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(日記)黄色の銀杏の落ち葉が途一面に

2015-11-26 15:34:30 | 日記
 ここの所天候が良くなく、植木屋仕事ができないので図書館へ行った。図書館のいちょう並木の黄色の落ち葉が途一面に落ちていた。そんな中を歩いていたら、昭和18年の今頃のこと思い出した。当時自分は小学校1年(当時は国民学校といわれていた)課外授業の一環として上野公園にいちょうの落ち葉を100枚拾いに行った。敗戦色が強くなってきた当時であったが、日本は必ず勝つと真剣に思っていた。やがて神風が吹いて必ずや勝利すると真剣に子供ながらに思っていた。ところが忘れもしない昭和20年の3月9日の晩、東京大空襲で、命からがらにげて、何とか死なずに済んだが、それからというのは苦難、苦難の連続で、昭和30年の時の就職には当時学力より縁故関係で就職が決まるのが主であったので、某商店の住み込み店員にしか仕事がなく、やむなく就職した。それからは不運続きで今に至っている。テレビなどでセレブな生活をしている人などを見ると、自分はなんと不運なのだろうと、今も思っている。でも、来年は80歳になるが体はどこも悪くなく、高い植木を三脚をかけ、好きな植木屋仕事をできるということは、なにはなくても幸せなのかもしれない。小学校頃はアルバイトで各農家に納豆を売りに、中学、高校と新聞配達と、夏休みにはアイスキャンデイ売りと、いろいろとアルバイトをしたが、そのおかげで体が丈夫になったのかもしてない。考えようによっては、引退などせず、元気で働くことが出来ている今が一番幸せなのかもしれない。でも、やはりテレビなどで見るセレブな生活には、あこがれもある。
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(日記)フランスのテロに思う

2015-11-21 15:52:15 | 日記
 テレビでは毎日フランスのテロのニュウスで持ち切りだ。宗教の違いとはいい、なぜあそこまでやらなければならないいか、憎しみ合わなければならないか、自分にはわからない。むろん宗教の違いとばかりは言えない部分もあることはあるが、根本は宗教の違いのような気がする。自分は無宗教で、宗教を語る資格はないが、彼らの行動は神の教えとは全く違っているようだ。宗教が違っても仲良くやっていけないものだろうか?そこへいくと、日本人は他宗教については、寛大といえば寛大だが、やや、適当だともいえる。結婚式は神教で、葬式は仏教でと、あるいは教会でキリスト教と、挙句の果てはキツネまで祭り上げる(稲荷神社)。まあ、いい加減といえばいい加減だ。数を上げれば馬頭観音、道祖神、更に新興宗教と、数を上げればきりがないが、それでも日本人は平和に過ごしている。テロを起こした彼らには彼らの言い分もあるだろうが、何の罪もない人を殺すことなど、理由はともあれ許されるべきではない。あまり宗教にこだわらない日本人に生まれて幸せだと思っている。
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認知症になったかも?

2015-11-08 15:52:30 | 日記
 最近年のせいかもしれないが(80歳)、物忘れがしばしばある。家では今使っていた老眼鏡の置いたところが忘れて、探し回ったり、携帯電話の置いたところが忘れて、探してもなかなか見つからず、最終的には自宅の電話で自分の携帯に電話して、その着信音で見つける次第だ。パソコンをしている時も、しばらく使ってないフアイルなどがどこのフォルダに入れていたかしばしば迷うこともある。この間はある家の庭木の低手をしていて、梯子がどうしても届かず、梯子かけが難しい木があったので、木の登って選定をした。(植木手入れとしては最低だプロの植木屋が見たら笑われてしまう)その時首から下げていた携帯がなんとなく邪魔なので、近くの植木の枝につりさげて、木の登って選定した。作業が終わっていざ帰るとなって携帯のつりさげた木のところに行ったが、そこにはない。ハテどの木につりさげたか迷って、かなりの時間探した。その家は留守宅であるので、当家に自分の携帯にかけてもらうわけにはいかず困惑していた。そのとき郵便配達員が郵便物を当家のポストに入れていたので、事情を話して自分の携帯にかけてもらって、あやふく難を逃れることが出来た。長生きも考え物だとつくづく思った。自分のおふくろは100歳まで生きるといっていて、施設にはいいていたが、おふくろの洗濯物を仕事の帰りに寄って来ることが一日おきにしていたが、晩年には時たま、自分が行くとたまに「どちらさんですかと」言われることも多々あった。そのおふくろも98歳であの世に旅立った。最後に洗濯物を取りに寄った時、施設の方からどうも今日は具合が良くないと聞き、「また来るからね」と行って別れるとき、「ハイヨ」言って手を振っが、今まで手などを振ったこともないのが、何だろうと思いながら帰ってきたが、その翌朝早く施設からの訃報の電話があった。
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ハロウインが終わって

2015-11-01 17:29:53 | 日記
 1か月も前からハロウインの話題が、テレビなどで騒がれていたが、80歳になる自分には何のことかわかららず、あのバカ騒ぎはいったい何なのだろうかと、いつも思っていた。若者たちが普段のうっぷんを晴らすのかなとも思ったりする。自分が若い頃はクリスマスの晩は銀座や、新宿で結構騒いだものだが、何かその時の騒ぎ方とちょっと違うような気もする。今から60年も前だから時代も違うといえば違うだろうが、自分たちの騒ぎ方は今のハロウインとはちょっと違っているようだった。第一道路にあんなにごみと化したものを捨てていくなど、当時はなかった。別にクリスチャンでもないが、やはり一か月ぐらい前からラジオからジングルベルの曲が流れて、何となく浮かれていた記憶は、今も覚えている。でも、やはり正月の休みに実家に帰ることが何よりの楽しみだった。別に実家に帰っても面白いことも、ご馳走などもないが、竹馬の友とあえて思い出話、また自分の近況などを語り合うのが楽しかった。今はもう当時の竹馬の友などもあの世に行ってしまって、いよいよ自分も 自分の終活を考える時が来たようだ。自分の死後は検体にしてもらおうかと思っているが、検体希望者が今は結構多いようで、検体にしてもらうのも結構難しくなってきたようだ。
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