腹切やぐらから宝戒寺に戻る途中に滑川を渡る宝戒寺橋があります。東勝寺橋からも川上に架かる宝戒寺橋をみることができますが、いままでこの橋の存在を意識したことはありませんでした。その宝戒寺橋の先に紅葉山やぐらがあります。このやぐらを訪ねるのははじめてです。位置的には腹切やぐら-東勝寺跡-紅葉山やぐら-滑川-宝戒寺と一直線に並びます。では、史跡『紅葉山やぐら』の案内板を紹介しましょう。
史跡『紅葉山やぐら』は、昭和10年(1935)に発見され、五輪塔や納骨、それに”海蔵寺十六井”と全く同じものが出土されておりますが、その時代考証からも、北条執権ゆかりの納骨といわれております。平成11年(1999)の大崩落後の神奈川県教育委員会の調査でも”十六井”が確認されております。
どうも北条執権ゆかりのお墓らしいですね。近くの宝戒寺には本尊の地蔵菩薩のほか、脇侍の梵天、帝釈天、それに閻魔大王像、十王像、奪衣婆と地獄の世界が広がっています。宝戒寺は北条一族の鎮魂のために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて創らせたお寺。ただ鎮魂を目的とすれば、本尊の地蔵菩薩像だけでもよさそうですが、十王に梵天、帝釈天まで登場するとなると、なにか別の意図を感じざるをえません。どうも納骨を目的とした紅葉山やぐらは娑婆の世界、滑川は三途の川、宝戒寺は地獄の審判場所。まさに『往生要集』の世界そのもの。さらに建武の新政に逆らうものは地獄に落とすぞといった強い意思があると思うのは少し考えすぎでしょうか?