トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴ります。

あれから3週間(備忘録)

2016-09-23 17:57:34 | 日記
今日のパムッカレ

ご注意、超長文に遺品墓場あり。

義父の看病のために病院で半日過ごし、他の義兄と交代し、夜中の2時に帰宅したイサ。
8月31日、朝6時半に目覚ましが鳴り、
その目覚ましで起きた私は、隣で寝ているイサの足を
蹴飛ばして、早く起きろと急かした。

そして、イサはベッドから起き上がり、シャワーを浴びたのか
記憶にはないけれど、トイレに入り、居間でテレビを点けた。
半分寝ている私に口づけをし、家を出た。

朝8時40分ごろ、イサは玄関を出て、バルコニーから
蒲萄の葉っぱを下にいたバイトくんと義兄にめがけて落とすなど、
いたずらをした。

その後、階下に降りたものの、何食わぬ顔をして、
バイトくんと義兄に声もかけず、
食堂へと向かった。

食堂内で座っていた、食堂社員と冗談を交わした。
防犯カメラで見たけれど、(食堂の)外席を
よくキレイにしてくれたと、イサが彼女に、話したんだそうな。

食堂社員いわく、そのとき、顔が青白かったと。

そして、トイレへ行ったイサ。
そこで、発作が起きたらしい。
トイレから苦しみながら、出て来たイサは
厨房へと向かった。厨房には食堂社員が
いたから、彼女に助けを求めに行ったのだろう。

トイレを抜けて厨房の入口にある一人用ソファにうつ伏せで倒れ込んだ。
驚いた食堂社員は、仰向けに身体を起こし、床に寝させた。
食堂社員は、助けを求めにオフィスに向かった。

義兄4号、バイト君、たまたま義父母宅にいた義姉も駆けつけた。
近所の人が、何やら、救急車を呼んでいる声を家の中で
聞いた私は、義母が大変なんだと、慌てて、着替えて
トイレに入り、急いでアンネ~(義母のこと)と叫びながら階下へ走ったら、
その近所の人が、イサが倒れたと教えてくれて、
頭の中真っ白状態で、厨房へと向かった。

頭を食堂社員に両手で支えられ、
口には玉ねぎを咥えている浅黒い顔のイサ。
義姉が玉ねぎの臭いで意識を回復させようとしたらしい。
何が起こったのか、さっぱり分からず、うろたえる私。
目を開けて~と叫ぶ社員。
近くには、驚いた顔した義母が杖をついたまま、オロオロしていた。

私はイサ、イサと叫ぶものの、
パニックに陥り、手も握ってやらないどころか、
もちろん、心臓発作だなんて、閃かなかったので、
心臓マッサージも、人工呼吸も何もしてやらなかった。
(赤ちゃん羊が死にそうだったときには、人口呼吸をしたのに!!)

救急車到着がなんと長く感じたことか。
実際、9分というスピードで10キロ離れたところから
来てくれたのだ。

救急隊員が、イサに心臓マッサージを施すと、
イサの浅黒い顔が、明るいいつもの顔色に戻ったときは、
生きている!と、思ったのも、束の間、あっという間に
浅黒い顔となった。

私たちは厨房から出され、
救急隊員たちが電気ショックと心臓マッサージを
するのを外から見守った。

8時半ごろ、救急病院へと移送するというので、
義兄5号の運転で姪っ子、義姉、オヤジオフィスのスタッフと
ともに、車に乗り込み、救急車の後を追った。
通勤ラッシュと重なり、救急車を追跡するのが
容易ではなかった。

義兄5号の運転は2次災害でも起こしかねないほど乱暴で、
生きた心地がしなかった。

なかなか道を譲ってくれない車に対し、
いつも冷静なオヤジオフィスの女性スタッフが
窓から半身乗り出しながら、道を開けろと怒鳴っている。

私は安全運転をと義兄5号に声をかけ、(もちろん、義兄は聞いちゃいない)
祈りながら、病院へ行けば助かると信じていた。

病院へ到着し、どのくらい救命措置を施されていたのかは覚えていない。
結局、蘇生を試みたものの、息を吹き返すことは無かった。
ドクターから、お悔やみ申し上げますと
告げられ、ジ、エンド。


未だに部屋に、このままある。
玄関を開けると、これが目に入り、やっぱり死んじゃったんだと実感する日々。


一階の救急処置室から、地下へ行き、
よくテレビで見る冷蔵設備の遺体安置所に移送された。
最後に顔を見させてくれ、私はイサにごめんね、ごめんねと
謝り、まだ、生温かいイサに最後のキスをした。
そして、義兄2号にあとで、イサの髪が欲しいと告げた。

病院からパムッカレに戻ると、食堂の敷地に女性弔問客が座り、
隣接する道路には、男性陣の弔問客がずらっと並んで座っていたのを
目にして、自分の身に起こったことが信じられなかった。

トルコの田舎では、モスクのスピーカーから、誰か亡くなると
村じゅうに放送されるのである。

みんなが一斉に私を捉えた。最初に、食堂社員が私に寄って来て、
なぜ、イサを連れて帰って来てくれなかったのと、泣きながら
叫んだ。

義母は呆然としていたり、大声で泣き喚いたりを繰り返していた。

(当時、義父は入院中だった。義父は退院と同時に、
イサの死後3日目にて医師の立ち合いのもと、
イサの死を義兄2号から、告げられたのだ。
義父は、呆然とし口も聞けない状態だったそうな。

自宅に戻ったときも、しばらくは
口を閉ざし、時折、涙を流し、自分も逝きたいと
呟いていた。

義父を私は一時、憎んだ。
なぜ、イサの代わりに逝ってくれなかったのかと。
だけど、私のこんな思いをイサが知ったら
悲しむだろうと、打ち消すことに必死だった。
義父だって、苦しいんだ。
ほぼ寝たきり状態でも生かされる現実。)

食堂の隣で遺体洗浄専用車の中で湯灌をしてもらい、
最後の別れをした。
また、ごめんね、ごめんね、と謝罪の言葉しか
出てこない私。口づけしようと思ったら
口から血が出て来たので、額にした。
そこで、遺品として、ハサミでイサの髪を切った。

身体を清めてもらったあとは、100%コットンのサラシで
身体を覆われ、棺に納めら、お坊さんにお祈りを
捧げてもらった。

トルコでは、無情にも、死んだ日に土葬されるのである。
せめて、日本と同じように、遺体のそばで一夜を過ごしたかった。

その後、モスクに場所を移し、お祈りをしてもらい、
墓地へと向かった。公共の墓地には、すでに穴が掘られていた。

墓地のすぐそばの祭壇でまた、お祈り。
参列者は数えきれないほどいた。
義兄2号の関係でパムッカレデニズリ市長、
イサが愛して止まなかったパムッカレツーリズム(バス会社)からも
参列してくれたね。

花輪もあった。

祭壇から棺を担ぎあげられ、
参列者(男性)のみなさんが2列に並び、
棺が参列者の手によって墓地まで運ばれた。

異教徒は公共墓地には立ち入り禁止だと思っていたので、
私は、埋葬時には、立ち会うのを控えた。というか、あまりにも人混みが凄かったし、
それに、大体、男性しか行けないと思っていたが、実際には
良かったみたい。

人の波が引いてから、お墓に辿りついた。
もう私の前に一生現れないイサ。
私の隣に寝てくれるイサはもういない。
私の隣で運転してくれるイサはももういない。
私の手を繋いでくれるイサはもういない。
お墓に入っちゃったんだから。

トルコでは、霊柩車、湯灌も無料。
田舎では墓地も無料。

なので、金はかからないと思っていたが、
いやいや、とんでもない、相当な額が吹っ飛びました。

弔問客へ食事の提供、お茶などの飲み物。
ピデ(トルコピザ)300人分を二日間とか、
アイラン(塩味ヨーグルトドリンク)300人分とか。

葬式3日目には、ヘルワという、甘いピーナッツペーストと
一緒にパンを村じゅうの人に配った。
私は葬式の手順など知る由もないので、
すべて、義兄たちに委ねた。費用も義兄たちが
出してくれた。

私は一日目のピデ(トルコピザ)300人分を負担しただけ。
日本のように香典なんて、慣習はないからね。

52日後に、メウルートと呼ばれる、いわゆる法事がある。
それにも食事代にお金がかかる。


ここは日本のシステムを採用しよう!
みなさん、一人100リラ、包んでちょうだい!
って、言えたらいいね
そんなことしたら、誰も来やしないよ。




イサが私を置いて旅立ってから、3週間が経った。早いもんだ。
47年間の人生分以上の涙を流した。

一体、時計の針をどのくらい戻したらイサは死なずに済んだのか?
考えれば考えるほどに、苦しくて、胸が張り裂けそうで、
鬱状態になっちゃうかなとそれも怖かった。

愛する人を失った人への100の言葉の中に、
私と出会ったのも運命なら別れも運命だったはずとあった。

実質一緒に暮らしたのは13年半だったけれど、
今年は結婚10周年だった。
短い結婚生活だったけれど、普通のサラリーマンの夫婦に
比べれば、自営業同士、ほぼ24時間一緒だったから、
30年分は一緒に過ごしていたかも。

出掛けるのもいつも一緒。3食いつも一緒。
一人で私が出かけるの禁止だったから余計に
そうだった。

日本へ里帰りすると、ストーカーのように
毎日電話して来たっけ。

イサとの別れも運命なら、なんとなく、そういう宿命だったのかと
思うようになった。だって、私の実家に私の部屋が残っているんだもの!

日本の家族は手ぶらで嫁に行ったんだから、手ぶらで帰っておいでと
言ってくれた。

死ぬ前夜、義父と過ごしたイサ。それも決まっていたのかな?
イサよりも私のほうが、義父母の世話をしたいと
強く言って、駐車場に義父母の部屋を作ったけど、
それも、死ぬ日が決まっていたからなのかな?

8月の甥っ子二人の結婚式、そして、近所の人の結婚式が
無事終了、他の人の祝い事が絶対に被らない、水曜日に
死んだイサ。神さまはすべて計算していたんかい?

甥っ子の結婚式のために、海外から駆け付けた姪や甥にも
会えたね。神さまがそこまで、配慮してくれたのかな?



義姉が2週間ほど、夜を一緒に過ごしてくれた。
日中は働いたりして、気が紛れたけれど、
夜の静けさは堪えた。あの心細さは一人では耐えられなかった。
居間から聞こえる義姉の寝息は子守歌のように
私を安心させてくれた。イサの寝息にも似ていたから。

時には手を握って一緒に寝てくれた義姉。
数年前、私が入院時、絶対安静のときも
5日間、付きっ切りで看病してくれ、
下の世話までしてくれた義姉には、頭が上がらない。


犠牲祭でイサのために捧げられた羊ちゃん。
ありがとう。


御墓参りに行くときに、義兄4号が、ケントに乗れ!言い、一緒についてきちゃった。
あたしゃ、知らないよ。


1年後、土がちゃんと固まったら、上の画像のように、
大理石などで、御墓が建立される。今は、なんだか貧乏ったらしい、仮のお墓みたい。


ケントは父ちゃんと話をしたのかな?



ブログに寄せてくださった、皆さんからの温かいお言葉、
メールにて、ご自身の辛い過去を思い出し、語ってくださったり、
私が少しでも癒されるようにと、本や歌を紹介してくださったり、

わざわざ、フェティエ、イスタンブール、カッパドキア、アンカラから
私のために、駆けつけて、下さったり、

食堂へとお客様として、足を運んでくださったたくさんの駐在員ご家族の皆様。
中には、入りずらかったでしょうに、声をかけにくかったでしょうに、
励ましのお言葉、お心遣い、

心から皆様に感謝申し上げます。


私は、イサだけが要れば、友達も誰も要らない、
親戚付き合いなんてゴメンだと
思い、トルコ語を疎かにしてしまいました。
異国の地でイサに頼り切った生活をしていたせいか、
病院にも一人じゃいけない人間になってしまいました。
日本じゃ、一人で行けますよ!

イサを失い、これまで味わったことのない孤独感、喪失感、
言葉では表せない感情が私を襲ってきました。

イサの死は私を二度と立ち直れそうにもないくらいに
暗闇に突き落としたのです。

でも、皆さんの叱咤激励で、意外に早くトンネルから
抜け出たような気がします。まだ、これから、浮き沈みは
あるでしょうが、なんとなく乗り越えられそうです。

一番辛かったときに、犠牲祭という連休があり、
食堂が大忙しでした。それで、気が紛れたこともあります。
がめついと思われてもいい、社員の生活を守るのは
イサの願いだったはず。

そう言い聞かせ、無我夢中で
働きました。それも相乗効果があったようです。

これから、相続の問題とか色々と対処しなければ
なりません。トルコでは、血が優先されるようです。

トルコで、トルコ人と結婚した日本人女性(殆ど、日本国籍なはず)に
参考になるような情報を今後お届けしたいです。

ひとまず、私は日本国籍ではあるものの、
夫の年金を受け継ぐことが出来ました。
それは、夫が死亡した日から発生するそうです。
私には子供もおらず、もらえるか不安でした。

もともと、夫の年金は今年受給開始のはずでした。
私は未亡人年金となるようです。


ケントは元気です。
今朝、オフィスの鍵を開けたときに、
その音で、ケントがバルコニーから
走って来ました。多分、イサが帰って来たと
思ったのかも。

バカイサへ、
あんたがいきなり死んじゃったから、
近所の子供たちや甥姪っ子たちがしばらく
ショックで不眠症、拒食症になり、大変だったんだから!!

姪っ子のところばかりに
ラム子を頼むと何度も夢に出てきて、
私のところには、なんで来ないんだよ!!




長い文章にお付き合いくださいまして、
ありがとうございます。

私は、しばらくトルコで生活します。
下を向いて泣いてばかりでは、
先に進めません。ヒマワリのように
上を向いて、歩いていきたい。

どうぞ、今後とも、ご指導、ご鞭撻をいただければ
幸いです。

皆様、一人一人にお会いして、心から感謝の気持を
伝えたいところですが、この場でお許しください。
ブログへのコメント、メールへのお返事は
必ずします。

ブログも不定期にはなりますが、続けます。
あ、今までも不定期だったっけ。

皆様の益々のご多幸、ご健康を心からお祈り申し上げます。

ラム子


10年以上前の写真。日本にて。若かったね~。




食堂を改装するときに、一人で解体作業を楽しそうにやっていた。









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イサの贈り物

2016-09-07 17:25:01 | 日記
今日のパムッカレ


まず、初めに、
特にトルコ情報ブログの皆さんにご迷惑おかけしましたことを
お詫び申し上げます。

私のために、皆さん、更新を自粛しないでくださいね。
どうか、これまで通り、明るい、為になる、そしてムカつくトルコの話題を
提供してくださいませ。


私は英語とトルコ語の日々を送っています。
なので、どうしても、日本語で気持ちを吐露する場所が必要だったのです。

私、これまで、身近な人の死って、94歳で逝去した祖母しか経験したことが無かったので
押し潰されそうな気持ちをどうしたらいいのか分からなかったのです。

だいぶ元気になりましたよ。
家族の間でも笑い声が聞こえるようになりました。
私もときどき笑っています。


あっという間の一週間でした。
早かった。

イサの笑顔を思い出すと同時に、死んだ顔も浮かぶんです。
それが辛い。だって、イサは死ぬことを口にするとものすごい剣幕で
怒りました。オレは死なない!いっぱいやりたいことがあるのだから、と。

私は本当に幸せでした。これまで、私たちにいろんなことが
降りかかって来たけれど、毎回克服し、いつも神様に守られていると
安心しきっていました。

だって、イサ(イーサ)という名前は英名でイエスキリストだから。




夫が急死し、興奮していたせいか
殆ど眠れませんでした。

同じパムッカレに住む日本人嫁のアヤさん
心配そうに私を何度も訪ねてくれました。

彼女が私に
『愛する人を亡くした人への100の言葉』を読んでみるように薦めてくれました。


100も読むんかい、面倒だなあ・・・と
思っていたら、いやいや、夢中で読んでしまいました。

30ほど読んだところで、すーっと睡魔に襲われました。
そして、数十分だか初めて深い眠りについたのでした。

5年ほど前に手術をする際に全身麻酔を施されたわけですが、
初めての手術で恐怖の中、麻酔が打たれると同時にすーっと
眠りに入った、あのときと同じような感覚でした。

あまりにも的を得た言葉で、
自責の念で苦しんでいた私を楽にしてくれたのです。






家族たちは、
絶え間なくやってくる弔問客を兄弟姉妹嫁全員一丸となって
迎えていました。
甥っ子たちの結婚式でも全員が集ったことが無かったのに。


私はというと、家族ががあたふたと接客に追われている中、
自分の家に戻ったり、食堂で働いたりと、勝手にさせてもらえました。


食堂は1週間は閉めるようにと言われていましたが、
(がめついと思われるから)食堂の裏に住んでいる義父母を
訪問する弔問客が義父母の家の玄関が分かりにくいので
食堂から入って来てもらうために、食堂の門は開けておいたのです。

ついでにツーリストも入って来て、
私は食堂を営業することに決めたのです。
何か自分を紛らわせてくれるものが必要だったから。

偶然なのか、ここのところ、以前に来てくれたお客さん(遠方に住むトルコ人や
トルコ国内在住外国人)がやってくるのです。
もちろん、イサの訃報なんて知りません。

トルコ人ツーリストもやってきて、
弔問客なのか食堂のお客さんなのか
分からなくなったときもあり、
一度、弔問客だと間違えて、義父母の家に通そうとして
しまったことがありました。

家族はとても故人の妻とは思えない私の行動、やることをすべて黙認してくれました。
一人でいたいときは一人にさせてくれ、私が泣いていると、絶え間なく優しい言葉をかけてくれ、抱きしめてくれます。

近所の人とのわだかまりも解消されました。
あの基地外婆さんとも仲直りです。私を抱きしめ、一緒に泣いてくれました。
敵対していた競合相手からもお悔やみの言葉をいただき、握手を交わしました。
みんなみんなと仲直り、人間、死ななきゃ、直らないというのはこういうこと?

人は辛い思いをすると、人に優しくなれるとはこのことかな?
人を憎むことのなんと愚かなこと、無駄な時間を過ごしてしまいました。

こんな穏やかな優しい気持になったのは、何年ぶりかな?
もしかしたら生まれて初めてかも。

義母が『あなたはイサの贈り物』と言ってくれました。
異教徒で孫を見せてあげられなかった私のことを。



このブログ、ケントとエフェスの成長日記だったのに、
オヤジとの思い出日記になっちゃったよ。バカヤロー


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皆さま、本当にありがとうございます!!

2016-09-03 18:14:37 | 日記
メールにコメント、たくさんのお悔やみ、励ましの言葉をいただきまして、
心から感謝申し上げます。

皆様の温かいお言葉を何度も何度も何度も読み返し涙しています。

必ずお返事させていただきますので、
しばらく時間をください。
文字も霞んで、手も震えて、頭も回らないので。

私の人生、平平凡凡だったはずなのが、
神さまは私に試練を課したようです。
今までわがまま、やりたい、言いたい放題の私に
懲罰を与えるかのように。

イサは何で私のことが好きだったのか
分からないけれど、いっぱい愛をくれました。
本当に大切にしてくれたのです。
なのに、私は少ししか返せなかった。

トルコ人の妻なら、ご理解いただけるかな?
ベルサイユのバラ並の臭い台詞を平気で並べるのです。
私はそれに答えてあげられなかった。
大好きだったけれど、恥かしさが先行したからです。

私のいくつものパスワードは、みなイサ絡みです。
イサが大好きとか、そんなの。
なので、喧嘩したときなんて、そのパスワードを打ちながら
更にむかついていたっけ。

NOVAROMAさんより


明日が来るのが当たり前で、いつも大事な人がそばにいてくれる、

自分達は大丈夫と勝手に思ってしまいがちですが

そんな確約どこにもない。

毎日を無駄にせず生きなければと改めて思います。




Kちゃん、ありがとう!
私、イサを失くして、やっと思い知った愚か者。
イサと24時間一緒だったから、それが当たり前に
なっちゃっていた。

イサは不死身で私のナイトだと信じていて
疑わなかったから、私のそばからいなくなるなんて
あり得ないと勝手に思って、粗末に扱っていた。

こんなに後悔のどん底で、苦しくて辛くて
誰か私を殺して欲しい。

こんな愚かな人間は日本にはいないと
思うけれど、どうか皆さん、ドアフォでバカな私が
一番大切な人を失って、気が狂いそうで
もがいています。だから、どうか、このnovaromaさんの
言葉を噛みしめて、私のように悔いて苦しい思いをしないように
今、みなさんの傍の大事な人を大切にしてあげてください。


昨日はイサのお墓参りに行こうとしたら、
ケントも行きたがっていました。
リードをして、いつか連れていけるかな?

イサのお墓の隣が空いていたので、
私が隣を確保するにはどうしたらいいの?と
義兄に聞いたら、ほら、あそことあそこ、土が
盛り上がっているでしょ?あれは偽墓。
誰かが勝手に土を盛って、予約しているんだよ、と。

つまり、イサの隣に適当に土を盛って、偽装墓を作っておけば、
誰もそこに墓は作らない暗黙の了解があるらしい。
場所取りのためにバックを置くようなもの?

ひー、そんなんでいいの?!と、びっくりです。
パムッカレは墓地は無料。墓地の場所は空いているところを
掘るシステム。もちろん土葬。
というわけで、あとでスコップを持って、
偽墓を作って来ようと思う。
だけど、実際、私を埋葬してもらうには
私がイスラム教徒に改宗しないといけないんだ。


ケントはいつも私が家に先に帰っても
イサがオフィスを出るまでずっとオフィスの前で待っていた。
今は私と一緒に戻るから、イサがいなくなったの
知っているのかも。

ケントは親戚の子供たちに可愛がられて、元気にしています。
安心してくださいね。




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未亡人になっちゃったよ。

2016-09-01 14:22:22 | 日記
今日のパムッカレ

オヤジ(夫のこと)こと、イサが死んじゃった。享年47歳
8月31日朝8時前後、心臓発作で倒れた。
救急車で病院に運ばれたけれど、息を引き取ったのは
食堂の厨房。

今、これを書いていて、夢であることを祈りたい。
まだ実感が沸かないから、こうやってブログが書けちゃうほどの
冷静な自分がいる。

トルコドラマのように、死にかけても何度も生還する
というふうにはならなかった。

ケントの死をずっと恐れ、覚悟を持つように心掛けていたわけだけれど、
イサに先立たれるという準備は殆ど考えたことなかった。
私のほうが病気ばかりだったから。

ちょっとくらい病気して入院でもしてくれたら、
私だって気にかけていたのに。

これから私はどうやって生きていけばいいの?
ケントがいるからすぐには日本には帰らないけど。
私を独りぼっちにして、先に逝きやがって、バカヤロー

9月に入ったら、小旅行に行こうと計画立てていたのに、バカヤロー

ケントエフェス、そして日本とトルコの両親を見送って、
私はイサに手を握られながら、死んで行きたかった。

今日だけ、のろけさせてね。
13年間、毎朝イサは起きると、私に『セニ せビヨルム(アイラブユー)』とキスをしてくれた。
私はイサより先に起きたことがないのだ。
イサが死んだ日の朝も同じだった。

前日は夜中まで入院中の義父につきっきりだった。
きっと義父と最期の別れをしたんだね。
私は夜中帰ってきたことに気づいたのに、
起きて迎えてあげなかった。ドアにチェーンを
かけておけば、必然的に私が起きてチェーンを
外し、イサの顔を見ることが出来たのだ。

私はイサの顔を死ぬまで1日近く、まともに見てやらなかったのだ。


8月は甥っ子二人の結婚式が義父が生き延びて無事に終了。
私は死にかけていた85歳の義父が甥っ子たちの結婚式によって
たくさんの人に会えて、これで義父も成仏できる、なんて
考えていたら、実は夫だったとは!!
まあ、二人とも、イスラム教徒だから、仏には成らないでしょうけど。

イサは資格試験に挑戦したり、食堂にピデ(トルコピザ)の竈を
作るんだとか、ペンションを作るんだ、BMWとトヨタのRAV4を買うんだ、
いっぱい夢を持っていた。
なのに、こんな中途半端じゃ成仏出来ないよ。


イサと一緒にもう一度日本へ帰りたかった。
もっといっぱい一緒に旅行したかった。
大好きな寿司を食べさせてあげたかった。

順番が逆だから、一緒に死ねないじゃないかよー
いつも、イサは私と一緒に死ぬんだって言っていたじゃないか!!
ケントも両親も義父母いるのに、すぐに追いかけられないじゃないか!!
イサ以外の人と結婚しないから、一生未亡人だよ。

お葬式に参列してくれた人、500人~600人いたらしい。
私たちの結婚式より盛大だったね。
甥っ子たちの結婚式より
車がいっぱいだったよ。

イサは私じゃない人と結婚すれば、
早死にすることは無かった。もっと優しい人がお嫁さんだったらよかったんだ。
子供も生まれて、子供たちのためにももっと頑張れたのに。
ごめんね。ごめんね。

自分の病気とケントばかり気にして
オヤジの身体を労わってあげなかったバカ妻。

私はオヤジと出会えて、結婚して幸せだった。
こんな私をいっぱい愛してくれてありがとう。

律義で生真面目過ぎて、人に良く思われたいと強く意識する性格が
裏目に出た。それをよくわかっていながら、
フォローできなかったバカな妻を許してください。






夏に入って、トルコの情勢とともに一段と老けた感じがする。
10玉禿も出来てストレスいっぱいって症状が出ていたんだよね。
赤信号を出していたのにも関わらず・・・・

さてと、日本の家族になんて電話していいのやら・・・

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東京オリンピックに出場宣言!

2016-08-26 20:00:42 | 日記
今日のパムッカレ

『サプライズ!』の続き。

あ~、そういや、息子さんの名前聞くのを忘れた。

ブログによくコメントを下さる方の息子さんがトルコに留学をされており、
お母様の強い勧めで、ラム子の食堂に寄ってくれた。

で、バスの時間まで、十分あるので、
もう一度、石灰棚に登ると仰る。

ならば、ケントも連れて行ってとお願いしたところ、
快く引き受けてくれた。
ケントは去るもの追わず、来るもの拒まずなのだ。

ところが、ケントは石灰棚じゃなく、
人造池へ向かってしまったらしい。
それで、石灰棚を断念して、池でケントに付き合っていたみたい。



泳ぎ始めたら止まらず、
なんと2時間も泳いでいたみたい。

画像提供次男くん。





























おーい! 他人のせいにするんかっ?


次男くん、ケントのために2時間も付き合ってくれてありがとう!
私なんて、さっさと歩いて、行っちゃうもの。そんな次男くんの忍耐力に金メダル

私、オリンピックって興味無いんだけれど、
今回、閉会式での、次期開催国である日本のPR動画だけ見た。
格好良かった~。日本凄い。10分程度なので、是非、見てください。
鳥肌もんです。私は10回以上、見入っちゃいましたよ。



また、遊びに来てね!お弁当を持って行ってもらおうと思ったけれど、忙しくて作れなかった。
ゴメンなさい。

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サプライズ!!(かなり私信です)

2016-08-24 21:24:36 | 日記
今日のパムッカレ







ブログにコメント下さるJoeさんの息子さん(トルコに留学中♪)が
寄ってくれましたよ。

お母様には事後報告ということで

お母様に身だしなみがなっていない!(髭剃っていない)と怒られるかも?と
心配しているようですが、
トルコって、旅先でも日本のように何でもすぐ必要なものが、
手に入る環境じゃないので、
お許しを

息子さんには顔出し許可いだだいておりますが、
joeさんのほうで不都合がありましたら、
仰ってくださいませ。


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結婚式第2弾

2016-08-23 00:17:13 | 日記
今日のパムッカレ

甥っ子(次兄の次男)の結婚式が終了した。
ああ、よかった。義父が無事で。
ホント、死にそうな顔をしていたから、こりゃ結婚式流れるかもと危惧していた。
今じゃ、あれを食いたい、これを食わせろと、食欲旺盛である。

土曜日夜にクナゲジェという花嫁の家の近くの会場で花嫁中心のパーティが行われた。
毎度のこと、これには私は出席せず。だって、遠いんだもん。

翌日、昼過ぎ、婿側が車列を作って、花嫁を迎えるために出発した。
今回は11台。
昨日は結婚式があちこちで行われたみたいで、花嫁カーを何台も目にした。


この車、はるばるドイツからやってきた。ドイツ在住の親戚の車。
トルコ人は見栄っ張りだからね~。





この花嫁の家も遠い。片道1時間かかる。
広いトルコはどこへ行くのも先ず峠を超えることになる。




花嫁の実家へ到着。近所の人たちも出て来て、お見送りをする。
花嫁は家族と別れの挨拶を交わす。日本でいう、御父さん、御母さん、お世話になりましたと
三つ指をついて・・・という感じかな?

婿の家に到着し、早速、祖父母に挨拶。

ひー、暑そう。私には耐えられないや。


義母はいつも緊張するのか、写真映りが悪いけれど、今回だけは笑顔になった。

夜18時から、披露宴。
近所の会場で行われ、食事が振る舞われた。1,000人以上用意されていたはず。









婚姻登録所の役人を派遣してもらい、
婚姻式が執り行われた。トルコの結婚式はこれ重要。
トルコは一夫一妻制である。

役人の前で宣誓をする。
汝、健やかなる時も病める時もこの者を愛する事を誓いますか?のようなもの。
花嫁、花婿からそれぞれ選出した
二人のサインも必要。







花火が打ち上げられた。カメラの腕が悪いもんで、これが精いっぱい。



そして、ケーキカット




儀式の合間合間にダンスが入る。


そして、ご祝儀タイム。



お祝いの花輪ならぬ、観葉植物






一番左で踊っているのが、義姉(夫の兄嫁)で60歳違いにも関わらず、ピョンピョン跳ねて踊りまくっていた。私より元気元気で体力あるな。

今月甥っ子の結婚式が2件続いたけれど、
みんなの衣装が違う!!しかも、子供も違う衣装を着ていた!!

私なんて、一着しか持っていないから、それを使いまわしをすること、4回以上。



今回、会場が車で数分程度の場所だったこともあり、
義父母も参列した。

こういう結婚式で、久々に顔合わせもあって、
みんな楽しそう。私は非常に疲れた。

なんてたって、口内炎、肩痛、足裏痛の3重苦ですから!!



甥っ子は公務員なわけだけれど、当初は海外への新婚旅行を考えていたみたい。
でも、非常事態宣言により、公務員の海外渡航は禁止になり、断念。


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1万円のクスリ

2016-08-20 18:27:15 | 日記
今日のパムッカレ

明日から涼しくなるみたい。
このク●暑い日々が終わるのかと思うと、ほっとするけれど、
このク●暑い日々から抜け出して、避暑地に行く夢も絶たれたわけだ。

ところで、

肩の調子が悪い。
伸ばすと激痛が走る。
40肩なのか、それとも、以前バランススクーター(電動式スケボー)をやり、
転倒した際に、右肩を強打したものなのか、不明。







先日、病院へ行き、レントゲンを撮ってもらったけれど、
異常はないとのことで、多分、40肩を疑われ、
保険の効かない薬を処方された。


それが99リラ!!日本円だと4,000円くらいだけれど、
トルコの感覚で行くと、1万円!!

着替えもままならないので、試してみることにした。

で、激痛は治ったけれど、今度は鈍痛が続く。
3か月服用するそうなので、効果は3か月後に期待することにした。

暑くて冷たいものばかり摂り過ぎのせいか、
はたまたクスリのせいか、口内炎が出来て、なかなか治らない。

でもって、最近、ツーリストが増えて来て
多少忙しくなったせいか、足裏痛がぶり返してきた。

つまり、肩痛、口内炎、足裏痛の3重苦なのである


昨夜隣街のカラハユットへアイスを食べに行った。

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カトマンズの日本食屋さん『絆』

2016-08-18 23:40:26 | 日記
今日のパムッカレ

ネパール、カトマンズの日本食屋さん『絆』のオーナーさんが
食堂に来てくれました!

4日間、毎日通ってくださって、ありがとうございました。

残念ながらネパールには旅したことがありませんが、
いつか行ってみたいです。

その日本食屋さんは、、
日本人のオーナーさんがすべて出資。ネパール人夫婦に全任しており、
売り上げの一部をどこかに寄付しているのだとか。


そのお店も、不安定な収入である山岳日本語ガイドのネパール人の生活を自立させる目的で
日本で修行もさせたとのこと。

日本人旅行者いわく、カトマンズの日本食料理店はは非常に多く、レベルが高いものらしい。
そのレベルを引き上げているのは、『絆』なんでしょうね。

なんといっても、安い!!
私、海外では外国料理は高いのは当たり前だ!と
豪語しておりましたが、まさにそれを覆すような値段。

天丼なんて海老が2本入っていて、350円ですって
しかも、海老はネパールでは安くはないとのこと。
親子丼は250円。
とにかく500円以上がない!!

薄利多売らしい。

でもね、
WIKIでネパールを調べてみると、


1日2ドル未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている・・・


ということは、
250円の親子丼さえ、高価になっちゃうネパール人も多いってことですね。

出店は経費を抑えるためにフードコートに入り、
そして、持ち帰り中心にしているそう。
外国人旅行者はもちろん、ここ数年は、地元の人も食べに来てくれるんだそうな。
日本人の評判もいい。

うちの食堂の外のメニューを見て、たっけー(高い)と叫んでいる日本人は
ネパールからやってきた人かな?

でも、安いと言ってくれる日本人もいるので、要はその人の価値観、
どこを旅して来たかにもよりますね。例えばヨーロッパから来た人には
安く感じるでしょうし、イランやインドを旅してきた人には
トルコの物価に驚愕しているのでしょう。

とにかく、トルコは税金が高いんです。
看板に税金、従業員の社会保険料も高いし、
所得税も高い。


『絆』の日本人オーナーさんは、
もともと起業家。都内の自宅ビルの階下に、ふれあいカフェという
親子で楽しめるカフェを栄養士のお嬢さんと一緒にオープンしているんだそう。
そこも利益を度外視。

トルコじゃ、お金持ちはケチな人が多いけれど、
この方の懐の深さには脱帽です。

七福神の中に紛れ込んでいても違和感なさそうなお顔でしょ?


普段は日本に滞在していて、今、世界旅行中♪
期間はなんと、2年!!

奥様は?
亭主元気で何とやら~だそうです。

数年前にも、トロントで日本食レストランを開業し、
引退した日本人ご夫婦が、こちらにお越しくださり
お話をさせていただきましたが、

私が、夫婦で旅行出来る身分になるなんて夢のような話、
だって、とにかく経費を払う日々で全然貯まらないのだからと
言うと、

自分たちも一生懸命に働いてきた、
経費を払えるってことは、それだけお金が循環しているのだから
いいことなのだと、仰ってくださった。

私がお金持ちになったら、
トルコの犬収容所にいる野良犬たちに
毎週一回でもいいから、美味しいご飯を食べさせてあげたいな。




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ケント、9歳になりました!

2016-08-16 23:59:10 | ケント
今日のパムッカレ

2007年の9月下旬にケントは我が家にやってきた。
そこから逆算して生後40日ということで、
誕生日は8月16日だろうと私が決めたのだ。

いい加減なブリーダーだから正確な
誕生日が記録されていないのだ。






最近は突然の訃報ばかりで、
悲しい。ブログを通してなので、お会いしたことが
ないのだけれど、涙がボロボロごぼれる。
人間の訃報を聞いても、涙は流れないのに。

ケントを譲ってもらったときから、
最期をいつも想像して来た。

私のペットはこれまで4歳以上、生きたためしがなかった。

羊のラムちゃんは病死

オス羊のきみまろは凶暴化し、
殺され、食べられちゃった



そして、先代犬のポチは事故死。これはかなり苦しい死なせ方をしてさせてしまった。
今でも懺悔懺悔の日々です。


エフェスは5歳で行方不明だし。





これまでケント、
5歳まではまだある、10歳まではまだ時間がある、と
自分に言い聞かせて来た。

で、いつの間にか9歳になった。
この先何年一緒にいられるかは分からない。
いつかの日をいつも覚悟している。

今日はケーキを買いに隣町のデニズリに行った。
チョコ味かブルーベリー味にするか悩んで
そういえば、社員の誕生日が近かったこともあり、
二つ買うことにした。











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今日(昨日)のバイトくん♪

2016-08-14 22:01:50 | 日記
今日のパムッカレ

今日はかなり涼しい。


久々のバイト君採用です。


で、お仕事は???










いつも使っている犬用シャンプーが40リラ(1,600円気分は4千円)に値上げされていたんで
一番安い20リラ(800円気分は2,000円)私とオヤジのシャンプー15リラ(600円

水道の水ではなく、パムッカレ温泉のお湯を汲み上げて、ホースを使ってケントを一気に洗った。









ケントを夕飯(トルコ料理)と引き換えに洗ってもらった。
ガラガラ食堂につき、これ以上、人件費を払える余裕がないので、
ご飯が報酬。

休学して世界を周っているイケメン大学生。
昨夜はイスタンブール行のバス出発時刻まで
時間を持て余していたようなので、
バイトをお願いした。

トルコの後は、インドへ飛ぶんだって。
どうか、気を付けてよい旅を!



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ブルサから可愛いお客様♪

2016-08-13 23:02:37 | 日記
今日のパムッカレ

ブルサのお家のhisosariさんご一家
が、お友達と一緒に食堂に
寄ってくれました。

hisosariさんは、ブログから想像していた通りの
可愛らしい穏やかな雰囲気を持つ女性でした。






ブルサ名産の栗にトルココーヒー、ありがとうございました。

ここからの画像はhisosariさんたちとケントが石灰棚へ一緒に登ったものです。
hisosariさん提供です。






ケント、溺れている?




hisosariさんのご主人とケント



短い時間でしたが、とっても楽しかったです。
いつかブルサに行きたいです!



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。゜゜(´□`。)°゜。ワーン!!

2016-08-12 23:15:00 | 日記
今日のパムッカレ




先日、朝停電となった。
寝室のエアコンを消すことはしなかった。
消さなくても、勝手につくことはないだろうと
思い込んでいたから。

で、出掛けた。

停電のことなんて、すっかり頭の中にはなく、
玄関を開けた途端に、我が家は今日はなんて涼しいんだろうと、
家の中に入ると・・・・

エアコンが点けっぱなしだった。
しかも窓全開

復旧したのが13時だったらしいから3時間以上も、エアコンが点けっぱなし。
しかも、窓全開

オヤジ(夫のこと)には内緒だよ

また、
食堂には貯水槽がある。
断水時には、大助かりなんだけれど、
うっかり水道の元栓を閉めないまま、貯水槽を開けると、
水が復旧したときに、貯水槽が溢れ出てしまうのである。

で、やってしまった。

すぐに気づけばいいのに、厨房にいると、音が消されちゃうのである。
お客が少ないのに、なんという出費があああああああ



一昨日のこと、
つい忙しくなると、ミスを犯す私。
久々の弁当作りに勤しんでいると、
雨が降り出した。お客様の出発時間も迫って来た。

更に新しいお客様が入って来て、大慌て。
で、弁当料金を間違えた。

なんと、それを翌日の明け方、ふと思い出した。
会計が間違っていたことを

5リラ多めに頂いちゃったのだ。
いろいろサービスしたし、雨の中、車でペンションまで
送ったし・・・いいかなあと思いつつ、ああ、それでも、余計にもらっちゃいけなかったよね。
反省です。折角食堂を3回も来てくれたのに、最後の最後で、ミス。
ごめんなさい


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今さら言われたってねえ・・・

2016-08-11 22:51:40 | 日記
今日のパムッカレ

先日は如何にトルコ人が外国人に対して、寛容かを語りましたが、
今日はちょっと閉鎖的な人もいるという話。

昨夜、突如現れた、義母の妹。
パムッカレから8キロほどのカラハユットという温泉街で
ペンションを経営している。


昨夜、全身黒装束でやってきた。
もう如何にもイスラム原理主義者といういで立ちで。
顔は隠していなかったけど。

義母は7人姉妹の長女。
その黒装束なる人物が何番目の妹かは知らない。

2番目と7番目だけ知っている。
2番目は数年前に亡くなっているし、7番目の妹は唯一、スカーフをしないから。

たまたま義母を訪問していた7番目と黒装束が対峙した。
兄弟、家族が多ければ、思想もいろいろ。
7番目の妹はどちらかというと世俗主義者。

黒装束の叔母様が、今度は、いきなり、夫に食堂で酒出しているでしょ?
あんたの嫁はなんでイスラム教に改宗しないの?と、言いだした。
火の粉が降りかかる前に退散した私。

今さら言われたってねえ、結婚してからもう10年よ。
いつか改宗するだろうと期待されていたのかな?

長女である義母は何も言わないのになあ・・・。
それとも、私だけが知らないだけであって、
姉妹や身内から異議申し立てとかあったりして。

改宗しても早々に離婚している夫婦もたくさんいるし、異教徒同士問題なく
結婚が長続きしている例だって多い。


↑これ怒られちゃうかな?別に揶揄しているわけじゃないです。
オヤジにも聞いてみた。自分としては、何とも思わないと。


そうそう、たまに『彼女はトルコ語話せないの?』と、ヒソヒソと囁かれることに
毎回反発していた私。トルコに居させてもらっているという謙虚さが足らないことに
気づいた。だから、もう気にしないことにした。



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ゴミ箱に捨ててくれたらいいんだけど・・・

2016-08-10 22:08:33 | 日記
今日のパムッカレ










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