甘縄神明神社は長谷の鎮守。710年に行基が草創、豪族染屋時忠(由比の長者)が建立し、源頼義や義家が社殿を修復したとも伝わり、鎌倉で一番古い神社とされています。本殿は階段を登った上にあり、かつては海岸線が近くまできていたのではないでしょうか。鳥居をくぐったところに万葉集の歌碑があり、歌にある「見越(みこえ)の崎」はこの近くだったようです。
鎌倉の見越の崎の岩崩の君が悔ゆべき心は持たじ
そしてもう一つ。川端康成の小説『山の音』の舞台。その第一章。小説のタイトルにもなったその部分を抜き出してみます。
そうして、ふと信吾に山の音が聞こえた。 風はない。月は満月に近く明るいが、しめっぽい夜気で、小山の上を描く木々の輪郭はぼやけている。しかし風に動いていない。 信吾のいる廊下のしだの葉も動いていない。 鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞える夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。 遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の頭のなかに聞えるようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思って、頭を振ってみた。 音はやんだ。・・・・・・・。
川端康成の鎌倉の住居はこの甘縄神明神社の隣。川端康成は長谷以外にも住んでいましたので、この情景をどこで描いたのかの議論があるようですが、『山の音』を読み進みますと、 「お宮の御神輿小屋の屋根のトタンが、うちの屋根の上へ吹き飛ばされて来たらしい。」とか、 「信吾の家の裏山は神社のところで切れている。その小山の端をひらいて、神社の境内になっている。」 の箇所がありますので、山の音が鳴ったとされるのは間違いなく甘縄神明神社の裏山だと思います。
いまは神社の周辺は家が立ち並び、少し歩けば鎌倉大仏や長谷観音も近く、車や人々の往来もあり山の音など聞こえませんが、本殿まで上ってみて、喧騒を逃れ、ひととき山の音をさがしてみてはいかがですか。