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あやめの花が咲く季節となりました!

2019-05-01 07:28:02 | 最近の話題


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      2019.5.1.第225号

            「生き生きくらぶ」事務局
 http://ikiikiclub.sakura.ne.jp/ 
       編集発行人:「生き生きくらぶ」代表 上田 亨

あやめの花が咲く季節となりました!
 爽やかな5月となりました。晴れわたった空、のどかな日の光、さやさやと
頬をなでる薫風、いっせいに若葉が出そろい、水辺ではあやめの花が清楚な姿
を見せ、なんとなく心が弾みます。
 ときあたかも皇太子殿下が新天皇に即位され、新しい令和の時代が始まりま
した。国民の一人として心よりお祝い申し上げます。そして令和が平和で活力
のみなぎる時代であることを念ずる次第です。

 最近の話題として「ブラックホールの撮影成功」のニュースを取り上げます。
先般、日米欧などの国際研究グループが銀河系の中心にある巨大ブラックホー
ルの撮影に初めて成功しました。
 これは直径およそ1千億km、質量は太陽の約65億倍あり地球から5500光年離
れた場所にあります。強い重力で近くの物質や光をのみ込む暗黒の天体です。
太陽のような輝く恒星は核融合反応を起こして、光と熱を発しています。
 恒星は核融合反応による膨張力と重力による収縮力が釣り合って一定の大き
さに保たれています。ところが恒星が核融合反応を終えた時、巨大な重力で一
気につぶれて収縮します。光を失った恒星はブラックホールと化します。

 ブラックホールの周りでは吸い込まれるガスが電波を放っています。今回の
観測では、ハワイ、アリゾナ、メキシコ、チリ、スペイン、南極等6地点にあ
る8つの電波望遠鏡を連動させ、暗黒の正体の撮影に成功しました。
 キツネ色に仕上がった1枚の画像がブラックホールの存在を証明し、天文学
の長年の宿題を解きました。重要な役割を果たした地球規模の仮想望遠鏡の解
像度は月に置いたゴルフボールが見えるほどだそうです。

 ブラックホールの研究の歴史をたどると、以下のようになります。
・1784年、英のミッチェルが強い重力で光すら発しない天体がある可能性につ
 いて論文発表しました。
・1915年、当時独のアインシュタインが一般相対性理論を発表しました。その
 中で「重力でゆがんだ時空では光が曲がる」と述べています。
・1916年、独のシュバルツシルトはブラックホールの存在を理論的に予言しま
 した。
・1930年代、複数の研究者が一定の質量を超えた星は押しつぶされてブラック
 ホールになると予想しました。
・1971年、日本の小田稔は強力なX線を出す「はくちょう座X-1」にブラッ
 クホールが存在すると指摘しました。
・2015年、ブラックホールの合体で発生した重力波の観測に成功しました。

今後、情報技術をはじめ、さまざまな研究が進めば、星の誕生や死、星が何
千億個も集まった銀河系の成り立ちについて神秘のベールが剥がされるものと
期待しています。ロマンに満ち、感動を覚えます。

       第225号の目次
    ■1 雀友
    ■2 私の平成時代  
    ■3 気ままに自己流川柳 
    ■4 輝く令和日本に向けて

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆1        雀友  

       ( 千葉県船橋市 藤井 仁貴 )
 私が日本歯科大学を卒業したのは昭和37年だが、当時大学の周辺には数多
くの雀荘があった。教養課程(大学1年生~2年生)の頃は、教室にいるより代
返を頼んで雀荘に屯している方が多かったかも知れない。
 それでも専門課程(大学3年生~6年生)に入ってからは実習に次ぐ実習で、
更に登院(大学の附属病院での患者実習だが今はこの制度はない)と続く忙しさ
で遊ぶ暇は無くなった。

 卒業して2年後に船橋市松が丘で開業した。時代はバブルの最盛期で、虫歯
の洪水に寝る間もない超多忙の状態が続き、20年くらいはマージャンのマの
字も縁のない生活であった。
 麻雀を再開したのはロータリークラブに入会して数年後のことである。診療
室の2階で最初は囲碁の同好会も兼ね、4~5人集まっていたが、やがて別の
日に雀卓を囲むメンバーが集まるようになった。

 当時、銀行の支店長などは大方がロータリークラブに入会しており、麻雀を
やらない人はいない程だった。大抵2時~3時までやり、時には徹マンも辞さ
ない状況であった。
 若さとご時世ということだろう。2台の自動マージャン台を揃えたこともあ
る。やがて松が丘から現在の習志野台に診療所を移してからも麻雀の会は続い
た。書斎と称した3階の小部屋を麻雀室にして20年近くの歳月が流れた。

 個性ある多くの雀士が出入りしたけれど結局は1組4人だけが月1回の会を
開くことに落ち着いた。麻雀は賭け事である。それだけに人柄が如実に反映さ
れるので嫌な思いをすることも少なくない。最後に残った4人には全くそれが
無い。
 というよりも、全く嫌味のない4人だけを残したと言ってもよい。夕方5時
か6時に集まって食事をしながら一杯(沢山)お酒が入って四方山話が1時間以
上続く。メンバーの内訳は歯科医3名と1人の名人である。

自他ともに許す名人とは若い頃、プロの雀士を相手に稼いで銀座のクラブで
遊んだという猛者である。酒屋の親爺ではあるが青色申告会の会長や日大の同
窓会の会長を歴任しておる。
 我々3人の世間知らずの歯科医にとって、麻雀とともに人生の先輩である。
お酒の夕べでは話のタネも尽きない。麻雀ではまず敗けたことのない彼であっ
たが敗けても悔しいと思わせないほど正々堂々としている。

 手造りの上手さ、満貫を下りる決断など感心もし、参考にもなって我々は彼
を名人と呼んで慕った。それでも晩年は時々敗けていた。我々にとっては嬉し
い一夜であった。
 長い付き合いであったが、先ず一番若い歯科医が軽い脳梗塞のため、会は中
断した。暫く後に名人も80歳を超え、夜の運転を心配して車の免許を返上し
てしまった。

 以来3、4年経っているが3階の自動マージャン台は止まったままである。
平成30年11月、私より5歳年上の名人は86歳の生涯を閉じた。先々のこ
とを考えて酒屋をセブンイレブンに改めたが、年老いた身には苛酷な選択では
なかっただろうか。
 もう少し安穏に好きな麻雀でも楽しんでいれば、長く生きておれたのではと
悔やまれはするが、人の運命(さだめ)は人知の及ぶところではない。確かなこ
とは生命には必ず限りがあり、仕事にも遊びにも終わりがあることだ。只々冥
福を祈るばかりである。

 10数年前、当時最良と言われて買い替えた雀卓もそのうち私の消滅と共に
消えることだろう。その頃は世相も変わって「雀友」などと言う言葉も死後と
なっていて、代わりに「カジノ」が登場するのかも知れない。
 賭け事と言えども人生に欠かせない味付けの一部と言えなくもない。節度を
もって楽しむことができるならば必要悪としてさほど悪いとも言えないのでは
ないだろうか。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆2         私の平成時代      

( 神奈川県横浜市 山尾 正斌 )
 この原稿を書いている今「平成最後の」という言い方が流行っている。やが
てこれらは令和最初のという表現に置き代わるはずだ。この機会に私の平成時
代を振り返りたい。
 昭和64年1月7日、私はその日パキスタンに居た。日本の海外経済協力機構が
資金援助したジャムショロ発電所の建設現場である。NHKの海外放送は電波
の状態が悪く、昭和天皇崩御の報は翌8日に現地の英字新聞朝刊で知った。

 平成最初の日、私は顧客(パキスタン水利電力庁)の発電所長から呼び出し
を受けた。顧客の呼び出しはこれまで碌なことは無かった。工程が遅れている
とか、資材の置き場が適切でないとか、現地採用作業員の就業態度が良くない
とか・・・、だから私はいつものように身構えて所長室のドアをノックした。
 部屋には発電所長やプロジェクト部長のほか幹部の顔が揃っている。これま
でに無かったことで私は猶更緊張した。ところが、発電所長の第一声は、天皇
崩御に対する懇ろな悔やみの言葉であった。
平素は厳しく強欲な顧客たちで契約書を挟んで対峙を繰り返してきたが、習
慣や損得勘定を越えた温かい心の繋がりを改めて感じたものである。「私の平
成時代」はこうして幕を開けた。

 帰国した後は、自分の古巣であった火力技術部門や建設部門を率いる仕事を
拝命、新たにアフターサービスの関連会社設立にも関わって、設立後はその運
営にも携わった。
サラリーマン生活の最後は、再び発電事業部門に戻り、機械技術部門を統括
しながら、電力会社との情報共有化・デジタル化にも携わった。
 仕事の面で言えば、私の昭和時代は自分の成長・自立と社会への恩返しの時
代だったが、平成時代は、その素地の上に立って幾つも新たな挑戦を果たし、
幸にも花を咲かせることができた。技術者としてこれ程ありがたく幸せなこと
はない。

 リタイア後は、これまでの会社人間と対照的な、地域人間としての日々に専
念した。企業内ではお互い思考過程にベクトルが揃っている。かたや地域社会
では判断基準が極めてランダムである。
価値観の相違に悩み、自分の思考過程を見直す日々であった。居住する団地
理事会で理事長や各種委員会の役割を拝命し、自治会会長や連合町内会の執行
役員も拝命して現在に至っている。
 日々、団地の中を家内と歩いていると、すれ違う人と挨拶を交わす。現役時
代は「今の人は誰?」と尋ねるのは決まって私だった。今は専ら家内が私にそ
う訊く。この事が、リタイア後に私が歩いた足跡の証であるように思える。

 私生活では、昭和57年に父を亡くし平成6年には母を亡くした。両親存命の
頃は結婚当初を除けば経済的に親を頼ったことは無かったけれど、何か難しい
局面に遭遇した時など、特に倫理的な判断を迫られた時には「こんな時親父な
ら如何行動するだろうか、お袋なら如何言うだろうか」とふと想像したもので
ある。
ふた親を亡くして初めて、心の柱が無くなったような、そこはかとない頼り
なさに気付いた。

 平成3年に娘を11年には倅をそれぞれ結婚させ、4人の孫たちにも恵まれた。
うち3人は既に成人した。そうした状況から言えば、親から世代を受け継ぎ、
娘や倅を独立させて次の世代へ命のバトンを継いだ。平成とは私にとってそう
いう時代であった。

 健康面では、晴天の霹靂ともいうべき初めての大病経験が重なった時代でも
あった。平成6年、尿管結石で10日間の入院生活を送った。現役時代のうち
自分でも一番気力・体力が充実していると信じていた時期である。
 早朝に腰と背中に激痛が始まり、呼吸さえままならない。救急車で搬送され
た先の医師はエコー検査をしながら言下に「ウン、こりゃ死にゃせん」と言う。
私は、迅速に激痛を止めてくれない医師を恨んだものだ。

 二度目の霹靂は平成8年春だった。脳梗塞で体の自由を失い、救急車で搬送
され、約3週間の加療・リハビリ入院と、家庭内での社会復帰訓練1週間を余儀
なくされた。
 今思うとあの時、私は落命するか身体に重大な後遺症が残っても不思議では
なかった。将に命の瀬戸際だったのだ。詳細は別稿でも述べたからここでは省
略する。

 三度目の晴天の霹靂は、平成27年秋に膀胱癌が見つかったことである。以来
6度の手術と2度のBCG治療、1度の抗癌剤治療を経験し、現在も経過観察中であ
る。
 発見のきっかけは、近所の泌尿器科を受診した事である。日々の排尿の状況
から、前立腺肥大を疑って診察を受けた。諸検査の結果、前立腺肥大は歳相応
でPSA値も0.5で異状なし、膀胱の機能も正常と診断された。しかし、エコー検
査で膀胱内面に多少異常が認められ、早期に内視鏡検査を受けるべきだ、との
診断であった。
 直ちに県立病院で内視鏡検査と検体生理検査を受けた結果、膀胱癌と診断さ
れ、入院して最初の手術を受けた。退院時の面談で医師は「Step2-3で悪性が
強いから、膀胱全摘を勧める」と言い、横浜市立大学附属病院泌尿器科を紹介
してくれた。

 ここでも私は僥倖に恵まれた。紹介状を持参し、膀胱全摘を希望して受診し
た横浜市大病院で「県立病院の資料は全て閲覧しました。あなたの場合、全摘
よりも患部切除の手術を推奨します」とのこと。
 全摘した場合、自分でやるべき日々のメンテが老後困難になることや、QO
Lの低下と余命を考慮した推奨だったようだ。リスクは残っており、楽観は禁
物だが、やはり五体満足な生活は快適なものである。

 総じて言えば、「私の平成時代」は、人生で最も充実した時期であるととも
に健康面での不安を抱えつつも、晩年の安寧を堪能した時代と言える。
 私の令和時代は、気力・体力・認知力は間違いなく下り坂である。断捨離と
終活の時代になるであろう。
 「余生を楽しみたい」と言う願望を抱えながら、如何にスマートな終焉を迎
えるか・・という課題と真摯に向き合うべき時が迫っている。そうした時代の
中にも、和みと安らぎがあり、人生の有終の美を観ることができれば、これに
過ぐる幸せはない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆3   気ままに自己流川柳  

        ( 神奈川県横浜市  木戸 篤 )
 色とりどりの花が咲き、気候も気持ちのよい初夏の陽気になりました。元号
も変わり、貧乏や暴力のない優しい時代になることを祈ります。


★★★★★★★ 自然・風景 ★★★★★★★ 

ハナミズキ 桜に代わり 花咲かす
 今年は長く桜の花を楽しむことができました。急な陽気と一転した氷雨で桜
 は一気に散り、代わりに街路樹のハナミズキが咲きました。

バス通り ツツジ満開 鮮やかに
 近くのバス通りのツツジが満開になってきました。赤紫色、ピンク色、白
 色と、競い合うように見事に賑やかに咲いています。


★★★★★★★  原発・政治・社会  ★★★★★★★ 

新元号 令和の出典 万葉集
 新元号は「令和」と発表されました。万葉集からとったそうです。安全、
 平和、幸せを願う国民の気持に沿った時代になることを望みます。

ゴーンさん キックバックで 豪華艇
 日産のゴーン元会長が会社機密費を流用して豪華クルーザーを購入した疑い
 で再逮捕されました。東京地検と敏腕弁護士の間の死闘が続いています。


★★★★★★★    健康・文化・スポーツ ★★★★★★★ 

堂々の 大関昇進 貴景勝
ついに貴景勝が大関昇進し、「武士道精神で感謝を忘れず、相撲道に精進し
 ます」との口上を述べました。今後の活躍を期待しています。

頻尿に コーラの効果 ありそうだ
 コカコーラにはまっています。コカコーラを寝る前に飲むと夜中のトイレ回
 数が減りました。効果がありそうです。

イムジン河 日本人が 作曲か
 韓国の歌「イムジン河」の音を五孔尺八で探ってみると、日本独特の陽旋律
 で出来ています。朝鮮統治時代に日本人が作曲したものと思われます。


★★★★★★★   その他  ★★★★★★★ 

クエン酸 塩素系よりも 安全で
 カビが付いた風呂の腰台を3%のクエン酸水で洗ってみました。塩素系の除
 菌剤に比べて能力に遜色なく、塩素も出ないので安心して使えます。

バファリンで 頑固な痛み 和らげる
 左肩と首の筋肉痛に悩まされ、試行錯誤の末、バファリンで痛みがとれまし
 た。山登りをしていた頃の経験をふと思い出し、救われた形になりました。

2週間 晩酌やめて 体重減
 晩酌をやめてから約2週間が経過し、体重は約2キロ減って体が軽くなりま
した。ただ寝る前にバーボンウイスキー入りの紅茶だけは飲んでいます。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

◆4       輝く令和日本に向けて

( 東京都小金井市 上田 亨 )
 本日、年号は平成から令和に変わった。経済規模に限ると平成は凋落の時代
だった。平成の初め、日本の国内総生産(GDP)は世界の15%を占めていたのに6%
に縮んだ。
 人口減少が始まったこともあり、「世界第二の経済大国」を中国に譲り、近
い将来インドにも抜かれるようだ。「令和」改元を機に「経済大国を目指す」
ことから脱し、国民1人当たりで豊かになる社会をめざしたらどうだろう。

 平成を振り返ると世界に誇れる成果は沢山ある。 ・平和外交を進め、戦争
をしなかった。 ・社会保障が完備し、世界一の長寿国になった。 ・金融の
異次元緩和で完全雇用を実現した。 ・訪日外国人客が急増した。 ・ノーベ
ル賞を相次いで受賞した。 ・男女ともアスリートが世界で大活躍した。
 欧州では、人口が日本の1割に満たない小国であるスイス、スウェーデン、
オランダ、ルクセンブルグが豊かな社会を実現している。狭い国内市場にとら
われず、海外市場を積極開拓したことが大きく貢献している。

我が国が最優先で取り組むべきは先進国で最悪の生産性と財政赤字から脱す
ることだ。

課題1: 人手不足解消と生産性の向上
 2018年10月現在、日本の人口は1億2644万人で、毎年40万人の規模で減少し
ている。働き手に相当する生産年齢人口は7545万人で毎年50万人の規模で減少
している。
 政府は毎年7万人規模で外国人受け入れを予定している。これと並行して以
下に列挙する生産性の向上策に果敢に挑戦してもらいたい。

◇政府のデジタル化推進 (紙⇒電子ファイル)
・マイナンバーカード利用で健康保険証廃止、税や社会保険処理を電子化
・省庁間、省庁と自治体間は電子連絡し、データ・ベースは共有化
・省庁が企業に求める統計データは書類提出から電子ファイル転送に変更
◇日本発のiPS細胞技術で医療や創薬に革命
・iPS細胞は体中のほぼすべての細胞について無限に増殖できる
・臓器が再生できる、難病を再現し、治療法と薬の効果が容易に検証可
・iPS細胞が早期に工場で低コストで大量生産できることを期待
◇過疎集落を基幹集落に集約して地方再生
 ・全国1777市町村のうち、730が過疎地域で面積比では54%、人口比で8%
・日常の暮らし、働き口、防災が確保できる場所に基幹集落設置
 ・道路や橋は財政上の制約から3割だけ老朽化更新、7割は廃棄
◇ ホワイトカラー職場の定型的な事務処理を自動化
 ・AIやRPAソフトを活用
◇小売り業界の無人レジ
・購入商品を専用レジ台に置くだけで自動会計し、スマホ決済
◇食材・食品、医薬品、化粧品の輸出拡大
・訪日外国人客受け入れ拡大、海外市場の積極開拓

課題2: 社会保障改革と財政の健全化
<社会保障の実態と見通し>
 我が国の赤字国債の発行残高は897兆円で、GDPの236%に達している。先進国
で最悪である。その一番の原因は無責任、無定見な社会保障政策にある。政府
が最近発表した社会保障の長期見通しを表1~表3に示す。
 これから分かることは現行のままでは令和の終わりである2040年頃には赤字
国債残高は倍増し、その返済を子孫に先送りすることになる。にも拘らず、国
民も与野党の政治家も社会保障改革に無関心、ないし背を向けている。

     表1   < 社会保障給付費の政府見通し >
        2018年度 2025年度 2040年度   
 給付総額   121.2兆円    140.3兆円    190.0兆円
 年金      56.7〃 59.9〃 73.2〃
 医療費     39.2〃 47.4〃 68.5〃
 介護費     10.7〃 15.3〃 25.8〃
 子育て     14.6〃 17.7〃 22.5〃

     表2   < 社会保障負担(財源)政府見通し >
        2018年度 2025年度 2040年度   
 負担総額   122.8兆円    146.4兆円    197.4兆円
公金(税金等)  46.9〃      58.0〃      80.3〃
 保険料     70.2〃      81.4〃     107.0〃
 個人(利用者)  5.6〃  7.0〃   10.1〃

     表3   < 2018年度の予算:97.7兆円 >
         歳入             歳出
     税収     59.1 兆円   社会保障費  33.0 兆円
     税外収入    4.9 〃     他政策経費 25.9 〃
     新規国債発行 33.7 〃     地方交付税 15.5 〃
 国債元利償還 23.3 〃
      ⇒ 実質的赤字発生は 10.4兆円

<国民・政治家の意識改革>
・本来、体を病気から守るのは自らの持つ免疫力である。
・免疫力は健康によってつくられる。健康は健全な食事や運動で培われる。
・免疫力が弱い場合は止むを得ず、薬にも頼るが必要最小限に絞る。
・現世代が使った医療・介護費用は現世代で負担する。先送りしない。
・欧州が良い手本である。日本人は先送りという甘えを捨て去るべきだ。

<改革に向けた具体策>
◇給付減 ・年金は支給開始年齢を65歳から68歳に引き上げる
     ・健康増進策を推進し、病院・介護施設の利用を半減する。
      健康増進策としては、スポーツジム利用補助、保険料健康割引
◇消費税 ・財源不足に応じて現行8%から25%以内の範囲で引き上げる
      なお、独、仏は19%、北欧は25%
◇窓口負担・高齢者による病院の利用負担を1割から2割に引き上げる
◇赤字国債・発行しない

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