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カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

ソンプル・メーラ。

2016年12月10日 22時08分59秒 | 東インド / EAST INDIA
ビハール州の州都パトナーから北東にあるソンプルと言う町で、
毎年11月頃に行われるソンプル・メーラに連れて行ってもらった。

「メーラ」とは、ヒンディー語で祭りの事で、
日本で言う所のバザーや縁日の大きなものみたいなものだ。

我が故郷の新潟県上越市の隣に新井市(現在の妙高市)があった。
秋になると「報恩講(おたや)」が開かれて、
子供の頃はそれはそれは楽しみだった。
飲食の店舗、おかし、ゲーム、見世物小屋などが建てられていた。
このメーラに行って幼少の頃を思い出した。



昔は象や駱駝やいろんな動物や鳥を売る店が多くかなり賑っていたそうだ。
この辺りでは知らない人がいないくらい有名な祭りらしい。
ヒンドゥー暦カールティカの満月の日から1ヶ月に渡り開かれ、
アジア最大級の家畜市が目玉らしい。

 

おもちゃや日用品を売る店が多かった。



これは金物屋。
 学校のテキストの中にインドの文豪プレーム・チャンドが書いた
「イドガーハ」と言う短編の物語が載っていた。

 貧しいムスリムの少年の話だ。両親がおらず祖母に育てられていた。
あるイード(断食)明けの祭りの日、少年は友達とメーラに出掛ける。
祖母がなけなしの10Rsを持たせてくれた。
少年はおもちゃも買わず、お菓子もスナックも食べす、
乗物にも乗らず、金物屋でトングを買う。友達に笑われたが・・。

その理由は・・・・少年は祖母がチャパティを焼く時に、
手を火傷していたのを見ていたからだ。

と言う、感動的な話であった。その話を友達にしたら、
有名な話なので知っていた。

 

物欲がなく何も買わない私に友達が何か買えと言うので、
ガスコンロに着火する時に使う火おこし(インドのガスコンロは自動着火ではない)を、
20Rsで買ってもらった。デリーで買うより安かった。

 今年は「ノート・バンディ」の影響で全く人出が少なかった。

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パトナー動物園。

2016年12月09日 22時03分59秒 | 東インド / EAST INDIA
パトナーには観光場所が少ないので、
過去2回の訪問でほぼ見尽くしていた。
動物園があったとは知らなかったのだが、
友人が連れて行ってくれた。

入場料は30Rs(約50円)。
実際には開園は9時からのようだが、
日曜日だったからかその前から開いており、
人々が散歩をしたりしていた。

開園前だったので動物は数が少なかった。
ライオンは奥の小屋に入っており声はすれども姿は見えなかった。




コンドル。



シャンティと言う名前のキリン。



ねじれた角を持つ鹿、美しい・・・。



鹿の群れは奥の方に固まっていたが、
好奇心が旺盛な一頭がこちらに向かってきた。




こちらは野生のトカゲ。



そして丸印の中はマングース。



園内はかなり広いので有料のトイトレインが走っている。
動物の他、鳥類、別料金の水族館などがある。

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アショーカ王の柱。

2016年12月08日 21時57分59秒 | 東インド / EAST INDIA
ビハール州の州都パトナーの北55Kmにある仏教遺跡。
仏陀の時代の北インドにはマガダ、コーサラ等16の国があったそうな。
そのうちの一つがヴァイシャリで、
リッチャイヴィ族の首都として繁栄した都市だった。

仏陀は何度もヴァイシャリで説法をした。
クシナガルで入滅する前にも訪れ、
遊女アンバパーリーの接待を受けた。




このアショーカ王の柱は仏陀の死後、
経典の編集のための結集が行われた事を示すそうだ。
裏側には沐浴池があった。



ストゥーパがあるエリアから奥へ4Km行った所にある。
このエリアだけは有料で外国人200Rs(約325円)、
インド人は15Rs(約25円)。

インド国内の施設や遺跡の入場料、入館料の類で、
納税者カードを提示すればインド人料金で入れる所が多いのだが、
ビハール州はダメなようだ。

2010年にパトナーにある博物館を訪れた時の。
外国籍であると言う理由で却下されたのだが、
今回も同じ理由で却下された。なんでかな。

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ヴァイシャリ博物館。

2016年12月07日 22時10分59秒 | 東インド / EAST INDIA
 11月9日に突如として起こった「ノート・バンディ」。
これは高額紙幣の旧札2種類が使えなくなると言うものだ。
この影響がいろんな所で出ている。

例えば・・・・有料道路の通行料。空港の駐車場など。
旧札の500Rs札や1000Rs札、
新札の2000Rs札で支払われてもお釣りがない。
と言う理由から無料開放中

ここで働いていた人はどこへ行ったのだろう 休みなのかな
そしてこのヴァイシャリ博物館も無料だった。(笑)

 「ノート・バンディ」の影響は悪い事ばかりだったけど、
これはいいんじゃないかと思う。

ヴァイシャリ博物館には・・・・大した物はなかった。
と言うか大きな物が展示されていなかった。

唯一面白いと思ったのがこれ。トイレの遺跡。
写真撮影禁止だったようで・・・注意されてしまった。
でも禁止と書いてなかったしな・・・・。
OKとも書いてなかったが・・・・。
削除しろと言われなかったので、そのまま掲載する



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【インドのストゥーパ】 ~ ヴィシャリ ~

2016年12月06日 21時43分59秒 | 東インド / EAST INDIA
仏陀の死後その仏舎利を8つに分け納めたうちの一つ。
正確には・・・・ストゥーパ跡と書いた方が正しいかもしれない。
このストゥーパはレリック・ストゥーパと言う。



場所は道路から見えるこの鐘の裏側になる。
左側に入口がある。



入口はこんな感じの門があり、入って行くと・・・
屋根が見える・・・・。屋根の下にはストゥーパ跡がある。
こんな状態だから、もうここには仏舎利はないだろうと思った。

 

ヴァイシャリには由緒正しいこのレリック・ストゥーパと、
日本山妙法寺の世界平和ストゥーパがある。

日本山妙法寺の世界平和ストゥーパの方が白くて立派なのだが、
仏陀の仏舎利が納められていたのはこのレリック・ストゥーパの方だ。

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【インドの結婚式】 2016年 ビハール州 その③

2016年12月05日 22時28分59秒 | 東インド / EAST INDIA
結婚式が行われたのはビハール州の州都パトナーから、
東へ200Kmほどのバーガルプルと言う町だった。
デリーからはパトナーへ飛行機で飛び、
そこから手配してもらった車で約5時間ほどかかった。

鉄道駅のすぐそばのホテルを新郎側の親族や関係者用に借りたようだ。

当初予定では結婚式は夜8時頃から始まるとの事だったが、
インドなので(笑)そんな事はあるはずがなく、
私は早くとも11時と踏んでいた。

そもそもホテルに到着したのが夜8時頃、
その時点で予定より遅れている事が解ったため、
あてがわれた部屋で着替えた後、休憩していた。

10時過ぎてなんだか外が騒がしくなったので覗いてみると、
ホテルの前に楽団と生歌演奏車が来ていて大音量で演奏していた。
               


11時過ぎてそろそろ式場へ行くと言うので外へ出た。


               
楽団を先頭にして花婿行列は進む。
徐行よりもゆっくりのスピードで、時折停まっては、また進む。
何故なら・・・・楽団の後ろで花婿側の親族・関係者が躍っているからだった。


               
後で解ったのだが・・・・・車でたった5分ほどの距離だった。
踊り狂う人々に続いて花婿の乗った車が進む。
その後ろに親族や友人・関係者の乗った車が続く。

当然、大渋滞になってて、
近隣の人には迷惑かけてるんだけど・・・
まぁインドだから許されるんだろうけど。

 
               
式場に到着。車のまま新郎はテントの中に入って行く。
思ったより小さな会場だったのだが、
これ新婦の家の前に建てられていたためスペースの関係だと思われる。
へんな二人組だけど・・・・インドじゃ有名なのか?
               


新婦の家の前には式を挙げたと思われる祭壇が作られていた。
         


食事はブッフェで、チキンもあった
ナンはその場で焼いてくれた。甘味もあったけどジャレビーだけ頂いた。
               
 



インドの結婚式の費用は花嫁側がもつ。
また未だに持参金制度が慣習として残っている。
今回の式はこじんまりとしていたのだが、
これは花嫁側の財力なのか、花婿側が地味婚にこだわったのか、
はたまた「ノート・バンディ」の影響なのかは解らない。
(インドで起こっている高額紙幣を無効にする政策。)

なにはともあれ、二人に幸多かれと祈るのみだ。

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【インドの寺院】 ~ 日本山妙法寺 ~ (ヴァイシャリ)

2016年12月04日 22時35分59秒 | 東インド / EAST INDIA
インド全土に何カ所あるかは知らないが、
結構な数がある日本山妙法寺。
デリー、ブッダガヤー、ラージギル、ダージリン、レー・・・。
ヴァイシャリはビハール州の州都パトナーから北西に約60Km。



お寺は簡素で中に人影は見えなかった。
お寺の左手に進んで行くとストゥーパへの参道がある。

 

正式名称は「世界平和ストゥーパ」と言う。
他の場所にある妙法寺のストゥーパと色も形も同しだ。



正面にある仏像。



その左側へと回ってみると涅槃像があり、
その次に生誕僧像があった。

 

トイレもあった。一応・・・使える(笑)
寺から参道へ向かう途中の左側。



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【インドの宿泊施設】 ~ ホテル・ホワイト・ハウス ~(バーガルプル )

2016年12月03日 22時31分59秒 | 東インド / EAST INDIA
結婚式のために行ったのは、
ビハール州の州都パトナーから東へ200Kmほどの所にある、
バーガルプルと言う町だった。

友人である新郎側で手配してくれたホテルだったので、
事前に詳細は解らなかった。
ただ、新郎曰く街でそこそこのいいホテルとの事だった。

まぁインドの田舎町のホテルなので期待はしていなかったのだが、
同行した日本人から聞いた話では・・・・
家族を同行するにはちょっと・・・との事だったので、
恐らくはホテルと言うよりゲストハウスのレベルだろうと思っていた。

到着したのは夜8時過ぎだったので周囲は解らなかった。
翌朝解ったのは鉄道駅のそばだったと言う事だ。



さて、ビハール州はドライ州(禁酒)になったそうで、
ホテルの部屋にも「飲酒禁止」の注意書きがあった。
まぁヒンディー語で書かれているから、
ほとんどの外国人は意味不明であるのだが。



部屋にはエアコンがあったが、湯沸かし器がなかった(泣)。
テレビ(映らなかったけど)、バスタオル、シャンプー、石鹸付き。
トイレはインディアン・スタイルだった。
ソファとテーブルはあるが、ベッドの周囲に余裕はなかった。

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【インドの結婚式】 2016年 ビハール州 その②

2016年11月25日 22時37分59秒 | 東インド / EAST INDIA
通常インドでは結婚式などの儀式では殺生を嫌い、
ベジタリアン料理がふるまわれるのが常識である。
そして酒類も一切でない。
こんな状態で司会者もない式は延々と(だらだらと)
夜8時頃から翌朝まで続くのだ。

 ところが・・・事前に聞いた情報では・・・
A君の地元では河が近いと言う事もあり、
日常的に魚を食する習慣があるとの事。
しかも彼の母親はチキンも好きらしく(笑)、
式では魚もチキンもふるまわれるとの事だった。

もう一つ確認したのは「さすがにお酒はでないよね?」だった。
日本人としては当然の事である。
祝い事に酒がない事は考えられない。
すると・・・・「ビハール州はドライ州(禁酒)になったんだ・・。」
との事。知らんかったわ・・・・
モディさんの影響はビハール州にも及んでいた。

では、行ってきます

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【インドの結婚式】 2016年 ビハール州 その①

2016年11月24日 22時35分59秒 | 東インド / EAST INDIA
友人A君の結婚式に参加するためにビハール州に行ってくる。
ビハール州はインドの中心から見ると北東に位置する。
州都はパトナー、今回、訪ねるのはパトナーから、
ガンジス河に沿って東に200Kmほど行った所にある、
バーガルプルと言う町だ。
東にあるウエスト・ベンガル州へは80Km程である。
その昔、河を利用していろんな物を運んだ貿易の町だったそうだ。

さて、A君の結婚は一応はお見合いだったようだ。
2年ほど前に会ってそれから愛をはぐくんだらしいのだが、
通常インド人のお見合い結婚は、当人と両家に問題がなければ、
婚約式を経て結婚式までは、だいたいは数カ月で終わる。

A君の場合、なぜ2年以上もかかったかと言うと、
両家の親族に反対する人がいたからである。
インドの場合、当人同士さえ良ければ・・・と言う事にはならない。
両親、兄弟姉妹、祖父母、叔父伯母(叔父叔母)など、
全員から祝福されない結婚に、幸福と未来はない。

                          

まず問題になったのは、彼が自営業であると言う事だ。
インドでは経済的に安定している公務員が一番人気で、
明日をも知れぬ自営業は敬遠される。
これに相手の親戚がOKを出さなかった。

それから相手の仕事が看護師であると言う事。
これに彼の親戚がOKを出さなかった。
日本と違って職業的な差別意識があるインドでは、
こういう仕事は良く思われない。

と言う事で、説得に説得を重ねて2年がかりで、
ようやく結婚にこぎつけたと言う訳だ。

彼はデリーで小さいながら自分の父親が立ち上げた会社を継いでおり、
奥さんは地元の病院に勤務していると言う事で、
結婚後も別居になるそうだ。
奥さん1人を実家に置くと、日本も同じだが嫁姑の問題があり、
上手くやってもらうために彼は結婚前から実家に戻り、
結婚後も1ヶ月以上実家にいて二人の間を取り持つとの事。

結婚式の様子は後日レポートする。

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【インドの人々】 ~ ダージリン③ ~

2014年11月17日 21時46分59秒 | 東インド / EAST INDIA
 見学に行ったハッピーバレー紅茶園、
茶摘みは休みと聞いていたのだが
茶畑を見ていると、人影が・・・。

ちょっと遠いのだが、よ~く見ると、
しゃがんだり、立ち上がったりしている。

何だろう・・・・さらに目を凝らすと・・・・
手に持っている葉っぱが大きい。

 

・・・・草むしりだった。
確かにこの紅茶園、紅茶園自体は休みのようだが、
自主的なのか、当番なのか、ガイドもいたし、
草むしりとは、偉いなぁ。



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【インドの人々】 ~ ダージリン① ~
【インドの人々】 ~ ダージリン② ~

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【インドの人々】 ~ ダージリン② ~

2014年11月16日 21時48分59秒 | 東インド / EAST INDIA
高原というよりは山のふもとの小さな町と言う
私の持っていたダージリンの印象は、
初日でもろくも崩れ去った。

ダージリンのチョウラスター広場へ向う通りは、
さながら原宿のようだった。

 KFCとピザハットがあり、それだけでも意外だったのに、
チベットやインドの民族衣装を売る店より、
Tシャツやジーンズショップが多かった。
また、誰が買うんだろうと思わせるようなボディコンや
いつ何処で着るんだろうと思わせるドレスを売る店が多くあった。

タグを見ると中国語に混じって日本語もあったし、
フォーエバー21や23区もあった、
何処から持ってくるのだろう。中国国境を越えて来るのだろうか



標高m超のダージリンの気温は平地より℃は低いので、
朝晩は寒いのだが・・・・ミニスカートのオネェちゃんがいた。
しかも薄手の生地のノーースリーーブである。

昔、誰かが言っていたのだが、
ファッションとは寒いものなのであ~る。

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【インドの人々】 ~ ダージリン① ~

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【インドの人々】 ~ ダージリン① ~

2014年11月15日 22時38分59秒 | 東インド / EAST INDIA
ダージリンは西ベンガル州に属するのだが、
位置的にはブータン・中国・チベットと接しているため、
どちらかと言うとインドっぽくない。

 バグドグラ空港からダージリンへ向うと、
高度が上がってダージリンが近づいて来るにつれて、
顔つきもお醤油系に変わってくる。

 

 ダージリンで荷物を運ぶ人は、
このように頭に紐を引っ掛けている。
恐らく・・・坂道が多く前傾姿勢を余儀なくされるためだろう。

背負うよりこの方が楽なのかもしれないが、
すっごい強靭な首を持っているとしか思えない。
もしも私が同じ様にやったとしたら、
首を後ろに持って行かれ倒れるだろう。
背中に背負う方が楽だと思うのだが。



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ロープウェイ。

2014年11月14日 22時21分59秒 | 東インド / EAST INDIA
以前はダージリンからハッピーバレー茶園を越えて、
シッキム州の州境までロープウィがあったらしいが、
 数年前のガイドブックによれば運休中との事。
そろそろ復旧しているかとはインドだから、
ちっとも思ってはいなかったが行ってみた。

 運休中と言えば聞こえはいいが・・・
これを見ると運休中ではなく、
修復するつもりなど毛頭ないと言うのがよく分かる。
まぁ好意的に解釈すれば永遠に運休中である。

 



日本だったら安全第一と考えて危険なので取り壊すだろうが、
インドでは費用面を考えて放置するのが一般的である。

 
で・・・・一部区間だけだが運転している所があった。
1つのゴンドラに6人まで乗れるそうだが、
どうしても乗りたいほどのフェチでもマニアでもないし、
安全性を考えて乗らなかった。

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シッキムとのボーダー。

2014年11月13日 21時33分59秒 | 東インド / EAST INDIA
インドにはの州があるが、
東北にある州への入境には許可証(パーミット)が必要な所がある。
シッキム州もそうである。

シッキム州はネパール、チベット、ブータンと国境を接している。
州都はガントク、人口20万人弱の75%がネパール系である。
ダージリン同様、バグドグラ空港がゲートシティとなる。

 今回のダージリン行きでは、
シッキムまで行く事を考えていなかったので、
パーミットは取らなかったのだが、
せっかくなので州境まで行ってみた。

西ベンガル州のダージリンからシッキムへ行くルートは何種類かあるのだが、
今回頼んだガイドは、シッキムの西部にあるラマン・ボーダーへ案内した。
ダージリンからガントクまでは車で4時間かかるが、
北部のラマンまで1時間半程度であった。



川の向こうがシッキムで橋を渡った先にチェック・ポイントがある。
右側に古い橋の名残が見える。
なお、橋の手前ダージリン側には検問はなし。

 渡って良いとの事で渡り始めたのだが・・・・
いいのかーーーーっ これを見ると不安になるのだが、
車も通行しているが安定していた。
それほど揺れてないのだがFさんは足がすくんだようで、
橋の手前から写真を撮影していた。



渡りきるとこんな感じの門があった。
シッキム・ボーダーと書いてある。



門から覗いてみれば・・・のどかである。
兵士と係員がいるだけだ。
まぁボーダーと言ってもインド国内であるから緊張感はなかろう。





 ははは・・・・。「VISIT AGAIN」の文字。
実は・・・正確に言うとシッキム州側に入った。
もちろん許可を得た上でだが。

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