人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

君たちはどう生きたか

2023-07-29 12:29:28 | 日記

先日、宮崎駿監督が久々に制作した作品「君たちはどう生きるか」を鑑賞しました。宮崎駿監督は数年前にもうアニメ作品は作らないと宣言したものですから、どんな映画が出来上がったのかと興味深く観させていただきました。前宣伝もなく、ただ分かっているのは、アオサギを書いた宣材写真とアニメ作品の題名が昭和12年(1937)7月に発行された『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の題名をお借りしたものと言うだけです。正直なところ、現在82歳の宮崎監督があれだけのエネルギーを費やし、この作品を制作したのか意図が分かりませんでした。たぶん私に題名になった『君たちはどう生きるか』を読んだ記憶がなかったせいかと思い、早速読んでみました。60年近く前に親が読めと言ったかもしれませんが、全く記憶にありません。ただ小中学生の頃に中途半端な正義感を持った生意気な子供だったことから、読んでいたような気もします。

映画の始まりは、時代設定とか主人公がイジメにあったりするところから、吉野源三郎の本の影響を受けているようですが、途中からは全く違う世界に入って行きます。美しい画像の宮崎ワールドがこれでもかと広がりますが、風の谷のナウシカとか天空の城ラピュタにあった観る人の想像力を超えたワクワクするようなシーンの展開はありません。宮崎監督も年齢を重ねているから、ある意味、当然のことかと思います。それでも何故にこの映画を世に送り出したのでしょうか? 宮崎監督は我々に何を伝えたかったのでしょうか? 擬人化されたアオサギに案内され地下世界に入って行く少年はどう成長したのでしょうか? どうも小中学生を相手にした映画ではないようですし、映画を観て?は広がるばかりでした。

そこで『君たちはどう生きるか』を読んでみました。この本は90年近く前に書かれた本ですが、内容は実に新鮮です。人間としてどう生きていくかの指南書で、児童文学ではなく今の大人に読んでもらいたい名著かと思いました。特に連日報道されている大手中古車販売会社の経営者の道徳観のなさには愕然としました。せっかく一代で5000億円企業まで育てあげたのに、一瞬で信用を失ってしまうのですから、恐ろしいことです。まして私とほぼ同い年ですから、残念でなりません。誰のおかげで5000億円も売り上げたのか?それは新車を買えずに中古車で我慢しようと、某会社を信用して購入したお客様です。それを見失った企業には未来はないでしょうね。最近、こういう道徳観のない事象が政治家や経営者などに多く見られます。それを危惧した宮崎監督が、老体にムチ打ってこのアニメ作品を制作したと妄想しています。

その目的は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んで欲しく、そして「君たちはどう生きたか」を考えて欲しいとう宮崎駿氏の願いではないでしょうか?読んでみて、特にナポレオンの行が印象的でした。その歴史観に共感しました。

 

 

 

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『津軽』 太宰治

2023-07-21 19:40:34 | 旅行

今回の青森秘境の旅では一冊の本を携えて出かけました。太宰治(1909-1948)の『津軽』。戦争中に書かれた本ですが、暗さは微塵もありません。多分、太宰治は鬱積した戦争の暗さから逃げる様に生まれ故郷「津軽」への旅に出たのでしょう。本編一 巡礼の書き出しは、こうはじまります。

「ね、なぜに旅にでるの?」 「苦しいからさ。」 「あなたの(苦しい)は、おさまりで、ちっとも信用できません」 「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」 「それは何のことなの?」 「あいつらの死んだとしさ。ばたばたと死んでいる・・・・。」

太宰治がこの『津軽』を書いた時は数えで36歳。亡くなった年は39歳。まさか自分の死を予感してこの『津軽』を書いたのでしょうか。たまたま『津軽』の紀行文の依頼があったからかもしれませんが、あえて自分の終着点を見据えて生まれ故郷の津軽への旅行を決めたかもしれません。

その割には文章が明かる過ぎます。太宰の師、佐藤春夫は「他のすべての作品は全部抹殺してしまってもこの一作さえあらば彼は不朽の作家の一人だと云えるだろう」。さらに同郷の長谷部日出夫は「これはぼくは、太宰治がわが国の文学史上最高の喜劇作家であったことを示す『お伽草紙』を加えたいとおもいますが、『津軽』がその双璧をなす傑作であることには、全く疑いがありません。」と巻末の解説に書いています。

今回津軽地方を旅行して、さらに太宰治の『津軽』を読み返し感じたのは、この紀行小説は多少のフィクションを加えているかもしれませんが、現代でも十分に通用する旅行案内書になっていることです。太宰自身、道化的要素を加え、読者の興味をそそります。戦争中に国防上重要な津軽半島の龍飛岬まで出かけ、多分検閲ギリギリに、さりげなくその情景を表現してますが、さすがだなと思いました。

なんとも取り留めもない文章になりましたが、是非この『津軽』をカバンに入れ、太宰が育った津軽地方を旅行してみてください。自分発見ができるかもしれません。写真は旅行中、最後に見れた岩木山の姿です。バスの中から写したものなので、余り上手とは言えませんが、貴重な一枚となりました。

 

 

 

 

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青森県秘境の旅 --櫛引八幡宮を訪ねる--

2023-07-16 20:16:18 | 日記

今回の青森秘境の旅の締めは櫛引八幡宮です。神社の由緒を紹介します。

櫛引八幡宮は南部家初代光行公の草創と伝わる。文治五年(1189)の平泉合戦で戦功をたてた光行公は源頼朝から岩手から青森にかかる広大な土地を拝領し、建久二年(1191)に入部。後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮ご神体を奉じせしめ、霊地を卜して櫛引村に宮社を造営し武運長久を祈ったという。

後で知ったのですが、八戸駅に立派な鎧兜が飾ってありました。どうも櫛引八幡宮に奉納されているものらしい。さっき行ってきたばかりの櫛引八幡宮の国宝館にあるようです。この国宝は赤糸威鎧(あかいとおどしよろ)と言って春日大社の赤糸威鎧とならんで、装飾金物の豪華な点において現存甲冑の双璧とされるものです。気付いた時は既に遅し、後ろ髪を引かれる思いで東北新幹線で帰途につきました。

まあ国宝の甲冑を見れなかったのは残念でしたが、無病息災祈願の瓢箪のお守りを求めることが出来たのは幸運でした。瓢箪コレクションがまた増えて有難く神棚に飾りました。

 

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種差海岸のニッコウキスゲ

2023-07-16 17:42:32 | 旅行

写真の黄色の可憐な花はニッコウキスゲです。高山にある植物ですが、ここ種差海岸の夏は東からの冷たい風が吹くことから、海岸近くでも咲くようです。もう少し時期が早ければもっと多く見れたののですが、名残りの株がいくつかありました。

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青森県秘境の旅 --種差海岸を訪ねる--

2023-07-16 17:21:15 | 旅行

種差海岸は、国の名勝地に指定されている三陸復興国立公園内にあります。650種類を超える植物が自生し、多種多様な植物を鑑賞できる日本でも珍しい場所です。長い海岸線は、4つのエリアに分けられ、一番北が「蕪島エリア」、南下して「葦毛崎展望台・大須賀海岸エリア」、ここ「種崎天然芝生地エリア」、一番南が「大久喜エリア」と言います。この天然芝が生えたエリアは昔は馬の放牧地で、馬が芝を食べ芝刈りは不要だったようですが、今は人間が芝刈りをしているとのことでした。

ここには震災復興のシンボルということで立派なインフォーメーションセンターがあり、ガイドの方もいます。そこで仕入れた情報ですが、蕪島を起点にして「みちのく潮風トレイル」が整備されています。終点は福島県相馬市まで。1,000km続く三陸海岸の4県28市町村をつなぐロングトレイルとなります。もう少し若かったらチャレンジしましたが、今はじめても何年かかるか分かりませんので躊躇しています。夏は涼しく歩けますので魅力的なトレイルコースかと思います。

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