音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

次なる伝説は、永遠に僕達の記憶に残したこと

2010年11月05日 | インポート

Michael_jackson

 最近になってようやく聴く気になった。

 聴かなくなったのには色々理由があるけれど、サウンド的変化というよりも(むしろそれは歓迎すべき変化で)数々のゴシップに塗れた彼の周辺の変化によって嫌気がさしていた為だ。

 加えてアルバム『バット』以降の身体的変化にもある種違和感というか驚きに満ちた感想を抱いていて、とりわけ、『デンジャラス』リリース当時の彼の風貌の変化には直視できないくらいの驚きを感じたものだ。

 虚偽に彩られた偶像と呼ぶべきか、とにかく一時期は彼の記事を見る事さえ嫌になっていた。 

 そういうわけで彼を嘲笑する番組や記事をここ十年間は、一切遠ざけていた。

 ようやく彼の音楽を聴く気になったのは、本屋さんでたまたま西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』という本を見つけた為だ。

 でもそのときも手にしたもののすぐには読まず、数日の逡巡はあった。

 聞く気はなくとも自然と耳にしてしまうマイケルの噂話。

 ジャクソン家のスパルタ教育で父親から虐待を受けていた幼少期。ネバーランドの自宅での浮世離れした私生活。想像を絶する浪費癖…などなど、枚挙に暇がない情報が耳をすり抜ける。

 そういったメディアによって刷り込まれた情報をさらに文字で正確になぞるなど決して耐えられることではなかった。

 しかし、西寺氏の経歴を読むにつれ、彼に対する信頼度が増してくるのを感じた。Michael_jackson_off_the_wall

 彼なら少なくとも、事実を曲げることなく、ありのままのマイケル・ジャクソンの姿を伝えているに違いないと思い、ページを捲ることにした。批判的な箇所に出会えばいつでも本を閉じる気だった。

  80年代初頭に起こったマイケル・ジャクソンの『スリラー』の爆発的ヒット。当時、僕は総売り上げ一億一千万枚という桁違いの数字に度肝を抜かれた。

 若くしてその才能を開花させたマイケルはわずか二十歳そこそこで莫大な富と名声を得る。

Michael_jackson_thriller しかし、クインシー・ジョーンズとタッグを組んでレコーディングに挑んだマイケルにとって『オフ・ザ・ウォール』から『スリラー』に至る商業的大成功の過程は、結果的にマイケル自身を追い込んでいった。

 彼は『スリラー』を超える次なるアルバムに取り掛かったが、結果的には思うような成果を得られなかった。

 それどころか、次第にマスコミは彼を糾弾する側に回り始めた。

 「整形疑惑」や彼の「白人崇拝」が一部のマスコミの槍玉にあげられ、興味本位で報道されたかと思えば、少年に対する猥褻行為疑惑が浮上したときは彼のシンガーとしての生命をも脅かす事件や裁判に発展し、「もう彼の時代は終わった」と囁かれるほどのピンチに陥った。

 音楽とは程遠いところで、奇異な出来事や噂が取沙汰され、ファンやそうでない人たちの記憶に刷り込まれていく。

 例外なく僕もその中の一人だった。

 西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』でもっとも興味のあったジャクソン・ファイブ時代のマイケルはその後、家族や兄弟との金銭的確執を生んだが、それは彼の音楽的野心が生んだことで、シンガーとしてはプラスになることだった。

 『スリラー』で頂点に登り詰めたマイケルが夢に見た次なる野望はこの『スリラー』を超えるアルバムを製作することだった。

 『スリラー』で得た有り余る費用を投じてレコーディングされた『バット』は結果的に『スリラー』を超えるどころか、思わぬ低評価の審判が下された。

 この不振が長く影を落とし、アルバム・リリースの間隔が次第にあき、『デンジャラス』から『インヴィンシブル』までは実に十年という歳月が経過していた。

 「ラスト・コンサート」と銘打たれた『THIS IS IT』もこの時点では新アルバムのリリースはなく、彼の持ち歌による「ファンがもっとも聴きたい曲」で構成されたコンサートを計画していたらしい。

 しかし彼はもっとも遣り遂げたかった夢を果たせず、五十歳という若さでその生涯を閉じた。

 彼は十代、二十代の夢は見たかもしれないが、五十代、六十代の夢を見ることは叶わなかった。

 未完成に終わったとはいえ、『THIS IS IT』は予想外の反響で、そのリハーサル風景はあたかもコンサートを想定したような完成度で、後に映像化されたり、映画用のサウンドトラックまで彼の死後にお目見えした。

 実にこの『スリラー』以来の再ブレイクもマイケルの伝説の一部でしかないのだ。

 活字中毒:「モータウン時代にソロを出しているとはいえ、ジャクソン・ファイブを離脱してからのスタジオ・アルバムが合計5枚というのは少なすぎるよな」

  BG:「たしかにキング・オブ・ポップの称号を手にしたわりにアルバム・リリースのペースが90年代半ば以降は急激に減っていったわね」

 活字中毒:「僕は『スリラー』と『バット』の頃、まさにリアルタイムでマイケルを聴いていたんだ。

 で、まず驚いたのは、わずか5年間で風貌が変わってしまっていたことだった。Michael_jackson_bad_2

 この頃から人気に翳りが生じていた。

 アメリカでは『バット』は低評価でグラミーの常連だった彼にとっては屈辱的な結果だった。

 しかし、日本ではまずまずの評価だったような気がする。アルバム全体で言わせて貰えばむしろ『スリラー』よりも『バット』のほうが好きだな。

 当時よく聴いたいたのも『バット』のほうだった。

 〈マン・イン・ザ・ミラー〉が大好きなんだよ。

 ポップなゴスペルみたいでね」

 BG:「未だに私『スリラー』があんなに売れたのが信じられないのよ。

 『オフ・ザ・ウォール』の成功で、減速することもなく、その勢いで作ってしまったって感じだったけれど、まだまだクインシー・ジョーンズの影響が強いアルバムだったわよね『スリラー』って」

 活字中毒:「クインシー・ジョーンズは、ジャズ畑出身の音楽家にしては大衆的な音楽を作る人という印象だよな。

 アルバムを出すときに彼に着目したマイケルの先見の妙の凄さには脱帽だよ。

 ふつうならプロデューサーに選ばない人だからね。

 もしかしたらマイケルの頭の中では『オフ・ザ・ウォール』のイメージが出来上がっていたのかな。

 『スリラー』の商業的大成功はマイケルにとっても予想外だったろうけれど、どこかの時点で突出した成功は収めていた気がするんだ。

 ただ不運なことにマイケルにとってその時期があまりにも早すぎた」

  BG:「なんだ、やればできるじゃん、みたいな自信なのかしら。あんなに売れちゃうとマイケルじゃなくとも変になるわよね」

 活字中毒:「そりゃ、マイケルだってあんなに売れるなんて信じられなかっただろうさ。でも売れてしまった。そうやって大金を手にした聖人によからぬ連中が“集り”“強請り”で肝心な音楽活動が立ち行かなくなったというのが実際のところだろうね。

 大金持ちには所詮世間の目は冷たいものさ。

 次第に金蔓のような存在になっていった…」

 BG:「いい曲を書いても、音楽以外のところで余計な神経を使わざるを得なくなった。

 音楽家としては致命的な状況よね」

 活字中毒:「最近僕は『バット』以降の彼の音楽に耳を傾けているんだ。

 その中でひとつだけ気がついたことがあるんだ。

 クインシーと袂を分かち、新しいアルバムの製作に取り掛かったマイケルは、今度こそ『スリラー』を超えてみせるぞ、という途方もない野心はいくらか修正されていると気づいたんだ。

 『スリラー』の時代は、まだアナログ・レコードが台頭していた。

 あのアルバムがあんなに売れたのはアナログ・レコードだったという状況と様々な時代的追い風、たとえば、かつてないホラー・ブームに乗ってあたかも『スリラー』が時代の足並みに揃えるように現れた。

 好景気に後押しされたってことも決して無関係ではないし、世界的に生産性が殺人的に進んでいたことも無関係ではない気がする。Michael_jackson_invincible

 作っても作っても不足する状況が作り出した悪魔的なアルバムだったともいえるかもしれない。

 それに比べて、『デンジャラス』と『インヴィンシブル』は妙にリラックスして聴けるんだ。

 サウンドも特別ではないし、今風で違和感がない。

 そもそも『スリラー』はあの時点で作られたアルバムにしてはどこか風変わりで特別だった。

 かつて聴いたことがないサウンドとマイケルのパフォーマンスが与えた驚異は、そのままこれが新しい次なるサウンドの幕開けなんだって僕達は予感していたんだろうと思う」Michael_jackson_dangerous

  BG:「なんか漸く、クインシーの呪縛から解き放たれたマイケルの心地いい居場所のような気もするわね。

 サウンドもとげとげしくなく、突っ張ってもいない。自然なままのマイケルって感じがするわ」

 活字中毒:「〈ブラック・オア・ホワイト〉を聴いたとき、ああそうか、マイケルはきっとこんな音楽をずっと作りたかったんだなと思ったよ。

 この『デンジャラス』のアルバム・ジャケットも僕のお気に入りさ」