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桜花爛漫の4月となりました!

2024-04-01 10:13:10 | エッセイ

     

    □□□□□‐‐‐ikiikiclub mail magazine‐‐‐□□□□□

               2024.4.1.第284号
                  「生き生きくらぶ」事務局

           桜花爛漫の4月となりました!
 桜の開花が遅れています。専門家によると暖冬の影響のようです。桜の花芽
は前年の夏にでき、その後休眠状態に入ります。冬の寒さで花芽が目覚めるの
ですが(休眠打破)、暖冬だと、休眠打破遅れが開花遅れを招きます。
 王朝の歌人、西行は「たぐひなき花をし枝に咲かすれば桜に並ぶ木ぞなかり
ける」と詠っています。西行が目にしたのは野生種でした。今の桜の7割は人
の手が生んだソメイヨシノです。育ちが早く、花のボリューム感があるため、
明治以降、全国に広がりました。にぎわいを呼ぶ一方、短命なのが欠点です。

 最近の話題として「経済好循環の胎動」を取り上げます。日本は賃金、物
価、株価といった経済指標が好転し、長期停滞から新たな成長段階に入ったと
言えそうです。
 市場モデルは大きく分けて二つあります。欧米型の付加価値競争市場と日本
型の価格競争市場です。岸田政権が長期停滞から抜け出すため、市場モデルを
欧米型に変えつつあり、このことが好影響しているようです。

 参考:
・付加価値競争市場:高品質の商品やサービスを提供し、顧客に満足感をもた
 らすことで競争力を維持します。製品価格は原材料費、エネルギー費、人件
 費等のコストに適正利潤を加えたものです。コストが上昇したら物価に上乗
 せします。(価格転嫁) 値引きはしません。
・価格競争市場:価格の安さだけで競争力を維持します。激しい値引き競争を
 展開するので消耗戦となります。短期的には効果が見込めますが中長期的に
 は経営に悪影響を与えます。

◆ 長期停滞の30年 (1993年~2022年)
  金融界はバブル崩壊の後始末に追われ、各企業は値引き競争に明け暮れまし
た。その結果、経済発展は遅れ、先進国で一人負けの経済と化しました。

◇ 賃金の国際比較
 ・日本人の平均年収  1993年:465万円  2022年:445万円 
 ・2022年/1993年の賃金比率の国際比較  
  日本:0.96、  韓国:1.9   米国:1.5   ドイツ:1.2
 ・2022年の平均賃金の国際比較(単位:万ドル/年)
  日本:4.2、  韓国:4.9、 米国:7.7、 ドイツ:5.9
◇ 消費者物価の国際比較
・この30年間、日本の消費者物価は殆ど上昇しませんでした。
・物価上昇率の国際比較   日本:0.1、米国:4.3、ドイツ:1.4 
◇ GDP(国内生産)の国際比較
・日本のGDP      1993年:505兆円  2022年:558兆円     
・2022年/1993年のGDPの国際比較  
   日本:1.1、     米国:3.7   ドイツ:2.2

◆ 好循環の胎動 (2023年~2024年)
 日本銀行は経済の安定した成長に向けて賃金と物価の前年比上昇率の目標を
それぞれ 5%と2%に設定しています。
  2023年度の実績値  賃上げ率:5.28%   物価上昇率:3.1%
  2024年度の春闘集計 賃上げ率:5.58%   物価上昇率: -

  3月19日,日本銀行は「賃金と物価の好循環の強まりが確認されてきた」とし
て大規模金融緩和の解除を決めました。具体的にはマイナス金利の解除、長短
金利操作の撤廃、リスク資産の資金買い入れ終了です。
 金利の復活は日本経済に待望の構造改革をもたらします。不採算事業を淘汰
し、成長分野にヒト、カネを再配分し、産業の新陳代謝を促します。最大の課
題は1000兆円の国債、住宅ローン、人手不足、需要不足を埋める対策等です。

 3月4日、日経平均株価が4万1千円をつけ、34年振りに史上最高値を更新しまし
た。世界で半導体関連株にマネーが集中するなか、日本株の上昇率は米国や台
湾、韓国といったライバルを上回っています。
 日本の半導体産業は製造装置、検査装置、部材で3割から6割近いシェアを確
保しています。その産業基盤は比較的小さな会社も含む幅広い会社の集合体で
す。投資家は急増する生成AIチップ需要への日本の対応力に注目しています。

◆ 今後の課題
 個人消費を上向かせ、日本経済を成長軌道に乗せるには賃上げの安定した継
続が欠かせません。そのためには官民で構造改革を進める必要があります。具
体策を列挙します。

・経営改革:賃金をコストと考えるのではなく、国内市場拡大、人材育成の投
 資と見なすべきです。付加価値を競い合い、イノベーションするのです。
・生産性の向上:企業は内部留保や現預金を工場設備やソフトウエアなどの更
 新投資に回し、最新設備で生産性向上とコスト削減を急ぐべきです。
・産業の新陳代謝:低成長企業は積極倒産させ、成長企業への労働移動を促す
 のです。失業・再教育・転職の円滑化が図れる労働市場改革が不可欠です。

・人手不足解消:外国人材の受入れ拡大、育成就労拡大、在留期限に制限のな
 い業種の拡大、「同時通訳ツール」端末設置などの対策が挙げられます。
・取引慣行是正: 親会社と子会社間、荷主と運転手間の取引において、労務費
 などの価格転嫁が適正かどうかを公正取引委員会が監視していくべきです。

       第284号の目次
    ■1  癒されることのない心の傷  
    ■2 楽しかった我が生涯:2   
    ■3 海外出張の思い出 イタリア3 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆ 1              癒されることのない心の傷  

                      ( 千葉県流山市 中楯健二 )
  正月1日に能登半島地震が発生し、東日本大震災と同じような被害の状況が
連日テレビに映し出されている。また、その翌日には日航機炎上の惨事が大々
的に報道され、我々を打ちのめした。
 地震が起きた4時10分以降は、NHKも民放も予定の番組を切り替えて深夜まで
放送を続けた。地震の発生が一日前後にずれていれば、年末年始を飾る大晦日
の「紅白歌合戦」も2日の「箱根駅伝」の放送も中止になり、人々の暗い気持
ちが一層つのったかもしれない。

 能登半島地震の救援のため、出発しようとしていた海上保安機と衝突した日
航機事故は、379人全員が脱出に成功し、乗務員の的確な指示と乗客の規律あ
る行動が称賛された。
 しかし、脱出が少しでも遅れていれば、その数分後に機内が炎上したことを
考えると、かなりの犠牲者が出たのではないか。まさに「奇跡の脱出」だと言
える。

 これに匹敵するのは2009年1月に鳥の群れと接触してエンジンが停止してニ
ューヨーク・ハドソン川に不時着し、全員が救助された「ハドソン川の奇跡」
しかない。飛行機事故で全員無事は極めて稀なことだ。
 然し、救助された人に対して「炎上映像をあまり繰り返し見ない方がいい」
と精神科医は忠告する。PTSD(心的外傷後ストレス障害)が発症し、不眠や悪
夢、フラッシュバック、感情消失等の症状が出る可能性があるからだという。

 また、ストレスに脆弱な幼い子どもにも悲惨な映像は見せないようにしてほ
しいともいう。PTSDとは本来は戦争で受けた精神障害のことで言葉にできない
ような恐怖や心が耐えられない衝撃を受けた影響が後々まで残る症状を指す。
 一般的には「トラウマ体験」と呼ばれる。戦争以外でも、自然災害、犯罪、
性暴力、事故、拷問、虐待、激しいいじめなどの被害を受けると発症する。

 PTSDという言葉が使われるきっかけになったのは、ベトナム戦争だった。20
年間続いたこの戦争に、米国は延べ260万人の兵力を投入した。戦後、帰還兵
の約4割がPTSDを患い、精神を病んで社会生活に順応できずに自殺した人の数
は15万人に達した。
 その背景には、英雄として国を出たにもかかわらず、長引く戦争に米国内は
厭戦ムードから反戦にとってかわり、帰還兵は忌むべき存在と見られるように
なってしまったことがある。

 日本でこの言葉が初めて使われたのは、1995年に起きた阪神・淡路大震災の
時だった。自衛隊でも、イラクに派遣された経験のある隊員56人が、2003~20
14年の在職中に自殺していたことが2015年に明らかになった。
 PTSDの影響ではないかと言われている。旧日本軍にも、心に傷を負った「精
神神経疾患」になった兵士は1万人ほど存在していた。軍は患者の存在を公に
せず、「皇軍にそんな軟弱な兵士はいない」と強弁した。終戦時に精神神経疾
患の兵士に関する資料を焼却したという。

 そんな中、今でもPTSDの残酷さを語り継ぐ人たちがいる。それは、武蔵村山
市に住む黒井秋夫さん(75)が2018年に立ち上げた「PTSDの日本兵家族会」に
集まる人たちである。
  定期的に会合を開き、こうした症状を示す戦争体験をした父親との残酷な生
活を語り合っている。黒井さんの父親は中国戦線からの復員兵だった。異様だ
ったのは、家族とさえ一切口をきかず、無気力で、いつも悲しげな困惑の表情
で黙り込み、笑顔など見せたこともなかった。

 もはや「抜け殻」と呼ぶしかないような人間だった。「あんな男にはなるま
い」の一心で、黒井さんは生きてきた。だから、父親が亡くなった時には涙一
つ出なかった。
 ところが、2015年にたまたまベトナム戦争からの帰還兵のドキュメンタリー
番組を見た。映像には、帰国後、戦場の悪夢を毎晩見て、家族を怒鳴りつける
PTSDに苦しむ米軍兵士の姿が映し出されていた。

 「戦場は地獄だ」と語る帰還兵のまなざしが黒井さんの脳裏に父の暗く悲し
げな目と重なった。父親の気持ちがやっとわかった。そこで黒井さんが立ち上
げたのが「PTSDの日本兵家族会」である。
 心に傷を負い、変わってしまった復員兵の家族はどこにでもいると思ったか
らだ。「父は戦後、『兵隊ボケ』と言われた」「酒浸りだった」「虐待を受け
た」。そんな話をする人が、ぽつりぽつりと集まってきた。
 「過酷な戦場体験が、おやじたちを廃人にした。その苦しみは、何年たって
も子や孫の精神をさいなんでいる」という証言も少なくなかった。「復員兵か
ら子へ、孫へ。戦争の爪痕はまだ、社会から消え去ってはいない」と黒井さん
は語る。

 こうした話は戦争に行けば誰にでも起こりえることだけに身につまされる。
渡辺白泉の句に「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という有名な句がある。黒井
さんにとって太平洋戦争は「立ってゐた」という過去形の話ではなく、いまだ
に終わっていない現在形の話なのだ。
 こう見てくると、戦争とPTSDはつきものだと言える。今、パレスチナの地で
イスラエルとハマスの兵士が「殺す恐怖」と「殺される恐怖」の中で激しい戦
闘を繰り広げている。
 ロシア兵もウクライナ兵も同じだ。兵士の多くが敵・味方に関係なくこれか
らPTSDで苦しむことになると思うと暗澹たる気持ちになる。戦争は社会に適応
できない人間を次々と生み出しているのだ。

 世界の為政者には、安易に戦争を起こして「若者を戦場に送ってくれるな」
と言いたい。シャンソンに「脱走兵」という有名な曲がある。
 招集命令を受け取った兵士が「大統領閣下/私は戦争をしたくありません/
可哀そうな人たちを殺すために/生まれてきたのではないからです/血を流さ
なければいけないのなら/あなたの血をどうぞ」と歌う。
 多くの人がこれに共鳴するのではないだろうか。綾部仁喜(ジンキ)という俳
人に「いつまでも いつも 八月十五日」という句があるのを最近知った。「戦
争の記憶をいつまでもそばに、いつもそばに」という意味である。

 閣僚に戦争体験者がいない今の自民党政権は、憲法9条を改正して日本を戦
争のできる国、先制攻撃をしかける国に変えようとしている。それも最近、防
衛費をGDP比2%に増額し、「殺傷能力のある兵器」の輸出緩和まで国会を通さ
ず、閣議決定してしまった。
 そうであればなおさらのこと、この句の「訴え」は心に刻まなければならな
い。過去の失敗に懲りず、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といった愚かな日本
に逆戻りしてもらいたくない。
 戦後79年、戦争で死者を一人も出さなかったのは平和憲法のおかげだという
ことを忘れないでほしいと思う。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆ 2           楽しかった我が生涯:2                  

          (兵庫県宝塚市  竹島 良樹)
 肺がん末期通達を受けて4カ月が過ぎた。症状としては少しの坂道、階段の
登りの際に起きる息切れ、食事中に喉に生ずる食べ物の詰まり、中々止まらな
い咳といったところだ。
 師走では、各地で20度を超える暑い日があるという異常な中で天と地が待ち
構えていた。

[天] 1か月半ぶりに訪れた主治医は「以下の状況から判断して、発症するの
は場合によっては数年先ではないかと思う」と述べた。
・肺がん以外は健康で規則正しい生活を送っている
・毎日、スポーツクラブで体力の増強と維持に努め、3食を十分に摂っている
・株の取引きで頭を使い、不動産の業務で走り回っている
単純な私は嬉しくなり、これからの作業日程の修正に楽しく取り掛かった。

[地]  12月に入ったある日、突然、せき込みと喉がゼイゼイと鳴り、高熱に
もなった。薬局で咳止め薬を買い、色々な喉飴とトローチを買い込んだ。咳は
2日間で収まった。
 高熱は毎日夕方に出て、15日以上続いた。一番、厄介なのは息が上がり、心
拍数が増えることと、ゴロゴロと喉が鳴る「喉喘息」になったことだ。
小さな問題を抱えながらも12月はなんとなく終わった。

 1月に入り、舌に炎症が起きた。喉の渇きや栄養の偏りからの症状と思われ
る。調べるとビタミンB2が不足した際に発症するようだ。レバー、ノリ類、き
のこ類、ウナギなどを補充するようにと書いてある。
 みんな私の好物で結構食べていると自認していたが、十分食べてなかったよ
うだ。一方、青い野菜は苦手であまり食べていない。

 1月25日、満85才の誕生日を迎えることができた。がんセンターの医者から
末期がんの状況報告を受けた時は2割ぐらいの確率で誕生日は無いと思ってい
た。現在のところ、体調に少し問題はあるがピンピンしている。
 2月14日のバレンタインデーでは、例年通り妻からチョコレートのプレゼン
トを受けた。いつも1日に1個ずつ食べ、10日間から2週間で食べ終わる。来
年はどうなるのだろう。

 さあ、こうなったら来年の誕生日に向けてやりたいことを挙げ、優先順位を
つけてやっていくこととしたい。
 その第一は「いとちゃん」の欲しがるおもちゃを二人で買いに行くことだ。
「いとちゃん」は孫の隆太の娘で1才と2か月、まだ歩かない。歩かないだけ
ではなく抱っこすると泣かれることの方が多い。元気な内に叶うことができる
ことを祈る。

 第二は私が昔、書いた小説と息子の書いた絵本を一緒に自費出版することで
ある。息子は若いときに漫画で単行本を何冊か出し、その内1冊がテレビで数
回に亘り、放映されたこともある。
 言わばプロなので表紙や挿絵を担当し、息子の嫁が出版業務を担う。私の小
説は読み返すと毎回、修正加筆したくなるような低いレベルだ。原稿は約1か
月かけて仕上がり、無事、息子夫婦に手渡すことが出来た。乞う、ご期待。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆  3       海外出張の思い出 イタリア3 

         ( 神奈川県横浜市 山尾 正斌 )
 オフや休日など日々の暮らしの経験や見聞にも触れたいと思う。

 到着した日、ミラノ中央駅のレストランで軽い昼食を済ませたあと、駅の売
店で市内地図と絵はがきを買った。空港で両替したとき入手したリラの小銭は
タクシーとホテルのチップで使ってしまった。
 支払いに紙幣を出したら「釣り銭が無い」と店員が言う。真に受けて「仕方
がない、やめた」と帰ろうとすると呼び止められた。釣りを払うと言う。何の
ことはない、もっと買わせたい下心があっただけのようである。

 寄越した釣り銭はキッチリ揃っていたから悪意はなさそうだが、後味は悪か
った。その点ではタクシーの方が誠実だ。メーター料金に10%のサービス料を
乗せるが、何も言わなくても釣り銭は耳を揃えて正確に寄越す。そうなると不
思議なもので、タクシーにはチップを弾みたくもなる。

 駅も日本とは様子が違う。ミラノ中央駅には改札口が無い。切符売り場やホ
ールとプラットホームの間に境も柵も無いし、見張っている係員も居ない。
 改札・検札は車内で車掌がやる制度だと言うのは車内がさほど混まないから
だろう。それにしてもキセルも無賃乗車も無いのだろうか、それとも気にしな
いのか。実におおらかなお国柄である。
 日本を出発する前、イタリアでは置き引き・窃盗・掏摸(すり)などに遭わ
ぬよう油断するなと言われた。実務第一日目にはK社でも同じ事を言われた。
だが2週間の滞在中、駅や公共の乗り物、店舗や観光地でトラブルに遭遇しな
かったのは幸いだった。

 日々の打ち合わせを終えると一旦K社に戻り、重要決定事項をテレックスで
日本に連絡し、併せて仕事上の指示をするのを日課にしていた。実働初日にそ
れを終えてホテルに帰る途中、通りの石畳で凸凹に躓(つまず)いた拍子に靴
の爪先が剥がれて口を開けてしまった。
 日本出発前、忙しくて古くなった靴を買い替える暇が無く、気になっていた
のである。やむなくホテルで最寄りの靴屋を教えて貰い、「イタリア製の靴」
を買いにでかけた。

 訪れた大きな靴屋では、私を外国人と認めてベテラン店員がひとり付ききり
で応対してくれた。如何せん、相手には英語もドイツ語も通じない。身振り手
振りで要望を伝え、靴の型と寸法は決まった。
 しかし、欲しい色の説明がどうしても判って貰えない。困惑していると、居
合わせたお客の青年が寄ってきて、手助けをしてくれるという。私が彼とドイ
ツ語で話し、彼がそれを店員に母国語で伝える。店員の話はその逆コースで私
に伝わる。親切な青年のお陰で、思い通りの靴を手に入れることができた。

 この靴は、軽くしなやかで足に心地よく馴染み、長時間履いていても蒸れる
こともない、さすがイタリア製の靴である。帰国後も5~6年履いたと思う。
 靴は日々使う消耗品だ。何年か毎に踵(かかと)やソールを張り直した。そ
のたびに快適な履き心地がひとつ、またひとつと失われて行ったのはやむを得
ぬ事とは言え、残念であった。

 土・日には、近くの公園を散策した。ミラノには緑豊かな公園が至る所にあ
る。そこを散策しているのは高齢の夫婦ばかりだ。そして彼らは申し合わせた
ように睦まじく手を繋いで歩いている。
 たまに見かける若者もみんなカップルだ。私のように男が独りで公園を散策
する・・ってな例は一度も見なかった。

 公園を散策しているうちに昼を迎えた時のこと。レストランを探しに町に戻
るのが面倒で、公園横のキオスクで済ませることにし、ネクター風のジュース
と大袋のウェーファースを購入した。
 小さな売店だったのに、ジュースの瓶と一緒にガラスのコップを渡してくれ
る。イタリアでは瓶のラッパ飲みはしないらしい。値段は驚くほど廉かった。

 ホテルの部屋で目覚めると、あちこちから教会の鐘の音が聞こえてくる。近
くの公園の傍(かたわ)らにも小さな古い教会があって日曜日の朝はミサが行
われる。
 散策の折、開放されたドアから中を覗いたら参会者席の人影は疎らだった。
祭壇の左右にはオルガンのパイプが林立している。それらがステンドグラス越
しの明かりを反射して美しく輝き、重厚な音が堂内に反響していた。
 こんな小さな教会にもパイプオルガンがあり、日々演奏されている・・・、
カトリックのお国柄もあろうが、長い歴史とともに社会資本が蓄積されてきた
結果であろう。

 土曜日曜の朝は、町の広場に大規模な野天の朝市が立つ。色鮮やかな果物や
野菜を積み上げた八百屋、種類豊富な獣肉やその加工品を並べた肉屋、見馴れ
ぬ姿の魚を陳列した魚屋、色々な既製服を吊り下げた服屋、瀬戸物屋・玩具屋
などが並び立つ。
 広場は商品の山と喧(かまびす)しい客寄せの声や物色を楽しむ買い物客で
で賑わい、通りの閑散とした様子とは対照的だ。
 この日広場のキオスクで買った英字新聞には、ニクソン辞任・フォード就任
がトップで報じられていた。朝市の喧噪に負けず劣らず、海の向こうも騒然とし
ているようだ。

 日曜日の昼前、ドゥオーモとビットリアエマヌエーレ・アーケードにも足を
運んだ。ドゥオーモ前の大きな広場は派手な服装の外国人が行き交い、アーケ
ードの老舗はどこも観光客でごった返していた。閑静な夏のミラノでも、名所
は混雑しているのだ。

 広場の縁石に腰を下ろして、駅で買った地図を拡げ、次は何処に行こうか思
案していたら、イタリア在住と思われる服装の男性に「日本の方ですか? 観
光ですか?」と声を掛けられた。
 「仕事で来ている」と答えると、ものも言わずにプイと行ってしまった。外
国語に不慣れな日本人個人観光客向けにガイドの副業をしているらしいこの日
本人男性の、寸暇を惜しんで客を探し回る姿が痛々しく思えた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


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