社会科の教科書で見て記憶に残っている。
哀しく痛ましい記憶として。
沖縄はリゾート地であり観光で訪れる人が多いけれど、
私は沖縄と言えばひめゆりの塔であり、
外せない場所と思っていた。
1945年3月23日。15歳から19歳の沖縄師範学校女子部と
沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名
(教師18名・生徒222名)は沖縄陸軍病院に配置された。
戦闘が激しくなりほとんどアメリカ軍に占領された状況下で、
地下壕から出る事は死を意味していた。この地で136名、
他の地区で91名の方が命を落とした。
道路からはこの道を進む。
位置関係を記す石碑。
伊原第三外科壕にいた80名がアメリカ軍の攻撃で亡くなった。
壕の周りに石碑が立ち、手前右側に見える数十センチの低い碑が、
1946年に建てられた「ひめゆりの塔」。
沖縄県立第一高等女学校の校誌名「乙姫」と、
沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせて、
「ひめゆり」と呼ばれるようになった。
6月23日は沖縄慰霊の日である。
狭い壕の中で感じた恐怖は計り知れない。
戦争で命を落とされた人々の霊を敬う共に、
今こうして生きている事に感謝したい。
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