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クチナシの花が咲く6月となりました!

2024-06-01 10:05:46 | 最近の話題

        

 

                       
                       
    □□□□□‐‐‐ikiikiclub mail magazine‐‐‐□□□□□
 
               2024.6.1.第286号
                  「生き生きくらぶ」事務局
 
      クチナシの花が咲く6月となりました!
 梅雨の晴れ間、近くの公園を散歩していると、クチナシの花が誘うように甘
い香りを放っています。真っ白な花びらは「優雅」や「洗練」を感じさせてく
れます。その香りと花びらは人々に幸せな時間をもたらしてくれます。
 近くでは、数え切れぬほどの小さな花が揺れていました。こちらはドクダミ
です。白さなら負けないけれど、花びらは小ぶりで独特のにおいを発します。
人の役には立つが、敬遠されがちです。とても対照的な二つの花でした。
 
 最近の話題として「日本再生の道」を取り上げます。我が国はこの30年間
先進諸国とは別の経済路線を選択し、経済停滞を招きました。岸田政権・植田
総裁は経済路線を先進諸国流に変えようとしています。一時4万円を超えた日
経平均株価や5%を超える賃上げは長期停滞からの目覚めを感じさせます。
 
■ 過去30年の反省点と教訓
 日本はバブル崩壊の後始末や金融危機で、90年代以降、賃金・物価の凍結、
ゼロ金利でデフレ期に入りました。金融政策は先進諸国には例のない混乱と失
敗の歴史をたどってきました。我が国の金融政策の再点検をしてみます。
 
[民主党政権・日銀白川総裁]・・・(2008年-2013年)
 2008年、リーマンショックによる大不況から脱するため、世界は金融緩和に
動いていました。ところが日銀総裁の白川氏はデフレに金融政策は効かないと
して金融緩和を拒否しました。
 その結果、ドル円レートは75円となり、超円高となりました。日本経済は円
高不況に陥り、深刻な影響を受けました。
 
[安倍政権・日銀黒田総裁]・・・(2013年-2023年)
 達成目標として円安化、2%物価目標、賃上げを掲げ、異次元の金融緩和を
実施しました。しかし、目標が達成できたのは円安化だけです。先進9カ国の
2000年の実績データと2019年の実績データを比較すると、日本だけが物価目標
2%が達成できず、賃金伸び率はマイナスでした。
 原因を探ると経済モデルの違いに行きつきます。日本モデルは価格競争型で
値引き競争が激しく、30年間、賃金、物価を凍結していました。欧米モデルは
付加価値競争型です。製品価格はコスト、賃金に適正利潤を加えたものです。
価格転嫁するので毎年、賃金、物価は上がっていきます。
 
◇ 得られた教訓は三つです。
 ・日本は経済モデルを付加価値競争型に変更すべきです。
  値引競争ばかりしている日本だけが経済成長していません。
 ・「2%の物価目標」基準は経済の長期・安定化に役立ちます。
  先進9カ国のうち、日本以外の8カ国では理論通りに機能しています。
 ・金融政策には需要を押し上げる力はありません。
  金利を0%に引き下げても需要は伸びませんでした。
    需要は賃金と物価の好循環、株高、投資、技術革新等で生まれるのです。
 
参考:「2%物価目標」とは
 世界は1970年代以降、変動相場制への移行や石油危機で大規模なインフレや
デフレを経験しました。1990年代、英国で成功した「2%物価目標」が物価安
定に有効で現在、先進9カ国が取り入れています。その内容は次の通りです。
 ・製品価格を前年比で2%アップする   ⇒ 企業に賃上げを動機づける
 ・賃上げを前年比で3%以上とする    ⇒ 消費者に購買意欲を湧かせる 
  ・物価が2%超になったら金利を1~2%上げる   ⇒ インフレを防ぐ
 
■ 賃金と物価の好循環
 2023年の年頭、岸田総理は「物価上昇率を超える賃上げの実現」を発表しま
す。経済界に協力を求め、公的部門でも賃上げの確保を目指す方針を示しまし
た。30年間、上がらなかった賃上げの始まりです。
 
[岸田政権・日銀植田総裁]・・・(2023年 ~ )
<大規模金融緩和の解除>
 2023年度に企業の協力もあって賃上げが実現しました。賃上げ率は5.3%、物
価上昇率は3.1%でした。過去10年間、達成できなかった「2%物価目標」が達
成できたのです。更に2024年の春闘では賃上げ率は5.6%と上昇しました。
 2024年3月19日、日銀は「賃金と物価の好循環の強まりが確認されてきた」
として大規模金融緩和の解除を決めました。具体的にはマイナス金利の解除、
長短金利操作の撤廃です。金利を引き上げることを決めました。日銀による利
上げは2007年2月以来およそ17年ぶりです。
 
<米国発の円安対応 第一弾:為替介入>
 米国は好景気で金利は4%~5%です。日本の金利は0%~1%です。日米の金利差
が大きいと、市場は安い円を売ってドルを買います。この動きが広がり、「米
国発の歴史的な円安」が進みました。
 4月末、投機筋が円売りを加速したので1ドル=160円台を突破しました。急
激な相場変動は企業や家計に悪影響を与えます。日本政府は円買い・ドル売り
の為替介入を覆面で2回実施し、1ドル=151円台後半まで戻しました。資金投
入は日本円で9兆円規模でした。
 
<米国発の円安対応 第二弾:利上げ>
 円安対策として為替介入は一時的処置です。本命は利上げです。植田総裁は
「円安による輸入物価の上昇に伴って進んだ賃上げが物価を押し上げているこ
とから、物価の基調が高まってきている」と述べました。
 更に、「人件費増が販売価格へと転嫁される流れと基調的な物価上昇2%台
が確認できたら利上げをしたい」と述べています。利上げ水準について具体的
な発言は避けていますが、日銀筋は「1~2%強」との見方をしています。
 
 利上げが実行されれば、日米金利差は縮小し、円高となり、1ドル=140円台
になることが見込まれます。
 
■ 日本再生の道
 現在、企業が生み出した付加価値の配分状況は以下のとおりです。安定志向
で人件費や設備投資を抑制し、内部留保が急拡大し、経済は低成長です。
 
◇ 付加価値の配分推移  単位は兆円 ただし、労働分配率は%です。
・設備投資  1992年:28   2002年:16   2012年:18   2022年:22  
・労働分配率 1992年:68%   2002年:75%   2012年:75%  2022年:68% 
・株配当   1992年:03   2002年:04   2012年:11   2022年:25  
・内部留保  1992年:130   2002年:200  2012年:300   2022年:555  
 
 今後、成長と分配の好循環を生むには、内部留保資金を賃上げや設備投資拡
大、株配当に積極活用することです。
 投資拡大の狙いの第一は生産性の向上です。労働装備率の改善や労働の質を
改善するのです。第二は生産拠点の国内回帰です。米中対立による供給網見直
しもあり、チャンスです。人手はアジアからの移民で充足します。
 
       第286号の目次
    ■1  古くて新しい問題
    ■2 海外出張の思い出 イタリア5
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
◆ 1                   古くて新しい問題
 
                      ( 千葉県流山市 中楯健二 )
 1年ほど前から北朝鮮の金正恩総書記のキム・ジュエと呼ばれる娘がよくテ
レビに映し出されるようになった。彼の後継者になるのではないかと、韓国で
はしきりに噂されている。
 そうなると権力が祖父、父、当人、娘と4代続いて世襲されることになる。
一方、韓国では逆に2020年、最大財閥であるサムスン電子の副会長(現会長)
・李在鎔氏が経営権を子どもには継承させないと言明した。 
 
 その背景には、サムスンの企業統治をめぐる問題が裁判になったことが影響
している。最近、私はアフガニスタンにも世襲制の王制が1926~1973年まで存
在し、日本の皇室とも親交があったということを知った。
 実際、1969年に国王と王妃が来日し、2年後の1971年には皇太子夫妻(現上
皇夫妻)がアフガニスタンを訪れている。
 紛争の続く国にそんなに穏やかな時期があったことを知る日本人は、あまり
いないのではないか。そんなことで、世襲という古くて新しい問題に興味がわ
いたので、今回はそれを取り上げることにする。
 
 日本は政界や民間を問わず、世界に冠たる「世襲王国」として知られている。
最近、野田元総理が「世襲は諸悪の根源だ」と発言したことが話題になった。
野田氏は、岸田文雄首相と安倍晋三元首相とは初当選の同期だという。
  ちなみにに岸田、安倍の両氏は共に3世である。野田氏はこのことに触れ、
「岸田さんは、小、中、高、大学と全部東京。選挙区の広島に学友がいるわけ
ではない。安倍さんもずっと東京の成蹊育ちで、選挙区の山口には幼馴染はい
ない。」
 
 選挙区から遠い東京で暮らしていて、地方の声など政治に反映できるわけが
ない。世襲は諸悪の根源だと言わざるを得ない」と批判した。野田氏は、たた
き上げの政治家である。
 毎週月曜から金曜まで、地元の船橋の駅で辻立ちをしているという。それも
27歳のときから38年間続けているというから政治に対する姿勢が二人とは全く
違う。
 
 時事通信が2021年10月に行った調査では、衆議院は131人が世襲議員で、全
体の12.5%を占める。政党別では、自民党が29.5%(99人)、次いで立憲民主
党の10.4%(25人)。公明党、日本維新の会、国民民主党の世襲議員はいずれ
も1人となっている。
 岸田政権の現閣僚には世襲議員が河野太郎氏を含め5人いる。また、平成以
降の内閣総理大臣は7割が世襲だ。
 
 例えば、安倍氏は祖父に岸信介元首相、父に安倍晋太郎元外相を持ち、「銀
のスプーンをくわえて生まれてきた」と言われている。佐藤栄作元首相は大叔
父に当たる。
 その他にも、5年間政権を担った小泉純一郎氏や福田康夫、麻生太郎の各氏
が父親と同じ選挙区を引き継いでいる。
 
 その麻生副総裁は最近、上川陽子外相を「そんなに美しい方とは言えないが
俺たちから見ても、このおばさんはやるねと思った」と発言して批判された。
彼の失言癖は有名なのであまり驚かない。
 然し、それにしても、こんなことでしか話題にならないような人物が、日本
の首相にもなれるというところに世襲制の最大のデメリットがあると言えるの
ではないだろうか。
 
 こうした弊害を問題にして立憲民主党は昨年10月に「世襲抑制法案」を国会
に提出した。それは、国会議員が引退したり死亡した際に、政治団体や政治資
金を親族に引き継ぐことを禁止するものである。
 同党の岡田克也幹事長は、提案理由として「世襲議員の存在が、日本の民主
主義を弱くし、多様な経歴を持つ人材を国会に送る道を狭めている」とし、
「世襲議員が親から引き継いだものをそのまま政治資金に使うのはフェアでは
ない。規制すべきだ」と述べた。
 
 それ以外にも世襲制にはいろいろ問題がある。政治家の地位が世襲されると
政治がその家系の「家業」となり、「権力」「人間関係」「利害関係」などが
全て引き継がれることになる。
 これにより「権力の私物化」が起き、政治の「腐敗」を招くことになる。ま
た、本来断ち切るべき「望ましくない関係」も一緒に引き継がれる。それが発
端となったのが安倍氏の銃撃事件である。
 祖父から父、そして息子へと受け継がれた旧統一教会との癒着関係が、この
事件の引き金になったことは、我々の知るところである。
 
 さらに、小選挙区になってからは現職優先の傾向が強まり、「地盤・看板・
かばん」を引き継ぐ世襲議員以外の新人が党の公認を得ることはほとんど不可
能になってしまった。
 その結果、世襲議員は、与野党を問わず選挙にきわめて強い。日本経済新聞
の調査で、小選挙区制が導入された1996年10月から、2021年10月までの8回の
衆院選の候補者、延べ8803人のうち、世襲候補の勝率は80%に達していたこと
が分かった。
 
 海外では、政治家の世襲はあまり見られない。ただ、権力維持を最大限延ば
そうと憲法改正までしたロシアのプーチン氏と中国の習近平氏は、一代限りと
はいえ、一人で権力を我がものにしていることを考えると「世襲」に等しいと
言えるかもしれない。
 
 世襲制は日本の伝統文化にも見られる。華道、書道、茶道、歌舞伎、能、文
楽などはすべからく家元という世襲制によって支えられてきた。また、商業分
野でも世襲制は一般化している。
 東京商工リサーチが2022年12月に行った調査で、日本には創業100年以上の
企業が4万999社、200年以上が869社、300年以上が623社、400年以上が247社、
500年以上が228社あることが分かった。
 
 これだけの長寿企業が存在するのは日本以外にはない。その90%以上が創業
者の家系による同族経営であるという。その中でも最も古いのは西暦578年に
設立された寺社仏閣建築の金剛組という会社である。
 創業してから今年で1446年、聖徳太子がいた飛鳥時代から気の遠くなるよう
な長い年月を生き続けてきた。推定樹齢7200年の「縄文杉」には足元にも及ば
ないが、西暦610年にムハンマドが開いたイスラム教より古いことになる。
 創業時の歴代社長が歴史上の人物と同じ空気を吸っていたことに、金剛組の
社員はロマンを感じているに違いない。
 
 いま、会社の寿命が平均「30年」と言われる時代に、これだけ数多くの長寿
企業が存続しているのは奇跡に近いと言える。長寿の背景には、長男一人が一
家の財産の全てを引き継ぐという家督制度がある。
 そのほか、長期に亘る海外からの侵略や内戦がなかったこと、日本人の勤勉
さやねばり強さ、時代の変化に対応する柔軟性、などの特性が影響していると
考えられる。
 
 これは日本の歴史と文化を凝縮した数字である。世界に誇ってしかるべきこ
とだ。そんなことで、日本人が大学を出ても小さな染物屋や和菓子屋などの家
業を継ぐことに中国人や韓国人は驚く。
 大学を出たら、官庁や大企業を目指すのが彼らの国では普通だから、驚くの
も当然かもしれない。これには、一つのことを伝承することに価値を見出す日
本人の特性が表れている。
 
 世襲制度の最たるものは天皇制と言える。南北朝時代に60年にわたる皇室の
正統性を巡る争いがあったものの、天皇制は2000年以上にわたって連綿と続い
てきた。戦後は象徴天皇となったが、いまだに男系を中心に継承されている。
 ところが今、皇室は危機に直面している。若き継承者は秋篠宮悠仁親王しか
いないのだ。もし彼に何かあったり、結婚しなかったり、子供がいなかったり
子供ができても男子でなかったら、天皇制は絶えてしまう。愛子内親王には今
の法律(皇室典範)では継承権が認められていないからだ。
 
 こう見てくると、世襲制にはメリットとデメリットがある。そのデメリット
の最たるものが政治分野であると言っても過言でない。国民の生命と財産に直
接かかわる政治の世界では、絶えず多様な価値観をすくい上げる新しい血(人
材)が必要である。
 その意味で、新陳代謝を妨げるような、政治の私物化は許されない。それが
続けば、政治は劣化してしまう。実際、今回の裏金問題で政治の劣化が著しく
進んでいることを我々は目にしている。
 
 「易きに流れる」は世の常である。それだけに、政治の在り方には絶えず注
意を払い、監視していかなければならない。ともあれ、世襲議員が安閑として
いられない政治環境を整えることが、喫緊(きっきん)の課題と言える。
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 
◆  2       海外出張の思い出 イタリア5 
 
         ( 神奈川県横浜市 山尾 正斌 )
 前にも書いたように、2週間に及ぶ打ち合わせは予期以上に旨く運び、続く
ドイツでの日程にはまだ間があるので、空白になった予備日をミラノ周辺の観
光に充てることにした。
 
 ドイツ行きフライトの予約確認をし、K社のS所長や秘書のM嬢、担当のL氏を
日本食レストランの夕食に招待して、バカンス・シーズンに集中的に働いたこ
とを労い合った。
 M嬢は翌日から女友達数人と約ひと月ギリシャへ観光旅行に出かけるのだと
言う。顔が一段と輝いていた。イタリア人たちの休暇の過ごし方は、私たち
日本人とはスケールがまるで違う。
 それに、秘書嬢やその女友達には旅先にひと月も滞在するだけの財力がある
・・・何とも羨ましい話であった。
 
 ミラノ観光の手始めとして、まずレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」
を鑑賞するため、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会を訪れた。かつ
ては修道院だったこの教会は戦災でかなりの部分が破損したそうだ。
 構内に被災当時の写真が展示してあり、その惨状に息を飲んだ。私が訪れた
時は、観光客の目に触れる場所は完全に修復されて被災の跡形すら見えなかっ
た。
 
 目的の絵は辛くも戦火を免れたとのことで、広いホールから見上げる位置の
壁面に描かれていた。よくまぁこんな壮大な絵を描いたものだと驚嘆するほど
予想を上回る大きな壁画であった。
 15世紀に描かれた絵はすっかり色褪せていてコントラストに欠け、正直なと
ころ、第一印象は「ちょっとガッカリ」であった。
 
 「最後の晩餐」と向かいあわせの壁にも、画家の名は忘れたが「キリストの
磔刑(たっけい)」の壁画があり、こちらは年代が新しいらしく色も鮮やか、
第一印象は「こっちの方が見応えがある」と思えた。
 だが、時間経過とともにこの印象は見事に逆転した。私が絵に「心が引き込
まれる」と感じたのはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を直に見たこの時が初め
てである。
 
 絵にはズブの素人の私でさえ、見ているうちに時間が経てば経つほど、心に
感慨が湧き上がってくるのは流石「世界の名画」と言うしかない。
 「最後の晩餐」は私が帰国後数年経ってから、専門家による大々的な洗浄作
業が行われて、今ではあのとき私が見た絵より鮮やかさが蘇(よみがえ)った
と聞いている。
 
 帰途、スフォルツェスコ城にも立ち寄った。この城は、ミラノの豪族ヴィス
コンティの居城として築城され、その後破壊や再建など数奇な歴史を辿ってき
た。
 この時、私が見たのは17世紀頃修復・増築されたもので、堂々とした石造り
の重厚な佇まいであった。付属する博物館も見たかったが休館中だったのはバ
カンスシーズンのせいだろう。
 
 最寄り駅からは市電でミラノ中央駅まで帰った。料金の払い方が判らないの
で、他の乗客を真似ようとしたが、乗客が少なく、これで経営が成り立つのか
・・と心配になるほど空いていて真似ようにも見習う機会が無い。
 仕方なく、降りる時ワンマンの運転手に紙幣を示しながら覚えたてのイタリ
ア語で「いくらだ?」と尋ねた。運転手はニッコリ笑顔を見せて「グラーツェ
(ありがとう)」と言い、ジェスチャーで降りて良いという。
 
 あれは釣り銭が無かったのか、外国語で説明するのが面倒だったのか、それ
とも外国人への好意で「只乗り」させてくれたのか・・・。
 あとでホテルのフロントに訊いたら、市電の切符は予めキオスクで購入し、
下車の際、それを運転手に渡す決まりで、車内では現金は扱わないとのこと。
また平日と日曜日では運賃が異なり、日曜日は平日の4割増しだそうだ。
 
 音楽好きならミラノには見逃せないものがある。ミラノスカラ座である。ホ
ールも歴史的な建造物だし、オーケストラも合唱団も世界の一流である。滞在
中に是非オペラを・・・
 駄目ならせめてマチネーコンサートでもいいから是非鑑賞したい、とホテル
のフロントにチケット入手を依頼しておいた。だがこの季節はバカンス・シー
ズンだ。
 楽団も合唱団も海外遠征に出ていてスカラ座は「もぬけの殻」、その間を利
用して館内は改装工事中とのこと。館内見学も出来ず、外観を眺めるだけで諦
めるしかなかった。
 
 最後の週末は、マッジョーレ湖・コモ湖、フィレンツェ・ピサへの観光に充
てることとし、まず金曜日にコモ湖・マッジョーレ湖を巡る日帰りバス・ツア
ーに参加した。大型バスの席が半分ほどしか埋まっていない。
 これもバカンスのせいだろうか。イタリア人がおよそ半数、残りが外国人で
日本人は私たち2人だけだった。
 
 ガイドの女性は、小学校の教師をしているそうで、バスガイドは週末のアル
バイトだと言っていた。しかし、彼女のガイドはイタリア語・ドイツ語・英語
の三本立て、マルチリンガルの才媛である。
 マッジョーレ湖の手前で植物園を見学した時、彼女は園内で別に付く案内人
に、イタリア語のお客が何人、英語・ドイツ語が何人と説明したあと、私たち
のことを「English Speaking Japanese 2人」と言って引き継ぎをしていた。
 
 マッジョーレ湖はスイスとの国境を跨いで横たわっている。ツアーには湖一
周の遊覧船乗船が含まれているがパスポートの提示などは要らない。深度が
300mもある湖面は夏の日差しを受けて瑠璃色に輝き、アルプスの山々は雪を
残していた。
 湖畔には、昔ナポレオンが宿泊したとか、トスカニーニが半年も滞在して
指揮の構想を練ったとか、歴史を刻む豪華なリゾートホテルが幾つもあって、
その一つで昼食をとり、風光明媚なアルプスの自然を堪能する充実した湖上
遊覧であった。
 
 コモ湖(現地ではコーモと聞こえる)はマッジョーレ湖より少し鄙(ひな)
びた感じのリゾート地で、一帯はイタリア有数の絹製品生産地としても著名で
ある。
 勧められて絹ネクタイを物色したらミラノよりかなり割高だった。既にミラ
ノで土産用に数本買ってあったので、ここで買うのはやめた。この国でも観
光地の品は割高なようだ。
 
 イタリア最後の土・日に、私たちはフィレンツェとピサを訪れた。ミラノか
らは列車を利用し、フィレンツェ中央駅からは地図を頼りに先ずドゥオーモ
(花の大聖堂)を訪れた。
 歴史を刻んだ壮大な建造物を目前にすると、その華麗さに息を呑む。青空に
映えるドーム屋根の煉瓦色と六方に開いた大きな丸窓、白い壁とのコントラス
トが見事だ。
 
 聖堂前広場は大勢の観光客で混雑していて、ミラノやマッジョーレ湖周辺の
閑散とした様子とは別世界である。ふと気付くと正面から歩いてくる日本人ら
しき女性と目が合った。
 相手もジッと見返してくる。パッチリとした黒い大きな瞳と少し厚めな唇、
「アッ、浅丘ルリ子だ」と閃(ひらめ)いた。1秒だったか2秒だったか一瞬で
すれ違ってしまったが、後で考えると大女優が付き人も無しに独りでフィレン
ツェ辺りを歩いている筈がない。多分、他人の空似だったのだろう。
 
 そのあと、ヴェッキオ橋とウフィッツィ美術館へまわった。美術館ではメデ
ィチ家が財力に飽かせて収集した絵画や彫刻がゆったりとした空間に展示され
ていて、多くの宗教画や塑像の素晴らしさを満喫した。
  受け付けで貰った展示品リストによればミケランジェロやダ・ヴィンチの作
品もあった筈だが、どれだったか記憶に残っていない。
 
 その夜は予約してあったフィレンツェのホテルで一泊、翌日列車でピサを訪
れた。イタリア人の発音を聞いていると「ピーサ」と聞こえる。その日のうち
にミラノに戻る旅程なので観光範囲は自ずと制約がある。
  先ず名高い斜塔へ。聞いたとおり、なるほどえらく傾いている。天辺まで登
ってみたが各階層の回廊は傾斜していて歩きにくい。その昔、ガリレオが、傾
いた塔の上から質量の異なる2個の球体を同時に落として、地上に落下するの
も同時であることを実験で証明したという。
 塔のガイドから聞いた。重たいものは軽いものより落下速度が速いと思われ
ていた遠い昔日の噂(うわさ)である。
 
 斜塔の横に、偉容に満ちた大聖堂が建っている。その一角に大きなドゥオー
モがあり、ガイドがホールの中央に立って観光客向けにパフォーマンスを披露
した。
 見事なバリトンで朗々と発声すると、その声がドームの天井に反響して谺
(こだま)が何時までも消えない。昔はここでミサが執り行われたと聞くから
司祭の説教は殷々(いんいん)と響きわたってさぞ荘厳だったにちがいない。
 
 その日遅くミラノのホテルに戻り、翌日には午後の便でドイツへ移動した。
私にとって生まれて初めての欧州、イタリア滞在の二週間を振り返ると、仕事
も予想以上に旨くいったし、困惑するようなトラブルにも遭わず、いろいろ珍
しい体験も楽しい思い出もできた。
 今からおよそ半世紀昔、私の初めての欧州出張が、得るところの多い日々だ
ったことを幸せに思う。
 
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇