コロナも、わが県ではだいぶ、治まて来たので、今日は近くの道の駅の温泉に行ってきた。しかし、すべての制限が解除になったわけではないので、やはり人の出は少なかった。今日の目的は、最近、肩が凝るので温泉専属のマサージにかかる目的であったが、温泉のマッサージはまだ許可が下りてないとのこと、「がっかり」。しかたなくマサージの機械で間に合わせた。やっぱり、機械では思うような効果はない。帰り道、幼稚園の脇途を通ったら、ちょうどお母さんたちが、パートの合間を、お迎えに、いそいそとしていた。子供にプリプリしているお母さんもいた。でも、そんな時が人生一番幸せな時なのだ。仕事で疲れて家に帰ってきたとき、「おかえりなさーい」と子供が駆け寄ってくる時が一番幸せな時なのだ。孫も大学生になると、お年玉をもらいに来るときしか来ない。
昨日からの雨もやみ、図書館の脇の道路は銀杏の落葉で道路一杯黄色になっていた、そのため自転車が滑って危ないように感じた。この次に図書館へ来るときはもうイチョウはすっかり落葉しているだろう。銀杏ならず全ての落葉樹は葉を落とし寒々と感じることだろう。図書館のわきの公園も冬の装いになっていることだろう。何かものすごくものさびしく感じられる。自動車免許を返納して6年になるが来年はもう足が利かなくなって自転車をこぐことが出来なくなるかもしれない。図書館も通い始めて約30年になるが、足が利かなくなって来られなくんると思うともの悲しく思う毎日だ。
今日も高齢者運転事故がテレビで報じられていた。自分は80になった時(現在は86才)免許返納してしまった。非常に不自由な生活が続いていたが、今は車なしの生活がさほど苦にならなくなった。返納した当時は生活に非常に不便を感じていたが、今はさほど不自由は感じなくなった。唯思うことが一つある。自動車が運転がマニアルからオートマに切り替わった時、こういう事は自分は予想していた。確かにオートマは楽かもしれないが、マニアルの場合はブレーキを踏むときは必ずクラッチを踏むので、たとえブレーキとアクセルを踏み間違えたとしても、クラッチを踏んでいるのだから、速度は出ない。シルバーセンターで仕事をしているとき、相変わらずマニアルの自動車を運転している人(自分より年上)がいたが、運転は複雑になるかもしれないが、マニアルのほうが無難かもしれない。
今日は朝から雨が激しくふっていた。朝の散歩も出来ず、パソコンのワードの調子がイマイチななので、業者に来てもらってなおしてもらった。パソコンを買ってから7~8年たつので買え変えを考えていたが、良心的な業者なので売る気にならず、修理してくれた。あるいは85歳という自分の年を思い、行先永くない命を考えて、売る気が無いのかもしれない。いや、そんな風に考えてはいけない。あくまでもお得意様へサービスと思う。電化製品なども、もう50年の付き合いなので、やはり長年の付き合いという事で、半日もつぶして修理してくれた。修理代もとらずに帰ってしまった。大型家電の店でいくらでも安く買えるのだが。長年の付き合いで、自分の補聴器までお世話になっている。
図書館で見つけてきた「昭和30年代を読む」という本を一気に読んだ。昭和30年と言えば自分が高校を卒業した年だ。読んでいくうちに、いろいろと思い出されることが沢山あった。何よりも自分が高校を卒業した年だ。空前の就職難でとりあえず某商店の住み込み店員として働きだした年だ。朝6時からお店の掃除をし30分ぐらいで食事を済ませ夜の10時ごろまで働かされたことを思い出した。労働基準などあってもなきがごとき、休日は月2回となっていた、2~3年したとき基準監督署のほうから毎週日曜日には休日を与えるようにとのいお達しがあて、夜の11時ごろ近所の住み込み仲間と銭湯で、「やっと自分たちも人間並みになったなー」と湯船に入りながら話し合ったことを、この本を読んでいくうちに思い出した。当時、池田総理の「貧乏人は麦を食え」の話がもちっきりであった