成り行きアラカルト日記

人生は成り行きでありますが、日日是好日と考えて、日々の出来事を凡人の視点でアドリブ的に記載したいと思っております。

大相撲八百長事件

2011-02-04 23:42:24 | 三面記事的
春場所に文科省待った全容解明できないと(日刊スポーツ) - goo ニュース

 野球賭博を調べていた警視庁からの文部科学省への情報提供から大きく事件に発展してしまいましたが、八百長についてはかなり昔から週刊誌で取り上げられたりして話題になっていた。
 しかし、個人的な感想としては、小学生時代から、友達仲間うちでも、八百長はあるものだと皆が思ってましたし、とりわけ、国技だからの意識もなかったですね。
 プロレスなどももちろん、同様でしたね。プロボクシングも場合によってはあると思ってました。
 僕の親も、八百長はあるんだ!と言ってましたね。証拠はなくても、庶民一般は八百長はあると思っているのが常識でありました。
 もちろん、がちんこ勝負だけで相撲人生を終わられた力士もいたことでありましょう。しかし、その力士も八百長があることは業界の人間として知っていたわけです。自分が八百長しなくても、黙っていたはず!!!!!!!!!そんなもんでしょう、普通の人間は。
 一般の人々、僕は、それを分かりながら、世間は本音と建前があるのだなという勉強もしたわけです。何かファジーの部分があり、社会はルールどおりには動かない、動いていない部分があるのだなと思いました。僕の父親が言う嫌な言葉がありました。「コネは大事やで」ですね。当時は色々なところで、コネがものをいいました。良い言葉に変えると、「周りの愛情」になるのでしょう。そして、「義理と人情」の話になるわけです。
 青年になると、世の中の矛盾、その旨みに自分ものっかかっていた過去があったりすると自己嫌悪になったものでした。
 閉鎖的な社会は当然、色々なところで、社会の法的ルールとは別の暗黙ルールが出来上がります。本音ルールでありますが、また生活の知恵、とりわけ狭い共同体に有効な知恵ですね、そんなルールが生き続けていたのが、今の相撲協会でありましょう。
 ここまで、大きく公的な部分の建前が崩されてしまうと、本音ルールは社会的ルールに勝てません。
 その意味で、日本社会は八百長だらけであったわけで、相撲協会はその象徴でありましょう。
 これから、どうするのか、そのようなファジーな部分もしゃーないとするのか、何事も厳格に法律こそ一番大事とするのか、難しいですね。
 ルールで、幸福の保護は何かしらできますが、幸福をつくることはできないですね。
 タイガーマスクなら、どのような感想を述べるかな?日本の財政が苦しい折、日本相撲協会の公益法人を剥奪して、その法人の金を国が頂くって流れもありますね。それを貧しい子供たちに。
 
 果たして、大相撲八百長事件で、「誰が何を困っているのでしょう?」という素朴な問いかけが分かりやすいのでは。

 追伸・春場所が中止になりましたね。もう少し早く決定すれば良かったのにと思いますが。けれど、経済的にかなりきつい影響を受ける人もかなりいましょうね。気の毒です。