人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

鎌倉を知る ーー 鎌倉国宝館で見たこと ーー

2018-11-12 15:26:40 | 日記

現在、鎌倉国宝館では「鎌倉国宝館 1937-1945」という特別展が開催されています。後期は11月13日~12月2日まで。極楽寺の釈迦如来像や十大弟子像、国宝の太刀正恒など、普段は拝観できない展示品がありますので、是非ご覧になってください。

その展示物のなかで興味深く読みましたのが『関東御教書』という相模守北条時業(兼時)が寺田太郎入道に宛てた文書です。日付は弘安四年(1281)閏七月十一日。この日は九州地方を暴風雨がおそい、元船団主力部隊が殆ど沈没した日です。ご存じ弘安の役のクライマックスの日ですね。ではどんな文書か?写してきましたので紹介します。

異賊事、御用心厳密之問、所被差置相模七郎時業於播磨国也、賊船乱入山陽海路之由、有其聞者、随時業之命、可否致防戦忠之状、依仰執達如件     弘安四年閏七月十一日 相模守北条時業  寺田太郎入道殿

掻い摘んで言いますと、「日本を襲ってきた異国の賊船が山陽路(瀬戸内海)に侵入してくる惧れがあるので、くれぐれも防御怠らないようにお願いする」といった内容でしょうか。これを見る限り、鎌倉幕府は元の賊船が瀬戸内海を通り、京都まで攻め込んでくること想定していたと思われます。

ある郷土史家の方が、得宗北条時宗は、元が京都に攻めのぼった場合には、鎌倉の円覚寺に天皇を迎い入れ、最後の砦とする覚悟であったと、話していました。そのため円覚寺は海に近く平地にある御所や建長寺ではなく、新たな城砦とするために整備したという説です。惟康将軍は後嵯峨天皇の孫にあたりますので、最悪の事態を想定すれば、この考えは荒唐無稽のことでもないような気がしてきました。

さて写真は昨年の11月初めに円覚寺の塔頭 龍隠庵から境内を写したものです。木々も少し色付きはじめ、なんとも長閑な風景が広がっています。古の出来事に思いをはせ、是非、晩秋の一日を過ごしてみてはいかがでしょうか。

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鎌倉を知る ーー 鎌倉のたたら製鉄 ーー

2018-11-04 21:18:42 | 日記

鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)の講座で「鎌倉のたたら製鉄」という講座を開催しました。講師は神奈川県立鎌倉高校の先生を長く勤め、この4月から横須賀高校の先生になられた方です。前々から中世に鎌倉の浜砂鉄を使った製鉄が行われていたと推測していましたが、本日の講座を聞き、実際に行われていたはずだと意を強くしました。2年前のブログにも鎌倉の製鉄業のことを書いていますので、参考にご覧になってください。

鎌倉高校では数年前から浜砂鉄を使って鉄をつくる試みを続けていましたが、昨年はじめて成功し、短刀まで作っています。何度も失敗を繰り返し、その原因を突き詰めていくうちに鎌倉の浜砂鉄でも鉄が出来たとのことです。たたら製鉄は現代まで奥出雲で行われていますが、室町時代後期までは全国各地で行われていたようで、鎌倉でも相州伝正宗の刀が作られていたと思われます。

奥出雲の砂鉄(真砂砂鉄)と鎌倉の砂鉄(赤目砂鉄)の成分の違いは、チタンが含まれいることと、カルシュウム分が多いことを突き詰め、砂鉄を熱湯で洗いカルシュウムを除去することで鉄をつくることが出来たとおしゃっていました。中世においてもその方法で鉄が作られていたかは確証がないのですが、鎌倉の七里ヶ浜に金洗沢とういう地名があることから、ひょっとしたら浜砂鉄を洗い鉄を作っていたかもしれません。

写真は七里ヶ浜の霊光寺入口にある石碑ですが、そこに金洗沢のことが書かれています。興味あるかたは日蓮の雨乞いで有名な場所なので、一度訪ねてみてください。

 

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