一昨日と昨日二日間にわたって、久しぶりに植木屋の仕事をした。かなり高い木が沢山あり高齢の自分には(76歳)ちょっときつい仕事であったが、作業を終えた後、自分が手入れした植木(松)を眺めて何となく気持ちが充実した。やはり人間は仕事をしている時が一番幸福なのかもしれない。在職中は定年後は毎日、盆栽、読書、パソコンと、趣味で毎日を送ろうと思っていたが、毎日が趣味ではそれはもはや趣味ではなくなっている。忙しい間をぬってするのが本当の趣味を楽しむことになるようだ。やはり人間は仕事をしている時が一番幸せなのだろう。、
毎日の生活で、格差がどんどん広がっているとニュースで報じられている。確かにテレビなどみてセレブな生活をしている人を見ると、今の自分の生活がみじめに感じられる
自分が中学生のころ(昭和26年頃)自分は将来毎日3度の食事と毎日の入浴、そして毎日の下着の取り換えが出来て、夜は自分専用のラジオがあれば、何も文句はないと日々思っていた。それが今では食事、入浴、下着の取り換え、そしてテレビ、パソコン
車は3ナンバーに乗っていて、日々の生活に特に困ったことはないが、やはり何か不満がある。人間は何時も不満で一生を終るのだろうか。
自分が中学生のころ(昭和26年頃)自分は将来毎日3度の食事と毎日の入浴、そして毎日の下着の取り換えが出来て、夜は自分専用のラジオがあれば、何も文句はないと日々思っていた。それが今では食事、入浴、下着の取り換え、そしてテレビ、パソコン
車は3ナンバーに乗っていて、日々の生活に特に困ったことはないが、やはり何か不満がある。人間は何時も不満で一生を終るのだろうか。
3月に入って天気が悪く(晴天の日)が続かないので盆栽(盆栽といえるかどうか)の植え替えが思うようにはかどらない。天気の合間を見て少しずつ始めたが、寄る年波にはかてぬということがつくづくわかった。3年後の植え替えのときは、はたしてできるかなーと思いながらコツコツと始めてみたが、意外と体にこたえた。もうやめようかと毎回思うのだが、苗木から40年丹精込めて育ててきた盆栽であるから捨てるに捨てられず、かといって今後も続けて育てられるか、日々の水やり、選定等、管理がはたして今後も従来のようにできるかどうか疑問だ。自分の体と同様に盆栽も自然に衰え枯れてていくのだろう。なんと夢のない話だろう。
あの大震災から、はや一年が過ぎた。その間余震が毎日のようにあり、日々、日本という国が海の底に沈んでしまうような気がする。更にそこに拍車をかけるように政治の世界が混迷を極めていて、自分は、もうそんなに長くはない人生だが、これから日本はどうなるのか、心配だ。被災地の復興は当然だが、国会議員の皆さん自分の選挙区だけ見ていないで、また政局だけでものを言うのでなく、日本の将来、また世界にもっと目を向けて活動してほしいと、いつも願っているのだ。
昨日(1日)はとてもよい天気で、いよいよ春だと思わせる一日であったが、今日は冬に逆戻りしたような天気だ。雨が9時ごろから降り始め、気温も上がらず、こたつで本を読む一日になってしまった。今年の冬は特に寒さが厳しく、自分のような高齢者は特に答えた。何しろ一月には敬老会の招待がきたのだから・・・。退職時(60歳)の計算ではせいぜい75才までの人生しか考えていなかったのだから、この調子だとまだ人生を切り上げるにはあと数年、老人人生を送ることになる。テレビでは毎日のように高齢者が増えるニュースで、生きているのが申し訳ないような気がする。厚労省は盛んに高齢者の健康診断や、その他で高齢者の長寿を図っているようだが、本当のところ政府は高齢者を大きな荷物と思っているような気がする。