今年の4月大学を卒業して、マスコミ関連の会社に、就職した孫娘が半年ぶりに来た。何と、茶髪であった。「なんだその頭は」と言ったら、「じいちゃんは、ファッションセンスがないね」と・・・。「ファッションだか、クッションだか知らんが、日本人の髪の毛は黒に決まっている」。87歳のじじい、ますます世の中から孤立していくような気持であった。久びりに孫娘と歓談し、良い一日であった。
毎日、おいぼれ(87歳)のすることは、何もない。毎日が読書と散歩で、たまに我が家の庭木の手入れ、草むしりで、1日を過している。散歩は早朝で、今は薄暗い。今日は久しぶりに日中の散歩であったが、各家々の庭木の剪定がされてないのに、残念の気持ちであった。我が家の近くの「K]さんの所は、腰の高さの石垣の上に「どうだんのもがり」と玄関の門かぶりの松。木犀、木斛、と皆いい植木であるが、この秋手入れをしなければ、もう樹形が滅茶滅茶になって、とても品のある家と、植木類がダメになってしまう。60歳定年で、シルバー人材センターで80歳まで各家庭の植木選定を仕事としていたせいで、今でも散歩のときは、各家庭のの庭の状態が気になって仕方がない。わずかなお金で庭木が綺麗になるのだから、ぜひ植木屋に(シルバー人材センター)頼んでみたらと、余計な心配をしている。
ここしばらくは、図書館で借りてきた本は、昭和史関連である。戦中、戦後を通して、戦中の歴史に興味を持っている。自分の人生の始まりであるから・・・。第2次世界の真っ最中の時、小学校(当時は国民学校と言っていた)2年であった。父の実家に長男、次男は空襲で死なせることがあってはならないと言うことで、母、兄弟(6人兄弟)と別れて、学童疎開をした。親兄弟と別れての生活、東京の学校と、父の実家の学校では、いろいろ違いがあって、毎日、苛めにあったことが思い出されてきた。小学3年の時、戦争が終わった。これで親兄弟一緒に暮らせると、本当にうれしく思った。戦争に負けたことなどうでもよかったように感じていた。そんな事を思う出しながら本を読んだ。因みに昭和史の著者は「半藤一利」自分より6歳年上で自分と同じ東京大空襲を経験した方だ。今年の初めに他界されたと聞いたが、昭和史の生き証人がまた一人いなくなってしまった。
相撲の秋場所も、熱戦が繰り広がってきた。子供のころから相撲フアンで、場所、場所の取り組みを楽しんでいる。最近残念に思うことがある。相撲と言えば日本独特の国技である。しかし、力士の出身地を見ると、最近モンゴル出身者が多いのに、驚かされる。横綱など、日本人の横綱はしばらく見ていない。(稀勢の里が最後)人種差別的な考えは無いが、日本古来の伝統的な国技である相撲は、やはり日本人の力士がもっと多くなって欲しい。見た目では、モンゴル人も、日本人も変わらないようだが、力士の紹介の処でモンゴルと表示されると・・・。
敬老の日のお祝いの招待状が過日来ていたので、今日行ってきた。自分は(T)地区、200名ぐらい、いた様だ。女性が多かった。女性は若々しく、男性はお年寄り、といった感じであった。余興に市のフラダンスの愛好会のダンスを見せてくれた。とても色っぽく、少し若返ったような気がした。市でもこんな生産性のないお年寄りに予算をかけるのも多変だろうに・・・。毎日家で読書とパソコンで、暮らしている自分には、大勢の人とお祝いを受けたことに喜びを感じた。