Buen viaje! よい旅を♪

訪問ありがとうございます。旅をしたのは遥か前…現在は泥臭く土まみれ油まみれになりながら、何かを作り生きてます

【移動】クスコ発~プーノ No.2

2010年09月30日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)

 2010年1月29日

 観光つきプーノ行きのバスは、アンデスの快晴の下、次なる観光地へ。

 


 標高は、大体3400m(この高度計、前後約200mほど誤差が。)
 
 
 正確でなくていいんです、大体分かれば。笑




 観光地になっているここは『RAQCHI』という場所。

  

 以上!!!


 うへっ???


 いやいや、だって私英語もスペイン語もわかりません!から。。。


 ガイドさんの説明している内容が、1割程度しか理解できない。


 1割程度って、



 『内容が、無いよう。(爆)』
 



 あまりにも幼稚すぎるギャグだけど、

 これ言いたいが為に記事書いてるのかと思われそう。。。 







 『内容が、無いよう。。。』 ふふふ ふふふ ふっふっふ  









 『シェーン カムバーック! 英語の授業カムバーック!!!』
 
 



 若干、壊れつつある私。





 アンデスの空はこんな私にも優しく、明るい光を与えてくれ、

 光は紫外線となって肌に降り注ぎ、ジリジリとお肌を温めてくれます。

 





 

 気を取り直しガイドによると、ここはインカ時代の遺跡であり、右手の壁は『寺院』跡。

  



 壁の土台は石で作られ、相変わらず目を見張る、精巧な積み重ね!
 
 

 

 この場所を守るように、小高い丘の上には城壁なる壁が今も残ってます。

 

 遠くに見える城壁は確認できないけれど、空の青さ、雲が近いことに驚く。

 旅人達を魅了する『アンデスの空』を、

 ここに来て初めて見た気がした。

 
 
 


 【移動】引き続き、続く。。。


親友と旅友と、時々職場。

2010年09月24日 | 日々徒然(あみぐるみや日常)
 元職場の飲み会がメインの京都行き。

 仕事を休んでのメインは、お世話になった方々との再会だけど、

 心は、久しぶりに会える京都在住の親友との再会と、メキシコで出会った旅友との再会で、

 超ウキウキ ウッキッキーッ♪

 親友との思い出は、専門学校での出会いからはじまり、年に数回しか連絡を取らなくなっても、

 会う時、電話で話す時は、あのころ若い頃と何一つ変わらない。

 
 再会して、親友チョイスのオサッレ~なお店へGO!

 

 酒蔵をリフォームした店内。

 

 これぞ、京都!の雰囲気満載。

 お店は、全国展開している『梅の花』

 おいしい、おいしい料理に舌鼓。

 

 
 時間を忘れてマッタリしながら、夜を過ごし、そのまま親友宅にお泊り。


 一夜明け、

 親友とのランチは、これまたオサレ~なお店。

 

 呉服問屋をリフォームした店内。

 

 
 京都って、日本人にとって、趣と歴史があって、懐かしいのに新しかったり、

 外国人が多くて、ワールドワイドなのに、京都のしたたかさってものがあったりして、

 この年になって、京都の『良さ』を実感した。




 親友とのランチのお次は、メキシコで出会った旅友との再会。
 

 
 ネットが普及して、旅先で出会った人たちとも、気軽に連絡を取れる時代になった今でも、

 異国で出会った人と、日本で再会できるなんて、やっぱり感動する!

 
 待ち合わせの場所で、ホントは再会をマサイ族のダンス(知らないけれど、どんなものかしら?笑)、

 を踊りだしたいほど、嬉しいわけで。

 旅を振り返り、人との出会いに感謝してしまう。

 旅友との再会は、あっという間(えぇぇぇ、マジにもう時間?!)って思ってしまうほど短くて、

 でも、会えたことが嬉しくて、次また会えることを願った。

 
 『もっと話したいけど、メインが元職場の集合やし、いかねばっ!』 


 


 『そうだ、滋賀にも行こう。』

 そうだ! ではなくて、コッチが本命集合地。

 思いつきなんかじゃなく、滋賀に行かねばならんのよぉ~。なのである。



 久々に会う、元職場のチーフ、先輩、同僚、後輩。

 会費以上に、どんどん出されてくる料理は、いつもの私ならがっついて、食べまくるけど、

 チーフの手前、お話を聞くのに夢中で、腹6文目。。。
 (ぶっちゃけチーフの焼酎を作るのに、おわれて食べれない。) 

 そして、言ってもいないうちから、どんどん運ばれてくるビール

 『ビールはやっぱり、冷たいのが一番やね~。』の私。

 視界に入れば、飲んでしまいますがなっ!(ホントは、焼酎に切りかえたいのに。。。)

 勇気を振り絞って、やっと焼酎にチェンジしてもらって、

 『おっしゃ、ここから飲みはそこそこに食べまくるぞぉ~。』

 っとその前に、おトイレ。

 って、お手洗いから戻ったら、テーブルのお片づけが始まり、2次会場所へ移動。

 『おぉぉ、そんな殺生なっ! まだ、料理食べてないよぉ~。』

 の、腹6文目でチーフの前では有無をいえず、1次会終了。

 
 滋賀から移動した、京都のスナック。

 いろんな意味での、カルチャーショックを受けながらも(笑)、大盛り上がりで

 4年に1回の飲み会終了。
 
 


 あっという間の2泊3日。

 
 職場の飲み会を提案した先輩。幹事をしてくれた後輩。

 本当にありがとう。

 4年後は、みんなどうなってるかわからないけれど、その先に集まれる場があるなら、

 きっと何年後になったって、みんなに会いたいと思います。


 





 そして、旅友。

 メキシコ『サンフェル』仲間の哲平君。

 今回、時間を作ってくれてありがとう。

 あっちゅう間過ぎて、取り留めのない、内容がない(?)話ばかりしゃべってごめんね~。

 でも、本当に再会は嬉しくて、ありがたかったです。

 10才も違うことに、私じつは落ち込んでたりします~(爆)。

 10歳も上なのに、なんとまぁ意味のない話ばかりしてしまって。。。

 10年後の哲平君は、いろんな意味で私のようにならないでね(笑)。

 これでもかとばかりに、『10』を連発するあたり、中年ですわね~ <((* ̄0 ̄*))> オーホッホッホ 。 


 必ず、また会おう!

 近いうちかもしれないし、数年後先になるかもしれないけれど、必ず!

 約5年後に帰国予定の、岳君が日本帰ってきたら、

 みんなで会いに行こう!!!
 (岳君が、私たちの事忘れてても、思い出させる為にも押しかけよう!プププッ(* ̄m ̄)ノ彡☆)
 

 




 そして、今このブログを見ている親友。

 言葉では語りつくせないほどの、日々を共に過ごしてきた専門学校時代。

 就職後もきつかったよねぇ~。

 出会ってからのこの10数年。

 お互いいろんな事があって、連絡もこまめに取らなくなったけれど、

 いつだって、あなたの存在は私の支えになってた。

 遠く離れてしまっても。。。


 なんていうのかな、う~ん。。。

 ごめんね筆不精で。 

 上手く綴れないけれど、本当にあなたに出会えてよかった。

 パッパラパ~のペーペーで、わけも分からずガムシャラに過ごしてた専門学校時代。

 高い金払って、調理師免許もらって、今じゃクラスメイトはどこでなにしてるのか、

 あなた以外、誰ひとりわからないけれど、今こうして親友と呼べる人に出会えたことが、

 学校を卒業した一番の宝だと思う。


 ん??? 大丈夫か? 読んでて今、鳥肌立ってないか?

 すっごい、くさいセリフで語ってるって思ってないかい??

 どん引きしちゃってんのちゃう?

 まぁ、それでも、私は時々ごくたま~にくさいセリフを平然と語る人でございます(笑)。

 親友さん、次回の旅先、心配してくれてありがとう。

 今はまだ、行き先をこのブログで発表したくないんだよ。


 不特定多数の人に見ていただいているブログ。

 かつて、出国1週間前に旅に出れないかも? な事態になってるから、

 発表した後に、キャンセルな可能性もあるし。

 

 次の旅先、お聞きになっている方は、私の事情により内緒にしていたいので、

 旅の行き先(国、場所)は、コメント欄に書かないでね。
 
  よろしくお願いいたしま~す。





 様々な偶然の中で出会えた人達に、心から感謝。

 『偶然も、運命も紙一重』 で、人それぞれ、受け手の考え方次第なら、

 私は、親友に、旅友に、職場の人たちに、そしてあなたに、出会えた事を『運命』と思う。

 嘘のない関係だから、信頼できる。

 涙して、心をさらけ出して、そうやって人は人を信じていくんだと思う。


 年上だろうが、年下だろうが世代を超えて、そう教わったのは、

 1年しか就職していなかった、職場だった。


 だから、タイトルは必然的に

 『親友と旅友と、メインは職場』

 にしなければいけないんだろうなぁ~。

             しないけど。。。笑ヾ(@^(●●)^@)ノ)ブフッ










 









  
 
 

 





 


 
 
  
 
 

  

 

昔を思ってしみじみと語っております。

2010年09月19日 | 日々徒然(あみぐるみや日常)
 元職場の、飲み会開催。

 召集がかかる。

 4年に1度の召集。

 まるでオリンピックですっ。(笑)

  


 専門学校を卒業して、たった1年しか就職してなかった若輩者の私を、

 15年経った今でも気にかけてくれている職場のチーフ、先輩。

 辞める時の【お別れパーティー】は、ブチャイクな私がさらにブチャイクになって号泣したのを覚えてる。

 職場を辞めてからも、辛い時、苦しい時、いつも励ましてもらった。

 実家に帰った年に、あまりにも現実が辛くて嘆いていた時、


 『本当にもうだめだっ!ってお前が思って、家を出るんやったら、

 いつでも頼ってこい! お前一人ぐらい俺が何とかしたるっ。』


 その言葉で、もう少しがんばってみよう!って思えた。



 店を辞めてから、入社した後輩(勝手に読んじゃってるけど)も、共に働いたことがないのに、

 私に敬語を使って、4年に1度会うときにはきちんと接してくれる。



 就職当時、男ばかりの職場で、紅一点。

 紅一点の私は、創業以来、諸先輩方がしたことのない、ありえない失敗を重ね記録更新。

 いつもチーフに怒られてた。

 3~4年働くつもりだった私が、家庭の事情で、たった1年で帰ることが決まってから、

 不甲斐ないペーペーの私に

 『何かこいつに一つでも、仕事をおぼえさせて帰らそう。』

 と指導してくれたチーフ。

 いつも段取り悪くて、迷惑ばかりかけた私に『イラッ!』ってきながらも、

 面倒を見てくれた、かっちょ良くて優しい先輩たち。

 厨房の中から見たホールのバイトの女の子達は、皆同年代。

 可愛くて、優しくて、あの頃の私には眩しかった。

  
 同じ歳の子達を、憧れの目で見ていた。
 

 2ヵ月後には地元に帰ることが決まった私は、地元の成人式に出席せず、

 1月の夕方仕込みで、昨日とかわらずの時間を過ごしていた時、

 社長夫婦が用意してくれた

 『祝! 成人』の文字の書かれたケーキ


 あの時、心から『ここに就職できてよかった!』って思った。
  
 
 4月に入社して、その年の夏に『来年の3月に実家に帰る。』と決まってから、

 仕事量が増え、

 自分の不甲斐なさで、チーフに叱られることが多くなり、先輩にも迷惑をかけ、

 何度もボロ安アパート
 (今は、取り壊しなくなってる。)で泣いてた毎日だったけれど、

 心から、『この人たちと出会えて本当に良かった。』って、

 嬉しくて、嬉しくて、みんなの優しさがありがたかった。


 『もう少し、この職場で働きたい。』って思ってしまった。


 実家に帰るきっかけになった、父の容態の悪化。

 電話口の母が、涙声で『帰ってきて欲しい。。。』って言った夏、

 父の容態もあったのだろうけど、介護と仕事をこなしていた母が精神的にいっぱいいっぱいだったのは、

 実家に帰った後に分かった。

 あの夏二人で、どうにもならない現実を思って電話口で泣いていた。

 実家に帰ることを東京にいた兄に告げて、兄弟げんかになったりもした。。。
 (今でもやっぱりこれはむかつくっ!笑)


 そんなこんなで、いろいろあった就職時代。

 時代は『平成』の話なのに、なぜか昭和?の話じゃないかと思ってしまうほどの、

 人情味あふれた就職時代(それも経った1年)。


 早朝の、工場でのシュウマイ製作があったり、

 店が暇なとき、先輩と二人っきりの厨房で、社長が居ない事を良いことに、

 まかないで特上カルビを食べてしまったり(これもう時効だよね?爆)、


 たった1年しか働いてなかったのに、ちゃっかり寝坊で出勤遅れをかましちゃってるあたり、

 『女は愛嬌!』の母の教えを守り、世渡り上手ですくすく育ってることに気づかされる。
 (そう思うのは私だけ?)





 就職でこんだけ語れるって事は、父が交通事故をして下半身不随になり、

 町の学校から田舎の学校に転校した小学生時代なんてもう『北の国から』

 見るだけで、しゅんと蛍に感情移入しすぎちゃうぐらい感情移入。
 (ドラマのような、色恋話がないところが現実は厳しいって思うけど。。。)
 
 いやぁ~、昭和っていい時代でしたっ。
 (アラサーバンザイ!)

 どこからともなく、『氷雨』が聞こえてきそう(笑)。


 

 誰にだって、いろんな人生がある。

 楽だったり、辛かったり。


 幸せも不幸も、生きてる限り、きっとどんどんやってくる。

 明日はどうなるかわからない、紙一重の中の人生を生きている今だって、

 立ち止まってふっと『幸せってなんなん?』って思い悩むことが、

 そう思い悩める事自体、本当は幸せな気がしたり。   
 
 
 
 

  ただ今夜は、

 昨夜も含め、さっきから地震でチョイチョイ家が揺れているので、不安に思っての消灯です。








   

【移動】クスコ発~プーノ No.1

2010年09月18日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 2010年1月29日

 あっという間のクスコ滞在。

 マチュピチュ災害がなければ、丸1日観光を予定していた都市。

 12画の石を見ることも、14画の石を見ることも出来なかったけど、

 旅はいつだって『生きてこそ』

 いつかまたきっと、来れる時が訪れると信じて、早朝6時30分宿『八幡』を出発。


 


 ミッキーツアーのスタッフがすでに!お迎えに来てくれてます。 


 



 南米だから、『遅れてくるだろう。』と思って、宿を少々遅れて出た私。

 『お客さん、時間守ってもらわないと、困りますよ~。』的な?表情のスタッフさん。

 スミマセン。。。ご迷惑かけます(汗)。



 いやぁ~、今日もお天気いいですねぇ~。
 
 

 観光日和に、本日プーノへ途中下車の観光つきで向います。
   

 ミッキーツアーのミニバンに乗せられ、大型ツアーバスの集合場所へ。


 ツアーバス、発車時刻かる~く過ぎて(笑)、いよいよ出発。

 

 観光つきツアーバス←結構お高いんですけど奮発しちゃいました。

 車窓は、がっつり茶色のスモークガラスなので、車内から撮影する風景が微妙に渋くなって、
こんなんなってますが、

 ↓
 


 目の前に広がるアンデスの風景は、空がとっても近くて、見るものすべてに感動します。


 途中下車観光第1弾は、この教会ANDAHUAYLILLAS

 ↓
 

 すっごい大きな教会でもなく、パッと見。普通の教会じゃん!

 って感じだけど、中は現在も修繕作業が行われていて、さらに撮影禁止!!!

 写真好きにとって、撮影禁止ってつらいよなぁ~。。。

 と思いつつ、中を拝見してみれば、

 『何故こんなマイナーな場所に、こんな豪華な教会がっ!!!』

 と、スペインの【サグラダ・ファミリア】よりもメキシコの【メトロポリタン・カテドラル】よりも、

 私の中で、感動した教会でした。

 期待してなかったから、感動できたって言うこともあるでしょうけど。。。(笑)

  
 『世界遺産だから~』とか、
 『年間に何十万人来ている観光地だから~。』とかで、

 すごい期待して、意気揚々といざ!現地に行って見るとがっくり(>д<)って、結構あります。

 世界遺産になってない場所こそ、すばらしい風景があったりするので、

 ひねくれもんの私は、

 『世界遺産ってさぁ~、地域や国の経済発展のために登録されてる部分もきっとあるんだろうなぁ~。』

 と思わずにはいられませんでした。

 『絶景!!!』と、バックパッカーの中で人気のボリビアの『ウユニ塩湖』なんて、

 ボリビア政府としては、リチウムが採掘されたから、絶対登録したくないだろうし。。。



 それぞれのお国事情をしみじみ考えながら、観光つきツアーバスは次なる場所へ移動します。




 【移動】の記事 つづく。。。




 

 
  

旅する心

2010年09月17日 | 日々徒然(あみぐるみや日常)
 去年の今頃は 中南米へ向け動き出していた

 そして 今年も旅へ動き出している自分


 友達に話した 次の旅先

 反対された理由は 自分でもわかってる

 あまりにも未知な世界で 不安要因を含んでいるから

 心配してくれている 

 旅に不慣れな(暴走気味の?)私を 止めようとしてくれてる


 これから旅の実現に向け 日程を パズルを作るように計画していく中で

 不安がないなんてもちろん言えない


 ほんとは のんびり安心安全な旅をしたい

 添乗員付きのツアーが 100%安心だ とはいえないけれど

 決められた日程 決められた人数 そして何よりも一人じゃない

 何かあったとき 頼りになる人がいるのは心強い  


 でもツアーでは 見たいもの 感じたい旅の匂い 出会いと孤独 

 五感をフルに使って感じたりするものに 触れることが出来ない気がする
 

 マチュピチュで言われた『リスク』が重く心にのしかかるけど

 今は ツアーは自分の中で 納得いかない何かかがあって 違うって思ってしまう 


 不安がいっぱいあって リスクもしょって 自己責任

 次の旅先を思うと そのすべてに押しつぶされそうになって 

 びびってしまう 

 
 今しかできない旅だと

 そう思って決めているつもりなのに

 旅の未来を想像する時は最悪を思って 怖い


 怖いなら やめる?

 旅先を変更すれば!

 旅先の変更なんて 今までだっていっぱいしてきたでしょ?

 もう一人の自分が言う



 一番行きたい場所を避けて 他の場所なんて思い浮かばないほど 

 ウユニ塩湖に行って 空を近く感じたいと思ったように

 どうしても行きたい あの場所 


 憧れの景色の中で 空を見上げ呼吸している自分が見える 想像できる

 行くべき場所だと 五感とあてにならない私の第六感が 言ってる



 すごく心配かけるのかもしれないけれど

 心配している人がいること
 
 旅先で 涙した時 くじけそうな時 支えに 糧に なる

 心配かけてるのに 非常識だと分かってるけれど 存在が心強い



 旅先で求められるのは何?

 己の感 感覚 感性 危険を回避する第六感

 
 いつも旅する行き先を決めるのは 自分の感

 
 反対されればされるほど 自分の感を信じれなくなってしまう不安


 心配してるからだって わかる

 でも 旅の出発が決まったときは どうか背中を押して送り出して欲しい

 
 『心配してるから 気をつけて! 行ってらっしゃい!!!』 って


 わがままを貫抜こうとしているのは私 

 例え何か起こってしまったら その時は。。。自己責任



 そんな事には 決してならないよう 

 ひとまわりもふたまわりも 図太くなって帰ってくるから

  
 婿探ししたけど 良い出会いなかったわぁ~

 って笑って帰ってくるから


 どうか 次の旅 応援してください
  
 
 


  

かりゆし58 オワリはじまり





旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望のかたちだってちゃんと分かってる
思い出に変わるのはきっと最後の最後さ
笑って「さよなら」を言えたらいいな

またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを
一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
 


 

 


 

Segovia セゴビア

2010年09月09日 | '09 スペイン(14日間)

フォトチャンネル 更新

スペインの旅でございます。

この日は、ローマ水道橋を見ていたら、雨が降り始め、現地で折り畳み傘を購入。

まぁ、500円ぐらいの傘なので、あまり期待はしてなかったんですけど、

アルカサル(城)のチケットを購入後、傘の骨と生地を止めている糸の部分が

2箇所も切れてたっ!


どんだけ、アバウトなのスペイン!?

スペインのせいにしてはいけません! 私の日頃の行いがきっと悪いんです。。。

日頃の行い、良いのか悪いのか???


アルカサル見学後、町に再び戻るときは雨止んでました。

 行い良いじゃん私( ̄ー+ ̄)フフフ








この後、マドリードに戻ったら、雨再び降り出したんですけどねぇ~。


【クスコ】日本人宿 『八幡』にて 〆はやっぱり。。。

2010年09月08日 | '10 ペルー(中南米3カ国・16日間)
 大使館の方々が、懐かしの日本食をわざわざ持ってお越しくださった後、

 記念写真を撮り、早々にお引取り願いまして(笑)、

 宿に泊まっていた先客に、NHKニュースの映像を見せ、皆で談笑。

 


 この先客のお二人は、【マチュピチュ】を見るためにクスコに来た矢先、

 【ペルーレイル運行休止 マチュピチュ閉鎖】のニュースを知り、

 【マチュピチュ観光】できなくなってしまいました。


 にこやかに、ニュース映像を見ながら、マチュピチュに行けなかった悔しさ倍増。
 そりゃそうだよねぇ~。


 『今回マチュピチュは行けなかったけど、いつかまた、必ずマチュピチュ行こうね!』
 っと、二人の愛を確かめ合ったかどうかは知りませんが(笑)、微笑ましく

 『いつかまた、必ずペルーに来ようっ。』

 と、二人の絆を深めておりましたとさっ。

 ラブラブで二人の楽しい未来の旅を思い浮かべてたよ。
 そりゃ、もうすんごく羨ましいほどにね!!!(`ε´)

 ハイッ、本当に素敵なカップルでした。私も、いつの日か必ずっ! ラブ、ゲットですっ!!!


 先客のお二人が、クスコの町へくりだした後、
 
 みんなでわいわい話し、

 

 せっかくなんで、近くの店にビ~ルを買いに行って、

 カンパーイ!!! サル~!
 
   途中参加の、マチュピチュに行けなかった先客を交えての宴。

 注:宿の周辺、夜道は危なく、変な輩もうろうろしてたらしいので、
   みんなで買いに行きました。


 ほぼすきっ腹にビール。
 
 つまみは、大使館贈呈の缶詰パン。   

 忘れておりましたが、ここクスコの標高3399m

  

 思いのほか、酔い回りがはようございます。

 
 明日は、クスコからプーノへ移動。

 ツアーバスのお迎えは、6時半。

 二度と会えないだろうメンバーと、もっといっぱい話をしたかったけれど、

 疲れと酔いで、早々の消灯です。

 

 日本に居る家族にメールを送り。


 あっという間のクスコの夜は、クスケーニャ(ペルーのビール)とともに更けていくのでありました。


 〆はやっぱりビールだね~。




 明日は、憧れの『ティティカカ湖』のある町、標高3855mのプーノを目指します。
 
 
 オヤスミナサイ。