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ぱんくず通読帳

聖書通読メモ

テモテへの手紙一読了

2007-03-18 17:04:00 | テモテⅠ、Ⅱ
パウロはエフェソの教会を
若い仲間のテモテに託した。
エフェソは様々な偶像崇拝が背景にあり、
またパウロは教会の中からさえ
邪説を唱える者が出て
教会が荒らされる事を予期していた。
その教会を託されたテモテのプレッシャーは
相当なものだったであろうし、
過酷な立場で群れを指導した事がわかる。
テモテを見下し小馬鹿にする信徒も
多数いたのだろう。
テモテはストレスで
胃をやられてたのかな。
パウロの気遣い。
親心。
教会を守り育てるのは
大変な大仕事だ。
昔も今も。


母教会でも今の教会でも他の教会でも
見た事がある。
牧師や役員よりも信仰歴長いとか
学者、医者、教師、金持ちだとか、
その他社会的に地位の高い信徒が
教会の中で発言権強く
牧師や他の奉仕者を見下しとぐろを巻くのを。
実際に耳にした言葉を並べてみる。


「あんな若造に教会の何がわかるか。」


「聖書の勉強ばかりしてる世間知らずが。」


「あんな人に牧師を務める資格はない。」


「昔、世話してやったんだから
 うちの教会で奉仕するのは当り前。」


テモテ=牧師。
こんな信徒に取り囲まれて働く牧者を
パウロは激励している。


テモテへの手紙一を上っ面だけ読み違えると、
教会の牧会者や指導者に『完璧な信仰者』という、
ある種の理想像を要求しているかに受け取れる。


実際、牧師を批判したり排斥する人は
この手紙の字面だけを根拠にして牧師を裁く。
信仰、生活態度、能力、人間性、指導力管理力
その他あらゆる面で完璧という
高いハードルを設けて
教会の指導者の理想像を生身の人間に要求する。
理想を要求された牧師は
針のむしろに座らされるも同然。


理想像。
これこそ偶像そのもの。教会を内側から蝕んで
崩壊させる、
恐ろしい悪霊の業。


人間が身勝手に都合良く作り上げた理想像など
この世にある筈がない。
それでもなお
理想の指導者を求めて
理想の教会を求めて
各教派を渡り歩いたり
或いは逆に
牧師を教会から排除して
別の牧師を招いて
また同じ事を繰り返すのは何故だろう。


自分の目にそれを見た時、
『要求する者』と
『信じる者』とは違うのだと知らされた。
心に悩みや痛みを抱えると
『信じる者』がいつの間にか『要求する者』に
変質してしまう。
それが一番恐ろしい事だ。
幸せな時も辛い時も
『信じる者』でありたいと自分は思う。


パウロがこの手紙で
「指導者は・・奉仕者は・・こうあるべき・・」と書いたのは
教会の牧師や奉仕者に
これらの条件を全部クリアしなければ
その資格がないと裁く為ではないと私は思う。
エフェソの教会にいたであろう
『自己推薦する者』や
若いテモテを見下し排斥しようとする者達が
出しゃばって教会を掻き回さないように
指導者や管理者、
奉仕者を決める際の
選別のガイドラインを
パウロはテモテに助言し
託しているのではないだろうか。
パウロは長所も短所もある生身の信徒達を
理想像という鋳型に当てはめろとは言っていない筈だ。


あー
熱く語り過ぎてしまったであるよ。
つい熱くなるテモテの一。

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