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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

新宿コムサ

2010年06月16日 19時21分01秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 新宿のコムサストアに行ってきました。
 前々から欲しかったものがあったのですが、
 どうもコムサストアに行くと、
 タイミングが悪くなんにも買わず出るコトが多く…

 今日もそうでした。


 今日の分はまたいつか、ベストなタイミングで欲しいものが手に入ると期待しています。

お互いに尊敬する。

2010年06月16日 07時43分04秒 | 青裸々日記。
日本丸(神奈川県横浜市中区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 長く関係を続ける場合、
 絶対に必要なことがあります。
 それは「お互いを尊敬し合う」ということです。

 変な言い方になりますが、
 どんなものを尊敬してもよいのです。
 勉強ができる。
 人の気持ちに共感する力がすごい。
 仕事への責任感がある。
 誠実で実直。
 気配りがうまい。
 悪いことはハッキリと悪いと言える。
 やりたいことを真剣にやっている。
 …これは何人かいる、私の長い付き合いの友達のよいところを簡単に挙げてみたんですね
 (※これは別に挙げた数しか友達がいないということでもありませんし、
  似たような特徴を持っている場合だってあるわけです)。
 たとえ言葉にできなくても、長い付き合いであればこそ、
 尊敬できる点、尊敬したい点が、どんどん浮かんでくるものです

 逆に言えば、自分がなんの魅力も感じられない人と長く付き合うのは、
 おそらく難しいのではないかと思います。
 取っ手のない蓋のように、
 持とう、掴もうとしても、手でできることが限られているからです。
 持ちにくいものを無理して持ち続ける道理はありません。


 ちなみに。
 6月ということで、
 「ジューンブライド」という言葉に絡めて言うと、
 結婚生活にもこれが当てはまる気がします。
 「人生二人三脚」だなんて言いますが、
 なんのことはない、「なんでわざわざそんなめんどくさい競技に参加するんだ」という話です。
 100%納得いく結婚なんて有り得ないわけですが、
 逆に言えば、手と手、踝(くるぶし)と踝を自らの手で縛る人なんていないわけです。
 つまり、「気がついたら縛られてしまった」というケースがあまりにも多いからこそ、
 一見、筋の通らないような格言が生まれてしまうのではないでしょうか。
 そうならないためにも、
 普段からお互いに尊敬し合えば、
 「二人三脚」ではなくなるヒントが、もしかしたら見つかるのかもしれません。

 私は自分の責任を考えると結婚なんて怖くて出来ないので、
 せめてものアドバイスになればと思って、少しだけ脱線させてみました。



 ☆ ☆ ☆


 こういうわけで。

 誰かと長く付き合う要素として、
 自分が魅力的になるのはもちろん、
 人を敬うこと、尊敬しようとすることは、
 お互いに「持ち手」を差し出し合う、つまり「長く持って」いられることに繋がるので、
 とても大切な考え方になるのではないでしょうか。
 どんどん人のよいところを見れるようになりたいですね。

I字マットレス

2010年06月15日 21時47分10秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 E.T.じゃないですよ、E.T.じゃ。
 ようやくマットレスを立て掛けずに寝られそうです。
 眠気がハンパないです(笑)

 数日ぶりにゆったりしてみようと思います。
 当たり前のコトががなんて幸せなんだと。
 もうしばらくはよいかと思う一方で、
 「案外やれるじゃん」
 「自分も棄てたもんじゃあないな」
 などと自己満足しています。

 心身、大切ですよね。

自分に対するスタンス。

2010年06月15日 18時59分05秒 | 青裸々日記。
道端のツツジ(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 皆さんには憧れの人、尊敬する人、
 そして、目標にしている人はいるでしょうか!?
 私は何人もいます。
 そんな人が多過ぎて、困っている位です。


 さて。

 そんなに魅力を感じる人がいたら、
 本人に嫌がられない限り、積極的に勉強させてもらうとよいと思います。
 具体的には、ほんの一時期だけ、
 よいと思う点やうらやましいと感じる部分を、
 自分なりに真似させてもらうのです。


 ただ真似をさせてもらうと、
 「あやかれる」ということで、
 なんだかブランド品を身につけたかのような、
 つまり、意気がったような、威光があるような気分がしてきます。
 しかし、目的はそんな安っぽいものではありません。
 自分をどうやって扱っているか、
 自分をどのように磨いているかを研究し、
 自分のものにするため、
 これが最も大切な目的なのです。


 「自分を大切にしましょう」
 「自分に厳しく、人には優しくしましょう」
 「自分を棄ててはいけません」

 こんなアドバイスが溢れているのは、
 逆に言えば、それが簡単に出来たら苦労しないからです。
 だからこそ、手を変え品を変え、形を変えて、
 どんな人でも、いろんな人に指南されてしまうわけです。
 つまり、「自分自身の扱い方」ほど、難しいものはないのです。

 それをなんとかするために試行錯誤するわけですが、
 上手くいく時といかない時が当然ありますから、
 理解は出来ても、もどかしいような気分になってしまいがちです。
 理解するだけ終わってしまうと、実際にどう実践して、役立てればよいのか、
 途方に暮れてしまいます。
 特に誠実にアドバイスを守ろうとする人ほど、
 陥ってしまいがちな点です。


 ここで、「目標にしたい人」に登場してもらうのです。
 生まれつき持っているものは違うかもしれませんが、
 逆算してみれば、「「目標にしたい人」の自分の扱い方」を続けていればこそ、
 そんな憧れるような位置に近づけるわけです

 そう考えれば、必ず参考に出来る部分が見つかるハズです。 


 真似事ばかりではいけませんが、
 自分の糧になる要素だけ、勉強すればよいのです。
 そしてそれは、勉強しているうちに自然と選別されてくるものです。


 「習うより慣れよ」。
 自分を磨く時こそ、大切にしたい気持ちですよね。

名曲に注意!

2010年06月15日 12時40分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私は目覚ましに時計とケータイを使い、
 それでもヤバいトキは、ウォークマンを持って来て耳元で大音量で流したりします。

 ただ…。

 今日は聴いているうちに、
 頭の中で口ずさんで、
 そのまままた寝てしまい…。


 逆効果でした(笑)

L字マットレス

2010年06月14日 22時28分08秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 最近、少しタイトなスケジュールを自分で組んでしまったので、
 マットレスをL字にして、
 壁に立てかけて寝ています。
 具体的に言うと、
 横にならず、マットレスの折ったトコに詰めた毛布に、
 全身を預けるようにしています。
 2時に寝て6時過ぎには起きる日がここ数日なので、
 馬鹿な理由で遅刻などしたくないんですよ。
 もちろん疲れの取れ方は2割減といった感じですが、
 それでも目覚めの爽快感はあるし、
 結構助かっています。

 マァ無理はしたくないので、
 近く、ゆっくりお湯に浸かろうかと。
 どちらかと言えば神経がヘタってしまっているので、
 自分がより元気になれると思うと、
 楽しみだったりします。


 もちろん皆さんは下手に真似しないで下さいね。
 取れる疲労は取ったほうがよいに決まっています!
 寝坊したくない一人暮らしサンの場合の、
 非常手段ですから(笑)

「もっとよい○○がある」という暴論。 その2

2010年06月14日 13時48分24秒 | 青裸々日記。
ハナミズキ(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 皆さんの好きな食べ物はなんでしょうか!?
 あるいは、食べ物が最高においしいと思った時は、
 いつといつでしょうか!?

 …たとえばこんな問い掛けをされると、
 たいてい答えは一つに絞れないと思うんですね。


 このように、一言で「最高だ」と言っても、
 その時やその瞬間によって、どれを「最高だ」とするかは変わってくるものだし、
 その「最高だ」と言えるものが複数ある場合だって、
 たくさんあるハズです。
 こういうわけで、
  「もっとよい〇〇がある」というのは、これまで「最高だ」と思っていたものの価値を否定してしまいかねない、
 そんな誤解を与えてしまう側面があるのです。
 だから、「もっとよい〇〇がある」という言い方は、
 たとえ励ましで言っている場合でなくても、
 物の見方を歪めてしまうことがあるのです。


 ☆ ☆ ☆

 また一方で、
 「もっとよい〇〇…」という言い方、考え方をしていると、
 自分に自信がなくなってきてしまう、
 こんな恐れがあるんです。
 たとえば自分の望みを叶えられそうなチャンスが来たとしても、
 「自分よりもっとそれに相応しい人がいると思う」
 「もっとよいものがあるに違いないから、まだまだ待ってみようかな」
 などという考えになってしまいがちです。
 自分の身の丈を知っておくこと、遠慮すること、
 そして人に譲ることはとても大切なことです。
 しかし、「相応しいものは1つしかない」というような価値観に立っていると、
 思考を挟むことなく、全てに対して自動的にチャンスを右から左へと流すような、消極的な態度になってしまいます

 つまり、「もっとよい〇〇がある」などと人に向けて言っていても、
 実は知らぬ間に自分自身の首も絞めてしまっている、
 こんな点に気づく必要があると私は思うんですね。


 謙虚になることは、人間関係を円滑にしたり、
 人に不必要な傷を負わせないということで、
 深い関係を築く上では必須になる要素です。
 しかし、わざわざ消極的な態度を奨励するような言葉を口にする必要もないと思いますし、
 よくよく考えれば、「最高のもの」などという考えそのものが、
 せっかくそこにある幸せを陳腐にするものではないでしょうか


 その時その瞬間ごとに最高のものが違う。
 最高のものはいくつもある。

 冒頭で書きましたが、
 それがわかった時、
 もはや「最高」とか「もっとよい」などという考えに、
 深いこだわりを持つ必要もなくなるのではないでしょうか。

朝のカノンは気持ちよい

2010年06月14日 10時30分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 朝の楽しみは、なんと言っても電車で立ちながらリラックスして聞く音楽です。
 電車でリラックスするにはそれなりのスキルが要るのですが、
 それをマスターしてしまった私にはなんのその、です。

 なんだろう、やっぱりパッヘルベルのカノンを聴いていると、
 頭が冴えて、しかも落ち着いてくるんですねえ。
 不思議です。

 皆さんも聴いてみるとよいかと思います。

紫陽花開花

2010年06月13日 23時22分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私の地元でも、紫陽花がついに咲きはじめました。
 カラフルなパステルカラーが彩かで、
 組み合わせによってはギョッとする位ステキなんですよね。

 梅雨の時期ですが、
 こうした花が咲くからこそ、
 楽しみも尽きないワケで。
 紫陽花サンに感謝です(^^*)/


 ちなみに。

 今日も私が自宅に着く頃に雨が降り出しました。
 いつもお天道様には助けられています。
 ありがたいです。

「どうにかして下さい」。

2010年06月13日 08時24分15秒 | 青裸々日記。
葛西臨海公園の新緑(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 困った時に出る、
 「どうにかして下さい」という台詞、あるじゃないですか。
 これってつい無意識に出がちな言葉だけに、
 人間の度量を示す指標、というよりも決定的な「トドメ」になってしまいがちなんです。


 「どうにかして下さい」には、実は3通りあるんです。
 ・本当に打つ手がなくて、手詰まりになってしまった場合
 ・打つ手はあるが、どの手が適切か自分では判断がつかない場合
 ・考えるのが難しいので丸投げしてしまう場合

 …これだけパターンがあるので、
 「どうにかして下さい」という言葉だけを聞いて、
 本人の意欲そのものは計れない、
 つまり全部が全部「丸投げ」とは限らないわけです。
 むしろ、問題の大きさが自分で対処できる力を越えそうな場合、
 それは褒められるべき行為になりますよね。
 また、自分自身が「どうにかして下さい」と口にする場合も同じで、
 安易に言ってしまわない限り、それは弱さでもなんでもないのだと私は思います
 自分自身の力で対処しようとしただけ、
 それを丸投げとは言えないハズです
 そこにはなんら瑕疵はありません。


 ☆ ☆

 さて。

 問題は「丸投げ」の場合です。
 ここからは「丸投げ」の事例に絞って考えてみたいと思います。
 甘えて甘えて、
 自分で考える前に「投了」してしまう人には、
 あるいは自分自身が考える癖がないという思い当たりがある人は、
 どうすればよいのでしょうか!?

 実は。
 「どうにかして下さい」と口にしている時点で、本当は見込みがあるんです。
 甘えている本人が1mmでも前を向きたいからこそ、
 まだ「どうにかしたい」と思えるわけです。
 たとえ「甘え」でも、甘えるだけまだ救いがあるというのが正しいところなんですね。
 「見ていて鬱陶しい」
 「情けない」
 こう思えてくるものですが、
 「どうにかして下さい」すら言えなくなったら、
 それはもう、本当に絶望してしまった時ではないでしょうか



 人に自分自身の全てを委ねてしまう場合、
 それは必ず、なんらかの大きなトラウマを抱えているからです。

 自分で選択した。
 でも失敗した。
 次は念入りに選んだ。
 でも、努力が及ばなかった。

 こんな繰り返しになれば、
 自分にはもうなす術がないのだと錯覚してしまいがちです。
 しかし、他人に選択や幸せの形を提示してもらっても、
 それはそれで納得出来ないのが人間です
 これは服の試着と同じで、自分にフィットする価値観は、自分の心を物差しにしないとわからないからです
 よく観察してみればわかると思うんですが、
 「どうにかして下さい」という相手は決まってより信頼できる人を選ぶものです。
 しかし、どんなに信頼できる人、わかってくれていると思う人でも、
 限界があります。


 …というわけで。
 自分で考えることを放棄するようになってしまった人には、
 「どういう自分でありたいか」
 「どんなふうになりたいか」
 これを自分で考えてもらえるようにすればよいのです。
 人間、ビジョンがあればこそがんばれることがあります
 ビジョンが持てるようにしてあげれば、
 本人が変わってくれる場合があるのです。

 そのためにも、わずかでも残っている「前を向く種」を砕いてしまわないこと、
 つまり「甘ったれ」で終わらせないことです。
 決めつけが不幸を導くことがあります。
 「決めつけ」と書きましたが、
 決めつけるのを我慢する力、
 そして、わずかにでも射している希望の光を見守る力こそ、
 冒頭でお話した「度量」なのです。
 もちろん見守る対象が他人でも自分でも同じです。


 大切なのは「可能性を信じること」なんですよね。

☆ルックス向上委員会 その24☆私の体験談 #1

2010年06月13日 00時00分00秒 | ルックス向上委員会
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 この連載に少し飽きてきたと思うので、
 今週は少し趣を変えて、
 私の体験談でも。

 自分を変えるなら、外見から入るのが手っ取り早いというのが私の考えです。
 外見は成果も出やすいし、
 なにより性格や内面と違って可視的なもの、つまり目に見えるものなので、
 やる気も出やすいんです。
 そして、それに伴って内面を磨いていく、と。
 大切なのは向上心なので、
 自分を磨きたいという気持ちが一つでも芽生えれば、
 あとは勝手に走り出すものなのです。

 外見から磨くなんて…と抵抗を感じる皆さん、
 外見を磨いてからでも遅くはないのです。
 むしろ、外見に手を抜くと、やる気のない自分を表現しているという誤解が生まれてしまうことだってあったりするのです。

 私自身、引き締めに力を入れるほど人とのコミュニケーションがしやすくなってくるという実感があります。

 外見「だけ」で終わるのが悪なのであり、
 外見で終わらなければ万々歳。
 そうですよね、皆さん!?

ありがとう、運転士さん!

2010年06月12日 22時47分23秒 | 雑感、雑記
 こんばんは。
 今日もありがとうございます。



 先日、終電に乗ってたんですが、
 運転士さんの運転が上手で助かりました。
 車でもバスでも、大勢乗っているトキに急発進されると、
 あちこちから圧されるじゃないですか。
 でも、こないだの運転士さんはゆっくりと徐々に×2加速してくれたので、
 満員でもそれほどストレスがかかりませんでした。

 なんだろう、お客様センターに伝えるのも変ですし…。
 こんな運転士さんが増えれば、より安心して電車に乗れますよね。

「投影」という心理。

2010年06月12日 12時39分16秒 | 青裸々日記。
みなとみらいを臨む(神奈川県横浜市西区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「自分に優しくすれば他人にも優しくできる」と言いますが、
 私はこんなの大嘘だと思います。
 正しくは「自分に余裕があれば他人にも優しくできる」です。


 その理由をお話ししようと思います。


 ☆ ☆ ☆

 心理学では「投影」という考え方があります。
 他人の行為や容姿、立ち場を自分自身と重ねて見てしまうこと、
 そして、ひどい場合だと、他人のことなのにあたかも自分自身であるかのように錯覚してしまうことを指して言う言葉なんですね。

 …ということは、です。

 言い換えれば「自分を他人に重ねて見てしまう」とも言えるので、
 自分に不満がなければ、他人にあれこれと干渉することはなくなるわけです。
 自分に不満を持たない方法は2つあります。
 自分を許すか、
 自分の不満を克服するか、
 この2択です。


 自分も許し、人も許す。
 投影によるいがみ合いが起きた場合、
 こうするのが一見、平和的な解決に思えます。
 しかし、そこには成長も進歩もありません
 成長も進歩もなければ、また同じ問題が起きることくらい、目に見えているわけです

 「投影」というと大層な言葉に聞こえますが、その実、自分も相手も同じ位置にいるだけのことです
 別にその位置から、さらに揃って落ちていく理由はありません


 先に「2択」という書き方こそしましたが、
 許すも許さないもなく、
 「少しずつ許容範囲を厳しくしていく」のが最も幸せなあり方だと私は思います。
 お互いに許さない変わりに、一緒に励まし合って伸びていくことはできます。
 そしてそれは、自分の側に余裕がある時のみ出来る考え方ではないでしょうか。



 つまり、自分に優しい人というのは、
 なんでもかんでも自分も他人も許してしまう、
 なあなあな人ではないのです。
 落ちていくことで幸せになる人はいません。
 「このままじゃいけないよ」と言って、
 「似た者同士かもしれないけど、一緒にがんばろうね」と言える人、
 これが本当に人に優しくできる人なのではないでしょうか。



 なんでもかんでも優しくしていると、
 かえって命取りになる場合があります。
 評判の悪い言葉ですが、
 「冷たい脳と暖かい心」というのは、
 人に自分を重ねて見てしまいがちな時こそ、
 必要な考え方なのではないでしょうか。

肉体疲労児

2010年06月11日 23時50分38秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 ぼく…そんなよわいつもりはないんだけど、
 なんかこんなのかっちゃったよ!!

 …って、すいません。
 もちろんタイトルもわざとです。
 ホントに情けないんですが、
 体の制御がアヤシイので、
 100円ショップで目に付いたコレを手に取って帰宅です。
 自分に負けたらおしまいじゃないですか。
 マァ買ったコト自体が負けかどうかは置いておくとしても、
 勝てるなら勝っておこうぜホトトギス、ですよね(笑)

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