今朝の散歩で気が付いたが、まだ7月(7月も今日で終わりだが・・・)なのに、稲の穂がちらほら出始めていた。ここのところ暑い日が続いたので稲もめっきり成長していた。最近の農業は9月の中頃には、この辺では、稲刈りが始まるようだ。子供の頃の農業のイメージとは全く様替わりしていて、全くついていけないこともある。いや・・農業ばかりではない。すべての事が進歩、進歩して、この老人には、ただ、ただ、目まぐるしく感じる日々である。
ここのところ、めっきり足の衰えを感じるようになった。86歳にもなれば仕方のないことかもしれないが、朝の散歩も歩数をだんだん減らしていく状態だ。心配なのは、自転車で図書館へ行くことだ。別に図書館へ行かなくてもいいのだが、この年寄りの唯一の楽しみがなくなることは、悲しいことだ。最近電動自転車を購入することを検討している。バスという方法もあるが、乗り換えがあり、とても不便なのだ。運転免許を85歳で返納したら、外へ出る機会も少なくなり、何か最近ボケが始まったように感じる。それにしても図書館が遠すぎる片道6.5きろある。それに帰りは上り坂だ。86歳のおいぼれには所詮、無理な話かもしれない
コロナワクチンの2回目の接種が今日ようやく終わった。まだ高齢者で済んでいない人も多々あるようだ。これで一先ず安心と思いたいが、まだどこまでの効果が期待できるのか不安な点もある。尤もこの年寄り(86歳)などはどこへ出かけることもなく、2週間に1度、図書館へ本を借りに行くぐらいで、感染の不安は、もともとなかったのだが・・・しかし、自動車免許を85歳の時に返納してしまったので、今は、自転車で片道6キロの道を往復するので、かなりの負担である。最近は朝の散歩も4000歩と以前の6000歩からペースをダウウンさせたのだ。やはりいくら若いつもりでも、よる年波には勝てないようだ・・・・・。
早朝(4時30分ごろ)日課としての散歩に出かける。(そんな朝早くなくても・・・)と言われているが、何分にも朝3時には目が覚めて、新聞も読み終わってしまっているので、退屈まぎれに散歩に出かける。最近は杉山のふもとを通ると「ヒグラシ」が鳴いている。ひぐらしは夕方、鳴くものかと思っていたが、早朝も啼くようだ。「ひぐらしの」鳴き声はあまり良い印象を持っていない。子供の頃(未就学の頃)兄弟が多いいので、夏は父の実家に預けられていた。父の実家は、ほんとうに森の麓の1軒屋で、同年代の子供もいない、子供にとっては全く退屈の日であった。夕方になるとこの「ひぐらし」が泣き出すと、母や兄弟が恋しくなり、涙ぐんでいたことを思い出す。そういえば、長男が幼稚園の頃、麓のキャンプ場にキャンプに長男を連れてキャンプに行ったことを思い出した。やはり、朝早く蝉「ヒグラシ」の鳴き声で目が覚めて、朝食が早くなてしまったことを思い出した。
毎回相撲番組を楽しく見ている。しかし、どうも気になることがある。力士の塩をまく場面だ。「照強」の塩をまくあのパホーマンスだ。戦中、戦後の食料不足、物不足、すべての食に関するもの、(生活関連も)配給の(それも量的には少なく)中を生き抜いてきた我々年代のものには、あのパフォーマンスはいただけない。当時は 米、「塩」(米の代わりに、さつま、ジャガイモ、)が非農家の者たちには、配給であった。しかも、満足のいく、量ではなかった。たえず食べ物に不安を感じて育った自分には(自分と同年代の人も)あのパホーマンス不愉快だ。真っ先に「ああ、もったいない」が頭にくる。鶴田浩二のセリフではないが、古い人間だと思われますが、やっぱり、あのシーンはいただけない。