のんびり起業を目指す日々

好きなことを勉強しながら、のんびりとお惣菜屋さん開業をめざす毎日です。

避難所を経験

2019-10-14 06:08:00 | 日記
皆様おはようございます。

一昨日は初めての避難所を経験することになりました。
初めは家にこもってやり過ごす予定でしたが、先月の台風15号が雨よりも強風の台風だったのに対し、今回は秋雨前線とセットになっていて大雨をもたらすケース。
案の定昼ごろのニュースなどで情報を得ると、近所の川の水源近くの山間部もかなりの降雨がある模様でした。
15時過ぎにヘルメット着用で川の様子を見に行くと、台風の中心が来る前に関わらず、いつもの台風の後位に水位が上がってしまっていました。






家に戻り避難に備えて避難所を検索するも、ページがつながらない。

そこで当てにしたのがこちら。
まずこの冊子で避難所を確認しました。








16時30分にスマホに避難勧告の情報が入り、自分の家は1階なので早めに準備をし、台風が過ぎるまで避難所で過ごすことに決めました。
荷物をまとめ、停電絡みのショート火災の無いよう、ブレーカーも落とし出発しました。
避難所は先ほどの冊子とは別で住所ごとに割り当てがあり、記載のある小学校へ行きました。
この小学校は1km以上あり遠いのですが、近所は浸水想定息が広いことは区のハザードマップで知っていたので、しかたないと向いました。
しかし、着いてみるとすでに受け入れは定員で終わってしまっていて、急きょそこで情報の入った別の小学校へ行くことになりました。
去年まで区民農園を借りていたすぐ隣だったので、その場にいた10名位を案内することができました。
その小学校のほうは、着くと丁度受け入れが始まるところでした。
資材を運ぶのと、設営を手伝って欲しいという事だったので、男数名でお手伝いしました。
アルミ蒸着マットのようなものを敷いてテープで止め、毛布の配布。
自分にとっても、この流れを覚えられる事にもなりました。
自分が入ることになった体育館の準備が整った所で、一旦休ませて貰う事になりました。
途中、ガラス窓の養生にダンボールを貼ったりすることもあったですが、若い男性を中心に動いて作業してくれて心強く思いました。
しばらく外は来た時の雨風の様子でしたが、20時を過ぎたくらいから風が強くなってきて台風の中心部が近づいていることがわかりました。
今年の台風は上陸してからも速度が遅い。
小田原に20時半頃だったので、21時半頃にはもう北に抜けるかと思いきや、ネットでは町田あたりとの情報。
まだかまだかという気持ちで待機しました。
家の近くの川の様子はますます悲観的な状況になって行き、不確かですが氾濫が始まったとのSNS投稿もありました。
これほど長く雨が続いてしまったので、もう浸水もまぬがれないと覚悟しました。
家に住めなくなってしまったら、パソコンなど家財も駄目になってしまっては起業もしばらくは無理。
職を変えて、地域のボランティア活動に参加しながら、体制を整えてやり直していくのだろうか。
そんな事を考えたり、
近所の人たちは無事だろうか、もっと声をかけてこなければいかなかったかな。
等、反省などを考えながら体を横たえて過ごしました。
やがて、台風は過ぎて外は静かになりました。
帰り始める人が出てきて、それを見てまた一人、一組と帰っていきました。
自分は近所の川の水位が限界値のままだったので、水がいくらか引いてきたら帰ることにしました。
24時にはいくらか引くのだろうと思っていたら、まだあまり変わらず。
避難所で少し寝ていくことにしました。
床が硬くてずっと寝つけずにいましたが、結局3時間くらいの睡眠ができました。
目が覚めて調べると、水位はピークより2メートルくらいは下がっていました。
その朝は仕事に出なければならなかったので、4時30分には帰ることにしました。
歩いて家に帰る途中は浸水の後はなく、自宅もいつも通りでした。
とても安心しました。
帰った後は、前日に作ろうと下ごしらえだけしていたグラタンを作ったりしていましたが、川はまだ危険水域であり、警戒のピークを過ぎると安心感が出てしまうものだと思い、これでいいのだろうかと感じました。

今回は名古屋旅行の折に、県立図書館で伊勢湾台風の写真展示があり、その甚大な被害を知りました。
そんな事もあって、すでに上陸が警戒されていた今回の台風を、どうやって乗り越えようかということを考えるようになりました。

後から見ると各地に大きな被害が出てしまったようです。
自分の所な、なんとか堤防が頑張ってくれて最悪の事態を免れましたが、状況としては知る中で最悪でした。
避難の仕方などの行動を振り返ると反省も色々あって、次に何かあった時に備え、覚えておこうと思いました。

それでは皆様、良い1日を。