人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

熊野詣 PART10③ --青岸渡寺--

2024-06-22 15:15:02 | 旅行

巻頭の写真をご覧ください。熊野三山の紹介写真では最もポピュラーな青岸渡寺の三重塔と那智の滝のツーショット写真です。そしてよく見ると、水の流れ口に穴が開いています。滝の上部に川が流れていると思っていましたが、山の中に水脈があるのでしょか?毎秒1トンの水が流れているわけで、自然が作り出した造形美は素晴らしく、感動しました。さて後先逆になりましたが、そんな青岸渡寺のご由緒を紹介させていただきます。 

西国霊場第一番札所 天台宗 那智凶 青岸渡寺

当山は仁徳帝の頃(313-399)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着。現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝えられている。 その後、推古帝(593-628)の時大和より生仏上人が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修業をする者その数を知らず、また天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三か年御修行の後、当山より西国三十三か所観音礼場巡行の旅でられた。当時より長きに亘り巡礼の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが、明治の神仏分離によってその形態が変り以来青岸渡寺と称するようになった。現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。 また三重塔は、平安末期に建立されたが相つぐ戦火に焼失、去る四十七年全国よりの浄財によって再建。飛竜権現の本地仏千手観音を三層に祀る。

これは本堂前の案内板を書き写したものですが、『西国坂東 観音霊場記』(金指正三校注)にも、天竺からきた裸形上人が開基とあります。その頃は我が国に仏法が伝っていない時代であり、訪ねる人もなく、裸形上人の庵は朽ち果ててしまいました。その後、生仏上人が熊野参詣に来たときに権現様より、その昔裸形上人がこの地にいてありがたい霊仏を残している、汝その霊仏を探し出し守れとのお告げをいただきました。そこで生仏上人は那智の滝に飛び込み、必死の修行で霊仏が見つかるよう祈願したとのことです。そして7日目に岩の中に埋もれていた霊仏が光かがやき発見できました。一寸八分の如意輪観音の黄金仏で、この観音様は仏法伝来以前の貴重な観音様であり、二度と紛失しないように御丈一丈の本尊を造立し、その胸の中に納めたとあります。霊仏発見後の開基は生仏上人。御詠歌は、「補陀落や岸うつ波は三熊野の那智の御山にひびく滝津瀬」と書かれていました。

また『十一面観音巡礼』(白洲正子著)には、那智出土の日本最古の十一面観音像(白鳳時代:東京国立博物館蔵)が紹介されています。霊仏はこの像かと思ったりもしました。そして生仏上人の修行の様子は、文覚上人の熊野での修業の話とも重なり、この青岸渡寺を舞台に展開する歴史ロマンは壮大で実に楽しく読ませていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

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