風 信(かぜのたより)

海風に乗せて

点名「三国山」

2009-11-11 | 三角点など
鳥取県8ヶ所目の一等三角点は、点名「三国山」、標高1251.92mです。
今回は、ちょっと横着をして昔の写真でごまかしてます。

前にも書いたと思うのですが、三国山は南北2つのピークがあり、
因幡、伯耆、美作三国の本当の境界は、南のピーク(独標1213m)になります。
一等三角点は北のピークにあり、登山道も整備されています。

この三国山、こちらでは「みくにがせん」と呼んでいますが、
「点の記」では「みくにやま」と仮名をふってあります。
また最近では、三角点のあるピークを指して「三国山北嶺」と呼ぶことも多いようです。
付け加えれば、「三国ヶ山」と表記している三角点関係の資料もありますが、
こちらでは、地形図にあるとおり「三国山」と表記するのが一般的です。


点名「三国山」 07.9.8 三国山

三国山の三角点は、とりたてて特徴はないのですが、
緻密な花崗岩から“いかにも一等三角点でごわす”という、
堂々とした印象を受けます。

ところで、三角点の設置、観測は、
一般的に①どこに設置するかの選点、
②そこに櫓などの一時的な標識を造る造標、
③石製の三角点標石を埋める埋標(埋石)、
④精密機械を使った観測、の順で作業を進めるそうです。
(まれに③と④が逆になることもあるようですが…)

そこで点名「三国山」ですが、
現在、国土地理院のHPで公開されている「点の記」を見ると、
明治19年11月選点、明治19年8月埋標となっています。
??です。
選点の前に埋標?、同時はありえると思うのですがねぇ…。

古い「点の記」をまとめた資料も確認すると、
そこには明治19年11月撰点、明治19年8月埋石、明治20年10月観測
となっています。
う~ん、ありえるんだろうか、選点あってこその埋石だと思うんですが…。

悩んでいてしょうがないので、私の結論!
「年を間違えて「点の記」に記入してしまった」です。
私もよくあるんですよ。「えっと、今年は何年だっけ?」ということが(笑)。

推測(妄想)の根拠ですが、
古い「点の記」の資料を見ると、この「三国山」の埋標を担当した技師さんは、
明治20年8月に鳥取県内の「進藤池山」、「高聾山」、「長尾鼻」の埋標を担当し、
明治20年11月に「洗足谷山」の埋標を行なっています。
(なお、上記三角点の選点は、明治19年の11月から12月に行なわれています)

こんなことから「三国山」の埋標も、
実際は明治20年8月だった可能性が高いような気がするのです。

そう、明治20年と書くところを、
つい前の年、19年と書いちゃったんじゃないかと…。
間違ってたら、お許しください。


点名「三国山」 07.9.8 三国山


三国山(中央) 08.4.5 ゴーロ(独標1142m)

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