トルコから石灰棚を眺めながら生活する日記

ラム子のロカンタ(日本食食堂)、
ゴールデンレトリバーとカンガル犬との日常を綴ります。

ケント今年6回目の癲癇発作

2016-12-04 16:36:44 | ケント
今日のパムッカレ

昨日、夕方16時ごろケント、今年6回目の癲癇発作発生。
前回は10月26日、夜。

昨日は快晴。
なので、低気圧とは関係ないのかも?

昨日は、食堂の買い出しをしに、デニズリに一人で行った。
みんなに一人で行くな、クルマで行けと言われたけれど、
一人が気楽。夫以外の人を待たせて買い物をするのは気が引けるんだ。
夫が死んでからデニズリに一人で行くのはこれで2回目。

ランチはおひとり様バーガーキング。
夫不在で食べるのは初めてかも。

いつも2種類のバーガーキングを注文し、夫と取り替えっこをしていたっけ。

帰り、デニズリからパムッカレ行のバスに乗るのに、
停留所を間違えて、パムッカレ行のバスが通らないところで
ずっと待っていた私。途中で、人に聞くも遅し。
なんだかんだで1時間も無駄に過ごしてしまった。

で、パムッカレに到着し、家まで一直線の道を歩いていると
甥や近所の子供たちが集まって、私を見るや否や、
早く来いと手招きをしていた。ケント!と言う声が
聞こえ、大急ぎで走って向かうと
ケントが荒い息遣いで、伏せをしていた状態だった。



すぐに癲癇発作だとわかったけれど、
既に発作が治まったところだった。

みなケントが坂を転がり落ちるのを目にして
驚いたようだった。近所のおじさんは
ケントが車に轢かれそうにならないように
ガードをしていてくれたみたい。

私は子供たちに、ケントは癲癇発作があるから、
こんなときは、ケントを撫ぜてあげてね♪と
お願いした。

ケントのためにも、近所づきあいは大切に、
子供たちには怒鳴らず、優しくしておこうと、心の中で誓った。


ケント、私が発作時に傍にいなかったもんで、怒っていた。ごめんね~。
母子家庭だから、母ちゃん、働かなきゃいけないんだよ。
でも、道草していたから、帰りが遅くなっちゃったんだもんね。ごめんなさい。



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オヤジが夢に出て来た

2016-11-29 01:55:19 | 日記
昨日のパムッカレ

なかなか私の夢に出てこないオヤジ(夫のこと)。
数日前、久々の登場。

で、ちょっと、あなた死んじゃうんだから、気を付けてと、
オヤジに声をかけた私。
オヤジの反応は???

忘れちゃった。

どれだけ、時計の針を戻したら、死なずに済んだのかな?
会いたい、会いたい、会いたい。
もう一度、会いたい。
一度でいいから、会いたい。

そして、言いたいんだ。
ごめんね、ありがとうって。
それだけ言いたい。
あなたと出会って幸せだったと、
ありがとうって、伝えたいんだ。

死ぬときは一緒だって、言っていたよね。
ごめんね、一緒に逝けなくて。
ごめんね、最後に手を握ってあげられなくて。
ごめんね、もっと優しい言葉をかけてあげられなくて。
ごめんね、大好きだよと、言ってあげられなくて。

ごつごつしたイサの手が恋しい。
運転中、いつも私の左手を握ってくれたっけ。


食堂に向かうオヤジ。このとき、何を考えていただろうか。まさか、数十分後に
自分が死ぬなんて、思いもよらないよね。
苦しんだときに、傍にいてあげられなくてごめんね。






ケントを見守ってね。犬命を全うさせてあげて。そのためには私は何でもするから。
そして、いつか、みんなで会えることを楽しみにしているから。
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久々の外出

2016-11-27 23:07:08 | 日記
今日のパムッカレ

もしかして、オヤジ(夫のこと)抜きで買い物以外で外出したのは
今回初めてかも?

デニズリ市内の外れにあるロープ―ウエイに乗って来ましたよ。



メンバーはオヤジオフィスのスタッフの女性とその息子、食堂のスタッフの女性、義姉夫婦、そして私。
食堂は年中無休にしていたけれど、食堂スタッフは毎週土曜日休暇なので、私も休暇に便乗。
食堂は休業。たまにはいいよね~。

実はオヤジとは、甥っ子の結婚式の後に、出向いたものの、ロープ―ウエイの営業時間が終了し、
一緒に乗ることが出来なかった。ロープ―ウエイはどうでもよかったけれど、
いつも一緒のオヤジと行けなかったことに悔いが残っている。
一緒に見たかったな、いろんな景色をずっと。

所要時間15分ほどのロープ―ウエイ、料金は往復大人6リラ(180円ほど)
その更にサービスカーで山を登ること10分ほどで
ちょっとした公園があり、レストランもあり、乗馬が出来たり、遊具がある。また、宿泊施設もある。
日本の施設に比べたら、ちんけだけれど、トルコでたった6リラで意外に楽しめる。
デニズリの新名所である。


帰りはショッピングモールに行き、買い物をし、フードコートで
ランチをした。

このフードコートもオヤジの死後、初めて。
オヤジ以外の人と外食も珍しい私。
それだけ、オヤジとはいつも一緒だったんだな。


塩抜き生活しているんで、この日のケンタは、しょっぱく感じた。


これは、食堂にて。



パムッカレだけを見ると、ツーリスト大激減で景気が悪いように感じるけれど、
デニズリはあちこち、道路やらマンション建築ラッシュ。
そして、ショッピングモールは若者でごった返していた。
デニズリを見ると、トルコは景気は悪くないような気がするんだけど、
実際はどうなのかな?

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日本のせいにするトルコ

2016-11-24 00:23:58 | 日記
昨日のパムッカレ


夫名義の相続関係で
裁判所の出廷命令で出向いているけれど、
もう嫌になっちゃう。

トルコの裁判所は鈍いとは聞いてはいたけれど、
11月9日に結審があるからと
出向いたものの、
アンカラの日本大使館から回答がないからとの話で
結審は来月に持ち越された。

ああ、別に内輪揉めやって、裁判やっているわけじゃなく
トルコでの相続上、通常の手続きで、裁判所が関わってくるのでご心配なく。
特に私は日本国籍なわけで、その相続は国同士の相互主義に
基づくらしく、そのため、裁判所が日本大使館に照会したとのこと。

で、アンカラの大使館に電話で確認してみると、
そういった裁判所からの照会は来ていないとのこと、
もしも、来たら、私に連絡をくださるとのこと。

日本大使館がウソをつくはずはない!
やっぱりトルコの裁判所、往生際が悪い。
自分たちの仕事の不手際を日本のせいにするのか!!

また、来月、裁判所に出向いても
結局、同じ言い訳をされそうだな。

日本大使館からの回答が来ていないと、
また言われたら、大使館のほうでは
そのような通知は届いていないそうですよ、
と私が言ったら、心象悪くするかな?

こんなんじゃ、いつまでたっても
遺族年金はもらえないし、イサの相続だって
出来ないんじゃないかな?

食堂などの事業所の名義変更を長期間しないと、
今度は罰金が課せられるんだそうな。
はあ?

トルコよ、ちゃんと仕事してくれ!




父ちゃんが肥しの草を食べるケント


御墓で私を待つケント

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死亡(寿命)推定日

2016-11-19 20:18:37 | 日記
今日のパムッカレ

冬らしくなったパムッカレ。
2階の我が家と階下のオフィスの暖房(セントラルヒーティング)の管理は
夫の仕事だった。手動のために、一日数回、石炭を足したりの
作業が必要。

で、夫亡きあとに、誰がそれをするかが懸案事項だったわけだけれど、
何でも屋さんに頼むことにした。ついでに義父母の家の石炭ストーブの
管理も一緒にお願いした。

燃料が石炭の暖房器具は、最高に暖かいけれど、汚れるし、メンテナンスが面倒。

トルコでは、特に一戸建てに住んでいると、
男手の必要性をつくづく感じる。

ところで、
死亡推定日を推測してもらった。

死亡推定日http://seibun.nosv.org/sibou/

名前、生年月日、身長体重、食事に関して(普通、菜食、肉食)、
性格(普通、悲観的、楽観的)を選択、また、喫煙、飲酒の情報を入力するだけ。

私は18年後、11月28日死亡予定らしい。

で、夫は?

なんと、35歳、もしくは既に死んでいると出た。


だいぶ前、夫と遠距離恋愛していたころに、
興味本位で、夫のことをネットで占った。
すると、子供が出来にくいと出た。

実際、夫に問題はなく、不妊の原因は私にあったのに。

私は占いは信じないほうだけど、
18年後に死ぬのも悪くないかな。
でも、そうなると、18年も夫を失った悲しみを抱いて生きていかなきゃいけないのか・・・・。


最近、どこかのシェパードが遊びにやってくる。
とにかく、若いシェパードに付きまとわれ、逃げ回るケント。





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塩抜き生活再び &婚姻解消届

2016-11-15 18:09:31 | 日記
今日のパムッカレ

私はイサの死亡届を戸籍がある役所か在外公館に3か月以内に提出しないといけない。

『●●●●●●●●により死亡したので、私の戸籍に婚姻解消事由として、 の死亡事項を記載願いたく、
●の死亡を証する書面を添えて申出します。』

婚姻解消になっちゃうんだ。
なんか、とてつもなく抵抗感があるんですけど。
トルコにはそんな届けはない!



ところで、
イサがいたときから、私は全身、痛い痛いと喚いていた。
で、やっと、病院へ行った。

やはり、持病が悪化していたのだ。
血液検査、最悪。平均値を多いに上回っていたり、下回っていたり。
で、案の定、ステロイド薬が復活した。
ステロイド剤は魔法のクスリ。
あんなに、辛かった痛みが一気に消えた。

ステロイドを恐れずに、もっと早く、ドクターに
身体の痛みを訴えていたら、もっとイサのことを
気にかけてあげられたはずなんだよね。



6年ほど前に、持病が悪化して、
入院し、5キロ減量。
ステロイド薬を服用中に20キロ一気に増量した。

でも、このステロイドさえ、絶てば元に戻ると余裕をかましていたら
とんでもない間違えだった。
体重は増える一方で、一向に減ることは無かった。

イサがいなくなって、9キロ痩せた。
今の体重から、+20キロだなんて、考えたくもない。

というわけで、今回は、是が非でも、塩抜きを頑張ろうと
思う。幸いなことに、心優しい友人が、ラインを通じて
私の体重を監督してくれることになった。
一緒に頑張ろうと言ってくれた。

私の病気は日本でもよくある。
トルコでも、患者がわんさか。
でも、なんと、デニズリ(トルコでは比較的大きな街)にも
関わらず、専門医が私の主治医一人となってしまった。
もう、毎回、患者ごった返し。

この持病を考えると、私は日本に帰ったほうが
いいんじゃないかとさえ、思っちゃう。
塩抜き生活は誘惑が多い日本より、トルコのほうが
頑張れそうだけどね。




キレイなお花を見つけたので、御墓に供えた。


相変わらず、骨を食べるケント


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港区のけんとくん

2016-11-13 18:55:17 | 日記
今日のパムッカレ

港区の健仁(けんと)くん。

明治神宮外苑のイベント会場で展示品が燃えて、
幼稚園児の健仁くんが亡くなってしまいました。

たまたま、ケントと同じ名前だから
特に反応したわけじゃない。
違う名前でも、胸が張り裂けそう。苦しい。

以前は、どこぞのワンコが亡くなったという話を聞くと
涙を流しても、人間のニュースだと所詮他人事のように
見聞きしていた私。

今は違う。
恐怖の中、わずか5歳で命を落としてしまった健仁くんに思いを馳せ、涙を流す。
熱かったね、苦しかったね、パパママって叫んだよね。
こんな残酷な運命をどうして、5歳の子に課すのでしょうか?
この世に神なんて、いない。

ご両親の嘆き悲しみ、無念は計り知れない。
私の苦しみ以上で、ご自分を責めているはず、そして悔やんでいるはず。
なんで、助けてあげられなかったか、なぜ、あの会場に行ってしまったかと。

健仁くんを授かって、幸せだった5年間。
健仁くんの将来、未来が奪われたばかりではなく、
ご家族は一生悲しみを胸に生きていかなきゃいけない。

私は老夫婦を見ると辛いけど、
あのご両親はずっと健仁くんの面影を追って生きて行くのでしょうね。

ときどき、考える。
イサは私が先に死んだら、どうしていただろうかと。
私と同じように嘆き悲しんだかな?
気持ちの切り替えは素早い人だったから、イサは。

日本とトルコでは死生観が宗教上のこともあり、
違う。

トルコ語で、
Yapacak bir şey yok
することないよ。自分たちが出来ることはない。
(どうにもならないんだよ、生き返るわけじゃあるまいし・・のような
ニュアンス。)

英語だと
There's nothing to do.

多くのトルコ人にかけられた言葉。
私はあまり好きじゃない。
確かに嘆き悲しんだところで、死者が生き返るわけじゃない。

どうにもならないんだよ、と割り切ったほうが
気持ちが楽なんだろうけれど、
それでも、私は罪悪感を持ち、死者を弔いながら、生きていく。

健仁くん、また、優しいパパママの元に戻ってきて。
そして、今度は、今度こそ、パパママの元で
健やかに人生を全うして欲しい。

健仁くんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
ご両親の苦しみが、1ygでも、
日々癒されるときが来ますように・・・。合掌

なかなか、私の夢に出て来ないイサ。
昨夜、夢だったのか、現実だったのか
こんがらがっているけれど、寝ているときにふっと
顔に息がかかった。まるで、イサが僕はここにいるよ、と
教えたかったかのようにと、私は思いたい。
でも、それは夢だったのかな?
現実だったら、いいな。



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懲りないオッサン

2016-11-11 17:24:09 | ケント
今日のパムッカレ

先日、ケントが吐いた。
嘔吐物には砕けた骨と、血も混ざっていた。
吐き気がすると、家の中に入らないケント。

2年前にも骨の食べ過ぎで消化不良を起こし
排便が無ければ、開腹手術と、宣告されたのだ。


2年前の画像。開腹手術一歩手前。


翌日、
動物病院が開くのを待って、
ケントを連れて行った。

体温は平熱。
レントゲンの準備をするからと言われ、
外で待つことに。

病院の外を徘徊するケント。
あわよくば、排便さえあれば、と願っていたら、
やってくれました。

病院に戻って、排便しましたよ、と告げた。
レントゲンを断りたかったけれど、
出来ず。

レントゲンの結果、やはり、骨が詰まっているとのこと。
今晩食欲が無かったら、明日、点滴をします、とドクターから告げられた。

骨は食べさせないで、と言われたものの、
肉屋に勝手に行って、貰って来ちゃうんだもの。

前回より、元気なケント。
食欲はあった。
で、また、懲りずに肉屋から骨を貰い、咥えて来た。
流石に、取り上げた。

翌日、私に取り上げられることを恐れてか、うちから100m離れたところで
骨を食べていた。

まったく、懲りないオッサンである。



2014年、10月の画像。動物病院で一人&1頭で体重計に乗る。
ケント、39キロでした。ケント、手作りご飯にしてから、体重が減ったのに、また増量中


2年前も開腹手術一歩手前の重症だったのに、排便し、気分がよくなると、すぐにこの調子






診察、注射、レントゲン代で、100リラなり。今のレートで日本円だと3,500円だけれど、
トルコの物価からすると、1万円気分。

ケントちゃん、母ちゃんは父ちゃんを失って、かなり堪えているの。
ケントちゃんまでいなくなったら、母ちゃんは生きていけないんだよ。


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2.7リラ(100円)

2016-11-04 00:05:46 | 日記
今日のパムッカレ

こちらもだいぶ初冬の装いになってきた。

週一くらいで、イサの御墓に出向いているけれど、
夫家族から、一人で行くなと言われてしまった。

でも、お花を植えるとか作業が無ければ、
私は一人で行って、イサと話がしたい。

確かにあの辺はひっそりとしているけれど、
イサの御墓は見渡しがいいところにある。
んまあ、ケントは全然頼りにならないけどね。


ところで、
2.7リラ、この数字何でしょう?


実は先月の我が家の電気料金。
まだエアコンを点けるわけでもなく、
21時ごろに食堂から家に戻り、
少しネットをして22時には床につく日々だった。

朝は6時半に起きて、階下のバスオフィスに出社。
イサ亡きあと、早朝と夜(オフィススタッフがいない時間帯)に
バスチケット発券業務を手伝っている。

なので、以前もそうだったけれど、
家には殆どいないのだ。

冷蔵庫もイサが死んでから電源切っちゃったし、
洗濯機を回すのもぐんと回数が減った。

それで、今月の電気代請求書2.7リラなりというわけ。
日本円で100円くらいかな。

イサがいたときは、
最低でも40リラは越えていた。
1,200円以上ね。

イサが死ぬ前の私は、
夜中0時に寝て、9時くらいまで寝ていた。
イサの死によって、寝坊していたことを
悔いている。今の生活スタイルはいいかも。

今は週一で温泉プ―ルで泳いでいる。
イサは私が一人で行くのを嫌がっていたけど、
私を置いて逝っちゃったんだから、
怒りたかったら、化けで出て来い!

イサ亡きあと、一人で出歩くのは、
温泉プールとお墓参りだけだけれど、
今までずっと車生活だったから、
今は公共のバスに徒歩。
同じ場所を通るにも、違った景色のようだわ。

来年あたりからは、オフィスの仕事はイサの兄弟たちに任せて
食堂だけ、ゆっくりのんびりとやろうと思う。

もう、いいよね。
二人のときは、色んな夢があったから、
がむしゃらに働いていたけど、
今はお一人様だから、何をしたいわけじゃないし、
ただ、日本の両親に頻繁に会いたいだけ。

そうそう、未亡人をボツイチとか言うらしい。
うーん、ブログ主さんも仰っていたけれど、
バツイチ、バツニはあっても、ボツ2って

保険金殺人の容疑者だったら、ボツ3とか
ありそう。






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2回目の月命日

2016-11-01 21:42:26 | 日記
今日のパムッカレ

昨日、10月31日はイサの2回目の月命日。
義姉とお花を買って来て、植えて来た。
38本だけれど、まだまだ全然足らない。








ケントは父ちゃんの墓に生えている草を食べていた。



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ケント今年5回目の癲癇発作

2016-10-28 18:15:34 | ケント
今日のパムッカレ

一昨日、10月26日、水曜日、夜20時29分
ケント今年5回目の癲癇発作。
家の中でのこと、
身体を弓のように曲げ、よろつきながら、
ソファにいた私の元に助けを求めるかのように
歩いて来た。

前回は6月10日
前回は軽度の発作だったけれど、
今回は断続的に30分近く発作が続いた。

目を見開き、あまりにも苦しそうだったので、
もしも、癲癇発作じゃなかったら?と
不安が過った。

前回6月10日から4か月半ぶりの発作。

イサ死後のいろいろな手続きがあって、
日本に一時帰国さえ出来ない状態。

ケントの癲癇発作が落ち着いていたので、
安心していた矢先のこと。
このままじゃ、心配で日本に里帰り出来ないわ~。

誰かケントと寝泊まりしてくれえるシッターさんを
探さなきゃ!




ケントに万が一のことがあったら、と思うと怖い。


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兆候と寿命

2016-10-19 23:56:08 | 日記
今日のパムッカレ

振り返るとイサの死の兆候が数々あった。

今年に入って、夏ごろからか、いつも穏やかなイサが怒りっぽくなった。
それは私だけではなく、みな異口同音に今年のイサはなんかおかしいと
口にした。

食堂の土地建物を購入したのは、2015年の1月。
それからというのも、何かに憑りつかれたかのように
食堂の厨房を皮切りにレストラン内の改装、家の増築、事務所を新設した。









季節外れに、食堂と義父母宅の煙突も新たに作った。
私が反対したものの、あの時、強行してくれたおかげで、
イサ亡き後の今年の冬は助かった。

義父母の家を作りたい、世話をしたいと、私が強く望んだのは、偶然なのか?

中庭にあるブドウ棚を高くしたり、食堂の塀に沿って、バラの木を植えた。

建物の裏手にある猫の額ほどの空き地に畑を耕し、
外側には果樹を植えた。






10月20日現在、毎日、食べきれないほどの、ナスに唐辛子を収穫。
トマトときゅうりは失敗にオワッタけど。


食堂2階に、ペンションまで考えていたのである。
それは、ひとまず却下させた。

去年、食堂にあった巨木を伐採した。
これは、樹齢年数が古い松が斜めに成長し、枝が電線にかかり、
もしも、この巨木が倒壊した場合、危険だと
判断したから。それに、この巨木に止まる鳥からの糞害もあった。

私は巨木を伐採するのに、一抹の不安があった。
というのも、迷信かも知れないが、巨木を伐採すると、
不吉なことが起こるんじゃないかと恐れていたから。
子供のころ、近所の人が木を伐採し、病気になったという話を信じていた。

また、日本の実家では、こういう大がかりな作業をするときは、
お線香をあげたりし、供養をしていたものだ。

線香なんて用意できないので、私は、切ることをお許しくださいと
祈った。

伐採したことにより、イサの死のカウントダウンが始まったのか?
食堂を購入出来て、私たちはついていると思ったら、夫が急死!
じゃ、買わなきゃよかったかというと、そうでもない。

食堂はどうしても、買わざるを得ない状況に立たされていた。
商売敵が狙っていたからである。

そいつらは、パムッカレにてホテルを経営しているわけだけれど、
隣の基地外婆さんの親戚でもある。そもそも、
食堂の土地は昔は基地外婆さんの土地でもあった。


そのホテルを経営する3兄弟は、バスチケット代、3,500リラ(当時のレートで20万円ほど)
を踏み倒した前科がある。夫が、支払を求めると熊顔した奴が、オフィスの
窓を全部割ってやると脅したのである。割らせてやればよかったのに!
そのときは、ホテルの実名をブログで公表してやったのに。

ここで、全部、私が手の内を明かすのは、勿体ないので
書かないけれど、私は彼らを許さないし、必ず、イサにしたことを
後悔させてやります。目には目を歯には歯を。
土地の権利がうちにあることを忘れないでね♪

以前、人を憎む、恨むことが愚かなこと、と書いた私ですが、
こいつらだけは、許せない。

今の私は、イサの傍に行けるのなら、死は怖くない。
でも、まだまだ、トルコで始末をつけなきゃならないことがいっぱいなのだ。

イサは今思えば遺言のようなことを私に教えてくれていた。
自分の周囲のことなど。

また、イサの資産の一部が私に内緒で、義姉名義になっていたことが
死後発覚した。義姉が私に、実は・・・・と教えてくれたのだ。
これには、驚きと同時に救われた。
だって、イサ名義は相続手続きが完了されるまで、凍結されるのだから。

義姉がお金が必要なら、いつでも、義姉名義の●●●を売りなさい、
ラム子のものなのだから、と言ってくれたのだ。



義父が入院していた数日間、死ぬ前々日まで、
義母と夕飯をともにしていたイサ。

『アンネ(トルコ語でお母さん)と一緒にご飯食べるんだ♪食べるんだ♪』と、
まるで子供のようにはしゃいでいたイサの顔と声がいつも思い浮ぶ。






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形見

2016-10-12 21:55:19 | 日記
今日のパムッカレ

私は死別カテゴリーに移ったほうがいいのかな?

プロフィールも、変えなきゃね。
カンガル犬のエフェスも失踪中だし、
夫も死んじゃったし。

トルコ人の夫と死別し、
只今、パムッカレでゴールデンレトリバー1頭と
奮闘中♪とか?

イサの持ち物、特に洋服がやたらと多い。
私が先に死んだほうが片付けが楽だったはず。

トイレの汚物さえ捨てられなかった。
(トルコの水洗トイレは紙は流せないので、
トイレットペーパーなどはゴミ箱に入れる)

さすがに捨てたけれどね。
イサが最後に飲んだペットボトルもそのまま。

イサとの思い出が詰まった家に食堂、オフィスもそのまま。
私はイサとの思い出に浸っていられるんだ。
死別ブログなど読んでいると、私って恵まれているかも?

家賃が払えず、泣く泣く引っ越したり、
夫家族に冷たくされたり、出て行かざるをえなくなったり、
トルコでさえ、夫家族に追い出されただの、
トルコ人夫と一緒に経営していたホテルを
夫家族に乗っ取られたという話を聞いた。

私は日本に帰る家もあるし、
夫家族もここで暮らすようにと言ってくれている。

同じ村で私と同じように死別し、私より若くて、子供もいないけれど、
夫家族と一緒に暮らしているお嫁さんもいる。

イサは御墓で眠ってなんかいないよ、と
言われても、やっぱりイサの隣で眠りたい。
改宗の問題もあるけど。

日本の両親に申し訳ないので、もしも、両親を見送った後なら、
私はトルコで永眠したい。

さてさて、形見の話。
結婚指輪って、死別したら外すの?
私は外したくないな。

なんて、イサが死んでから、指輪をしはじめたくせに。
それまで、数年間、指が成長しちゃって、はめることが
出来なかったのだ。イサの死をきっかけに体重が落ち、
やっと指輪をすることが出来たのだ。

イサの大量の服、
実は、イサが亡くなる前に私は『お別れ』という
題名で記事を書いていた。

内容は、イサの洋服が大量にあって、クローゼットに入りきらず
イサは廊下に自分専用のクローゼットを作ったのだ。
その引っ越しもしていたわけ。で、題して『お別れ』

今度は私がこのクローゼットを
思う存分使える、イサの洋服を移動しながら、
ひひひひ、イサちゃん、ばいばーいと
口にしていたのだ。

義姉が、イサの洋服を貧しい人に寄付しなきゃいけないと
言い出した。私はイサのものは、義兄や近い友人にだけ
あげたかった。というより、誰にも渡したくなかった。
自分が気が済むまで、イサのすべてと一緒にいたかった。

ベッドのシーツ、枕カバー、イサの洗濯物でさえ、洗いたくなかった。
イサのアイフォンは私が使っている。

イサの指輪はネックレスにしたいけれど、
私、金属アレルギーなので、ムリ。
アレルギー用のネックレスでさえ、ムズムズするのだ。

時計は日本の私の兄に使ってもらうつもり。

一昨日、昨日と、イサが初めて夢に出て来た。
二人で仲良くドライブしている場面。
ケントの激しい息遣いで、目が覚めちゃった

ケントは家の中で寝ているんだけれど、
バルコニーに出たいときは、
要求吠えよりは、わざとらしく、ハアハアと
息を荒くして私に訴えるのだ。

最初は居間と廊下の入口、そのうち廊下で、
そして、寝室の入口で、
私に聞こえるように、ハアハアするのだ。

ドアを閉めちゃえばいいんだけれど、
ケントの癲癇発作がコワイので
開けておくんだ。

今晩もイサに会えるかな?






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イサが日本からやって来た!

2016-10-09 18:31:35 | 日記
今日のパムッカレ

昨日はイサのお墓参りに一人で行って来た。
700mほどの距離を
行きはほぼ坂道、ペダルを漕ぐことなく、
3分程度で、帰りは登坂を9分で。




頑張ったご褒美なのか、
昨夜は食堂、ほぼ満席状態。お客さんがいっぱい来てくれた。

ところで、
イサがなんと、日本からやって来た!!



編みぐるみ師のノコちゃんからの贈り物。
ミニイサです。

ノコちゃんからは以前にもたくさんいただいている。

ケント2号、3号、4号






形見として切ったイサの髪を入れる袋まで用意してくれて、
しかも、針、毛糸、綿も一緒に送ってくれた。

また、ミニアルバムも作ってくれた。

こんな技術もさることながら、隅々までの心遣い、私はどうやって、恩返しをしたらいいのでしょうか?




皮のジャケットも!!
実際同じ色のジャケットを着ていたのをのこちゃんはたった2回しか
お会いしていないのに、覚えてくれたんだね。
イサが着ていたジャケットは合成だったけどね。








イビキもかかない、世話要らずのイサ。


その替わりといっちゃなんだけれど、
相変わらず、臭いもんを身体にこすりつけたり、ゴミ拾いを続けて、母ちゃんを楽にしてくれないケントがいる!


昨日は、カーテンを洗って、自分で取り付けたよ。
脚立を使っての取付はイサの仕事だったよね。

まだ、水曜日の青空市場には行くことが出来ない。
いつもイサが荷物を持ってくれていたから、
イサなしで、行くのはまだ、辛い・・・。




愛する人を亡くした人の為の100の言葉の中で

58.人の人生には何が起こるか分かりません。
未来は不確定で、何一つ確実なことはありません。
しかし、人生の中でただ一つだけ確実に起こる出来事があります。
-----それが死です。


66.その時、その時を精一杯愛することを教えてくれた

あなたの涙がこみ上げてくるとき、それは例えば、あんな傷つける言葉を吐かなければよかった、
もっと優しくしてやればよかった、などの懺悔の気持ちに沈むときではないでしょうか。
こうして愛する人との関係を振り返る中で、あなたの魂は清純化され、悔い改められていきます。

あなたはその人から学ぶはずです。見過ごしてきた人と人の理想の関係を。


76.言葉I
『愛している』『ありがとう』、『ごめんなさい』--------その人が生きている間に、十分に声を
かけてあげられなかった言葉があると思っているのかも知れません。そのことであなたは後悔し、
自分を責めているのかも知れません。でも、完璧なコミュニケーションを常に保っている関係など
無いのです。その人は分かっていると思います。あなたが、いまそんな風にその言葉を口にしたかった、
と思っていることを。


87.この世に神なんていないのかもしれません。でもあなたが天使になれます

この世の中に起こる無慈悲で残酷なできごとは一体何なのでしょう。この世に神がいることなんて、でたらめとしか思えないときがあります。なにより、なぜ、あなたの大切な人が死ななければいけなかったのでしょう。この世は無秩序な残酷さだけが満ち溢れているのでしょうか?
そんなときには、神なんてこの世にいないと思ってしまってかまいません。
こんな無慈悲で残酷なできごとが起こる世の中を創った神なんて、要りやしません。
でも、ひとつだけ、あることに気づいてください。あなたのその嘆きこそ、愛と優しさと正義、そのものであることに----。
そして、あなたがこの世の中を少しずつでも変えていくことができることを。死んでしまった人は決して帰りませんが、例えば、あなたが募金する一枚のコインから飢えた子供を救う糧をあがなうことができるのです。貧しい子供達を死なせないで済むのです。その子の母親を泣かせないで済むのです。

----あなたが、この世では天使なのです。

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あれから3週間(備忘録)

2016-09-23 17:57:34 | 日記
今日のパムッカレ

ご注意、超長文に遺品墓場あり。

義父の看病のために病院で半日過ごし、他の義兄と交代し、夜中の2時に帰宅したイサ。
8月31日、朝6時半に目覚ましが鳴り、
その目覚ましで起きた私は、隣で寝ているイサの足を
蹴飛ばして、早く起きろと急かした。

そして、イサはベッドから起き上がり、シャワーを浴びたのか
記憶にはないけれど、トイレに入り、居間でテレビを点けた。
半分寝ている私に口づけをし、家を出た。

朝8時40分ごろ、イサは玄関を出て、バルコニーから
蒲萄の葉っぱを下にいたバイトくんと義兄にめがけて落とすなど、
いたずらをした。

その後、階下に降りたものの、何食わぬ顔をして、
バイトくんと義兄に声もかけず、
食堂へと向かった。

食堂内で座っていた、食堂社員と冗談を交わした。
防犯カメラで見たけれど、(食堂の)外席を
よくキレイにしてくれたと、イサが彼女に、話したんだそうな。

食堂社員いわく、そのとき、顔が青白かったと。

そして、トイレへ行ったイサ。
そこで、発作が起きたらしい。
トイレから苦しみながら、出て来たイサは
厨房へと向かった。厨房には食堂社員が
いたから、彼女に助けを求めに行ったのだろう。

トイレを抜けて厨房の入口にある一人用ソファにうつ伏せで倒れ込んだ。
驚いた食堂社員は、仰向けに身体を起こし、床に寝させた。
食堂社員は、助けを求めにオフィスに向かった。

義兄4号、バイト君、たまたま義父母宅にいた義姉も駆けつけた。
近所の人が、何やら、救急車を呼んでいる声を家の中で
聞いた私は、義母が大変なんだと、慌てて、着替えて
トイレに入り、急いでアンネ~(義母のこと)と叫びながら階下へ走ったら、
その近所の人が、イサが倒れたと教えてくれて、
頭の中真っ白状態で、厨房へと向かった。

頭を食堂社員に両手で支えられ、
口には玉ねぎを咥えている浅黒い顔のイサ。
義姉が玉ねぎの臭いで意識を回復させようとしたらしい。
何が起こったのか、さっぱり分からず、うろたえる私。
目を開けて~と叫ぶ社員。
近くには、驚いた顔した義母が杖をついたまま、オロオロしていた。

私はイサ、イサと叫ぶものの、
パニックに陥り、手も握ってやらないどころか、
もちろん、心臓発作だなんて、閃かなかったので、
心臓マッサージも、人工呼吸も何もしてやらなかった。
(赤ちゃん羊が死にそうだったときには、人口呼吸をしたのに!!)

救急車到着がなんと長く感じたことか。
実際、9分というスピードで10キロ離れたところから
来てくれたのだ。

救急隊員が、イサに心臓マッサージを施すと、
イサの浅黒い顔が、明るいいつもの顔色に戻ったときは、
生きている!と、思ったのも、束の間、あっという間に
浅黒い顔となった。

私たちは厨房から出され、
救急隊員たちが電気ショックと心臓マッサージを
するのを外から見守った。

8時半ごろ、救急病院へと移送するというので、
義兄5号の運転で姪っ子、義姉、オヤジオフィスのスタッフと
ともに、車に乗り込み、救急車の後を追った。
通勤ラッシュと重なり、救急車を追跡するのが
容易ではなかった。

義兄5号の運転は2次災害でも起こしかねないほど乱暴で、
生きた心地がしなかった。

なかなか道を譲ってくれない車に対し、
いつも冷静なオヤジオフィスの女性スタッフが
窓から半身乗り出しながら、道を開けろと怒鳴っている。

私は安全運転をと義兄5号に声をかけ、(もちろん、義兄は聞いちゃいない)
祈りながら、病院へ行けば助かると信じていた。

病院へ到着し、どのくらい救命措置を施されていたのかは覚えていない。
結局、蘇生を試みたものの、息を吹き返すことは無かった。
ドクターから、お悔やみ申し上げますと
告げられ、ジ、エンド。


未だに部屋に、このままある。
玄関を開けると、これが目に入り、やっぱり死んじゃったんだと実感する日々。


一階の救急処置室から、地下へ行き、
よくテレビで見る冷蔵設備の遺体安置所に移送された。
最後に顔を見させてくれ、私はイサにごめんね、ごめんねと
謝り、まだ、生温かいイサに最後のキスをした。
そして、義兄2号にあとで、イサの髪が欲しいと告げた。

病院からパムッカレに戻ると、食堂の敷地に女性弔問客が座り、
隣接する道路には、男性陣の弔問客がずらっと並んで座っていたのを
目にして、自分の身に起こったことが信じられなかった。

トルコの田舎では、モスクのスピーカーから、誰か亡くなると
村じゅうに放送されるのである。

みんなが一斉に私を捉えた。最初に、食堂社員が私に寄って来て、
なぜ、イサを連れて帰って来てくれなかったのと、泣きながら
叫んだ。

義母は呆然としていたり、大声で泣き喚いたりを繰り返していた。

(当時、義父は入院中だった。義父は退院と同時に、
イサの死後3日目にて医師の立ち合いのもと、
イサの死を義兄2号から、告げられたのだ。
義父は、呆然とし口も聞けない状態だったそうな。

自宅に戻ったときも、しばらくは
口を閉ざし、時折、涙を流し、自分も逝きたいと
呟いていた。

義父を私は一時、憎んだ。
なぜ、イサの代わりに逝ってくれなかったのかと。
だけど、私のこんな思いをイサが知ったら
悲しむだろうと、打ち消すことに必死だった。
義父だって、苦しいんだ。
ほぼ寝たきり状態でも生かされる現実。)

食堂の隣で遺体洗浄専用車の中で湯灌をしてもらい、
最後の別れをした。
また、ごめんね、ごめんね、と謝罪の言葉しか
出てこない私。口づけしようと思ったら
口から血が出て来たので、額にした。
そこで、遺品として、ハサミでイサの髪を切った。

身体を清めてもらったあとは、100%コットンのサラシで
身体を覆われ、棺に納めら、お坊さんにお祈りを
捧げてもらった。

トルコでは、無情にも、死んだ日に土葬されるのである。
せめて、日本と同じように、遺体のそばで一夜を過ごしたかった。

その後、モスクに場所を移し、お祈りをしてもらい、
墓地へと向かった。公共の墓地には、すでに穴が掘られていた。

墓地のすぐそばの祭壇でまた、お祈り。
参列者は数えきれないほどいた。
義兄2号の関係でパムッカレデニズリ市長、
イサが愛して止まなかったパムッカレツーリズム(バス会社)からも
参列してくれたね。

花輪もあった。

祭壇から棺を担ぎあげられ、
参列者(男性)のみなさんが2列に並び、
棺が参列者の手によって墓地まで運ばれた。

異教徒は公共墓地には立ち入り禁止だと思っていたので、
私は、埋葬時には、立ち会うのを控えた。というか、あまりにも人混みが凄かったし、
それに、大体、男性しか行けないと思っていたが、実際には
良かったみたい。

人の波が引いてから、お墓に辿りついた。
もう私の前に一生現れないイサ。
私の隣に寝てくれるイサはもういない。
私の隣で運転してくれるイサはももういない。
私の手を繋いでくれるイサはもういない。
お墓に入っちゃったんだから。

トルコでは、霊柩車、湯灌も無料。
田舎では墓地も無料。

なので、金はかからないと思っていたが、
いやいや、とんでもない、相当な額が吹っ飛びました。

弔問客へ食事の提供、お茶などの飲み物。
ピデ(トルコピザ)300人分を二日間とか、
アイラン(塩味ヨーグルトドリンク)300人分とか。

葬式3日目には、ヘルワという、甘いピーナッツペーストと
一緒にパンを村じゅうの人に配った。
私は葬式の手順など知る由もないので、
すべて、義兄たちに委ねた。費用も義兄たちが
出してくれた。

私は一日目のピデ(トルコピザ)300人分を負担しただけ。
日本のように香典なんて、慣習はないからね。

52日後に、メウルートと呼ばれる、いわゆる法事がある。
それにも食事代にお金がかかる。


ここは日本のシステムを採用しよう!
みなさん、一人100リラ、包んでちょうだい!
って、言えたらいいね
そんなことしたら、誰も来やしないよ。




イサが私を置いて旅立ってから、3週間が経った。早いもんだ。
47年間の人生分以上の涙を流した。

一体、時計の針をどのくらい戻したらイサは死なずに済んだのか?
考えれば考えるほどに、苦しくて、胸が張り裂けそうで、
鬱状態になっちゃうかなとそれも怖かった。

愛する人を失った人への100の言葉の中に、
私と出会ったのも運命なら別れも運命だったはずとあった。

実質一緒に暮らしたのは13年半だったけれど、
今年は結婚10周年だった。
短い結婚生活だったけれど、普通のサラリーマンの夫婦に
比べれば、自営業同士、ほぼ24時間一緒だったから、
30年分は一緒に過ごしていたかも。

出掛けるのもいつも一緒。3食いつも一緒。
一人で私が出かけるの禁止だったから余計に
そうだった。

日本へ里帰りすると、ストーカーのように
毎日電話して来たっけ。

イサとの別れも運命なら、なんとなく、そういう宿命だったのかと
思うようになった。だって、私の実家に私の部屋が残っているんだもの!

日本の家族は手ぶらで嫁に行ったんだから、手ぶらで帰っておいでと
言ってくれた。

死ぬ前夜、義父と過ごしたイサ。それも決まっていたのかな?
イサよりも私のほうが、義父母の世話をしたいと
強く言って、駐車場に義父母の部屋を作ったけど、
それも、死ぬ日が決まっていたからなのかな?

8月の甥っ子二人の結婚式、そして、近所の人の結婚式が
無事終了、他の人の祝い事が絶対に被らない、水曜日に
死んだイサ。神さまはすべて計算していたんかい?

甥っ子の結婚式のために、海外から駆け付けた姪や甥にも
会えたね。神さまがそこまで、配慮してくれたのかな?



義姉が2週間ほど、夜を一緒に過ごしてくれた。
日中は働いたりして、気が紛れたけれど、
夜の静けさは堪えた。あの心細さは一人では耐えられなかった。
居間から聞こえる義姉の寝息は子守歌のように
私を安心させてくれた。イサの寝息にも似ていたから。

時には手を握って一緒に寝てくれた義姉。
数年前、私が入院時、絶対安静のときも
5日間、付きっ切りで看病してくれ、
下の世話までしてくれた義姉には、頭が上がらない。


犠牲祭でイサのために捧げられた羊ちゃん。
ありがとう。


御墓参りに行くときに、義兄4号が、ケントに乗れ!言い、一緒についてきちゃった。
あたしゃ、知らないよ。


1年後、土がちゃんと固まったら、上の画像のように、
大理石などで、御墓が建立される。今は、なんだか貧乏ったらしい、仮のお墓みたい。


ケントは父ちゃんと話をしたのかな?



ブログに寄せてくださった、皆さんからの温かいお言葉、
メールにて、ご自身の辛い過去を思い出し、語ってくださったり、
私が少しでも癒されるようにと、本や歌を紹介してくださったり、

わざわざ、フェティエ、イスタンブール、カッパドキア、アンカラから
私のために、駆けつけて、下さったり、

食堂へとお客様として、足を運んでくださったたくさんの駐在員ご家族の皆様。
中には、入りずらかったでしょうに、声をかけにくかったでしょうに、
励ましのお言葉、お心遣い、

心から皆様に感謝申し上げます。


私は、イサだけが要れば、友達も誰も要らない、
親戚付き合いなんてゴメンだと
思い、トルコ語を疎かにしてしまいました。
異国の地でイサに頼り切った生活をしていたせいか、
病院にも一人じゃいけない人間になってしまいました。
日本じゃ、一人で行けますよ!

イサを失い、これまで味わったことのない孤独感、喪失感、
言葉では表せない感情が私を襲ってきました。

イサの死は私を二度と立ち直れそうにもないくらいに
暗闇に突き落としたのです。

でも、皆さんの叱咤激励で、意外に早くトンネルから
抜け出たような気がします。まだ、これから、浮き沈みは
あるでしょうが、なんとなく乗り越えられそうです。

一番辛かったときに、犠牲祭という連休があり、
食堂が大忙しでした。それで、気が紛れたこともあります。
がめついと思われてもいい、社員の生活を守るのは
イサの願いだったはず。

そう言い聞かせ、無我夢中で
働きました。それも相乗効果があったようです。

これから、相続の問題とか色々と対処しなければ
なりません。トルコでは、血が優先されるようです。

トルコで、トルコ人と結婚した日本人女性(殆ど、日本国籍なはず)に
参考になるような情報を今後お届けしたいです。

ひとまず、私は日本国籍ではあるものの、
夫の年金を受け継ぐことが出来ました。
それは、夫が死亡した日から発生するそうです。
私には子供もおらず、もらえるか不安でした。

もともと、夫の年金は今年受給開始のはずでした。
私は未亡人年金となるようです。

訂正↑ すみません。こう書いたものの、
まだ受給開始になるか、定かではありません。
裁判所で審議され、それで、どうなるか決定されるようです。
やっぱり、トルコ国籍ではないと、いろいろとハードルが
高いようです。


ケントは元気です。
今朝、オフィスの鍵を開けたときに、
その音で、ケントがバルコニーから
走って来ました。多分、イサが帰って来たと
思ったのかも。

バカイサへ、
あんたがいきなり死んじゃったから、
近所の子供たちや甥姪っ子たちがしばらく
ショックで不眠症、拒食症になり、大変だったんだから!!

姪っ子のところばかりに
ラム子を頼むと何度も夢に出てきて、
私のところには、なんで来ないんだよ!!




長い文章にお付き合いくださいまして、
ありがとうございます。

私は、しばらくトルコで生活します。
下を向いて泣いてばかりでは、
先に進めません。ヒマワリのように
上を向いて、歩いていきたい。

どうぞ、今後とも、ご指導、ご鞭撻をいただければ
幸いです。

皆様、一人一人にお会いして、心から感謝の気持を
伝えたいところですが、この場でお許しください。
ブログへのコメント、メールへのお返事は
必ずします。

ブログも不定期にはなりますが、続けます。
あ、今までも不定期だったっけ。

皆様の益々のご多幸、ご健康を心からお祈り申し上げます。

ラム子


10年以上前の写真。日本にて。若かったね~。




食堂を改装するときに、一人で解体作業を楽しそうにやっていた。









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