宮島のシンボルといえば海に浮かぶ大鳥居でしょう。厳島神社の資料によれば、創建は明らかではないが、平清盛の援助による仁安造営時を初代とすると、現在のものは8代目で明治八年(1875年)に再建されたとあります。誰が造ったかと言えば、三十三間堂を建立した平清盛の美的・建築のセンスは素晴らしく、清盛で間違いないと思います。海に大鳥居を浮かべる発想は清盛ならではでしょう。
現在は工事用のカバーが掛けられ見ることができませんが、資料から構造を書いたものを抜粋しますのでその姿をイメージしてみてください。
形式は東西に楠の主柱を置き、その前後に杉の袖柱を2本ずつ計4本配し、上下2段の袖貫で主柱を繋いだ木造両部鳥居です。主柱は上部で大貫を通して繋ぎ、その上に島木・笠木を置いています。当社の場合、島木と笠木は箱状に造られ内部に石が入っています。東主柱は日向国児湯郡岡富村から、西主柱は讃岐国丸亀の木に宮島の亀居山の楠を鉄帯金物で2か所固定して継いでいます。袖柱4本や袖貫、島木、笠木は宮島のものを使用しています。柱下の基礎は千本杭と言われる松杭が打ちこまれています。
大鳥居の大きさですが、高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60tです。因みに若宮大路にある一の鳥居の高さ8.5mの2倍近くの高さになります。陸から離れた場所にあるのでさほど感じませんが大きいですね。そして台風がきても倒れない工夫や、重機もない時代にこれだけのものを海中にどう立てたのかなど、興味は尽きません。