心の旅

やわらぎ住宅(株)の社長によるブログ。

日本人のルーツ(19)

2013年01月25日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月25日(金)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その7

本日は、当社の株主であります大阪中小企業投資育成会社さまへ、決算面談に行ってまいりました。マクロの話やシンガポールの話をしていましたら、あっという間に1時間が過ぎていました。

本日の朝礼での学びは 

1. 結論的に言えば、迂遠ではあるがやはり教育しかないのでしょう。戦後のいわゆる「民主化教育」を受け「洗脳された」人たちがいま現在、教育界の中核にいるわけですから、彼ら から教わっている若者たちが価値観を転換するのはほとんど不可能とも考えられます。「国家百年の計は教育にあり」と言う通り、国を変えるには100年、どんなに少なく見積もって も50年はかかります。それを考えたら、いますぐにでも教育改革に本気で取りかかる必要があるでしょう。

2. 日本には昔から「裏勝り」という言葉があります。着物の表地は地味でこれといって目立たないのだが、何かの拍子に裏地が見えると、そこには見事な刺繍がしてあって実に美しい のです。「裏勝り」とは、人から見える表側は地味だが、人からは容易には見えない裏側にこそ力を入れ、配慮するという心意気、美意識なのです。

3. バンパーの裏側まで磨くことの合理的な意味は、「部分最適ではなく、全体最適」「短期的なコスト削減よりも長期的な信頼感の獲得」に極めて大きな役割を果たしているというこ とです。

4. 西洋的価値観と日本的価値観の相対化、つまりどちらが正しいのかということではなく、世界と日本を相対化して物事をみる力を身につけることができるようになりましょう。

5. 具体的な知識を学ぶのではなく、いかに生きるべきか、日本人としていかなるたち位置で世界と向き合えばよいのか、といった知恵を学ぶのです。「日本文化の真髄とは何か」「日 本は中国とどう付き合うべきか」「日本の自画像をどう描くか」「日本の国体とは何か」「西洋文明の原点」などについて学ぶことが今必要とされています。

と中谷 巌氏は述べられています。

ここで重要なことは、誰がよいとか、何が悪いとかではなく、世界を知るためにいろいろなことを学び、「自分が今から、どう考え、どう生きるのか」だと思います。

自分がここで変わることによって次の世代を担う人たちによい世界をバトンタッチしなければいけないですし、世界をできる限り次の世代の人たちに伝えて、またその次の世代の人たちが次の次の世代のためにちゃんとした世界で生きられるようにしなければなりません。

これが、われわれ人間の義務であり責任であります。またそれは、人間社会だけではありません。自然に対してもその頂点に立っているのですから、地球と人類の継続性を果たすことが人間としての務めだと考えます。

このような話は、きれいごとかもしれませんが、これをやらないと人類は、甚大な被害を自らがこうむることになると思います。

皆さまは、いかかがお考えでしょうか?




日本人のルーツ(18)

2013年01月24日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月24日(木)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その6

今日は、朝から近江八幡のG-NETで、当社の子育てセミナーを開催いたしました。「しあわせ母さんのための個性心理學」ということで、一人ひとりの性格を知り人間関係をうまくいくようにするものです。大変面白かったです。
午後からは、同友会の新春例会で、吉田敬一先生のお話を聞かせていただきました。
頭が整理され、やることがより鮮明になりました。

本日の朝礼での学びは

1. 2009年8月の衆議院議員選挙で民主党が大勝したのは、まさにそういう危機意識の表れであったとも考えられる。このまま自由主義路線で突っ走ったら日本社会の良さがなくなる、ということに日本人が危機感を持った結果でありました。もっともその後の民主党内閣の迷走ぶりを見て多くの有権者が失望しているので、いまだ国の方向が定まってはおらず、今後も何度か試行錯誤が続くことになるでしょうが、日本人が新しい時代のあるべき姿を真剣に模索し始めたことは間違いないのではないでしょうか。時代の様相を正しく理解し、日本のあるべき姿を明瞭に指し示すことのできる政治リーダーが現れると、日本は大きく変わる可能性が高いのです。だから、まったく可能性がないわけではありません。

2. 民主主義は非常に危うい制度です。カリスマ性のあるリーダーが求められたとき、ファシズムの傾向を持つかもしれない力強いリーダーのほうが、優柔不断にみえる軟弱なリーダーよりも支持を受けやすい。第1次大戦後のドイツでヒットラーが極めて正当な民主的プロセスを経て選ばれたことを私たちは忘れるべきではないでしょう。

と中谷 巌氏はいっておられます。

2008年9月15日のリーマンショックが市場原理主義、すなわち儲けのためなら何をしてもよいという考え方が破たんした象徴的なできごとといえるでしょう。

確かに9.15で大きく潮目が変わったことだけは確かです。EUのギリシア、スペインの問題もここから端を発しています。

「民主主義は非常に危うい制度」と言われていますが、私もそう思います。民主といっても、個人の好き勝手を集計する制度になり下がっていますので、そこには、人類全体の
ことや、他人のこと、社会のことを考えて自分を制御しようとする考えのない人の多数決で政治が決まっていくわけですからこれほど怖いことはありません。

なぜ、国民一人ひとりの質を問わないか、非常に疑問に思います。でも歴史的観点からよく考えましたらそれも仕方ないことかもしれません。そうすると、政治家も人気取りのみの言動をするようになり、民意を受けて独裁的になり組織が量的変化を重ねていきますと、行き着くところは戦争になってしまいます。

やはり、国民のいうことを聞くのもいいですが、それは民意が正しいときです。正しくないときには、政治によって修正すべきです。政治家の役目も民意をなるべく反映して国民が
あまねく幸せになるようにしながら、もう一方で、人類が共生することに反する場合には、一国の民意より、人類全体の福祉を考えることができるような仕組みに変えなければいけないと私は、思います。

さて、皆さまは、どうお考えでしょうか?


日本人のルーツ(17)

2013年01月23日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月23日(水)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その6

今日は、一日、集客やホームページについて、O先生のご指導のもと、今後のあり方についての戦略を考えました。大変有意義な一日でした。

本日の朝礼での学びは

1. 日本は世界に対して何らかの根源的な意味での貢献をすることができるのでしょうか。 まずもって日本人がやらなければならないことは、「自分はもともと何者であったのか」という「自己認識」をしっかりもつことでしょう。
2. いま、われわれに求められているのは、かつて日本人が持っていたとされる「足るを知る精神」「自然をこよなく愛し、自然によって自分たちが生かされているという調和的な自然観」などの日本的な価値観を認識しなおし、自らのものにしていくという「基礎作業」です。
3. 日本には仏教的な考え方がある。自然を破壊するのではなく、自然と仲良くしなければいけないという、自然をおもんばかる気持ちも強い。さらには、過度の市場主義によって人と人の絆がぶった切られるのはよくない、ということを理解する力があります。だから、政治や教育が変われば、日本人の潜在意識に眠っている基層文化がよみがえってくる可能性は十分あると思います。西洋的な価値観に基づいて、自分の権利ばかりを主張したり、自分の欲望の最大化だけを目指したりするのでは、地球がもちません。日本人は昔から「足るを知る」ということを大事にしていたし、他人を幸せにすることが実は自分の幸せになる唯一の方法なのだといった利他的主義の考え方を取り戻すことができれば、日本人はいろいろな形で世界に発信できるはずです。

と中谷 巌氏はいっておられます。

確かに、自分が何をしたらいいのかわからなくなったときには、「自分はもともと何者であったか」ということから入る方法が有力だと思います。

私自身も、以前自分のまわりに起こることが理解できなくて混沌としていましたが、この本を読み、すっきり整理されました。たとえば、会社は誰のものか、とか企業活動してお
金を稼ぐのは正しいのか、正しくないのかなどです。

日本人であるわれわれは、自然をおもんばかったり、他人に配慮したりする素晴らしい心をもっています。西洋には愛の概念がありますが、実際には自己愛や家族愛に限定されて
いるように思われます。どうしても、そこには、お金、すなわち得か損かという利害が優先されるからです。

しかし個人主義的、拝金主義的、利己的な考え方では、行先は見えています。
今こそ、自己の欲望の出し方、制御の仕方をしっかり身につけるべきときです。

自分のことだけを考えるのではなく、全体のことを考える生き方が必要となってきます。

言いかえますと、自分が全体に対してどう貢献できるかを考えて生きる時代ではないでしょうか?

皆さまは、いかがお考えでしょうか?




日本人のルーツ(16)

2013年01月22日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月22日(火)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その5

本日は、朝からいろいろな相談や報告があり、あっという間に昼になってしまいました。
プランの相談や、ホームページに関する報告でした。ホームページなどのWEB技術は、ものすごい速さで進歩していますので、追いつくのがたいへんです。

本日の朝礼での学びは

1. ジャック・アタリが『21世紀の歴史』で予言したように、やがて食糧や水を求める難民が世界にあふれ返り、世界は「超紛争」の時代に入るかもしれません。民族間、あるいは国 家間でひっきりなしに紛争が起き、殺し合いをやるような時代になることも十二分に考えられます。

2. では回避できるのでしょうか。ジャック・アタリは、世界が「国家のエゴ」、その背後にある「個人の際限ない欲望」を容認し続ける限り、利他精神に基づく他民族の救済は二義的 な問題として取り扱われつづけるからだと、その理由を説明しています。

3. 個人や国家が自己の欲望を制御し、「他者の幸せに貢献することが実は自分の幸せにつながる唯一の方法なのだ」という「深遠なる真実」に気付かない限り、人類は「超紛争」の時 代に突入せざるを得ない、ということです。

4. 自己の欲望を制御できるようになることが人間の理想であり、あるべき姿であるという思想は、釈迦をはじめ古くから東洋思想の基本でした。しかし、私たちがたどってきた歴史を 振返りますと、個人の自由や欲望充足の権利を認める西洋的価値観が世界を支配してきました。そして、このような闘争的な西洋的価値観こそ、近代化を実現させ、先進諸国の生活水準 を著しく高い水準まで引き上げるエネルギー源であったことは確かです。

と中谷 巌氏は指摘されています。

世界がグローバル化していくなかで、各国が自由に自国の発展だけを願って行動したら、今の中国のようになります。国家の役割は、どんどん国力を増大していき、武力の威力でもって自国の国益を積極的にと接しようとしていくのは、当然といえば当然です。

そこには人類の共生を願う考え方や、他国に配慮するといった考え方は見いだすことができません。ほんとうにこれでよいのでしょうか?

今、このグローバル化した世のなかで決定的に必要なものは、世界の人たちが共生できる共通の価値基準です。

しかし今の世界標準は、「自国さえよければ」、「自分さえよければ」ということになります。そうなりますとジャック・アタリのいうように争いしかなくなります。

やはり日本人のルーツで学びましたように全体の利益を先に考え、そのあとで個の利益を考えるか、他国と協調して自国の発展を探るようにしなければなりません。

ただ、中谷氏が指摘されていますように、闘争的な西洋的価値観が、近代化を実現させ、
先進諸国の生活水準を著しく高い水準まで引き上げるエネルギー源であったことは確かで
す。でも、その時代は終わりに近づいています。なぜなら、この先人類の未来が見えない
からです。

皆さまは、いかがお考えでしょうか?



日本人のルーツ(15)

2013年01月21日 | 朝礼
朝礼 平成25年1月21日(月)

テーマ:日本人のルーツを知るうえでこれまで以外で学ぶもの その4

本日は、滋賀銀行さんの講演会に行ってまいりました。マクロ経済についてですが、昨年の政権交代によってやっと明るさがもどってきたという感触です。海外の投資家からもこれから日本はどうなっていくのか大変興味をもっているようです。ほんとうに、経済が活性化すればいいですね。今までとは違う、人にやさしい経済になればと願っております。

本日の朝礼での学びは、少し話題が古いですが、時間をおいて冷静にみることができます。

1. 鳩山民主党政権は派遣法を見直し、最低賃金を1000円に引き上げる政策を打ちだしています。それはむろん、賃金労働者には歓迎されるだろうが、高コストを嫌う日本企業は海 外工場立地を加速させるでしょう。実際、「いままで雇用確保のため必死で頑張ってきたけれど、派遣も使えず最低賃金が1000円ということになったら、もうやっていけない。ウチ も中国かベトナムへ工場を移すしかない」という経営者の声があちこちから聞こえてきます。

  鳩山政権はもちろん、派遣労働者やパートタイマーの窮状を何とかして改善したいという「善意」から、法律の見直しや最低賃金の引き上げを打ち出したはずである。だが、グローバ ル経済のもとでは、そうした「善意」は逆にあだとなって、結果的に彼らの職場を奪いかねないのです。

  また、高額所得者に累進課税を行って、弱者救済の原資に充てようというのも、善意から出たものでしょう。しかし、強度の累進課税をすれば、「グローバルプレーヤー」たちは活動 場所をより所得税率の低い場所へと移行させるかもしれません。

  経済がグローバル化したいま、一国内における所得格差の是正は、その国の競争力を弱めてしまう。それゆえ、「グローバルプレーヤー」と単純労働者との所得格差拡大を生み出すグ ローバル資本主義圧力は、おそらくは、国家が打ち出す所得再配分政策の効果を相殺して余りあるでしょう。

2. 今の世界は、グローバルな市場統合によってもたらされる金融危機のリスクや世界的な所得格差の拡大、地球環境破壊、食糧や水の不足などの異常事態に対して、適切に対応する能 力を持ちあわせていません。

  国家は無力化しています。しかし、かといって強力な世界政府が存在するわけでもありません。いうなればブレーキの壊れた自動車みたいなもので、グローバル化の進行に歯止めをか ける手立ては見当たらず、貧困地域の救済は残念ながら望み薄、というのが偽らざるところです。

と中谷 巌氏は言っておられます。

今、われわれが置かれている経済のしくみのなかでは、収入の少ない生活者にお金を与えたり、低賃金労働者の最低賃金を引き上げたり、累進所得税で高額所得者から多くの税金をとろうとしたら、国際競争に負けてしまします。

北欧のように、国全体で高福祉国家を目指すのならできるでしょうが。北欧の国々も簡単にそうなったわけではなく、国民性や地理的な位置関係、近隣諸国のイデオロギーのような条件のなかで、数十年かけて国民のコンセンサスをとりつづけてやっとできたものです。

ということは、われわれがとるべき道は、経済を活性化することによって、企業の利益を生み出し、税金を徴収してさらに近代社会にふさわしいインフラ整備をしたり、その利益を働く人たちに分配することで、より経済を活性化させるという循環をつくることだと思います。

それでは、ますます競争が激しくなって、今よりももっと格差が広がり、危機的な状態になるという意見も当然出てきますが、何もしないで停滞するというのは、もっと罪深いことだと思います。

話は変わりますが、国自体の運営も変えないことにはいけません。収入が40兆円しかないのに90兆円使うというのは、考えられません。会社であればとっくの昔に倒産しています。家計でもそうですが、収入に見合った支出をするのが普通だと思いますが。日本だけではなく、世界全体がおかしいのかもしれません。

われわれの幸せを考えながら、収支のバランスをとる考え方を推し進めないと、挙句の果てが他国との摩擦につながりかねません。放漫経営をやった挙句の果てにそれを争い事で解決しようというのは、過去の歴史が答えを出しています。罪のない人が、犠牲になるだけです。

国も収入を伸ばす工夫をするのと同時に、コストをかけなくてもよいところは、どんどん削るべきだと思います。働かない人や利権をむさぼっている人に過剰のサービスは必要ありません。

日本人のなかには、働かなくてもお金がどこからか回ってくると思っている人が多いと思います。真に自分の人生の価値を追求している人が少ないように思います。もっと自分の人生を大事に、自分の価値を大事に、と思うのですが。

大事にしようと思ったらどうしたらよいのでしょうか?

皆さま、一緒に考えましょう!