近江FWⅡ -7-
令和6年3月30日、いつものメンバー(積知積徳会)で、近江へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。
今回の訪問地です。
今日はその7回目。④セミナリヨ跡 です。
その前に昼食場所。
おいしかった! おすすめします。
④を拡大すると・・・
セミナリヨ跡は、日本最初のキリシタン神学校の跡地です。
1581年(天正9年)にイタリア人宣教師オルガンチノによって創建されました。
説明です。
拡大してみましょう。
日課はおもしろい!
食事、服装も書かれています。
3階建てでした。
説明がありました。奥には観音寺城のあるきぬがさ山です。
文字起こししてみましょう。
セミナリヨの由来
かつてセミナリヨ(カトリック小神学校)のあったこの土地が、織田信長より教会建設用地として下附されたのは、一五八〇年(天正八年)五月二十一日のことであった。これによって、イエズス会のオルガンチーノ神父は直ちに高山右近をはじめ近在の信者たちの熱烈な援助を受けて、ここに三階建の堂々たる住院を完成したが、その後間もなくこの建物を用いてセミナリヨが開校された。一階には茶室の付いた座敷があり、二階は神父の居室、三階は教室と生徒の寮として使用された。授業科目には、日本文学、キリスト教理、ラテン語、修辞学、音楽などがあり、後に日本二十六聖人の一人となったパウロ三木をはじめ、諸国から集まった二十数名の少年たちが寄宿して勉学に励んでいた。信長の特別の許可により、安土城と同じ水色の瓦で屋根を葺いたこの豪壮なセミナリヨには、連日多数の貴人が訪れたが、信長自身もしばしばここに立ち寄り、ときに少年の演奏するオルガンに聞きとれていたと伝えられる。かくして、安土はこのセミナリヨにより、日本におけるキリスト教の一大中心地となるかにみえた。しかし、一五八二年六月信長が本能寺の変に死するや事態は一変し、セミナリヨの壮麗な建物も明智勢の侵略により廃墟と化した。やむなくセミナリヨは京都へ、さらに高槻、大阪へと移り、一五八七年秀吉の禁教令に際しては肥前国(長崎県)有馬のセミナリヨに合併されたが、それも遂には一六一四年徳川の大追放令のもとで廃校となり、その苦難の歴史を閉じることになった。
東側です。背景に見えるのが安土山です。
文字起こししてみましょう。
安土セミナリヨと三木パウロ
一五八〇年五月オルガンチノ神父が信長から土地を下付されて開校したセミナリヨ(神学校)は、日本近代教育の幕あけにふさわしい充実した教育内容と、三階建の豪華壮麗な大建築とで、遠く海外にも知られていた。このセミナリヨも、やがて本能寺の変に続く動乱のために焼失し、安土にあったのは僅か二カ年余に過ぎなかったが、その間日本の精神的指導者となるべき幾多の優秀な人材が育成された、阿波の士族三木半太夫の子、三木パウロもその一人である。彼は一五六四年頃生まれ、幼少時に授洗、セミナリヨを卒業後一五八六年イエズス会に入り、布教活動に献身した。しかし一五九六年十二月秀吉のキリシタン弾圧にともなって大坂で逮捕され、翌年一月他の二十五名の信者とともに陸路九州へ護送されて、二月五日長崎西坂の丘で殉教した。一八六二年法王ピオ九世は彼ら二十六人の遺徳を讃えて全員を聖人の位にあげ、ここに三木パウロの名は日本二十六聖人の一人として、広く世界の人々の尊敬を集めることとなった。 今日三木パウロの遺骨をこの地に迎えるにあたってその記念としてこれを建立するものである。 一九八一年五月三十一日
ここから、船でいろいろなところへ行けたのでしょう。
さて、『信長公記』(新人物文庫版)には、セミナリヨに関する記述が一カ所あります。P.406ページ最終行から
巻13/天正8年(1580)
(8)安土城下に屋敷地を賜う
閏三月十六日から、菅屋長頼・堀秀政・長谷川秀一の三人を担当の奉行として、安土城の南、新道の北に掘割を掘らせた。 その土で田を埋め立て、伴天連(ばてれん)に屋敷地として与えた。
堀秀政・長谷川秀一は、安土城天守近くに屋敷があり、信長にかなり近い側近であることがわかります。
一方、ルイス・フロイスの『回想の織田信長』にはしっかり出てきます。
131ページ
「安土山の神学校について」が139ページまで続きます。
動画をご覧ください。
キリシタン縁のセミナリヨ跡を紹介。
明日に続きます。 -8-へ
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