後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

信濃33番札所めぐり第5回最終回

2013年11月20日 | 神社・仏閣巡り

11月2日「信濃33番札所めぐり」今回5回目で再終回である。

 長野東口7:00───飯山小菅・19番菩堤院───須坂・10番高顕寺───長野(昼食)───中条・30番正法寺
         ───中条・31番広福寺───小川・32番西照寺───小川・33番高山寺───長野駅東口18:00

*19番小管山菩堤院  真言宗  本尊 馬頭観世音菩薩
  戸隠山、飯綱山とともに 北信濃の三大修験道場のひとつで、小管山大聖の一つだったが廃物希釈の際小管
  神社となった。その際寺院の一つ桜本坊が仏教寺院菩堤院として残されたものだという。

   
                 参      道                                観 音 堂

   
  
 金網の隙間からの撮影、中央が馬頭観世音菩薩               馬頭観世音菩薩   

 *10番妙徳山高顕寺 真言宗豊山派  本尊 千寿十一面観世音菩薩
   鎌倉時代末期の元徳年間には32堂の伽藍を配す荘厳な寺であったという。本尊の千手千眼観世音菩薩は
   鎌倉時代末期の木彫仏で、平成19年に改修された観音堂に安置されているそうだ。

    
          大谷不動尊里堂                              本  堂

  
        観音堂 大悲殿                             馬頭観世音菩薩

*9番蓑堂山蓑堂  宗派不明 本尊 十一面観世音菩薩 愛称 べべ出し観音

観音堂は蓑堂山山頂に建てられていたが、昭和40年~42年の松代群発地震によって山頂付近が崩れ観音堂も傾いた。 現在は道が寸断されて通行できない
観音様は麓の樋口政宏さん宅で預かり、納経所ともなっている。

   
   左端がが蓑堂山                            蓑堂山

 

 観音様を預かっている樋口宅
 
 
 「べべ出し観音」とも呼ばれるのは、急峻な坂や岩場をよじ
 登って参拝する際、女性の着物の裾が乱れ、後ろから登る
 男性の目に思わぬ“ご利益”があったからだとか。江戸時代
 後期、祭事で村が留守の間に火事が起きたことから「お祭
 り嫌いの観音様」としても知られているそうだ。

 




   
                        樋口家の縁側にある十一面観世音菩薩

*30番歓喜山正法寺 真言宗豊山派 本尊 聖観世音菩薩
  本尊の木造聖観音立像は、行基より時代が下がる藤原時代中期(900年代)の作という。江戸末期、日照りに
  苦しむ村人がワラでつくった龍にこの観音様が生命を与え、たちまちに雨を降らせたという伝説があり、雨乞いの
  ご利益で知られている。大悲殿の厨子に納められている聖観世音菩薩は両手首が欠損していて、格子戸の間
  から写真だけが覗き見できる。  
     

   
  観世音菩薩の写真 添乗員が借りて見せてくれた               大 悲 殿

*31番椿峯山広福寺 曹洞宗  本尊 聖観世音菩薩 愛称 乳出し観音 
  虫倉山の西南麓、山懐に包まれるように観音堂が建っている。弘化4年(1847)の善光寺地震は、善光寺の周辺
  のみならず、水内郡下の多くの場所に地滑り、山崩れなどの被害をもたらしたが、中でも虫倉山の山崩れは大規模
  で、多くの被害者が出た広福寺の背後の斜面も大崩落を起こし、土砂が村に押し寄せたが、お堂を潰したところで
  奇跡的に止まった。そこで村人たちは、観音様が山崩れから村を守って下さったと喜び、五輪塔などを掘り出してま
  つり直したという。
  お寺の本堂は無く、昭和52年(1977)再建された観音堂だけが有る。旧中条村の御山里高福寺地籍に有り、
  虫倉山の高福寺(天神城)コースの登山口でもある。 
  
          観世音観音像                               観 音 堂                                                    
*32番椿峯山西照寺  宗派 元真言宗 本尊 聖観世音菩薩
  開基や盛衰の歴史について、詳しい記録はないようだが、付近の地名に「寺屋敷」「大門」「仏迎田」などが残ってい
  ることから、地域の人々の信仰篤い大寺だったらしい。善光寺地震による崩落をはじめ、数度にわたる山崩れに
  遇って、堂宇はことごとく地中に埋まってしまったが、地域の人々の尽力で、観音像や仏像はその都度掘出され、 
  観音堂も再建されたという。現在もみごとな彫刻の施された観音堂に本尊の聖観音をはじめ13体仏像が安置され
  近隣の人々に大切に守られている。上水内郡小川村の旧椿峰村(つばみねむら)集落にある 無人の観音堂で、
  盗難に遭い現在は真新しい代わりの観音像が厨子の中に安置されているのだそうだ。 
  観音堂の屋根の鬼瓦に菊の御紋章があると見えたが、花弁の枚数が御紋章とは違い単なる菊を紋とした鬼瓦だと
  いう。

   
          観  音  堂                               菊の紋の鬼瓦
                                                
*33番宝珠山高山寺  宗派  真言宗豊山 本尊 聖観世音菩薩   
   信濃三十三観音巡拝、結願の高山寺は、北アルプスの山並みを望む展望の地にある。端麗な三重塔は建久6年
   (1195)、源頼朝の建立と伝えられるが老朽化し、元禄時代に虫倉山中で修行中の木食山居上人に勧進を願
   い、五年がかりで十数万人の喜捨を集めて再建したという。三重塔内には如来三尊が本尊としてまつられてい
   る。なお本尊は秘仏で、年に一度、8月10日に開帳している。雨乞い、火除けの観音様として名高い。

   
       二層式の鐘楼門                         県宝の三重塔

   
                              本         堂

   
                             観      音      堂

余談だが高山時の御住職は画家でもある。本堂の天井絵の他、庫裡の玄関などに大小沢山の絵画の他、天井絵の下書きも置いてあった。天井絵についていろいろ住職から説明があったが、撮影は禁止されていた。

 

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿