不休で唱えて58日間かかるわけで、100日間で達成するのも至難です。空海はこの修業を達成したときに、虚空蔵菩薩の化身とされる明星が口の中に飛び込んだと伝っています。

そして虚空蔵菩薩はサンスクリット名をアキャシャガルバ、虚空(アキャシャ)の胎(ガルバ)という意味を持ちます。虚空のごとく、無限にして無辺、同時に全宇宙にあまねく、福徳と智慧とを蔵する菩薩で、密教のヒーローはこの虚空蔵といわれるくらい人気があったようです。

最近めっぽう記憶力が衰えた身としましては、この修業は無理としても、虚空蔵菩薩に合掌礼拝することであやかりたいと思いました。

ナウボアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカ×百万遍。いつの間にか夢の中でした。

 

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