今日大町にある常栄寺を訪ねました。境内は野趣味に溢れ、ハナトラノオ、ジンジャー、フヨウなどの花が残暑の陽射しに負けず、咲きほこっていました。そして山門の板壁にあった「龍口法難750年(令和2年9月12日)と日蓮聖人上行菩薩再誕、文永八年、龍の口にて法難に遭い。上行菩薩との自覚を得る」の文字に目が止まりました。常栄寺は別名「ぼたもち寺」と呼ばれ、龍の口の法難に所縁のあるお寺です。
龍の口法難後に日蓮聖人が四条金吾に宛てた手紙が残されています。その手紙には、「今度、法華経の行者として、流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州たつのくちこそ、日蓮が命を捨てた處なれ、佛土におとるべしや。その故は、すでに法華経の故なるがゆへなり。一部略。娑婆の世界の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には龍口に、日蓮が命をとどめをく事は、法華経の御故なれば寂光土(仏の国土)ともいうべき。以下略。」と書かれていました。龍の口で一度死んだ日蓮は、この経験で上行菩薩との自覚を得たのでしょうか。まだまだ勉強することはたくさんありますね・・・。
横浜市戸塚区にある小雀御霊社に隣接する草むらの中に庚申塔を見つけました。三猿と合掌する仏様が彫られた庚申塔です。庚申塔は鎌倉市内やその周辺の寺社の境内や道の辻などに多くみかけますが、どういう意図で置かれたものなのか、せっかくの機会ですので調べてみました。
庚申(かのえさる)というのは、中国の陰陽五行説に基づく「干支」の組み合わせで、庚申の日は1年に6~7回あります。道教の「庚申待(または守庚申)」という考え方によるものです。人間の体内には三尸(さんし)の虫 - 上尸(頭)、中尸(腹)、下尸(足) -は、庚申の夜、人が眠りにつくと天に昇り、天帝にその人の罪を告げ、天帝は罪の軽重に応じて、その寿命を決めていくと言われています。迷信でしょうが、長生きを願う人々は、この庚申の日は眠らず、夜を明かしました。日本に伝わったのは結構古く、『枕草子』にもその様子が描かれていますので、平安時代からあったようです。また猿が庚申の使いとされ、庚申塔には、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られている訳です。
特に江戸時代には、民間にも広がり、村単位などの集団で行われ、その集まりのことを庚申講、庚申会、庚申待などと言われています。この庚申待を3年18回続けた記念に建てられたのが庚申塔で、これがいま目にしているものです。
鎌倉市笛田の夫婦池公園では運が良ければカワセミが見れます。但しよほどの望遠レンズでなければ満足な写真は撮れません。いつも悔しい思いをしてあとにします。老眼鏡を用意いただくか、画面を拡大するか、ともかく画面中央のオレンジ色のシミがカワセミ君です。