風 信(かぜのたより)

海風に乗せて

尼子山

2009-11-30 | Weblog
日曜日に三朝町の尼子山に上がってきました。
今年の3月に上がったときは、
山の名前が分からなくて名無しの山だったのですが、
その後、地元の人に尼子山という山の名前を教えていただいた山です。
尼子山の標高は、三角点も独立標高点も無く正確には不明ですが、
地形図の等高線は980mで廻っているので、
980m以上990m以下ということになります。

山頂近くに中国電力の鉄塔があるので、
その鉄塔の管理道を利用して上ることができます。


紅葉 09.11.29 

紅葉前線も里山まで降りてきて、もう本当に最後の紅葉です。

鹿野から佐谷峠へ向かう峠道にある樫木橋から中電の管理道に入ります。
新しく道標も設置されていました。
この管理道は、尼子山から三徳山の山頂近くを通って
三朝の神倉まで続いているようです。 
また最近、鹿野町河内と三朝町中津を結んでいた、
旧佐谷峠の古道も整備されて通れるようになっているそうです。

落葉の登山道にタチツボスミレが一輪。春を待てなかったのかな?

 
道標 09.11.29               タチツボスミレ 09.11.29


登山道(鉄塔管理道) 09.11.29

稜線に出るとツルアリドオシの赤い実が目につきます。
二輪の花で実は一つという変わった奴。
近づいてよく見ると、花の痕跡のえくぼが二つ見えます。

鉄塔管理道の要所々々に中電の標識があり、
鉄塔ナンバーがマジックで書き入れられています。
ちなみに尼子山山頂近くの鉄塔は№132で、
鹿野側からは数字を減らしていくことになります。

 
ツルアリドオシ(実) 09.11.29      鉄塔管理道標識 09.11.29

№134の鉄塔まで上がると北と東の展望が広がります。
当日は曇っていたのですが、北に鷲峰山や日本海、
東にゴーロ(1142m峰)や三国山など千代川源流の山々を望むことができました。 


奥高山(左)・ゴーロ(右) 09.11.29


ナメコ(?) 09.11.29

№132の鉄塔は山頂のすぐ西側にあり、
大山方面や南側の岡山県境の山々が望めます。
大山は矢筈ヶ山や甲ヶ山が分かるくらいで、
そこから上は厚い雲がかかっていました。

伯州山に上がったとき、この山がしっかり見えていたので、
こちらからも見えるはずですが、
県境方面は同じような高さの山が連なっていて、さっぱり分かりません。
広域の地図を持ってこないといけませんね。


三徳山(手前)・大山(遠景) 09.11.29


シイタケ(?) 09.11.29

ついでの太鼓山

2009-11-29 | 三角点など

太鼓山 09.11.22

磯砂山のついでに太鼓山の一等三角点も見てきました。
上の写真の裏手に京丹後市のスイス村スキー場があり、
そちらから簡単に登ることができます。
第二リフトの終点が頂上で、三角点は小屋のすぐ近くです。

点名「太鼓山」は標高683.01m、1886年(明治19)選点、
1888年(明治21)に埋標になってますが、
現行の点の記によれば1991年(平成3)年に改埋されているようです。
当初の標石は花崗岩と記録されています。

現状の標石もちょっと粗い感じのする花崗岩で風化も進んでいるようです。
横書きの一等の上半部はすでに欠けてしまっています。
当初の標石をそのまま利用したのでしょう。

 
点名「太鼓山」 09.11.22         点名「太鼓山」 09.11.22


点名「太鼓山」 09.11.22

羽衣伝説の山

2009-11-25 | 三角点など
連休に丹後半島にある磯砂山(標高661m)に上がってきました。
磯砂と書いて「いさなご」と読ませますが、地元の人じゃなきゃ、まず読めないですね。


登山道 09.11.22 磯砂山

トイレのある羽衣茶屋から林道を少し歩くと、磯砂名物1010段の階段が始まります。
階段の登山道と聞いてびびっていたのですが、
思っていたほど勾配も急じゃなくて、35分ほどで頂上に着きました。


磯砂山 09.11.22

山頂には望遠鏡の備え付けられた櫓と、天女がレリーフされた石碑、
そして一等三角点がありました。
石碑には“日本最古の羽衣伝説発祥の地”となっていましたが、
いつ頃のことなのでしょう。

山頂は展望をさえぎる樹木もなく、
周辺の山々や宮津湾、日本海も見ることができました。
でも、あんまり土地勘がなく広域の地図もなかったので、
山容に特徴のある依遅ヶ尾山と大江山の連山ぐらいしか分かりませんでした。

周辺の山々もそんなに高くない山ですが、
内陸部にあたる南の方角には雲海が広がっていてとても印象的でした。


磯砂山頂 09.11.22

帰りに天女が水浴びをしてたという女池へ寄ってみました。
薄暗い植林の中にあるちっちゃい水溜りでした。
説明書きによれば、8人の天女が降りてきて、
ここで水浴びをしていたそうです。
ずいぶんと狭い所でと思いましたが、まぁ、伝説ですからね。

 
石碑 09.11.22 磯砂山頂        女池 09.11.22 磯砂山


雲海 09.11.22 磯砂山

磯砂山の一等三角点は、点名「磯砂山(いさなごさん)」、標高660.95mです。
古い点の記によると、磯砂山の三角点標石の石材は、
近畿北部から中国地方東部をカバーする丹伯三角網に特徴的な青石となっています。
今回現地で確認したところ、ちょっと粗い目の花崗岩でしたので、
昭和2年の改埋時に取り替えられているのでしょう。

 
点名「磯砂山」 09.11.22         点名「磯砂山」 09.11.22

点名「洗足谷山」

2009-11-16 | 三角点など

洗足山 09.11.15 用瀬

日曜日に一等三角点「洗足谷山」を見に鳥取市用瀬町の洗足山に上がってきました。
洗足山への一般の登山道は整備されていないので、
どこから取り付くか、まずは地図を眺めながらの思案です。
「点の記」には金屋地区からのルートが記されていますが、
地形も複雑で行程も長く、おまけに薮も深そうな感じです。

色々検討した結果、千代川沿いの鳥居野から赤波川の板井原に越える
古い峠道を利用することにしました。
峠道は洗足山の南側を通っているので、
峠から主稜線をたどっていくルートが分かりやすく楽そうです。

廃村となっている用瀬町の板井原から上がることにして、
村の奥にある神社跡まで行くと、
予想通り神社脇から谷筋に沿って小道が続いています。
杉林の中のこの道を上がっていくことにします。
谷奥でその小道も不明瞭になったため、植林帯を直登して主稜線にでました。

主稜線は、主に西(千代川)側が落葉樹林、東(赤波川)側が植林帯で、
所々に大きなアカマツやゴヨウマツ(ヒメコマツ)が生えています。
主稜線からは薮漕ぎも覚悟していたのですが、下草や笹もまばらで、
良く見ると、かすかな踏み跡や目印の赤布もついています。
板井原から山頂まで1時間15分でした。


洗足山山頂 09.11.15

洗足山の山頂部は、地形図で見るとおり三つのコブというかピークがあり、
独立標高点の置かれた中央のピークが一番高く743mです。
一般的には、一等三角点の置かれた北側のピークが山頂とされているようです。
確かに、中央のピークは木立の中にあって展望もないため、
知らぬ間に通り過ぎてしまい後で分かるぐらいのピークです。

北のピークは笹の密生した小広い山頂で、三角点の周囲は笹も刈られています。
思いのほか登山者があるような雰囲気です。

さて、標高736.25mの一等三角点「洗足池山」ですが、
1886年(明治19)11月選点、翌明治20年11月埋標で標石は御影石となっています。
現状の標石は、ちょっと粗い感じのする花崗岩で、根拠はありませんが、
当時の標石がそのまま使われているのではないかと思います。

山頂の周囲は西側の一部を除いて立ち木があるため、眺望は良くありませんが、
それでも、木の間越しに一等三角点の置かれた氷ノ山、三国山のほか、
扇ノ山、鷲峰山、高山、篭山など鳥取県東部の山々を望むことができました。

 
点名「洗足谷山」 09.11.15       点名「洗足谷山」 09.11.15 

下山時に、上がるときにショートカットしてしまった古い峠を訪ねると、
大きな松に守られてお地蔵さんがたっていました。
人の記憶から消えてしまった峠で何を思っているのでしょう。

峠の鳥居野側はまだはっきり道が残っているので、
入口さえ分かれば楽に来れるかもしれません。
板井原側は、間伐材が放置されたままで歩きにくく、
道も分かりずらくなっているところがあります。


峠のお地蔵さん 09.11.15 洗足山

 
鳥居野方面 09.11.15 「峠」から    板井原方面 09.11.15 「峠」から


板井原地区 09.11.15 鳥取市用瀬町

道路脇の広場に建てられた記念碑によれば、
用瀬町の板井原地区は昭和50年に集団離村したそうです。
それでも、近くの畑や山仕事などに通ってこられる人もあるようで、
この日もお一人が作業をされていました。

 
蔵 09.11.15 板井原           神社跡 09.11.15 板井原

 
ミツマタ(蕾) 09.11.15 板井原     離村記念碑 09.11.15 板井原

点名「三国山」

2009-11-11 | 三角点など
鳥取県8ヶ所目の一等三角点は、点名「三国山」、標高1251.92mです。
今回は、ちょっと横着をして昔の写真でごまかしてます。

前にも書いたと思うのですが、三国山は南北2つのピークがあり、
因幡、伯耆、美作三国の本当の境界は、南のピーク(独標1213m)になります。
一等三角点は北のピークにあり、登山道も整備されています。

この三国山、こちらでは「みくにがせん」と呼んでいますが、
「点の記」では「みくにやま」と仮名をふってあります。
また最近では、三角点のあるピークを指して「三国山北嶺」と呼ぶことも多いようです。
付け加えれば、「三国ヶ山」と表記している三角点関係の資料もありますが、
こちらでは、地形図にあるとおり「三国山」と表記するのが一般的です。


点名「三国山」 07.9.8 三国山

三国山の三角点は、とりたてて特徴はないのですが、
緻密な花崗岩から“いかにも一等三角点でごわす”という、
堂々とした印象を受けます。

ところで、三角点の設置、観測は、
一般的に①どこに設置するかの選点、
②そこに櫓などの一時的な標識を造る造標、
③石製の三角点標石を埋める埋標(埋石)、
④精密機械を使った観測、の順で作業を進めるそうです。
(まれに③と④が逆になることもあるようですが…)

そこで点名「三国山」ですが、
現在、国土地理院のHPで公開されている「点の記」を見ると、
明治19年11月選点、明治19年8月埋標となっています。
??です。
選点の前に埋標?、同時はありえると思うのですがねぇ…。

古い「点の記」をまとめた資料も確認すると、
そこには明治19年11月撰点、明治19年8月埋石、明治20年10月観測
となっています。
う~ん、ありえるんだろうか、選点あってこその埋石だと思うんですが…。

悩んでいてしょうがないので、私の結論!
「年を間違えて「点の記」に記入してしまった」です。
私もよくあるんですよ。「えっと、今年は何年だっけ?」ということが(笑)。

推測(妄想)の根拠ですが、
古い「点の記」の資料を見ると、この「三国山」の埋標を担当した技師さんは、
明治20年8月に鳥取県内の「進藤池山」、「高聾山」、「長尾鼻」の埋標を担当し、
明治20年11月に「洗足谷山」の埋標を行なっています。
(なお、上記三角点の選点は、明治19年の11月から12月に行なわれています)

こんなことから「三国山」の埋標も、
実際は明治20年8月だった可能性が高いような気がするのです。

そう、明治20年と書くところを、
つい前の年、19年と書いちゃったんじゃないかと…。
間違ってたら、お許しください。


点名「三国山」 07.9.8 三国山


三国山(中央) 08.4.5 ゴーロ(独標1142m)

点名「進藤池山」

2009-11-10 | 三角点など
続いて標高474.32m、点名「進藤池山」です。
登山の対象になる山でもないので確かな山名は分かりませんが、
進藤ヶ池山と呼ばれることもあるようです。

さて、大平山から下りて、遅い昼食をとったあと、
「点の記」の地図を参考に倉吉市岩倉から林道円谷広瀬線へ。

ところがです。
林道沿いはずっとビニールテープが張ってあって、
そこかしこに入山禁止の札やら看板やら・・・。

そうです。アレです。
李下に冠?松下にキジ撃ち?
とにかく、三角点ごときで無用のトラブルは御免なので、
確か三朝側からも上がれるはずと、かすかな記憶を頼りに向かってみます。

まず三朝町牧の河川公園から不動滝まで行くことにしました。
未舗装の林道が終わると暗い谷歩きで、
最後に鎖を頼りに岩場を登ると小さなお堂がありました。
不動滝はその奥で、高さは12,3m。
滝に打たれるのにちょうど良いような水量です。
チョコレート色の岩肌が印象的です。

もう3時前なので思案しましたが、登りは4時までとして、
後は地図を頼りに滝の右側から稜線を目指しました。
案外あっけなく稜線に出ると、尾根通しにかすかな踏み跡があり、
その踏み跡をたどって行くと35分ほどで山頂に着きました。

山頂一帯は松などの高木の下に笹が密生し、周囲の展望はありません。
三角点の周囲は笹が刈り払われていました。
薮山ですが、けっこう三角点ファンの人が来訪しているという感じです。

   
   点名「進藤池山」 09.11.7 進藤ヶ池山

「進藤池山」の標石も「青石」で、
風化も少なく、上面の+や文字の彫り込みもシャープ。
とても良い状態を保っている標石です。


点名「進藤池山」 09.11.7

古い「点の記」によれば、ここの三角点も「大平山」などと同じく、
1887年(明治20)8月埋標、石材は「青石」となっています。
やはり、「大将山」や「氷ノ山」の三角点標石と同じように、
+印の彫り込みが深く、はっきりしているのが特徴です。

ここの標石も明治20年の埋設当時の標石と思われます。

 
点名「進藤池山」 09.11.7        点名「進藤池山」 09.11.7

   
   不動滝 09.11.7 三朝町牧

下りは一瀉千里、尾根通しに踏み跡を下ると林道終点にでました。

点名「大平山」

2009-11-09 | 三角点など
土曜日に鳥取県中部にある一等三角点、
点名「大平山」と点名「進藤池山」を見てきました。

まずは「大平山(おおなるさん)」です。


大平山(右) 09.11.7

 
ヤブコウジ(実) 09.11.7 高城山    キッコウハグマ 09.11.7 高城山

現在の「点の記」の地図を参考に、
咲き残りの花を見ながら、先ずは高城山に上ります。
山頂には祠があり、東屋も整備してあるのですが、
なにか雑然とした感じで周囲の展望もありません。

あと、下の写真には写っていませんが、
山頂には国土地理院の菱形基線測点があり、
天測点にそっくりなコンクリート製の柱石が設置されていました。
この菱形基線の測点については、別に紹介します。


高城山山頂 09.11.7

大平山には高城山の山頂から少し戻り、
右手の巻き道を通って大平山に続く北側の尾根道にでます。
大平山への山道添いには、
落葉に半ば埋もれるようにして小さな石仏が安置されていました。

石仏にドングリのお供え!?
と思って良く見ると、そら豆でした。
5粒づつお供えされています。
忘れられたような石仏たちですが、
お参りされる方もいらっしゃるようです。

帰りに数えてみたところ、14体ありました。
元は四国や西国霊場めぐりのミニ版だったのでしょう。

 
石仏 09.11.7 高城山          石仏 09.11.7 高城山

さて、三角点です。
高城山から20分ほど歩くと桧の植林された大平山の山頂です。
下草も無く標高193.61mの三角点「大平山」はすぐ分かりました。
防護の石もしっかり残っています。
標石は「青石」、上面の四周の角が少し欠けているものの風化も見られず、
彫り込みの角もシャープでとても良い状態です。
でも、桧の根っこが標石に接しているので、
根の成長によって標石が動いてしまわないか気がかりです。


点名「大平山」 09.11.7

古い「点の記」で1887年(明治20)8月埋標、石材は「青石」となっているので、
現状の標石はその当時のものと思われます。
「大将山」や「氷ノ山」の三角点標石と同じように、
+印の彫り込みが深く、はっきりしているのが特徴です。

 
点名「大平山」 09.11.7          点名「大平山」 09.11.7


点名「大平山」 09.11.7

 
センブリ 09.11.7 高城山        アキノキリンソウ 09.11.7 高城山

点名「大将山」

2009-11-08 | 三角点など
点名「大将山」は、旧北条町(現北栄町)の蜘ヶ家山にある一等三角点です。
現在山頂周辺は「山菜の里」という公園になっていて、
広い駐車場や遊歩道も整備されていますが、利用者は少ないようです。

独立丘陵だけあって頂上からの展望はよさそうです。
訪ねた時は、あいにく曇っていて大山などは雲に隠れていました。


蜘ヶ家山 09.10.31

標高177.14mの三角点は、
山頂の西側の柵に囲まれた中に鎮座していました。
柵の外には町で作製した説明板もあり、
これまで見た中で一番大切にされている三角点です。

三角点の標高は177.14m。
古い点の記には青石の石標を1887年(明治20)8月に埋設したことになっています。
現在の三角点は花崗岩ではなく凝灰岩系(?)の石材なので、
点の記に「青石」と記載されている当初のものと思われます。


点名「大将山」 09.9.12

標石上面の+の彫り込みが深い特徴がありますが、
彫り込みの角(かど)は鋭角ではありません。
風化あるいは後に人為的に手を加えられたように見えます。


点名「大将山」 09.9.12


西方の展望 09.9.12 蜘ヶ家山 

点名「二子山」

2009-11-05 | 三角点など
鳥取の二子山といっても分かる人は少ないと思います。
実は東大山の矢筈ヶ山のことで、山頂の一等三角点の点名でもあります。
明治時代の測量の時に、その土地の人から聞いた山の名前を
三角点の点名にしていることが多いそうで、
現在呼んでいる山の名前と異なることも多いようです。

今でも山を挟んだそれぞれの里では山の呼び名が違うことが多いですし、
聞き間違えた名前がそのまま使われてしまったこともあるようです。
そういえば昔、深田久弥さんの本だったでしょうか、
ワレメキ山が割引山(わりびきやま)と名づけられてしまった話を
読んだことがあります。

ところで矢筈ヶ山ですが、
先日、香取で撮ってきた写真では、とても二子山とはいえず、
小矢筈を従えた「親子山」にしか見えません。
ところが、東側の地蔵峠方面からだと見事に「二子」に見えるんです。
(写真を探したんですが見つかりませんでした。今度撮っておきます。)

そんなことから考えると、「二子山」という三角点の点名は、
東伯郡側の人から聞いた山の名前を付けたのではないかと思います。
(まあ、想像というか妄想かもしれませんが・・・)


矢筈ヶ山 09.10.31 香取

矢筈ヶ山には何回か上がっているので、
三角点の写真もあると思っていたのですが、下のような写真しかなかったので、
先日、紅葉見物ついでに写真を撮ってきました。


点名「二子山」 08.6.15

一等三角点「二子山」は標高1358.43m、古い点の記には1887年(明治20)6月に撰点、
同年9月に埋石、観測され、標石の石材は青石となっているそうです。
ところが、現在の標石は緻密な花崗岩製なので、
「半甲山」や「長尾鼻」と同じように、いつの時期か分かりませんが
標石を取替えて埋め直しているものと思われます。


点名「二子山」 09.10.31

一等三角点の上面は一辺18㎝と、
二等、三等三角点(ともに一辺15㎝)より大きく、なかなか座り心地がよろしいようで、
矢筈ヶ山の三角点は、たくさんの方のお尻に磨かれてツルツルです(笑)。

 
点名「二子山」 09.10.31         点名「二子山」 09.10.31

初冠雪

2009-11-03 | Weblog
突然の寒波襲来で山陰の山々も初冠雪というニュース。
午後には天候も回復するという予報を信じて、
というか期待して氷ノ山に上がってきました。

カメラを忘れて取りに帰ったりで、
歩き出したのは昼前になってしまいました。


若桜氷ノ山キャンプ場 09.11.3

キャンプ場の積雪は20㎝ほど、さすがに誰もいません。
それでも氷ノ越へはトレースがあり、楽に歩いて行くことができました。
そういえば、去年も11月3日に同じコースをたどったのですが、
その時は名残の紅葉を楽しむ登山者で賑わっていました。
今年は思わぬ雪で、紅葉から一気にモノトーンの世界へ変わってしまいました。


ブナ林 09.11.3

上がるにしたがって雪も深くなり、稜線では30~40㎝はあるようです。
ときおり粉雪も落ちてきますが、風がないので助かります。
でも、本当に11月の3日?と思うような景色です。


こしき岩 09.11.03


氷ノ山山頂 09.11.3

山頂の小屋でガスが切れないか少し待って見ましたが、
晴れそうな気配はありません。
残念ですが、誰もいない静かな山頂を後にしました。


氷ノ越コース 09.11.3

響の森まで降りてくると、わずかに晴れ間も見えてきましたが、
稜線はまだ雲の中に隠れたままでした。


響の森から 09.11.3


響の森から 09.11.3

紅葉の甲ヶ山

2009-11-01 | Weblog
北海道からは雪の便り、鳥取も昼前から激しい雨で荒れ模様です。
そんなことで、明るいうちからパソコンに向かっています。

昨日、駆け込みで紅(黄)葉を楽しんできました。
行った先は東大山の矢筈と甲、甲ヶ山は2年半ぶりになります。
香取の登山口から大休峠~矢筈ヶ山~甲ヶ山~甲川と回って、
また香取に戻ってくる反時計回りの周回コースにしました。

登山口あたりの木々もあらかた葉を落としてしまっています。
今年の紅葉は早いのか、先週あたりが見頃だったようです。


登山道 09.10.31 香取口

一日中晴れていて、おまけに暖かく、絶好の登山日和なのですが、
なんか空気が霞んでいて紅葉も展望もイマイチです。
とはいえ、ユートピアの避難小屋もはっきり見えます。
まぁ、ちょっと要求が贅沢すぎるんですね。

大休峠からひと登りして見る矢筈ヶ山のブナ林は、
もう、みんな葉を落として晩秋の雰囲気です。


ユートピアを望む 09.10.31 大休峠


ブナの斜面 09.10.31 矢筈ヶ山

矢筈ヶ山の狭い山頂は、
最後の紅葉と大山の眺望を楽しむ人たちで賑わっていました。
私は、今日の目的の一つだった三角点の写真を撮って小矢筈ヶ山へ。


大山 09.10.31 矢筈ヶ山

小矢筈ヶ山から見る甲ヶ山の紅葉は、まだまだ楽しめました。
山頂には、その紅葉の甲ヶ山を水彩で描いている方が・・・。
ご本人は趣味だというお話でしたが、とても上手でした。
「山で絵を描く」、これは憧れですね。

話はそれますが、
高校生の頃、私も山にスケッチブックを持って行ったことがあるんです。
(芳野満彦さんの『山靴の音』の影響だろうと思うんですが・・・。)
山から帰ってきて、そのスケッチをあらためて見てから二度と持って行かなくなりました。
山の中で描いてる時は良く見えても、
下りてきてから見ると「何が描いてあるかわからん!」という、
ただの落書きにしか見えない絵だったんですね。


甲ヶ山 09.10.31 小矢筈ヶ山


山頂直下 09.10.31 甲ヶ山

甲ヶ山の山頂直下の岩場にダイセンオトギリが一輪咲いていました。
このところの陽気にだまされてしまったんでしょう。
季節外れの花を見ると、なぜか身につまされ哀れな気分になるのですが、
このダイセンオトギリは、そんな感じがしませんでした。 


ダイセンオトギリ 09.10.31 甲ヶ山


小矢筈ヶ山(手前)・矢筈ヶ山(右奥) 09.10.31 甲ヶ山

逆光の大山や矢筈ヶ山を眺めながら、甲ヶ山で昼食をとり下山です。
甲ヶ山名物ゴジラの背渡り、岡山から来られた方も慎重に渡っていきます。

甲川へはまさに直滑降、一気に高度を下げて甲川へ。
標高が低くなると、まだ何とか紅葉の景色です。
誘われるように上流の妖精の住むという谷へ上がってみました。
水量が少ないので遡行は楽ですが、滝の迫力はもう一歩です。


ゴジラの背 09.10.31 甲ヶ山


黄葉 09.10.31 甲ヶ山

 
甲川上流 09.10.31


庄司ヶ滝 09.10.31 甲川

香取集落の庭先に咲く菊の花にたくさんの蝶が集まっていました。
10数匹のキタテハとツマグロヒョウモン、アサギマダラも一匹いました。
明日からの荒天を知っているのか、蜜を吸うのに一生懸命で、
私が近づいても知らんぷりです。


ツマグロヒョウモン(右)・キタテハ(左) 09.10.31 香取