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Buen viaje! よい旅を♪

訪問ありがとうございます。旅をしたのは遥か前…現在は泥臭く土まみれ油まみれになりながら、何かを作り生きてます

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 待望のヘリ待ち

2010年07月30日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 1月28日

 マチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスで、足止めされて4日目。


 ついに、待望の村脱出でございます。


 マチュピチュ観光に来る日本人の多くは、近隣のクスコの宿に荷物を置いて、

 『日帰り』または『1泊分』の荷物だけを持っている場合が多く、

 私は、クスコに寄らずすべての荷物を持っての移動なので、

 諸外国の方々と共に、重たいバックパック背負ってます。


 ヘリポートまで、山の中を歩かされること数○○分。

 息切れするよ~。

 2010年 中南米 117





 視線の先にヘリポートが見え、


 


 物資を運んでいる様子と共に、手前の悲惨な情景に、びびります。


 この日、ヘリコプターはかなりの数飛んでいるらしく(現地の説明では十数機)、

 ヘリポートは2箇所設置。


 それでも、なかなか搭乗の順番は来ません。

 1時間近く待ったのかなぁ~。。。


 待っている間、フリーのカメラマンが避難民の様子を撮影。

 

 
 日本で心配している方々に、元気な姿アピールしたかったけれど、

 諸事情で。。。



 だって、だって、

 『仕事休んで旅しているの内緒なんだも~ん!!!』
 
 って、知らない間に、ご近所さんやらいろんな人に知られましたけど~(笑)。



 
 目の前で、どんどん撮っているカメラマンさん達。

 


 写りこみたい気持ちを、ぐっっ!!!と我慢して、


 沈痛な面持ちの人物を撮っているのかと思えば。。。






 
 


 
 あかんやん! みんな、ヘリに乗るのが嬉しくて、うかれとるぞぃ! 
 


 ヘイ、日本で心配しているみんなをよそに、現地ではこんな感じで楽しんじゃってました。
 うほぉっうほっ♪

  
 
 災害がおきて、みんなが心配していた食料は、救助のヘリからどんどん運ばれていたので、

 滞在中、食べるものは実は充分にありました(値段高くなってたけど、汗)。

 


 ヘリポートから、村までかなりの距離をこうやって運んでくださった現地の方に感謝です。

 

 木々の間から見える、線路の様子。。


 新聞も、テレビのニュースも見ていなかったので、この時初めて災害を目の当たりにします。

 
 

 クスコ周辺の地域でも、連日の集中豪雨で水害多発など、いろいろ聞いていたので、

 今後の事、心配になります。


 ペルーの方々の中にも、家がなくなったり、田畑の作物が全滅して、

 辛い現状。


 改めて、災害に遭い亡くなられた方のご冥福を祈ります。


 そして、一日でも早い復興を願います。








 

 

 










 



【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め4日目 列車で迎えた朝

2010年07月19日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 2010年 1月28日 

 ペルーレイルの列車に宿泊。

 横になれない体制で、一夜を過ごし、持病の腰痛が【魔女の一撃】(別名=ぎっくり腰)を

 くりだし出しそうな朝。

 


 駅構内では、ヘリに乗る搭乗待ちの召集が『年齢40代』になっていた。


 どうやら、駅構内、列車内に泊まった人から、年齢順に搭乗するようになってるらしく?


 駅の外にいる、観光客や、地元の人、はたまた40歳より上の人たちは、どこにいるかわからないので、

 手っ取り早く、『まずは、駅にたむろってる奴から飛ばしっちゃって良いんじゃね???』的な様子の、
 ペルー政府のご配慮。 


 『うう~ん、朝ご飯食べに村に行きたいけど、こりゃ、駅から出ないほうがいいね。』


 列車に泊まり組のバックパッカーたちで、一眼レフ持参の旅をしているたか君の、

 カメラ講座を聞きながら、みんなでカメラをいじる。

 


 うんうん! やっぱり男の子は、メカに強いのが良いねぇ~。

 かといって、懲りすぎてるのは話についていけなくて、面白くないけど、

 たしなむ程度に楽しんでる姿は、微笑ましいわぁ~。


 持論 『カメラ&写真好きには、悪い人はいない!』

 私がそうであるように!(笑)。



 ねぇ??? ちょっと聞いてる?

 おい! カメラの説明に夢中じゃないかっ!

 



 私の話は、スルーですかいっ。。。(汗)

 
 みんなで、メアド交換して、雑談も交え、駅構内のコンセントからデジカメやら、携帯を

 充電して、搭乗待ち。


 

 人の一行が、どこかへ移動しているのが見え、警備にあたっている軍に尋ねると、

 『君30代??? 30代なら、みんなに付いて移動して。』と。


  
 わぁ~い!!! ついにヘリコプターに乗れる!

 ヤングなバックパッカー、20代の前途洋々のナイスガイ。

 まさ君、たか君、翔君、ナカジマ君、オオハシ君

 か弱い私を不憫に思い(?)、多大な優しさに御礼を言い、お互いのこれからの旅へ

 エールと、いつかまた、どこかで会えたら良いねぇ~。 

 と期待を込め、別れのあいさつも早々に、バックパックを担いでいざ移動!


 

 

 水と軽食をいただく。

 

 

 さようなら、アグアス・カリエンテス。


 さようなら、旅友さん。

 
 一期一会。

 出会えた幸運に感謝。


 
 世界遺産マチュピチュを見たときよりも、思い出に残る避難民生活
 
 
 今日から、いよいよ先へ進む。


 旅の再開。


 

  
 久しぶりだな~、この高揚感。

 絶叫マシーン乗る時みたい。


 ヘリに、無料で乗れるなんて、超ラッキ~♪



 
 
 
 
  

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め3日目 初めて泣いた夜

2010年07月11日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)

 2010年1月27日

 マチュピチュ災害が起こり、3日目の夕方6時前に、日本大使館から連絡員が来ました。

 災害だからって、日本大使館の大使が来てたら、業務に支障が出ますわなそりゃ(汗)。

 大使じゃなく、在使の方なのか、はたまた総務班、政務班、経済・経済協力班、広報文化班、
 どの担当部署になるのか分からないけれど、とにかく日本大使館からお越しです。



 お名前は、ウダガワさん


 





 現地に来るまでも、天候が安定せずなかなか離陸できなかったり、他の大使館職員も来たかったそうですが、

 選抜隊として、日本他、約5カ国の大使館関係者が来られたようです。


 災害中なんですけど、日本じゃニュースになったり、新聞載ったりしてるそうなので、

 『ニュースの人』になった気分で、日本大使館から来たウダガワさんを見てテンションUPです(笑)。


 集まった(私を含め)バックパーカーたちで、写真なんか撮っちゃったりしてます。

 


 ウダガワさん、とっても物腰優しいジェントルマンで、不思議と『ウダガワさん来たから、もう大丈夫!』

 なんて、思っちゃいます。


 写真を撮ってるバックパッカーたちを見て、ウダガワさん、

 『君達、こんな状況なのに余裕だねぇ(笑)。』ですって。
 



 状況説明をいろいろ受けて、バックパッカーたちが協力して作成した名簿(約20人分)を渡します。


 そしたら、ウダガワさん。。。。


 『こんなにいたんですか。。。(汗) 大使館でも把握してない名前がたくさんありますね。』
 

 おぉぉぉ~、なんか一瞬鳥肌立ちますわっ(ほんと、無事で良かった私)。
 

 ウダガワさんの話は、重要なものから、マル秘な内容までなかなか盛りだくさん。


 チョコット披露すると、災害が発生してから、アグアス・カリエンテスの宿や食堂が、
 軒並み値上げになりまして、
 まぁ~、地元の人からすると『こんな時だからこそ、儲けれるから儲けとく!』
 の発想だと思うのですが(わからないわけではないけれど。。。)、

 観光客としては、『こんな時だからこそ、高くするんは違うんじゃないかいっ!』
 (すき放題わがまま言ってしまう)わけでして、



 値上がり状況が、ペルー政府の観光大臣の耳に入ったらしく、


 
 アグアス・カリエンテスの村長さんが、大臣にお叱りうけちゃった。んですって。


 『困ってる観光客の足もと見るような事をするなっ!』ってね(笑)。



 というわけで、ウダガワさん曰く、

 『今後は、宿代や食事代が上がるようなことはないです。』と。


 う~ん(悩)、この日の夜ご飯食べ行ったけど、高い値段で請求はされませんでしたが、

 『食材がないっ! (ほんとはあるけど、お前らに食わせる)食材はないっ!』

 的な、扱いうけましたけど、どうなんでしょうそこんところ。。。

 

 
 





 日本人に対して、いろいろ変な噂も飛び交い始めた足止め3日目。

 大使館から職員さんが来てくれて、とにかく本当に良かった。





 ウダガワさんは、この後他国の大使館関係者との対策本部でミーティングがあるそうなので、

 ミーティング後、どのような話し合いになったか教えてくれるとの事で、夜8時に、

 再び駅に集合となりました。




 夜8時まで、かなり時間があったので、たまった洗濯物を『ランドリー』に持って行き、

 洗濯をお願いします(ここでは、自分で洗濯するランドリーはなく人にお願いするようになってました)。



 ランドリーのおじさんに、洗濯物を預けて、受け取りの時間を聞きます。

 
 『おっちゃん、今なんて????』


 もう一度、洗濯おじさんに時間を聞きます。


 『once』


 オ、オ、オンセェ~!!! 夜の11時受け取りかいっ!

 
 おじさん、それまでここにいるの??? ちゃんと起きてるの??? 

 不安になりつつも、お洗濯をお願いします。







 午後7時。

 夜の帳が下り、一緒にいたバックパッカーのまさ君達も、いつの間にかどこかへ行ってしまい、

 気がつけば一人。




 ツアー客に言われた言葉が、頭の中を駆け巡る。。。

 日本にいる友達の顔を思い出し、心折れそうに。。。


 
 ってか、折れた。


 一人、アグアス・カリエンテス駅構内の暗闇のベンチでこの旅始めて泣きました。
 (人前では、涙は見せないお年頃。。。)




 ペルー時刻 19時15分。 

 日本の現地時間 午前9時15分。 


 携帯を見つめ、友の声が聞きたくなった。


 『みんな、忙しいだろうな。。。』 

 『こんな時間、携帯なんて繋がらないだろうな。。。』


 このご時世、みんな利用してるのはほとんど携帯なのねぇ~(涙)

 
 
 アドレス帳を開き、繋がる確率の高い固定電話の番号をいつの間にか探してた。

 
 町内の役場の番号が。。。


 『住民課に【悩み相談】で電話してみようかな?』


 いろんな意味で、怒られるから却下!

 いったい、誰になんて言えばいいんだっ!

 『ペルーで今、これから先の事に悩んでます。』って???

 電話口の相手が返答悩むわっ!

 
 
 気がつけば、友がいる『教育委員会』に電話してしまい、

 電話口に出た友の声。

 日本を飛び立ってまだ、1週間と1日しか経っていないのに懐かしくて、温かくて。。。

 つい、弱音を吐いてしまう。

 『もう、嫌だ。帰りたい。。。』

 
 『大丈夫??? みんな心配してるよ。 ちゃんとご飯食べてる?』

 不思議なものです。懐かしい声を聞いたとたん、張り詰めていた気持ちが和らいでいきます。

 
 『色々日常にはないハプニングばかりで、戸惑うことも多いけど、日本人に会えて、
  一緒に行動させてもらってるから、今のところ大丈夫。』  

 

 落ち込むこともあるけれど、私は元気。

 そう! 元気が一番!

 友の声に励まされ、間違いなく今回の旅で『私強くなってるっ!』。


 リスクて言葉は、これからも旅を続ける限り、脳裏を離れないだろう。


 でも、それはきっと良い意味で勉強になったんだ。

 そう思える強さを、少し手にいれた気がしました。 
 







 携帯、パソコン、現代を象徴する機器のおかげで

 地球の裏側にいるのに、繋がってる。 

 
 



 災害中、心配して、ブログにコメント残してくれたたくさんの人たち。

 au限定になっちゃうけど、Cメールをくれた師匠、それからカメラ好きさん。

 皆に、たくさんの勇気をもらいました。

 本当にありがとう。

 




 夜8時になり、再び集合。

 


 ウダガワさんの話を聞き、とにかくヘリ搭乗の順番は、国籍を問わず今までどおり『年齢順』との事。


 何かあればと、緊急連絡先を教えていただき、この日を無事に終了。



 今宵の宿は、災害初日にアジア圏で集められ、待機したペルーレイルの一等車両
 (その時の写真)。
 『ビスタ・ドーム』

 
 
 まさか、こんな形で高級車両に乗ること(寝ること)になるとは、想像もしてなかったので、貴重な体験です。


 これぞ、旅の醍醐味!

 ハプニングあって何ぼの、旅じゃいっ!


 不安だった洗濯物も無事に受け取り、その後は駅構内で、夜遅くまで列車泊まり組みの、
 バックパッカー隊のボーイズたちと、恋愛談義に花を咲かせ、

 ってか、私女ですけど~まったく恋愛対象に見てないままで話し進めるのやめてぇ~的な?

 『肉食系、草食系男子とはなんぞやっ???』で盛り上がり、話し疲れて消灯。


 オヤスミナサイ。。。




 はぁ~、いつになったらここアグアス・カリエンテスを脱出できるのかなぁ。。。
 





【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め3日目 団結力UP

2010年06月28日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 大手旅行社といい、ツアー客といい、私は私で持論があるし。。。

 なんか、もうよ~わかりません(汗)。


 
 ただ、もう大手旅行社の添乗員さんと、このツアー客とは、今後どんな事があったとしても
 言葉を交わすようなことは絶対にないでしょうけど――――――!。

 言われた言葉が、頭から離れない。。。。


 宿の前では、なおいっそうのバックパッカー隊の団結力が高まった気がします(私の勝手な想像)。



 宿の前で、みんなでおしゃべりタイム。

  

 ナイスガイなたか君は、一眼レフを持っての旅。

 

 ニコン若い人に人気ですね。


 キャノンユーザーの私から見ると、ニコンってお洒落さんな人が持つイメージです。
 (根拠はありません。笑)

 お洒落さんなたか君、ニコンチョイス! 似合ってます。



 いやぁ~、自称カメラ好きの私も一眼レフでの旅、だいぶ悩みました。

 『か弱い私は、引ったくりに絶対!狙われちゃうから、危ないし。。。』

 『か弱い私は、一眼レフの重さに耐えれないかも。。。』

 
 と、出国前の荷造りで悩んでたのがウソのようです。

 (場内の皆様、座布団を投げ入れるのは危険ですのでおやめください。笑)




 引ったくり、置き引き未遂さえもなく無事帰国です(汗)。



 一眼レフが重いからと、コンパクトカメラ4台持ち歩いての道中は、重量すでに一眼並み(涙)。


 旅の持ち物って、いろいろ悩みますね。 

  
 
 とっても優しい新妻タイちゃんと、『ヒーハーTシャツ』を売り込もうとしている(?)翔君の2ショット。 
 
 


 村のサッカー場でW杯(?)が行われてるらしいので、

 


 サッカー場へ移動して、観戦。
 
 


 ゲーム参加中のナカジマ君、オオハシ君に写真係を頼まれたけど、応援もそこそこに、

 渡されたカメラを翔君に渡し(押し付け)、ガールズトークに夢中。


 

  


 ゲーム中盤、日本代表2選手、果敢にボール向かっていきます。

 すごい良い動きしてます。

 なんだか、話ばかりに夢中になるのが申し訳なくなってきました(汗)。

 写真、撮ろうっかなぁ~。

 おっ! ナカジマ選手、ナイスプレーでゲーム楽しんでますねぇ~。

  

 
 オオハシ選手、鍛え抜かれた二の腕で、ゴールを守ってます。

 

 
 『け、結構やるじゃないかっ!あの二人!』

 観戦中の誰もが思った。


 なかなか、見た目以上に俊敏な二人の選手は、さわやかな異文化交流を果たし、

 
 『写真とってくださいよ~。』と、

 

 
 はいはい、目線ちょうだい。

 

 オオハシ君だけ、カメラ目線なの~。

 隣のおっちゃん、だれぇ~(若そうに見えるけど。。。)。


 

 スポーツって、改めていいもんだなぁ~って思いました。

 
 私たちの観戦席の隣には、強豪アルゼンチンチームのご一行が(笑)。

 



 数分後、試合観戦をしている私たちを呼びに、バックパッカーの一人が来ました。
 

 待ちに待った、


 『日本大使館から大使が来た!。』




 会いに、行かねばっ!
 









【マチュピチュ】足止め3日目の午後 『小っさい男』に遭遇

2010年06月24日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 ナイスガイな二人、たか&まさ君と、私の三人で昼ご飯。

 

 若いのに、ほんとしっかりしてる男の子です。

 イケメンだし、性格もいいし、ミドルな私は自分の不甲斐なさを呪います。。。(涙)




 さてさて、昼ごはんは支給されてる食事だけじゃお腹いっぱいになるわけもなく、
 (贅沢言ってごめんなさい。)

 そろそろがっつり食べたくなります。

 

 
 支給されてるご飯だけで数日過ごしたからなのか、ナイスガイを前にしているからなのか、
 
 ワンプレートの食事で、もうお腹いっぱい!
 

 実家の『日替わり定食』とは比べ物にならないほど、ワンプレートランチ少ない。
 うちの定食(肉体労働者向け)食べたら、腹いっぱいになりすぎて動けれなくなっちゃうけど。。。(笑) 


 
 とにかく、人間ってお腹減ってるとイライラしてしまうもんで、

 昼ごはんを食べた後は、心も体も満たされ、先ほどのプチパニック添乗員に

 むかついた事も忘れます。


 村の中にいる日本人バックパッカーたちの集合時間が迫ってきたので、

 再び(情報を持っている?)添乗員のところへ向かいます。


 約束の集合時間10分前だったためか、宿の受付付近に添乗員の姿は見えず、そこには添乗員が引き連れている、

 ツアー客数人がいました。









 さぁ、ここから先の話が、私が今回の旅で一番衝撃を受けた内容です。
 



 ツアー客の一人の男性(年齢は30代半ば、私と同じ世代)が、私たちに向かって口火を切った。



 

 ツアー客: 君達、うちの添乗員に情報くださいっておかしくない?

        俺らツアーは、金払ってのツアーなんだよ。

       情報が欲しいなら、バックパッカー個人で集めればいいんじゃない???


       大体、今、戦争かテロでたちまち命が危ないって状況じゃないでしょ?

         
       このホテルだって、俺らが泊まってる。
       君達が、大人数で玄関ホールにいたら、ここのスタッフだって迷惑してるよ。
 
       
 



 と、一気に言い始め、この後衝撃の一言が


















 ツアー客: 大体、バックパッカーはリスクしょってのバックパッカーだろっ!





 って。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。





 この一言を言われて、あまりのショックに私は泣きそうになった。


 『何言ってんだよ、このツアー客ッ!』とも。


 自分が話をしている相手は、宇宙人か?。。。


 キレそうな気持ちを抑えて、こんな奴の前でキレたくもないし、『女の涙』を使いたくないって思いました。
 (女の涙が武器として使えるなら使うけど、私の場合正直無理がある。笑)



 現地情報を知らず、他人任せのツアー客に 





 ツアー客:そりゃ、情報やらないって言ってるわけじゃないよ。でも、大人数でこられても迷惑なんだよ。



 って言われて、確かに、小さなホテルに、大人数で集まった事は悪かったと思います。



 でも、世の中には言って良い事と、悪いこと。があります。



 ましてや、当時のこの状況は特に。


 
 いろんな感情が、瞬時に沸き起こってきて、泣きそうだし、キレそうだったけれど、


 最後までグッとこらえるミドルサーティの私。



 だって、同行しているバックパッカーの若い子たちがキレずにいるから。。。
 年上の私が、キレるわけにはいきません(滝汗)。
 
 

 ツアー客はキレ気味に一方的にしゃべってるのに、バックパッカー隊はグッとこらえました。



 この時、バックパッカー隊みんなの心にまるでテレパシーが送られたかのように、

 一同の頭の中を巡った思いは。。。











 

  









 『この男、小っせぇ~!!!!』





 もうね、小っさい男相手に話をする気が、みんな完全に失せました。


 だって、話が通じないんだもん。やってらんないわっ。
 
  
  

 私たちバックパッカーは、『じゃ、もういいです。自分らで情報集めます。』

 っと言い、話をするはずだった添乗員を待たず、宿を出ました。
 






 玄関を出た途端、道の真ん中で、私ブチギレして声を荒げてしまいます(汗)。


 『何、あの人!びっくりしすぎて泣きそうになったわぁ(怒)』  と。



 そしたら、まさ君が

 『いや、奴は話通じません。キレるだけアホらしいです。所詮小っさい人間なんですって。』


 『情報集められるの、俺達自由なバックパッカーなんですから、こいつ等ほっときましょう。』って。


 
 まぁ~♪(* ̄Ο ̄*)なんて言うんでしょう。。。



 すぐにパニックになる添乗員の言葉も、この時の小っさい男のツアー客(甲斐性無し野郎!)
 に言われた言葉も衝撃的でしたが、

 20歳そこそこの、まだまだ若いまさ君のこの時の言葉は、私の人生観を変える一言でした。
 (人生観というよりも、『理想の男性像』というほうが的を得ておりますが。笑)
 

 只今世界一周中のまさ君ですが、帰国後のまさ君は『大物になるっ!』て、思うほどに

 ほんとに、人として頼もしいです。

 
 あぁぁ、私があと○才若くて、外見もナウな感じだったらよかったのに(涙)。
 健康に生んでくれた母上には感謝するけど、もうちょっと遅く、そして可愛く生んで欲しかったなぁ(笑)

 と、思わずにはいられませんでした(爆)。

 ミドルサーティーの淡い恋が、建てる前から崩れていく様子が脳裏に浮かぶ。。。 



 
 まさ君が、突出して良い人像になってますが、ベッドシェアもあるんで、

 まぁ、これは仕方ない(笑)。



 もちろん旅で出会った男子たちは、みんなしっかりしてて、すんごいシャイだけど基本(?)女子には優しいです。
 

 
 
 宿の前で、いまだ怒り冷めやらぬ私でしたが、まさ君はじめ、バックパッカー隊皆が

 『あいつ、小っさい人間ですね。』 
 
 と言ってたので、徐々にクールダウン。


 


 クールダウン。




 ダウン。。










 ダウン。。。 
 

 

 



 
 
 ダウンしすぎて、言われた言葉が頭から消えない。


 『バックパッカーはリスクしょってるんだろっ。』


 言葉は通じない、旅にも慣れてない。自分にとってリスクだとわかりつつも旅に出たワタシ。


 でもリスクが欲しくて、バックパッカーしてるんじゃないのに。。。

 一緒に旅に行く人がいない私は、旅したらいけんの???

 人を頼っちゃいけんの???

 不安要素、心配事がない旅なんてあるん???
  
 言葉が通じない人は、旅をしたらいけんの???

  

 不安が疑問になり、疑問が不安になって頭の中を巡る。








 
 世界の片隅でいまだ花婿修行している? どこかにいるはずの私の未来のだんな様へ(笑)。


 例え、新婚旅行がツアーになったとしても、どうか困っているバックパッカーに冷たくしないでください。
 この『小っさい男』は新婚旅行でマチュピチュに来たんですって。
 もし、あなたがこの男のような言葉を困っている人に対して言ってしまったら、
 わたし『男を見る目が無かった(涙)。』って思って、即。。。ディボースです。
 



















 
 旦那もいないし、結婚できるかわからない私だけど、

 『こんな旦那は嫌だっ!。』
 
 そんな事を考えてしまうぐらい、突きつけられた言葉は重く、
 
 さらに、これから先の旅を不安にさせるものでした。





 
 
 

 
 
 
 
 

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め3日目 お昼前

2010年06月04日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 
 
 宿に向かっている途中、新たに日本人バックパッカー男子3人組に出会います。
            
             おいおい、これまたかっこいい男子がっ!
             バックパッカーのイケメン率高いじゃないか(喜)。


 3人組は、京大生のナカジマ君とオオハシ君、そしてこの二人とクスコから行動を共にしている、

 翔君(20代後半で公務員に転職。転職を機に最後?の長期旅行中。)

                  3人とも、面白いぐらいに個性的です(笑)。



 みんなでお互いの状況を話し、災害発生してから、3人はなんとペルーレイルの

 列車の中で寝泊りしていると。


 
 列車の中は、まだまだ空席あるって事なので、迷わず列車に決定!今夜の宿ゲット~!


 
                   
  

 ●旅から帰国して4ヶ月経った今では、この時の事を詳しく思い返すことはできないけれど、

  薄れ行く記憶を思い起こしながら、当時の様子を語りたいと思います。





 
 足止め3日目にして、私たちは、今ここアグアス・カリエンテスにいる日本人の人数と、

 どんな人たちがいるのか、把握したほうがいいように思いました。
 

 広場でのたくさんの人だかりの中、各国の旅行者は国名を書いた張り紙をして、

 国単位で集合したり、協力し合ったりしていました。


 その中で、アジア諸国だけ(もちろん人数も少ないこともあり)、集合している様子も、

 まとまっている様子もなく、今から思えばアジアでは日本人観光客が、

 一番多かったと思います。


  


 添乗員のいる宿に到着。


 添乗員と、宿のロビーで話をします。

         * 宿って言っても、ツアーが利用する宿なので、
           本来は【ホテル】と呼ぶべき、良い宿です。


          添乗員の女性は、年は30代後半~40前半。



  この時の添乗員との会話




 バックパッカー隊: 今どんな状況か教えてもらえますか?
 (以下省略:バ)
 
 添乗員: まだ、ヘリには乗れる様子ないみたいですね。私たちも、ぜんぜんどうなるかわからないんです。
 (添)


 バ : 今ここに足止めされている日本人、人数結構いると思うんですよ。      

     で、お互いどんな人たちがいるのか、顔あわせるぐらいはしておいてもいいかと。



 添 : そうですね~。





 バ : 僕達、大使館に連絡しても、繋がらなかったんで
     大使館からの連絡あれば教えてもらえますか?




 添 : そういっても、どんな状況で、どんな情報があるのかわからないし。。。

     (私は、お客の事で大変なんだから、あなた達の事まで知らない) 

             ↑な感じが、ありありとわかる返答(苦笑)。





 バ : もちろん、大使館からいつ連絡あるか、わからないのは分かってます。

     でも、僕ら大使館に繋がらなくて、あなたは繋がったんでしょ?


     で、何かある場合、あなたに大使館から連絡あるんでしょ???

     だったら、大使館からの連絡を僕らに教えてくれれば、ここにいる他の日本人にも、

     僕らで情報回すし、協力出来ると思うんですけど?
 
 

 
       話し始めた辺りから、添乗員アップアップしはじめてて(なんで?)、
       添乗員1人に、バックパッカー3人で話しかけてたのが、いけんかったんかもしれんけど、
       添乗員、この後急にキレました!。







 添 : 大使館から連絡があっても、



     わざわざ、私があなた達に言う義務も権利もないっ!!!









 バ : はぁ???

     いやっ! 義務はあるでしょ!!! あなたに連絡があるなら!!!

     大使館が、一人一人と連絡取れるとでも思ってるんですか???

       ↑ これ、まさ君と私とでかなりむかつきながら、言ってます。

    



 パニック添乗員、半泣きになってます。

 しかも、口癖のように 『日本の会社に聞かないと。。。』って言い出しました。



 イチイチ、会社に連絡しないといけないのかっ???

 大体、今ここペルーで情報乱れてるのに、日本にまともな情報がいくわけないじゃないかっ!



 あと、あなたは現地ガイド(ペルー人兼日本語通訳)に依存しすぎっ!


 ガイドの家族が、ペルーレイルに勤務してるからって、特別扱いなんかあるわけないじゃないっ!


 ペルーレイルの職員、仕事中に客の女の子と仲良くなって、サッカー場ウロチョロしてたぞっ!


 日本のJR職員とは違うんだぞ! ここは南米だぞっ!


 他のツアーの添乗員さんだって、あなたほど何でもかんでもガイドに依存してなかったぞ。
 

 なんて、怒りを踏まえて思いながらも、パニックになってる添乗員に気を使い、                     
 
     
 やんわりと、落ち着いて




 バ : でも、顔合わせだけでもしときましょうよ。 
     
     何かあった時のためにも、今すぐどうこう言っても移動できないんですから。


     時間決めて、ここに集まるようにしましょう。


     その時に、もし大使館から連絡あれば教えてくれれば良いし、

     無ければなかったで良いですから。

 




 添 : はい、わかりました。



 


 私も、まさ君も 『この添乗員だめだぁ~。』と。

             思っても、口には出せないけど、
             大学生に、ダメだしされるツアーの添乗員。。。
                         いかがなものか。
             


 とりあえず、この日の午後14時に、アグアス・カリエンテスにいる日本人を、

 この添乗員がいる宿に集合するように決めて、宿をあとにしました





 
 添乗員さん、いっぱいいっぱいなのは、想像に察しますよ。 


 お客の帰国が遅れることや、飛行機のチケット。


 ツアー内容の変更。そして、保険ではまかなえない、明日からの宿を決めることなどなど。
 

 一人で、(たった)8人ものツアー客を引き連れているんですもんね。


 
 『お客様をなんとしてでも、どうにかしなければっ!。』
 

 その気持ちは、よく分かりますよ。


 でも、それって逆に 『自分とこのお客以外、知ったこっちゃない。』なんですね。

 

 良いですよ、その考え。 決して、悪いわけでもないです。 




 でも、その信念と言いますか、考えが極端すぎませんか???


 あなた、ここに来ている他のツアーの添乗員さんたちと会おうともせず

 協力も、情報交換もしてないですよね?


 他のツアーの添乗員は、会社は違えど、協力してたり、現地ガイドからの情報交換してたりするんですけどね。


 大手のプライドなのかな?


 バックパッカーとして、歩き回って仕入れた情報の中で、いろんな意味で、良い勉強になりました。






 プチパニ添乗員と話した後は、アグアス・カリエンテスに居るであろう日本人を探しに、

 村を歩き、数名の日本人に遭遇して、集合する場所時間を伝え、

 今夜の宿ペルーレイルの列車へ、寝床確保&荷物を置きに行きます。
   
               ワイヤーロックなんて使うことないと思ってたけど、
               この旅初使用で、役に立ちました。 


 ふと時計を見ればそろそろお昼時。



 
 あぁぁ、腹減った。ご飯でも、食べに行きますか。




                 記事、写真が一切無くてすみません(汗)。

  

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め3日目 朝

2010年06月03日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 2010年1月27日 アグアス・カリエンテス 



 『おはようございます。』
 


 朝起きた時に、隣に人がいるのっていいもんだなぁ~なんっつって~(イモト風笑)。
                    


 まさ君、たか君のおかげで、宿に泊まりベッドで寝れたので、体調を崩すことなく

 足止め3日目の朝を迎えます。



 ただ、今夜は私は当たり前に、まさ君、たか君含め、3人とも宿無し状態

                まぁ、何とかなるでしょう。。。



 広場に行ってみると、朝食(パン)の配給が。

 

 もちろん、頂きます。


 

 チョイチョイ、新しい情報が放送されます。

 私は、放送内容さっぱりわからないけど、まさ君たか君が居るので、心強い!

 




 集まっている人の中に、日本人バックパッカー(?)女性がっ!!!


 お名前は『ミンヤ』さん。

 
 ドイツと日本のハーフさんで、個人旅行でここペルーに。 

               国籍は、ドイツなんだってぇ~。 

 
 ミンヤは、ドイツ語はもちろん、英語、日本語、スペイン語と4ヶ国語が堪能。

                     すごいよっすごい!!!
                  さらに、性格もとっても良い人!


 情報は、英語が堪能な、たか君やミンヤ、まさ君が教えてくれるので、

 昨日の寂しさや不安は、本日はまったくございません。


 とにかく、新しい情報によると、今日もヘリは飛ぶけれど、年齢順ということ。

 そして、自分の番が来た時はどうすればいいのか、どこに集まればいいのか詳細は不明




 村の中では、あちこちで氾濫した川の修復作業や、塞き止めるための作業が行われ、

 現地の作業員と共に、足止め中の人たちも、お手伝いし始めてます。

 



 なんで、奴らは裸になりたがるんだろう?。。。
 



 おいおい、一番危険な場所に女の人が。。。
 

         橋の上、体重が軽いからだとは思うけど、危険じゃないかい???

 



 お手伝いもしないのに、口出しだけはしちゃう私です。
                (もちろん、心の中で。笑)






 さて、今現在のヘリ搭乗以外での状況は、2日ほど前にまさ君は大使館に電話をしたけど、

 長い時間待たされた挙げ句、

 『担当の者がいない。』と言われ、大使に連絡がつかなかったこと。

                
             電話代がバカになんないから、しょっちゅうかけられません。
             緊急時には、きちんと対応できる人常駐しといて大使館!
 

 それならば大使館から直接連絡があると昨日自ら言った、

 プチパニ添乗員に会いに行くことに。 

  
 
 現時点で、大使館と連絡が取れいていたのが確認できたのは、このプチパニ添乗員だけだったから、

 日本大使館からの情報をもらいに、プチパニ添乗員の元へ行くことは至極当然の事だと思ってます。


 他の日本人ツアーの団体は、年配の方が多いツアーです。


 年齢チェックを受け、朝早くから、ヘリ搭乗の順番待ちで私たちと会うことなく、

 ヘリポート近くで、待機しているらしいです。
 

 他にも、日本人旅行者(個人、団体含め)はいるはずなんだけど、この日午前中はまだ会えてない。

  
 情報を共有するのに、『ツアー客以外は教えられない。知らない。』とか

 言っとられんでしょ???
                   たぶん。。。きっと。


 とりあえず、私たち3人はプチパニ添乗員と話をする為に、

 ツアー客が泊まっている宿へ向かいます。



                         
 




【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め2日目の午後

2010年05月31日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 おことわり : 足止め2日目、ほとんど写真を撮っておりません。文字ばかりの記事ですが、ご了承ください。 

 では、つづきをどうぞ。



* * * * * * * * * * * *



 支給されたご飯をおいしく頂きます。



 『ごちそうさまです。』
          (ちょっと足りない気がするけど、贅沢いっとられんね。)


 食事を頂いた後、することがないので、前日情報をくれたツアーの添乗員さんがいる宿へ向かう。


 いない。。。。

 優しい添乗員さんがいない。。。
                客もいない。。。


 仕方ないので、自分とこのツアー客(8名)で、いっぱいいっぱいの軽くパニック起こしてる添乗員さんがいる宿へ。

 お会いできるかわからないし、情報あるか?くれるか?わからないけど

 とにかく、何でもいいから情報収集。



 おっ! 宿の前に居ました、大手ツアーの添乗員。
            (相変わらずいっぱい、いっぱいに見える。笑)



 不安で(?)いっぱい、いっぱいになりながらも、情報をくださいました、大手の添乗員さん。
            まぁ、私も『あからさま』にパニックですけど(笑)



 情報はというと。。。


 その1

 日本の会社に連絡して、ツアー客だけでクスコまでヘリのチャーター機を飛ばせるか検討中

          これは、バックパッカーの私には関係ないのでスルー。




 その2
 
 ヘリコプターのチャーター機が無理だと、
 年齢順で搭乗してるから、ツアー客含め若い人は当分先になる。

          その、【当分】ってのがいつになるやら見通しつかないらしい。


 

 そして、この日、プチパニ添乗員(ぷちパニックを略しま~す)が言った中で


 一番の重要情報が、これ 

 ↓


 『私はペルーの大使館と連絡取れて、何か動きがあれば、私に大使館から連絡がある。』と。



 な、な、なんですと???

 聞けば、大使館と電話が繋がったと。


 そして、大使館から日本大使館員がアグアス・カリエンテス(被災地)に来る時は、

 プチパニ添乗員の携帯に連絡があると。 
 

 私は大使館への電話繋がらなかったけど、添乗員から話を聞いたこの時は

 『あぁ、日本大使館も動いてくれてるんだ。良かったぁ~。』って。


 
 安堵しましたが、まぁ~この後、このプチパニ添乗員の話が発端で、南米の旅最大の

 ショッキング~!な出来事が、私を襲います。



 情報をくれたプチパニ添乗員に御礼を言い、再び広場ですることもなく、まったり~。


 日陰で休みます。

  

 外人さんたちも、みんなのんびり~。


 

 時間が、ゆ~るく過ぎて行き、ヒューマンウォッチングをしてたら。。。


 目の前を、見覚えのある人が通り過ぎて。。。。って?



 あっ!




 あぁぁぁぁ!!!




 『まさ君!!!!』


 世界一周中の関大生まさ君と、初顔合わせの日本人がもう一人っ!
まさ君との出会い



 まじで叫びだしそうなほど、嬉しいんですけど~~~!!!


 日本人ツアー客以外会えなかったから、今夜の宿の事とかチョイチョイブルーになり始めて、

 日本人バックパッカーに会えて嬉しい!!



 まさ君と一緒に居たのは、これまた超かっこいいイケメンのたか君
              たか君は、アメリカ留学しており、英語バッチリ。
 
 
 二人に、いろいろ情報をもらい、

 『じゃまた。』


 っと、さらぁ~っとお別れ(涙)。




 さらに、この数時間後の夕方近く、日本人男子4人組発見!

 
 この4人組、アジア担当・まとめ役(有志の人)に、村にいる日本人全員の名簿作成頼まれてます。

 ただでさえ、情報がないのに、日本人がどこにいるのかなんて探すって、大変だよ。。。
      

       
   現時点で、情報が錯綜中のペルー
        ボランティア本部も、PCが壊れたり、データがあっちやコッチで錯綜中。





 とりあえず、先ほど『じゃまた。』と別れた、まさ君達を探し、再び夕方広場に集合。



 
 まさ君、たか君と宿の話になり、私の今夜の宿は、


 『ん? そこに見えてる建物(民間の対策本部)の中。』って話すと、

         
             ↓  向かって右側奥。 
 


 

  天使の声が。。。。














 『俺らんとこで良かったら、来ますか? 女の人一人じゃあぶないっすよ。』















 


 まじかっ! マジにいってんのんかっ! 




 『部屋狭いし、ベッド一つしかないから、嫌かもしれんけど、

  俺らは全然気にしないんでいいっですよ。』






 社交辞令で、はじめは遠慮してみましたが、2度確認して素直にお言葉に甘えます。



 もう、2人の優しさにびっくり!!!!


 そして久々に女性として見てもらってるんで、完全にお姉さん恋に落ちましたわぁ~。




 こんな機転がきいて、男気ある男子、町内にはいなぁ~い!!!!

                 心の中で叫びます。
 
                 南米の中心で【変】を叫びます。
                        ↓
             『なんで、町内男子は優しくないんじゃぁ~?!』
            仕方ありません、私か弱い女にもかわいい女にも見えないんですから(号泣)。
 



  
 

 ほんとに、ありがとう!!!超ナイスガイのまさ君&たか君
 
 
 のりこ、年齢があと○才若かったら、間違いなく二人に本気で恋してたわぁ~。

 さすがに、一回り以上はねぇ。。。(笑)
          何のとりえもない私なんか、ポイッ! されちゃうでしょ。
              そんなのつらいじゃない、わかってても。。。グスン




 ってなわけで、

 二人の機転に甘え、宿へ。


 オーナー不在を確認してこそっと入り、部屋到着。

 目に飛び込んできたのは、




 




 ベッド小さっ!!!!




 二人が寝ていたベッドを、私が半分借りて、たか君が床に寝ることに。
 
                   たか君、腰痛かったやろ~。
                   朝、寒かったやろ~。ごめんね。
                       でも、ありがとう。         
 
 そして、ベッドの半分にはまさ君が。




 疲れてるんだけど、若い男子と一緒っていう興奮状態でもあり、


 シャワー浴びる元気もないけど、ベッドの上では心臓バクバク。


 

 ま、ま、まさ君、そないに端に行かんでも。。。(汗)
 

              


 じゃ、電気消します。


          バクバク!



 オヤスミナサイ。

 




 1分後 バクバク!











 2分後  バクバク! 













 3分後  ドキドキ!

















 4分後 トキトキ。。。          
















 5分後 Zzzzzzzzz爆睡


       どんなに乙女心をときめかせても、年と疲れには勝てません(笑)。











 ほんとにほんとに、心よりまさ君たか君ありがとう。







  マチュピチュ災害 足止め2日目  アグアス・カリエンテス

                          無事就寝

 

 

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテス 足止め2日目

2010年05月24日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 昨日(1月25日)、そういえば、忘れちゃいけない大事なことがあったのを、

 すっかり忘れてましたっ!

 それは、夕方になって初めて大使館へ電話したこと

 
 電話したからといって、一個人のバックパッカー相手に何とかしてくれるとは思ってないけど、

 なんとなく、連絡したほうがいいように思えて電話した。

 【地球の歩き方】に載ってる緊急連絡先に、実際電話することになろうとは。。。

 
 ドキドキしながら電話した結果、





 結局、繋がらなかったんですけど~。

 緊急の、番号案内が流れて、そっちへも電話したけど、さっぱりつながりませんでした(汗)。



 さて、日付変わって 2010年1月26日 

 
 宿の騒音とドアをノックする音で目が覚め、


 『 チェックアウト 9時だから、早く出てよね。』

 と、宿のお姉ちゃんに言われ、時計を見ると8時30分!


 もう、ホントに嫌ッ!

 宿に泊まれなくってもいいぐらいに、今日は野宿してもかまわない!と思えるぐらいに、

 なんだか、朝からブルー、になってきました。



 
 大きなバックパックを担いで、トボトボと当てもなく村を彷徨う。


 前日に、一緒に写真を撮ったタイちゃん夫妻に再会し、

 タイちゃん、ひとりで行動している私を、それはそれはたいそう心配してくれて、


 『何かできることあったら、いつでも宿に来てなぁ~。』と。 


 今のところ(今日のところ)、まだなんとか大丈夫な私です。


 タイちゃん夫妻とぶらぶらと行動を共にして、気がつけば駅。

 駅のフェンスに張り紙。

 

 内容なんて、わかるはずもなく、

 

 とりあえず、見るだけ見る。


 
 駅の入口には、またまたオシロカップルに遭遇。 
             
 オシロと、現状をお互いつたない英語(笑)で話し合って、なぜかメアド交換。

 

 今日も、『ペルーレイルの運行再開』の様子はまったくなく、


 オシロに別れを告げ、


 再びタイちゃんと、話をしているうちに、偶然にも同じAU加入者と判明!

 タイちゃんバッテリーが切れて、職場に連絡できず困っているとの事なので、

 一石二鳥で、タイちゃん夫妻の泊まっている宿にお邪魔することに。

          バックパックを担いでウロチョロするのも疲れた。


 宿で充電中、まぁ~~~たりと部屋で過ごします。


 約1時間後、充電完了。


 いつまでも、新婚さんのお部屋に長居をするわけにもいかないので(汗)、 


 他の日本人を探すことと、情報を得るため、タイちゃんと別れ広場へ向かいます。     

 広場では、仮設の救護施設があったり、今現在足止めされている人を把握するための、

 受付窓口が設置され、

 

 建物の1階の窓口で、私も『氏名 年齢 パスポート番号』を記入します。

     この日、記入用紙を数枚書かされたんだけど、結局役に立たないままだった気がする。。。


 建物の中に入ると、無造作にバックパックが置いてあって、どうやら宿に宿泊しない人は、

 ここで寝泊りしているみたい。



 
 バックパックを担いだまま、本日の寝床を探し彷徨う私。。。


 警備にあたっている、ペルー軍?、ペルー警察?の人が、私を見て、

 『只今、こちらのお部屋が住民もおらず、
 オススメのお部屋ですけど、いかがデスカ?』

  

 的な、ジャスチャーで案内してくれました(笑)。


 ここ、写真では伝わらないけど、空気がとっても悪い!!!

 オマケに、窓ガラスがない箇所がある。


 泊まったら、絶対体調悪くなる!て、瞬時に思った。

 同じ建物内部でも、他の部屋はまだ全然まし。

 ここは、さすがに誰も寝泊りしたくないって、そりゃ思うよ。。。って感じの場所です。


 こんな、超ブルーな場所を見ても、まだ宿探す気になれず

 どんどんブルーになりながら、ペルーに来てついに覚悟しました。

 
 最悪、今夜はここで寝ることになるかも。。。と。




 どうとでもなれっ! というか、どうすればいいのかわけ分からん! となり

 不安満載の心情のなか、この時雑魚寝を覚悟した自分が、

 この旅で初めて強くなった気がしました。

             いや、ほんとこの部屋環境悪いから!!!                  





 荷物の置き引き、引ったくりに、厳重注意!

 なのが、海外旅行の鉄則ですが、もうね疲れちゃった私。


  
 盗られたら、盗られた時じゃ!


 と思って、この部屋に、バックパック置きっぱなしにし、広場へくりだします。

         私だけじゃなく、泊まってる人みんな荷物置きっぱなしにしてましたから、
                  きっと大丈夫!
   
 






 



 偶然にも広場近くで、食事の配給が行われてました。

 超ラッキ~♪
 

 もちろん、私も並びま~す!


 
         
      どんな食事かは、下記:貼り付け動画参照。


 気持ちはブルーになっても、この日は天気が良いのが救いです。

 青空の下で、のんびりしてると、ほんのつかの間だけど不安も忘れますもんね~。 
    


 配給されたお食事、頂きます。

 
 マチュピチュ災害2日目
 



 


 
 

 

【マチュピチュ】アグアス・カリエンテスで避難民

2010年05月19日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)

 2010年1月25日 午後

 陸の孤島と化したアグアス・カリエンテス


 宿に引きこもるわけにもいかず、天気もいいので外へ出て村を散策。

 
       賢そうな、ワンちゃん。
  



 せっかくなので、ここアグアス・カリエンテスの名前の由来となった、

 温泉へ。


 アグアス・カリエンテス とは スペイン語で『温泉』とか『熱い湯』 と言う意味。



 村のメインストリートを上へ歩いていくと、温泉の受付窓口(?)があり、
 
            写真の奥は、村のメインストリート。

 10ソル払います(2010年1月現在)。


 地元の子供たち、お姉さんに『入っちゃダメよ~』と言われながらも、遊びに夢中。
  


 
 受付から、川沿いをさらに歩く

 

 
 橋の真ん中で、来た道を振り返る。

 
 
 山に囲まれて暮らしている私にとって、山は見慣れているのに、

 アンデスの山々は、日本の山とは、また違う神々しさがある。




 アグアス・カリエンテス 温泉到着。

 


 お金払ってここまで来てるけど、この写真が撮りたかっただけなので、

 入浴シーンはございません(汗)。

 
 ガイドブックによると、ぬるいらしいです。あと、微妙に濁ってます。。。(笑)

 う~ん、お風呂が恋しいけど、見る限り、入りたい気分にならない色加減。




 温泉をあとに、再び村へ、


 マチュピチュへのバスも、この日は動くこともなく静か。

 

  
 駅の構内は、今のところ出入り自由。

 

 
 ペルーレイルも静か。

 

 

 天気が良いこの日は、夕方に再び雨が降り、



 雨宿りついでに、お腹すいたので近くの食堂に入り、

 ピスコサワー飲んで(やけざけ?)、

 
          う、泡多い。。。卵白抜いてもらえばよかった(汗)。

 
 ペルー料理のロモ・サルタード
 牛肉を細切りにして、タマネギ、ピーマン、ポテトと炒めたペルー伝統料理。  

 ガッツリ食べます。
 
 

 
 帰り道、雨は、降ったり止んだり。

 
 混雑しているネットカフェ。


 夜の帳が下りると、人って心細くなるんですね。

 この時、私の寂しい気持ちは、MAX

 その時更新したブログ


 ブログにコメント残してくれたアミーゴ、本当にありがとう!

 au使用のアミーゴ、Cメール送ってくれて、本当にありがとうございます!

 
     au!
 
 AU HAPPY!



  たかが携帯。されど携帯!

  前園選手のCM思い出した『 ♪ 声の お守りくださ~い♪』ってね。
                          (BEGIN曲)  


 宿に戻ると、雨のせいで気温も低くなって、厚着して入った布団の中で

 みんなに電話をかけなかったけど、今手の中にある携帯は、

 地球の裏側にいても、繋がってることを教えてくれるお守りだって、

 久々に実感したよ。


 寒くて、ちょっと寝付けないんで、クスケーニャ(クスコ原産のビール)2本目飲んで、

 アグアス・カリエンテス3泊目、無事消灯。
                   オヤスミナサイ。  






 

 


 
  

  
  
 

  
 
           

【マチュピチュ】運命の2010年1月25日

2010年05月13日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 日付は、2010年1月25日 朝8時

 
 アグアス・カリエンテス駅 8時53分発 の列車に乗るため駅へ。

 

 訳がわからないけれど、駅に入れない。。。


 とりあえず、待ちます。


 これが、南米特有の、ゆる~い南米時間なのかな???

 と、この時はのんきにかまえる私。



 
 かなり時間が過ぎた頃、チケットを持っている乗客優先で、

 フェンス入口でチェックを受け、 駅に入ります。


 


 駅に着いても、ペルーレイルが運行している様子がまったくなく、

 
 さすがの私も、状況がおかしいと気がつく。


 
 数回、駅構内でペルーレイルからの放送があり、状況を少しだけ(100分の3程度)把握し


 国ごと(?)に集まるように、指示が出ましたので、


 日本人を探します。

 見当たらない。。。


 一人、駅構内で右往左往してたら、


 韓国人ツアーの団体がおられて、ガイドさんが、

 
         やさしいガイドさんの帽子に、終始目が釘付けな私(笑)。

 

 『あなたは日本人??? 日本人は一緒にアジアで集まるから、僕達と一緒に行動しましょう。』と。


 お言葉(英語)に甘え、一緒に行動させていただき、アジア地域が待機した場所が、


 な、な、なんと


 ペルーレイルの一等車 『ビスタ・ドーム車両』
 
 

 私の密かな憧れだった『ビスタ・ドーム』。

 あまりにも、お値段がお高いので、貧乏旅の私には手の届かない車両でしたが、

 まさか、ビスタ・ドームに乗れることになるなんて思ってもみなかったぁ~!!!

             
 未だに、自分が置かれている詳細がわからないけれど、

 なんか、得した気分で、嬉しくなってま~す。


 
 ペルーレイルからの指示で、今度は村の中にあるサッカー場へ移動。

 


 人ごみの中、待っている間に日本人ツアー客の団体様と合流。

 

 重いバックパックを背負って、上り坂を歩き、ようやく『サッカー場』に到着です。

 
            おいおい、すごい人だよ(汗)。


 
 ツアー客の人と仲良くなって、心細かった思いが和らぎます。

 
     仲良くなったツアー客の名前は『タイちゃん』、新婚旅行でマチュピチュに来たんだってぇ~。
     この後、ちょいちょいタイちゃんの存在に助けられます。

              それにしても、新婚旅行うらやましいぞぉ~!
         
              旦那は6歳も年下だとぉ~!(恋の駆け引き伝授してっ!)
                               オネガイシマス!!! 




 スペイン語で、現地の人が説明してるので、

 言葉もわからないまま、とりあえず、状況説明に聞き耳を立てます。


         完全に何を言ってるかわかりません!が、一通り最後まで聞く。            


 そしてこの後に、当時現地更新したブログに書いたことが起こります。

          ツアー添乗員に、情報を聞いたら突き放されたってことですけどね。



 とにかく、この日はヘリコプターに乗れない(移動手段がない)ようなので、

 村に戻って宿探し。

 


 早々と良い宿が見つかり、部屋を見せてもらい荷物を置いて、

 受付で書類にサインして、前払い制なので、払おうとした時に、

 現地通貨ソル じゃなく ドルって言われて、

 『ブチッ!』と切れる私(だから何度も確認したのに~。)


 『やってらんないわっ! こんなとこ泊まるもんかっ!』

 的な言葉を発し、書類を目の前でビリビリと破り、荷物を部屋に取りに行って、

 宿探し再び。
             
     この時、なんとなく村全体の宿代が高くなってることに気がついて、
     余計に腹が立って、キレてます。

           普段は、短気じゃないんですよ~誤解ですよ~!



 やっと見つけた宿はさっきの宿より安いけど、大ハズレ! 

 
 
        
 
 スタッフが見てるテレビの音はうるさいし、なんか臭いし。
              
 『雨露しのげて、横になって寝れるだけラッキー。』と思い込むようにして、



 だんだんと、一人旅の辛さにブルー入ってきた。。。(涙)

 個人旅行しているバックパッカーに、ぜんぜん遇わないから、余計に心細いです。



 荷物を置いて、再び村を散策してたら、

 


 いたる所に、張り紙。

 

              こりゃ、当分ヘリに乗る順番なさそうです。



 別の日本人ツアー団体に遇い、先ほどの『あなたに教える情報がない』と、

 テンパってる、大手○○○旅行会社の添乗員さんとはまったく違った、

 やさしくて、経験豊富な添乗員さんに情報を頂き、何とか状況を把握。


 

 当日の映像をまとめましたので、ごらんあれぇ~。

 マチュピチュ災害



         陸の孤島と化した アグアス・カリエンテス での避難民生活の

                       はじまり、はじまり。。。










 注意 * この旅で経験した、私にとっての衝撃がこの数日後に起こります。 
           
     公開日記(ブログ)というものの中で、見た人、読んだ人がなるべく不快な思いをしないよう、

     配慮しているつもりですが、だからといって、当たり障りのないブログになって
   
     しまうことも、私としては避けたいと思いながら綴っています(矛盾してごめんなさい)。


     数日後に起こることに関して、客観的に記事を書こうとしても、

     あまりにも強烈に衝撃を受けたため、帰国後数か月経ても客観視ができない状態です。

     
     ただ、あくまで私自身が衝撃を受けたわけでございまして、皆様の受け取り方は、

     個々それぞれだと思っております。


     それぞれが、正論を持っているからこそ起きた事ではありますが、

     私は、その時の事を『自分を正当化した内容』でしか綴れないと思うので、

     ご了承ください。






     さてさて、どんなことなのか、すごい興味が湧いたところで、次回へ続く。





     

  
 

【マチュピチュ】遺跡観光無事終了

2010年05月12日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)


 マチュピチュ、最初で最後(?)の観光は、

 早朝起床し、あいにくの雨模様でテンションも右肩下がりだったけれど、

 なんだかんだと、遺跡観光後半のひと時には天候もよくなり、充分楽しんだ!!!
           
           そりゃ、8時間も滞在してたら、
           さすがに雨季といえども天候よくなるってもんです!(笑)




 元来た道を戻り、マチュピチュ遺跡受付を通り、

 



 満足感に浸りながら、バス乗り場で帰りのバスを待ち、

 ふっと目に止まった、日本語に故郷を思い、
               えっらい、おセンチメンタル~になっております。

  
                    マチュピチュ遺跡前の広場に、
                    これがあるので、行く人は探してみてね~!


 バスに乗り、ハイラム・ビンガムロードを徒歩で下る人を車窓から眺め、

 
               観光後に、村まで歩いて帰るなんてほんま元気な人じゃなぁ~。



 轟音をとどろかすウルバンバ川に、一抹の不安を覚え、

 


 アグアス・カリエンテス到着。





 時計の針は、午後3時過ぎを示し、 


 疲れてはいたけれど、就寝するにはあまりにも早い時間なので、村を散策。

 

 えぇ~と、ここは『アルマス広場 Plaza de Armas』

 


 中央に居られる勇ましい方(像)は、インカ帝国第9代皇帝パチャクティでして、

 パチャクティ皇帝時代に、マチュピチュは建設されたらしいです。

 今、手にしている本によりますと、第1代~8代の皇帝はどうだか知りませんが、

 この9代皇帝のパチャクティさんが、

 最初の実在したインカ皇帝との事です。


 って事は、実在が確認できてないけれど、パチャクティさんの前には、

 8人の皇帝がいらしたってことですね。

                   う~ん。。。
                   歴史に疎い身ですから、
                   『そうかぁ~』ぐらいしか言葉が出てこない(汗)。
 

 



 
 『歴史の謎ロマンを前に、気の効いた言葉が見つかればいいのだけれど、思い浮かばず、

  ちょっぴり残念な感じなっちゃって、犬だか、猫だかわからないあんたも、

  私に見つめられて、そりゃ微妙な顔になってしまうわなぁ~。』


 




 離れて見ると、ちゃんとしてるように見えるのに、

 アップで撮るとなんでそんな顔に。。。?

           いやぁ~、謎ロマンだねぇ~(笑)。


 



 広場散策のその後は、ネットカフェでブログ更新。

 マチュピチュ観光後、現地更新記事





 宿に戻って、次の日に起こる貴重な経験の事などまったく思いもせず

 のんきに、ビールとつまみのとうもろこしを食べながら、日記をつけ就寝。

  
 



 


 アグアス・カリエンテス滞在2日目の夜

 2010年1月24日  ペルー 時刻:午後9時(21時) 



 『24』もびっくり! マチュピチュ避難民になるまで あと 11時間!!!




          明日は、『クスコ観光だぁ~!』って思っていたのに、

                 まさかあんな事になるなんて。。。




            ピッ ピッ ピッ♪


                ピッ ピッ ピッ♪ 

              
                    ピッ ピッ ピッ♪ 

 

 


 

【マチュピチュ】再びマチュピチュ! 第2弾

2010年05月05日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
ワイナピチュから下山して、マチュピチュ遺跡内での滞在時間は

 な、な、なんと 3時間!
              早朝出発して、ワイナピチュ入山含め、8時間もいた事に!
               


 小雨が降る中見学したのは、『コンドルの神殿』

 

 東向きのコンドルの頭に当たる石は、生贄のリャマを捧げた儀式が行われたそうです。
                  生贄と聞くと、やはり怖い。
                   


 どこに向かうわけでもなく、のんびり歩き、

 
 


 ワイナピチュでは止んでいた雨も、マチュピチュ遺跡につくと、再び降り始め、

 相変わらず降ったり、止んだりの天気だったけど、

 



 長い滞在時間の中、気がつけば、雨止んでました。
                  ワァ~イ!

 



  
 
 ガイドも無く時間制限も無いので、一人ぶらぶらマチュピチュを散策していると、

 どこからともなく、



 『ノリコォ~!!!』

 と。



 マチュピチュまで来て、空耳ですか???



 まさか、日本から私を追いかけてきた、まだ見ぬ婿殿ですか???







 マチュピチュで、運命の出会いなんかしちゃう感じぃ~?!





 んなわけ無いので(爆)、聞き流し、再び歩こうとしたら、再び。
 





 『ノリコォォォォ~!』
 


 
 ん??? 空耳じゃないっ!。確かに聞こえる。


 誰だっ!誰なんだっ!  


 視線を、声の方へ向けると。


 ペルーレイルで、向かいの席に座っていたオシロさんカップル。

 

                   なんだぁ~、オシロかぁ~。
                      なんだとは、失礼極まりない(笑)。


 ちょっと、ガッカリしつつも、オシロに呼ばれてました私。

 

 『オシロさん、足元すごいけど、どうしたの???』
 
 と聞きましたところ、

 アグアス・カリエンテスから歩いて、マチュピチュに来たんですって。
                       あの雨の中? 大変そう!




 『ガイドブックには、2時間で登れるってあったけど、ここに来るまで

 僕たち4時間かかったよぉ~。 ガイドブックは当てにならないね。』

 的な、事をおっしゃってました。
                スペイン語も英語も微妙な私ですから、
                ニュアンスで訳してます。



 オシロさんカップル、ハイラム・ビンガムロードを4時間かけて歩いてきたわけですねっ。

 
                    スゴイッ!

 
 素敵な再会をマチュピチュでして、天気も良くなったので、俄然楽しくなってまいりました。

 
 



 市街地入口といわれる場所で、記念写真撮っちゃいます。

 

          白と黄色の素敵なウェアは、友から奪い取った非売品のウェアでございます。
                     ジュンちゃん、ありがとうねぇ~(笑)。
 


 午前中に登ったワイナピチュも、霧が晴れて、遺跡からも登山者が見えます。

 
                  写真中央辺りが、私が居た場所です。
                      改めてみると、高い所だっ。




 ここは『石切り場』と呼ばれ、もともとマチュピチュは、
 こんな岩がゴロゴロした場所だったらしいです。
 
 



 

 写真中央の広場が、主神殿で、上がった場所にはインティワタナ(日時計)が置かれてます。

 

 

 それにしても、左側の急勾配に作られた箇所は、当時建設したマチュピチュの民は


 
 『空飛べたんじゃない???』

 と本気で思ってしまうほどの、場所でした。

             

 

 岩場に座り、遺跡を見下ろし、後姿での撮影を近くにいた方にお願いし、

 
               遠目に、ゆる~くわが町のPR
                      今月の広報の表紙ダメかな。。。(笑)



 
 高い場所にいると、遺跡の中のたくさんの人たちが見えて面白いです。



 マチュピチュ在住のリャマと共に、しばし、人間観察

 


  

 
 すると、マチュピチュで何度も見かけた、韓国からお越しの若いカップルさんが

 


 再び眼下に見えました。



 

 韓国の男性って、ほんと、優しい人多いですよねぇ~。
                  がたいも良いし、顔もカッコイイ!

 



 そして、女の子はちょっとわがままなぐらいが、かわいいように思えるんだから、

 羨ましい!!!
                 もちろん、韓国女子は美肌と美しさにかけて、
                    かなり努力してるのでしょうけど。 


 彼氏が写真撮ってる間、彼女一緒に待ってあげればいいのに。。。
 

 なんて思う私は、モテナイ身分だから、そう思うのでしょうか。。。

           チッ! 男に合わせて媚びたとしても、ちっとも彼氏ができないんだから、 
                 私は私で、わがままに勝手に生きてやるっ!
                        アラサー女子をなめんなよぉ~!
                        なぜか勝手に、一人で逆切れ???


 


  写真を撮り終えた彼氏は、

  




  階段を駆け下り、彼女の元へ。

  





 あぁぁぁ、なんかいいですねぇ~、こういうの。





 つい、空想しちゃいます。。。。



 未来の婿殿と、私。

 二人で見る、マチュピチュ遺跡。




 婿殿:『ノリコ! マチュピチュ タノシイネ♪』

                婿殿、外国人かもしれないから、カタカナ表記にしてみた(笑)。





 婿殿:『サァ、 階段ノボルヨ。』

 
 



 
 
 婿殿:『マダマダ続クヨ。 今度ハ、アッチニ行ッテミヨウヨ、ノリコォ~!』


  

                      
                     私: 帰りたい。。。


 
 婿殿:『ン? ノリコ 何カイッタ?』



 私:『帰りたい。』

        

 婿殿:『ワァット~!!! ナゼデスカ~!!!』




 私:『マチュピチュなんて、2度も3度も来るとこちが~うっ!!! 1度来たら、充分じゃっ!』




 空想のお時間、終了。



 



 はい、そういうわけでして、『最初で最後のマチュピチュ観光』 を再開します。


 


 
 また、オシロに会っちゃった。

 

 
 マチュピチュを見下ろす、空想好きの、アラサー女子。

 
            逆切れスイッチにご用心!
                 熱しやすく、冷めやすい性格が玉に瑕。。。 


 

 遺跡に日が差し、幻想的な写真が撮影できたので、マチュピチュ観光を終わり、

 


 帰り道、出口へと向かいます。

 






 ちなみに。。。


 現在マチュピチュに暮らしているリャマは、 

 



 本来マチュピチュにいたわけでなく、

 チリの会社が、CM撮影用に連れてきたものが増えたそうです。

 


 連れて帰らなかったんだ。。。置き去りに。。。

 食べ物に困ってないから良いのかも知れないけど、

 なんだかちょっとだけ微妙な気持ちになりました。 
 


 以上、ちっともマチュピチュの凄さをアピールできてない、第2弾の旅記事でした(汗)。





【マチュピチュ】そうここはマチュピチュ! 第1弾

2010年04月25日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 
 むか~し、むかし、NHKで放送された『太陽の子エステバン』                 
 同年代で覚えてる人あんまりいないのが寂しいけれど、皆さんはご存知ですか???
 
                

 さて、旅行記はついに『マチュピチュ』でございます。




 『さぁ、ご覧。あれに見えるは【マチュピチュ】遺跡だよ。』
 
 

 『マチュピチュってなぁに~???』とのハイジの問い(?)を受け止め、

 
 ご説明いたします。

                
 

 海抜約2400mに、突如現れた『なぞの空中都市』、インカの『失われた都市』マチュピチュ

 

               『失われた都市』って響きがロマンを感じる~。



 いまや、ペルーの観光資源になっている、マチュピチュの建設は1450年ごろ。

 




 王の離宮、または宗教的な意味合いを持って建設されましたが、

 




 1540年ごろには、人々はマチュピチュを捨て忽然とどこかへと消えてしまいます。

 



 スペインの侵略後、『インカ最後の都市といわれるビルカバンバ』を、
 多くの人が血眼になって探しますが、マチュピチュは発見されず、

 



 1911年 映画『インディー・ジョーンズ』のモデルとなった考古学者の、ハイラム・ビンガム
 が、農家の子供パブロ君 に案内されて辿り着いたとされ、


 パブロ君が、最初に案内したのはマチュピチュの太陽の神殿だったといわれております。

 

 
 こうして、マチュピチュは400年もの長き眠りから覚め、今もなお謎多き世界遺産として、
 世界中の旅人達を魅了。

 

 ちなみに、ビンガムはその後1915年までマチュピチュを調査し、
 人骨、銅製品、銀製品、織物、土器など計4万8000点を発掘し、アメリカにお持ち帰り。

 ビンガムさんは1956年に81歳でお亡くなりになってますが、マチュピチュの遺産の多くは、

 今もアメリカのエール大学に保管されてまして、
 ペルー政府は返還を求めているそうですっ!

 
 調査のために調べるんは大事なことだと思うけど、調べつくしたんなら

 元あった場所(国)に返してあげるんが、発掘された物達も安らげるんじゃないんかな~。

 
 

 『マチュピチュ在住の鳥さん。あなたも、そう思わない???』

 




 前に、『インカ帝国(文明)』は文字を持たなかった。 と説明していたのに、

 『なぜ、情報があるん???』と疑問に思った方に、再びご説明。
           (これ、私も同じように疑問に思った。)




 インカは高度な文明を持っていましたが、最後まで文字を持たず、『キープ』と呼ばれる、

 『結縄』で、情報を記録し、伝達したそうです。


 『えぇぇ! 結縄でぇぇ!』

 と正直かなりの驚きですが、縄の太さや色、結び目の数、結び目の形を駆使して、

 人口などの数、年齢、月日から物の種類を記録し、キープを解読する

 キープカマヨックっと呼ばれる人たちが居たそうです。





 キープに記録できない歴史とかは、さらに記憶する専門家がいて口伝したそうです。

                  

 あれだけ、高度な技術を持った帝国なのに、

『絵とか、文字とかで残したほうが(伝えたほうが)早くない???』と、

 誰一人思わなかったことが、不思議。。。
 
 口伝って方法は、人々の信頼関係が強く結ばれてなきゃできないことだと思う。

 なんか、ちょっとうらやましい文明です『インカ帝国』。





 のんびりマチュピチュ散策、まだまだ次回へ続きま~す。

 






 

 

【マチュピチュ】ワイナピチュ堪能

2010年04月19日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)


 2010年1月24日

 8時過ぎに登り始め、9時半到着 ワイナピチュ 

 


2010年 中南米 347



 ワイナピチュの頂上は、身の危険を感じたので断念(汗)。
         お暇な方は、ググッテ見てください【ワイナピチュ】検索。
         天気が良いならまだしも、天候悪い時に頂上なんて行けない。。。



 この写真の上のほうが頂上なんですけどね~。

 

 
 とにかく、こう見えて(どう見えて?)高所恐怖症の私は、こちらの岩場に座り、

  




 こんな感じで、

  



 眼下の霧が晴れるのを待ちます。

 



 待ちます。。。

 



 あぁ、あとちょっとでマチュピチュ見えるのに~。

 『えぇぇ~い!!! 霧とっとと晴れやがれぇ~!。』

 

 
 あっ! 見えた~!

 眼下のウルバンバ川がっ!

    
 


 いやいや、ウルバンバ川じゃなくてー、マチュピチュ が見たいんだってっ!

 

 朝から何にも食べてないので、バッグに忍ばせた保存食を食べながら、待つ。

 


 待つ。。。


 
 寒い。。。



 けど、もうちょっと待ってみる。。。










 もうちょっと、もうちょっとで、












 1時間30分! 待った挙げ句、


 うっすら、見えたマチュピチュ遺跡。

 


『もういいっ!(怒) お姿見せてくれないんなら、そっちに行ってやるっ!』 

 
 南米ペルーまで来て、イライラしてます私。

           30越した辺りから、なんだかイライラする~(笑)。



 さて、1時間半かけて登ったワイナピチュの岩場で、1時間半待って、再び1時間かけて下山。

 


 ワイナピチュの中腹で、マチュピチュにかかっていた霧が晴れ、ご対面。
                          おぉ~、これよこれっ!


 


 
 マチュピチュを、もっと間近に上から見れるもう一つの山ウチュイワイナピチュ

 



 ワイナピチュ以上に、悪路のあの山に見えるのは、

 

 まさかと思うけど、

 
 『うわぁ~、あんなとこ登ってるよぉっ!!!』

 

 すごすぎるっ!
 


 以上、ワイナピチュレポート終了。



 ウチュイワイナピチュには登ってないけれど、

 ワイナピチュ登山良い経験になりました。 

 

  
 

                     次回は、いよいよ マチュピチュ遺跡からでございます。