風 信(かぜのたより)

海風に乗せて

鷲峰山の三角点

2010-04-27 | 三角点など
日曜日に上がった鷲峰山の三角点の話です。

東に見える扇ノ山と同じように、
西の鷲峰山も鳥取市街からよく見えます。
そんなこともあって、毎年何回か登って、
三角点も見るだけでなく、以前には写真も撮っています。

そんな鷲峰山の三角点ですが、今回初めて気がついたことがあります。
それは、三角点標石の石材です。
花崗岩じゃなかったんですね。
どうも、鳥取県を含めた丹伯三角網の一等三角点標石の特徴ともいえる
「青石」(凝灰岩系?)を使っているのです。

公開されている「点の記」によれば、鷲峰山の三角点は、
標高920.62mの二等三角点で、1891年(明治24)10月2日選点となっています。
残念ながら、埋標年月日の記載はありません。

1890年(明治23)年に陸地測量標条例が制定され、標石の規格が定められましたが、
初期の石材は現地調達が多かったようです。
そのため、各地で特徴的な石材が使用されたことが知られています。
鷲峰山の三角点標石も1891年選点ですから、同じような経緯だったのでしょう。

「へぇ~・・・、二等三角点にも「青石」使ってるんだ」
単純に、ただそれだけのことなんですがね。


点名「鷲峰山」 10.4.25

それともう一つ気がついたこと。
三角点標石にICタグ(ICチップ)が埋め込まれていたことです。
これはごく最近のことのようです。

標石写真の右上に見える黄色いシールのようなもの、
「ucode」、ユーコードというらしい。
三角点標石に穴をあけて識別番号を記録させた
ICタグを埋め込んであるそうです。
2006年から試験的に始められた事業のようですが、
アナログ人間の私には、「ucode」の具体的な使い方がよく分かりません。

 
点名「鷲峰山」 10.4.25            ICタグ 10.4.25 点名「鷲峰山」 

鳥取県の一等三角点シリーズ(?)も再開しなければいけませんね。
現地確認が済んでいないのは花見山の1点だけなんですが・・・。

ついでの太鼓山

2009-11-29 | 三角点など

太鼓山 09.11.22

磯砂山のついでに太鼓山の一等三角点も見てきました。
上の写真の裏手に京丹後市のスイス村スキー場があり、
そちらから簡単に登ることができます。
第二リフトの終点が頂上で、三角点は小屋のすぐ近くです。

点名「太鼓山」は標高683.01m、1886年(明治19)選点、
1888年(明治21)に埋標になってますが、
現行の点の記によれば1991年(平成3)年に改埋されているようです。
当初の標石は花崗岩と記録されています。

現状の標石もちょっと粗い感じのする花崗岩で風化も進んでいるようです。
横書きの一等の上半部はすでに欠けてしまっています。
当初の標石をそのまま利用したのでしょう。

 
点名「太鼓山」 09.11.22         点名「太鼓山」 09.11.22


点名「太鼓山」 09.11.22

羽衣伝説の山

2009-11-25 | 三角点など
連休に丹後半島にある磯砂山(標高661m)に上がってきました。
磯砂と書いて「いさなご」と読ませますが、地元の人じゃなきゃ、まず読めないですね。


登山道 09.11.22 磯砂山

トイレのある羽衣茶屋から林道を少し歩くと、磯砂名物1010段の階段が始まります。
階段の登山道と聞いてびびっていたのですが、
思っていたほど勾配も急じゃなくて、35分ほどで頂上に着きました。


磯砂山 09.11.22

山頂には望遠鏡の備え付けられた櫓と、天女がレリーフされた石碑、
そして一等三角点がありました。
石碑には“日本最古の羽衣伝説発祥の地”となっていましたが、
いつ頃のことなのでしょう。

山頂は展望をさえぎる樹木もなく、
周辺の山々や宮津湾、日本海も見ることができました。
でも、あんまり土地勘がなく広域の地図もなかったので、
山容に特徴のある依遅ヶ尾山と大江山の連山ぐらいしか分かりませんでした。

周辺の山々もそんなに高くない山ですが、
内陸部にあたる南の方角には雲海が広がっていてとても印象的でした。


磯砂山頂 09.11.22

帰りに天女が水浴びをしてたという女池へ寄ってみました。
薄暗い植林の中にあるちっちゃい水溜りでした。
説明書きによれば、8人の天女が降りてきて、
ここで水浴びをしていたそうです。
ずいぶんと狭い所でと思いましたが、まぁ、伝説ですからね。

 
石碑 09.11.22 磯砂山頂        女池 09.11.22 磯砂山


雲海 09.11.22 磯砂山

磯砂山の一等三角点は、点名「磯砂山(いさなごさん)」、標高660.95mです。
古い点の記によると、磯砂山の三角点標石の石材は、
近畿北部から中国地方東部をカバーする丹伯三角網に特徴的な青石となっています。
今回現地で確認したところ、ちょっと粗い目の花崗岩でしたので、
昭和2年の改埋時に取り替えられているのでしょう。

 
点名「磯砂山」 09.11.22         点名「磯砂山」 09.11.22

点名「洗足谷山」

2009-11-16 | 三角点など

洗足山 09.11.15 用瀬

日曜日に一等三角点「洗足谷山」を見に鳥取市用瀬町の洗足山に上がってきました。
洗足山への一般の登山道は整備されていないので、
どこから取り付くか、まずは地図を眺めながらの思案です。
「点の記」には金屋地区からのルートが記されていますが、
地形も複雑で行程も長く、おまけに薮も深そうな感じです。

色々検討した結果、千代川沿いの鳥居野から赤波川の板井原に越える
古い峠道を利用することにしました。
峠道は洗足山の南側を通っているので、
峠から主稜線をたどっていくルートが分かりやすく楽そうです。

廃村となっている用瀬町の板井原から上がることにして、
村の奥にある神社跡まで行くと、
予想通り神社脇から谷筋に沿って小道が続いています。
杉林の中のこの道を上がっていくことにします。
谷奥でその小道も不明瞭になったため、植林帯を直登して主稜線にでました。

主稜線は、主に西(千代川)側が落葉樹林、東(赤波川)側が植林帯で、
所々に大きなアカマツやゴヨウマツ(ヒメコマツ)が生えています。
主稜線からは薮漕ぎも覚悟していたのですが、下草や笹もまばらで、
良く見ると、かすかな踏み跡や目印の赤布もついています。
板井原から山頂まで1時間15分でした。


洗足山山頂 09.11.15

洗足山の山頂部は、地形図で見るとおり三つのコブというかピークがあり、
独立標高点の置かれた中央のピークが一番高く743mです。
一般的には、一等三角点の置かれた北側のピークが山頂とされているようです。
確かに、中央のピークは木立の中にあって展望もないため、
知らぬ間に通り過ぎてしまい後で分かるぐらいのピークです。

北のピークは笹の密生した小広い山頂で、三角点の周囲は笹も刈られています。
思いのほか登山者があるような雰囲気です。

さて、標高736.25mの一等三角点「洗足池山」ですが、
1886年(明治19)11月選点、翌明治20年11月埋標で標石は御影石となっています。
現状の標石は、ちょっと粗い感じのする花崗岩で、根拠はありませんが、
当時の標石がそのまま使われているのではないかと思います。

山頂の周囲は西側の一部を除いて立ち木があるため、眺望は良くありませんが、
それでも、木の間越しに一等三角点の置かれた氷ノ山、三国山のほか、
扇ノ山、鷲峰山、高山、篭山など鳥取県東部の山々を望むことができました。

 
点名「洗足谷山」 09.11.15       点名「洗足谷山」 09.11.15 

下山時に、上がるときにショートカットしてしまった古い峠を訪ねると、
大きな松に守られてお地蔵さんがたっていました。
人の記憶から消えてしまった峠で何を思っているのでしょう。

峠の鳥居野側はまだはっきり道が残っているので、
入口さえ分かれば楽に来れるかもしれません。
板井原側は、間伐材が放置されたままで歩きにくく、
道も分かりずらくなっているところがあります。


峠のお地蔵さん 09.11.15 洗足山

 
鳥居野方面 09.11.15 「峠」から    板井原方面 09.11.15 「峠」から


板井原地区 09.11.15 鳥取市用瀬町

道路脇の広場に建てられた記念碑によれば、
用瀬町の板井原地区は昭和50年に集団離村したそうです。
それでも、近くの畑や山仕事などに通ってこられる人もあるようで、
この日もお一人が作業をされていました。

 
蔵 09.11.15 板井原           神社跡 09.11.15 板井原

 
ミツマタ(蕾) 09.11.15 板井原     離村記念碑 09.11.15 板井原

点名「三国山」

2009-11-11 | 三角点など
鳥取県8ヶ所目の一等三角点は、点名「三国山」、標高1251.92mです。
今回は、ちょっと横着をして昔の写真でごまかしてます。

前にも書いたと思うのですが、三国山は南北2つのピークがあり、
因幡、伯耆、美作三国の本当の境界は、南のピーク(独標1213m)になります。
一等三角点は北のピークにあり、登山道も整備されています。

この三国山、こちらでは「みくにがせん」と呼んでいますが、
「点の記」では「みくにやま」と仮名をふってあります。
また最近では、三角点のあるピークを指して「三国山北嶺」と呼ぶことも多いようです。
付け加えれば、「三国ヶ山」と表記している三角点関係の資料もありますが、
こちらでは、地形図にあるとおり「三国山」と表記するのが一般的です。


点名「三国山」 07.9.8 三国山

三国山の三角点は、とりたてて特徴はないのですが、
緻密な花崗岩から“いかにも一等三角点でごわす”という、
堂々とした印象を受けます。

ところで、三角点の設置、観測は、
一般的に①どこに設置するかの選点、
②そこに櫓などの一時的な標識を造る造標、
③石製の三角点標石を埋める埋標(埋石)、
④精密機械を使った観測、の順で作業を進めるそうです。
(まれに③と④が逆になることもあるようですが…)

そこで点名「三国山」ですが、
現在、国土地理院のHPで公開されている「点の記」を見ると、
明治19年11月選点、明治19年8月埋標となっています。
??です。
選点の前に埋標?、同時はありえると思うのですがねぇ…。

古い「点の記」をまとめた資料も確認すると、
そこには明治19年11月撰点、明治19年8月埋石、明治20年10月観測
となっています。
う~ん、ありえるんだろうか、選点あってこその埋石だと思うんですが…。

悩んでいてしょうがないので、私の結論!
「年を間違えて「点の記」に記入してしまった」です。
私もよくあるんですよ。「えっと、今年は何年だっけ?」ということが(笑)。

推測(妄想)の根拠ですが、
古い「点の記」の資料を見ると、この「三国山」の埋標を担当した技師さんは、
明治20年8月に鳥取県内の「進藤池山」、「高聾山」、「長尾鼻」の埋標を担当し、
明治20年11月に「洗足谷山」の埋標を行なっています。
(なお、上記三角点の選点は、明治19年の11月から12月に行なわれています)

こんなことから「三国山」の埋標も、
実際は明治20年8月だった可能性が高いような気がするのです。

そう、明治20年と書くところを、
つい前の年、19年と書いちゃったんじゃないかと…。
間違ってたら、お許しください。


点名「三国山」 07.9.8 三国山


三国山(中央) 08.4.5 ゴーロ(独標1142m)

点名「進藤池山」

2009-11-10 | 三角点など
続いて標高474.32m、点名「進藤池山」です。
登山の対象になる山でもないので確かな山名は分かりませんが、
進藤ヶ池山と呼ばれることもあるようです。

さて、大平山から下りて、遅い昼食をとったあと、
「点の記」の地図を参考に倉吉市岩倉から林道円谷広瀬線へ。

ところがです。
林道沿いはずっとビニールテープが張ってあって、
そこかしこに入山禁止の札やら看板やら・・・。

そうです。アレです。
李下に冠?松下にキジ撃ち?
とにかく、三角点ごときで無用のトラブルは御免なので、
確か三朝側からも上がれるはずと、かすかな記憶を頼りに向かってみます。

まず三朝町牧の河川公園から不動滝まで行くことにしました。
未舗装の林道が終わると暗い谷歩きで、
最後に鎖を頼りに岩場を登ると小さなお堂がありました。
不動滝はその奥で、高さは12,3m。
滝に打たれるのにちょうど良いような水量です。
チョコレート色の岩肌が印象的です。

もう3時前なので思案しましたが、登りは4時までとして、
後は地図を頼りに滝の右側から稜線を目指しました。
案外あっけなく稜線に出ると、尾根通しにかすかな踏み跡があり、
その踏み跡をたどって行くと35分ほどで山頂に着きました。

山頂一帯は松などの高木の下に笹が密生し、周囲の展望はありません。
三角点の周囲は笹が刈り払われていました。
薮山ですが、けっこう三角点ファンの人が来訪しているという感じです。

   
   点名「進藤池山」 09.11.7 進藤ヶ池山

「進藤池山」の標石も「青石」で、
風化も少なく、上面の+や文字の彫り込みもシャープ。
とても良い状態を保っている標石です。


点名「進藤池山」 09.11.7

古い「点の記」によれば、ここの三角点も「大平山」などと同じく、
1887年(明治20)8月埋標、石材は「青石」となっています。
やはり、「大将山」や「氷ノ山」の三角点標石と同じように、
+印の彫り込みが深く、はっきりしているのが特徴です。

ここの標石も明治20年の埋設当時の標石と思われます。

 
点名「進藤池山」 09.11.7        点名「進藤池山」 09.11.7

   
   不動滝 09.11.7 三朝町牧

下りは一瀉千里、尾根通しに踏み跡を下ると林道終点にでました。

点名「大平山」

2009-11-09 | 三角点など
土曜日に鳥取県中部にある一等三角点、
点名「大平山」と点名「進藤池山」を見てきました。

まずは「大平山(おおなるさん)」です。


大平山(右) 09.11.7

 
ヤブコウジ(実) 09.11.7 高城山    キッコウハグマ 09.11.7 高城山

現在の「点の記」の地図を参考に、
咲き残りの花を見ながら、先ずは高城山に上ります。
山頂には祠があり、東屋も整備してあるのですが、
なにか雑然とした感じで周囲の展望もありません。

あと、下の写真には写っていませんが、
山頂には国土地理院の菱形基線測点があり、
天測点にそっくりなコンクリート製の柱石が設置されていました。
この菱形基線の測点については、別に紹介します。


高城山山頂 09.11.7

大平山には高城山の山頂から少し戻り、
右手の巻き道を通って大平山に続く北側の尾根道にでます。
大平山への山道添いには、
落葉に半ば埋もれるようにして小さな石仏が安置されていました。

石仏にドングリのお供え!?
と思って良く見ると、そら豆でした。
5粒づつお供えされています。
忘れられたような石仏たちですが、
お参りされる方もいらっしゃるようです。

帰りに数えてみたところ、14体ありました。
元は四国や西国霊場めぐりのミニ版だったのでしょう。

 
石仏 09.11.7 高城山          石仏 09.11.7 高城山

さて、三角点です。
高城山から20分ほど歩くと桧の植林された大平山の山頂です。
下草も無く標高193.61mの三角点「大平山」はすぐ分かりました。
防護の石もしっかり残っています。
標石は「青石」、上面の四周の角が少し欠けているものの風化も見られず、
彫り込みの角もシャープでとても良い状態です。
でも、桧の根っこが標石に接しているので、
根の成長によって標石が動いてしまわないか気がかりです。


点名「大平山」 09.11.7

古い「点の記」で1887年(明治20)8月埋標、石材は「青石」となっているので、
現状の標石はその当時のものと思われます。
「大将山」や「氷ノ山」の三角点標石と同じように、
+印の彫り込みが深く、はっきりしているのが特徴です。

 
点名「大平山」 09.11.7          点名「大平山」 09.11.7


点名「大平山」 09.11.7

 
センブリ 09.11.7 高城山        アキノキリンソウ 09.11.7 高城山

点名「大将山」

2009-11-08 | 三角点など
点名「大将山」は、旧北条町(現北栄町)の蜘ヶ家山にある一等三角点です。
現在山頂周辺は「山菜の里」という公園になっていて、
広い駐車場や遊歩道も整備されていますが、利用者は少ないようです。

独立丘陵だけあって頂上からの展望はよさそうです。
訪ねた時は、あいにく曇っていて大山などは雲に隠れていました。


蜘ヶ家山 09.10.31

標高177.14mの三角点は、
山頂の西側の柵に囲まれた中に鎮座していました。
柵の外には町で作製した説明板もあり、
これまで見た中で一番大切にされている三角点です。

三角点の標高は177.14m。
古い点の記には青石の石標を1887年(明治20)8月に埋設したことになっています。
現在の三角点は花崗岩ではなく凝灰岩系(?)の石材なので、
点の記に「青石」と記載されている当初のものと思われます。


点名「大将山」 09.9.12

標石上面の+の彫り込みが深い特徴がありますが、
彫り込みの角(かど)は鋭角ではありません。
風化あるいは後に人為的に手を加えられたように見えます。


点名「大将山」 09.9.12


西方の展望 09.9.12 蜘ヶ家山 

点名「二子山」

2009-11-05 | 三角点など
鳥取の二子山といっても分かる人は少ないと思います。
実は東大山の矢筈ヶ山のことで、山頂の一等三角点の点名でもあります。
明治時代の測量の時に、その土地の人から聞いた山の名前を
三角点の点名にしていることが多いそうで、
現在呼んでいる山の名前と異なることも多いようです。

今でも山を挟んだそれぞれの里では山の呼び名が違うことが多いですし、
聞き間違えた名前がそのまま使われてしまったこともあるようです。
そういえば昔、深田久弥さんの本だったでしょうか、
ワレメキ山が割引山(わりびきやま)と名づけられてしまった話を
読んだことがあります。

ところで矢筈ヶ山ですが、
先日、香取で撮ってきた写真では、とても二子山とはいえず、
小矢筈を従えた「親子山」にしか見えません。
ところが、東側の地蔵峠方面からだと見事に「二子」に見えるんです。
(写真を探したんですが見つかりませんでした。今度撮っておきます。)

そんなことから考えると、「二子山」という三角点の点名は、
東伯郡側の人から聞いた山の名前を付けたのではないかと思います。
(まあ、想像というか妄想かもしれませんが・・・)


矢筈ヶ山 09.10.31 香取

矢筈ヶ山には何回か上がっているので、
三角点の写真もあると思っていたのですが、下のような写真しかなかったので、
先日、紅葉見物ついでに写真を撮ってきました。


点名「二子山」 08.6.15

一等三角点「二子山」は標高1358.43m、古い点の記には1887年(明治20)6月に撰点、
同年9月に埋石、観測され、標石の石材は青石となっているそうです。
ところが、現在の標石は緻密な花崗岩製なので、
「半甲山」や「長尾鼻」と同じように、いつの時期か分かりませんが
標石を取替えて埋め直しているものと思われます。


点名「二子山」 09.10.31

一等三角点の上面は一辺18㎝と、
二等、三等三角点(ともに一辺15㎝)より大きく、なかなか座り心地がよろしいようで、
矢筈ヶ山の三角点は、たくさんの方のお尻に磨かれてツルツルです(笑)。

 
点名「二子山」 09.10.31         点名「二子山」 09.10.31

点名「長尾鼻」

2009-10-29 | 三角点など
一等三角点「長尾鼻」、標高80.81mです。
旧気高郡青谷町の長尾鼻という日本海に突き出した小さな岬にあります。
岬の周囲は海に面した岩場になっていて、秋は磯の大物釣りで賑わいます。


点名「長尾鼻」 09.10.12

古い点の記によると、1887年(明治20)の埋石、
石材は青石となっていますが、現在の標石は花崗岩で、
仏ヶ仙の点名「半甲山」と同じく改埋されているようです。
ただし、仏ヶ仙と違ってしっかりとした緻密な花崗岩です。


点名「長尾鼻」 09.10.12

県境の三角点

2009-10-26 | 三角点など
大山の紅葉も今が盛りのようですが、
この土日はぐずぐずしていてどこにも行けませんでした。

突然ですが、三角点の写真は色気がないんですよね…。
どうも、私はマニアにはなれないみたいです…。

ま、気を取り直して…、12個ですからね。

ところで三角点ですが、
国土地理院のHPにある基準点設置点数一覧表(都道府県別)によれば、
平成21年3月31日現在で全国に107,837点あるそうです。内訳は一等三角点974点、
二等三角点は5,061点、三等三角点は32,392点、残りは四等三角点です。
このうち鳥取県には、一等が12点、二等が42点、三等が339点、四等が767点で
合計1,160点の三角点があることになっています。

この12点の一等三角点名を具体的に上げていくと、
長尾鼻(80.81m)、高聾山(288.34m)、三国山(1251.92m)、
大将山(177.14m・蜘ヶ家山)、天神野(54.01m)、大平山(193.61m)、
焼林村(115.12m)、進藤池山(474.32m)、二子山(1358.43m・矢筈ヶ山)、
洗足谷山(736.25m・洗足山)、半甲山(743.48m・仏ヶ仙)、花見山(1188.10m)
になります。
一応山登りの対象になりそうな一等三角点の山は、三国山、二子山(矢筈ヶ山)、
洗足谷山(洗足山)、半甲山(仏ヶ仙)、花見山ぐらいでしょうか。


氷ノ山頂上の三角点 09.5.23

ここまで淡々と書いてきましたが、
氷ノ山は? 氷ノ山も一等三角点のはず!
残念ながら、氷ノ山は兵庫県に入っていました。
三角点の標石は、兵庫県養父郡大屋町(現養父市)横行の奥山国有林にあるそうです。
別に一等三角点の多いほうが偉いというわけじゃないんだけどね。


点名「氷ノ山」 07.5.20

氷ノ山のように県境の三角点で、他県に入っているのが、
新山要害山(島根県)と道後山(広島県)。
道後山は、地図を見ると西のピークが県境になっていて、
東のピークに三角点があるのでどうしようもないかな。

鳥取県に入っている半甲山(仏ヶ仙)、花見山も岡山県との県境にある山だけど、
こちらは、しっかり鳥取の方に三角点は埋設されているようです。

まぁ、道後山を除いて2勝2敗というとこでしょうか(笑)。


点名「氷ノ山」 07.10.21

氷ノ山の標石は、古い点の記に青石と記載があり花崗岩ではありません。
そのためか、一等の「等」の字の竹冠も見えなくなるほど上部が欠けています。
ちょっと痛々しい感じですね。
この三角点は、上部の+印の彫り込みが深い特徴があり、
鳥取県中部の点名「大将山」と石材もですが、
+印の彫り込も大変良く似ています。

なお、上西勝也さんのHP「三角点の探訪」によれば、
1888年(明治21)の埋設の後、1927年(昭和2)にあの柴崎芳太郎氏によって
埋め直し(改埋)されているようです。

点名「半甲山」

2009-10-23 | 三角点など
18日(日)の午後から仏ヶ仙山頂にある一等三角点、
点名「半甲山」(はんこうざん、標高743.48m)を見てきました。
登山口から桧の植林と雑木の境界を20分ほど上がると山頂に着きました。

仏ヶ山は岡山県境にありますが、山頂の三角点は、
鳥取県東伯郡関金町(現倉吉市)大字浅井奥地内に所在すると
国土地理院の「一等三角点の記」にあります。


仏ヶ仙山頂 09.10.18

三角点を中心に小さく切り開いた山頂には、
何株かのアキノキリンソウが咲いていました。
そして、ドライフラワーのようになったワレモコウと
早くも花芽を出して春を待つイワナシが少しと…。
なぜか寂しげな山頂です。

 
アキノキリンソウ 09.10.18        イワナシ(花芽) 09.10.18

山頂近くからは蒜山が間近に見え、
写真には上手に写せませんでしたが、
右奥には一等三角点のある矢筈ヶ山(点名「二子山」)もうっすらと見えます。
大山は蒜山の陰になってしまうようです。


蒜山 09.10.18

木立の間から見える鳥取県側も霞んでいますが、
なんとか一等三角点「大将山」のある蜘ヶ家山も確認できました。
2点の一等三角点を同時に眼で確認すると、
素人なりに全国をカバーしている三角点網を実感することができます。


北(鳥取県側)の展望 09.10.18

三角点標石は、「高聾山」ほどではないですが粗い花崗岩です。
各辺、特に上面の4辺は面取り加工をしているように見えますが、
風化による可能性もあります。

なお、「旧点の記」に基づいたある資料では、
この三角点の石材を「青石」としてありましたが、
見る限り確かに花崗岩です。
「一等三角点の記」などの記録には、
明治20年(1887年)の埋設後に
標石を取替えたような記述はないんですけど…、?です。


点名「半甲山」 09.10.18

燕岳の三角点

2009-10-19 | 三角点など

燕岳三角点 64.7.23 

三角点シリーズ(?)を始めて、
三角点のいい写真がないかなと、
昔のアルバムをめくっていて見つけたのがこの写真。
ちょうど45年前、中学校の登山部で行った燕岳での記念写真です。
前景に三角点を配し、人物の間に槍ヶ岳。
ありがちながら、記念写真の王道を行く写真ですね(笑)。
ちなみに三角点は二等三角点で点名「燕岳」、標高2762.85mです。

そういえば、登山部とか山岳部というのは、
高校でもそうでしたが、運動部とも文化部ともいえない
どっちつかずの特異というか不思議な存在だったような気がします。
ただただ走るマラソンやウサギ跳びだけでなく、
地図の読み方や短波ラジオを聴いて天気図を作る練習なども重要な部活動でした。
あまり覚えていないのですが、この45年前の写真を見ると、
そんな影響で三角点を意識していたのかもしれません。

ところで、写真の左から2人目はS校長で、
卒業以来お会いしてませんが、
お元気であれば百歳前後になられるはず。
時間の経つのは早いですね。
久しぶりに中学の卒業アルバムなんかも見て、
しばし感慨に耽ってしまいました(笑)。

それはともかく、
ずいぶん前から若い人の登山離れがいわれ、
山は中高年登山者に占領されていますが、
本当はもっと若い人、
特に中学生や高校生に登ってもらいたいもんですね。

写真を見て気がついたんですけど、
「燕岳」の標石の二等三角点という陰刻は写真の左側面にあるはずですが、
右側面にもなにやら文字のようなものがたくさん見えます。
最近の写真をネットで探して見たところ何も見えません。
何だろうと写真を拡大してみたところ、どうも落書きのようです。
今は少なくなりましたが、
確かに昔は結構この手の落書きが多かったですね。

点名「高聾山」

2009-10-17 | 三角点など
11日にセンブリの咲く秋の山道を辿って行った先は、
点名「高聾山」。
一等三角点です。

映画も新田次郎の原作も見てないんですが、
なにかの記事によれば、
「剱岳 点の記」のヒットで三角点ファンが増えているそうです。
そこで、ミーハーである私は考えたんですよ。
百名山やセブンサミットは無理でも、
県内12点の一等三角点ぐらいは・・・と。


点名「高聾山」 09.10.11

点名「高聾山(たかつんぼやま)」は標高288.34m。
明治20年に埋設された標石は、
粗い石肌の花崗岩で、相当風化が進んでいるように見えました。
いままで見た三角点に比べると、
ずいぶん粗略な石材が使われているという印象です。


点名「高聾山」 09.10.11

三角点は雑木林の中にあって周囲の眺望はありません。
でも、すぐ近くに旧建設省の通信用反射板が2基あって、
ここからは日本海を望むことができます。 


反射板から北を望む 09.10.11  

天測点の山

2009-02-11 | 三角点など
 日曜日の午前中に新聞を見ていて、“今年の但馬は鳥取より雪が少ない”
という記事をみつけた。
 「そうか、少ないか。」
 つれあいは、テレビで得た俄知識だろうか「“寒起こし”をすると野菜の
出来が良くなるんだって・・・、だから今日は・・・」というようなことを
言っている。「ああ」「うん」と生返事をしながら、頭の中は「雪が少ない!
少ないんだったら、あそこかな・・」と別のことを考えている。

 お昼ごはんを食べてから、冷たい視線に送られて車を東に走らせる。向う先
は但馬の浜坂。街の南にある三成山(みなるやま)頂上に天測点なるものがある
そうで、前から一度見てみたいと思っていたのだ。
 国土地理院のデータでは、三成山山頂に点名「田君谷山」の一等三角点があ
り標高536.24mとなっている。


天測点(台) 09.2.8 (三成山)


プレート 09.2.8 (三成山)

 ところで天測点とは、三角測量で求められた位置座標を天文測量によって規
正するために設置されたもので、実物は観測機械を置くコンクリートの観測台
である。この天測点を利用した天文測量は戦後の1954年から58年にかけて行わ
れ、選ばれた全国48箇所の一等三角点の傍に設置して経度、緯度などを観測し
たそうだ。ちなみに、鳥取県内には一箇所も設置されなかった。
 一般的な観測台は一辺27cmの八角柱で、太さ65cm、高さ1m前後とされるが、
三成山の観測台もほぼ同じであった。一面に鋳鉄製と考えられるプレートが埋
め込んであり「第□号 天測点 地理調査所」と読める。地理調査所というの
は国土地理院の前身で、戦後から1960年までそう呼ばれていたようだ。
 現在は、観測機器の発達やGPSの登場によって過去の遺物になっているが、山
歩きに欠かせない地形図や地図の歴史を考えると感慨深いものがある。

 さて、三成山ですが、後山集落のはずれに車を止め雪の消えた林道を上がっ
て行く。上がるにつれて雪道になり、もちろんトレースもない。ワカンを置い
てきてしまったことや、初めての山ということで不安になってくる。それでも、
久しぶりの青空や初めて見る花に励まされながら1時間半ほどの行程で山頂に
着いた。山頂は雑木林で展望は良くないが、冬枯れの梢越しに、浜坂の街や観
音山が見下ろせる。


登山道(林道) 09.2.8 (三成山)


三成山山頂 09.2.8


観音山 09.2.8 (三成山)

 山頂には、天測台が鎮座していたが、一等三角点は雪の下だ。“雪が少ない、
三角点が出ている”という単純な発想だったのだが、やっぱり山の雪は簡単に
は消えない。この辺りかと当たりをつけて雪を掻くと、ずばり大当たり。三角
点の頭が出てきた。


一等三角点「田君谷山」 09.2.8 (三成山)

 山頂からやや下った辺に東の山並みを望むポイントがあった。久斗山や三川
山、神鍋方面の山か、自信がない。

 根拠もなく「5時には帰るけぇ」と言って出てきた手前もあり、帰りはトレイ
ルラン状態で駆け下る。


久斗山? 09.2.8 (三成山)


神鍋方面? 09.2.8 (三成山)

 今回、一般的には福井県以北に分布するといわれるナニワズを見かけたが、
三成山の東麓を流れる田君川の下流にはバイカモの群生地などもあって、この
山域は植生にずいぶん特徴のある地域のようだ。加えて感心したのは、林道が
山頂近くまで延び植林もされている割には自然もよく残っていていることだ。
人と自然の営みも程よく調和しているのだろう。


バイカモ 09.2.8 田君川(新温泉町)